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初出社と階段2



 日永はクローゼットを開けた。白のトレーナー。黒のトレーナー。緑のパーカー。カーキのカーゴパンツに、太めのジーンズ。日永がアパートに持ってきている秋冬の服のすべてだった。日永はカーゴパンツを履いて、白のトレーナーに袖を通した。インターホンが鳴る。赤いボディバッグを提げて、日永は玄関のドアを開けた。管野が立っていた。青と灰色のツーカラーのウインドブレーカーをはおり、細身の黒いチノパンをはいていた。

「おはよう。準備は?」

「おはよう。できてる。行こう。あ、飴玉あげる」

 バッグから日永は黄色いみぞれ玉を出した。管野はそれにびっくりしたが、顔には出さず、貰った。

 日永はホテルの皿洗いのアルバイトを辞めることになった。そして、宮に自分の所で働くようにスカウトされた。日永は渋ったが、宮の笑みの不気味さに頷いてしまった。

「よかった。ラフな格好でいいんだ。制服とかある?」

 日永は管野のあとについて歩く。

「ない。服装は自由だ。男性陣はワイシャツ着てるが、居里さんは年中、白Tだし、木森はごちゃごちゃだ」

「ごちゃごちゃ」

 日永は口遊びに繰り返した。

「うちの会社の説明は着いてからする。けど、会社に着く前に大事なことを伝えとく」

 管野は厳しい顔をした。

「うちの会社の責任者は師巻さんっていう人だ。めったに会社には現れない。俺も二回しか会ったことがない。ずっと外に出ずっぱりだ。責任者って言っても、現場の指揮と権限は宮さんが持っている」

「なんかややこしいね」

 日永の頭の中で充電コードが絡まるイメージが広がる。

「だから、師巻さんのことはいないもんだと思っていい」

「じゃあなんでわざわざ事前に教えてくれるの?」

「鐘霞さんの前で師巻さんの名前は出さない方がいい。詳しくは知らないが、人間関係的な意味でごちゃごちゃしてるらしい。覚えとけ」

「了解です」

 到着したのは、五階建てのビルだった。新築ではなく、オンボロとまではいかないが、年期は入っていた。ドアはぱっと見、裏口のような雰囲気だった。窓も付いていない灰色の不愛想なドアだった。ドアの横に「QUAI COMPANY」と彫られた目立たない看板があった。管野は社員証をタッチすると、六桁の数字を押した。ドアロックが解除される。入ってすぐ素っ気ない階段が見えた。

「オフィスフロアだけは改装してるから綺麗だぞ」

「へぇ」

「五階は会議室。ほぼ使わない。四階から案内するから」

 エレベーターで四階へ上る。その間に管野が説明をした。

「うちは一応外資系の会社だ。清掃会社ってことになってる」

「なってる?」

 日永は聞き返す。

「やってるのは殯っていう男が起している窒息死を未然に防ぐことだ。その次に、不透明な窒息の究明。それを海外の依頼でやっている。国は認可してないが、黙認している」

「んー、なんかさ、俺、やっぱ皿洗いの方がいいかも」

 日永は未練をこぼした。

「給料はいいぞ」

 エレベーターのドアが開くと、管野が先に出た。ここで帰るわけには行かず、日永はしょうがなくついて行く。

「うちは、調査課と出動課に分かれてる。俺と日永は出動課。調査課は第一係から第三係まである。ここは第三係の研究室だ」

 管野はドアをノックした。どうぞー、とのんびりした声が聞こえた。

「失礼します」

 ドアを開けると、ドレッドヘアに白衣を着た男が目の前にいた。日永はわっと驚く。男は楽しそうにした。

「聞いてた新人君か。よろしく。僕、助手の綿井レオ」

「はじめまして。日永登です」

 綿井はふり返ると、でかい液晶のパソコンと向き合うベリーショートの女性に声をかけた。

松葉まつばセンセーイ。新しく入った子が挨拶に来てますよ」

 くるりと松葉は椅子ごと日永達の方を向いた。

「松葉有子でーす。不透明な窒息について研究してるけど何も分からなくてくじけそうな松葉でーす」

 おちゃらけな口調だったが、真顔だった。

「あれ、鉄板の自虐ジョークなんだ」

 綿井がフォローしながら、髪を後ろで無理矢理束ねた。

「現場に出る俺達への嫌味にも聞こえますけど」

 管野が言うと、そんなワケないって!と綿井はバシバシ管野の肩を叩いた。

「痛いです。とりあえず顔見せに来ただけなんで。これからお願いします」

「お願いしまーす」

 松葉はパソコンに向き直りながら、手を振った。

「次、三階に第一係と第二係のオフィスがある。第一は師巻さんと小春さんがいて、さっき言った通り、年中いない。第二係は、出動指示と情報の収集、整理とかしてくれる所。ひとつ下だから階段で行くぞ」

「ねえ、管野。不透明な窒息って何?」

 階段をゆっくりくだりながら、日永は聞いた。

「殯が起している窒息死をそう呼んでんだ。なんらかのアクションが起きると、体が動かなくなる。日永も見たんだろ?」

 日永は、マネキンみたいに止まった人間達で埋め尽くされたパーティー会場を思い返す。

「あの間、自己忘却している。二分以内に自分を思い出さないと呼吸ができないっていう錯覚におちいって、そのまま窒息死する。なんらかなアクションが何か分かってないし、メカニズムも分かってない。酸素中毒も含めて中毒死でもないし、窒息性ガスでもない。たまに残していく、白い筒がヒントなんだろうけど、それはいつも空っぽ」

「なんでわざわざ筒だけ残すの?回収できないだけ?」

「殯は、不透明な窒息の発生はできるが、たぶんメカニズムは理解してないって推測されてる。だからワザと、筒を置いていく。筒の底の塗装がいつも削れてるんだ。そこは向こうも隠したいところなんだよ。殯の両親は界隈では有名な慈善家だった。もう死んでんだが、生前殯夫婦と交友関係があった人間が、人の出入りがある行事をする時に不透明な窒息の騒ぎを起こす。俺らにその関係性について調べさせて横取りしたいんだろうし、不透明な窒息について解明させたい魂胆だろう」

「めっちゃいいように利用されてんじゃん」

 日永のごまかしなしの感想だった。三階の廊下につく。

「そうだよ。うちは、埒が明かない処理部署だ。ああ、言っとくけど安心しろ。俺がここに来てから、不透明な窒息で死んだ人間は一人もいない。ここが、第二係」

 管野はドアをノックした。どうぞと低い声が聞こえた。

「失礼します。新人の挨拶に来ました」

 部屋に入ると背はあまり高くない、チェーンを付けた眼鏡をかけた男がマグカップに湯を注いでいた。こちらを向いて、眼鏡を下にずらした。ベルトに豊かな腹がのっている。

番頭ばんとうさん。宮さんの補佐の仕事もしてる」

 管野が教える。

「日永登です。お願いします」

「はいはい、聞いてるよ。変な所だけど、よろしくね」

 番頭の声は優しい低音で響く。管野はオフィスを見渡す。

「白鳥さんは?」

「寝坊」

 番頭は困ったように喉を鳴らした。そして、生姜湯の粉末をいくつか日永に差し出した。

「これから寒くなるから。甘くておいしい生姜湯だよ」

「ありがとうございます!」

 日永は貰えるものは何でも喜ぶ。

「もう少し寒くなったら柚子茶も飲みにおいで。庭の柚子の木があってね。毎年作るんだよ」

「俺、柚子茶めっちゃ好きです!」

 日永は喜び、管野とオフィスを出た。

「一個ちょうだい」

「はい」

 日永は歩きながら生姜湯を管野にひとつあげた。

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