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優しいだけ1

 


 ホテルオカミには「みぞれさん」と呼ばれる古株の従業員がいた。現オーナーが子どもの頃にはすでにおじいちゃんと呼んでいい風貌だった。いつからホテルで働いているか誰も知らない。

 準備していた菅野のコックコートのサイズが合わず、交換するために日永に連れられ菅野は管理室に来た。みぞれさんはニコニコして新しいコックコートを菅野に渡す。

「これもどうぞ。おいしいよ」

 みぞれさんは赤い色のみぞれ玉を菅野に渡した。

「ありがとうございます」

 軽くお辞儀をした時、菅野の目の端に壁に立て掛けられた杖が見えた。

「会うといつも飴玉くれるんです。決まってみぞれ玉をくれるからみんなにみぞれさん、て呼ばれてる」

 管理室を出てすぐに日永は水色のみぞれ玉を口に放り込む。そして頬に移動する。

「でも、最近は杖がないと歩くのが不安らしくて。明日で辞めちゃうです」

 菅野は曖昧に相槌を打った。次の日、みぞれさんに花束を渡す場にいた菅野は居心地が悪かった。あまりにも無関係過ぎた。それでも周りの顔を見ると好かれていた人なんだろうなと分かり、菅野は周りに合わせて拍手をした。

 菅野がバイトを終えて、管理室の前を通り過ぎようとすると、日永の声が聞こえた。

「いつも飴玉貰ったんで、これ。ダージリン」

「おお! これはかたじけない」

「かたじけないって、あははっ」

 笑い声が菅野の足元に転がる。菅野はそのまま立ち聞きした。

「みぞれさん、家近いんですか?」

「バスで、ちょっと先ぐらいだよ」

「時間大丈夫?」

「まだまだある。もうちょっとゆっくりしていこうと思ってね。今日は最後だから、全部の味をあげよう」

「本当! ラッキー」

 袋のガサガサした音が聞こえる。

「家にね、まだまだ沢山あるんだ。困ったね。一人で全部食べないといけない。糖尿になってしまう」

 みぞれさんが喉を鳴らして笑う。

「一人暮らしなんですね」

「ああ、ずっとな。特に理由はないけどね」

 みぞれ玉を分ける音が止む。

「本当はもっとここにいるつもりだった。やだねぇ。なんだか寂しくなる気がして、やだねぇ」

 みぞれさんは滑稽そうに零す。

「バスで近いなら、時々俺、飴玉貰いに行くよ。お礼に庭の草ぐらいなら抜くよ」

 日永はあっけらかんと言った。

「ええ? ははっ」

 みぞれさんは驚いて困ったような声を漏らし、しばし黙ってから言った。

「庭を綺麗してくれたらそれは、助かるねぇ。足が悪いから。近所付き合いは挨拶ぐらいで、まあ、子どももいないし、客も来ないからどうでもいいと思ってたけどねぇ、ははっ」

 みぞれさんの声が震える。

「ごめんねぇ、ちょっと。ははっ。恥ずかしくて、みっともない」

 みぞれさんは泣き出した。菅野は管理室をそっと覗く。隣に座った日永が丸くなったみぞれさんの背中を優しく撫でていた。あやすように柔らかく。菅野は音を立てず、管理室から離れた。自分はあんな風には、なれないと菅野は思った。寂しくて泣く老人を慰めることなんて、どうしていいか分からない。

 そこにいるだけで空気を救う。クアイで一緒に働くようになって、菅野にとって日永はそういう人間の種類だった。生きてるだけで誰かに優しくできる。寂しくないじじいになればいい。菅野は勝手に願っていた。



「どこだよ」救急隊員が辺りを見渡す。「イタズラか?」

「足怪我した人ならどっか行ったよ。男の人」

 肉屋の主人が隊員に話しかける。

「どっかに行ったんですかぁ!」

 隊員が声を上げた。

「止めたんだよ。でも、走れるからって。走れてなかったけど」

 店の奥から精肉店の奥さんが出て来た。

「あんた、さっきの地震じゃない。ヘリコプターだよ。落ちたんだ、ヘリコプター!近いよ、結構」

 主人と隊員が声を上げた。

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