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暗闇は二度と灯らない1

 木森は眠る管野の透明なブレスレットをぼんやりと眺めた。お揃いというものを煩わしく感じそうな男なのに、案外律儀だ。木森は自分の白いブレスレットを撫でながら思った。おろした髪を指でとかす。傷んだ毛先を夜明けの明るさに透かせて気を紛らわせる。お風呂に入りたい。スウェットとか楽な服に着替え、喪服のワンピースを脱ぎ捨てたいと望むほど木森はくたびれていた。疲れているのは自分だけではない。堪えて、深呼吸をして前を見る。指から毛先を落とす。

「鐘霞さんっ! 前!」

 木森の声に、菅野と居里が目を覚ます。鐘霞はフロントガラスの向こうを見据える。ワゴンの前にオータスが立っていた。瞳はどこを向いてるか分からない。けれど、ワゴンの中を見られていないとは思えなかった。オータスが動けば、逃げるしかない、そんな恐怖を空虚に見せかけた佇まいから醸し出す。鐘霞の喉を汗がつたう。

「お前らはここにいろ。いざとなったら俺を捨てて逃げろ」

 ワゴンから出ようとする鐘霞を居里が引き留める。居里は携帯電話の電源を入れる。

「通話できるようにして。こっちにも話してる内容が聞こえるように」

 鐘霞が言う通りにする。

「このまま轢き殺してもいいけど」

 居里が言った。鐘霞が居里を見返る。居里は正気だった。

「うまくいく可能性の方が低い。それに情報源だ。この待ち時間から抜け出すには殯より先に水を確保するしかない」

「あいつを味方にするってことですか?」

 菅野が無理な算段だと困惑する。

「そんな簡単じゃない。だが、交渉はできる時にした方がいい。俺らを殺すならあんなとこで大人しくしてないさ」

 鐘霞は電話をかける。居里の携帯電話が鳴る。通話中になり、居里はスピーカーにした。鐘霞はワゴンを出た。

 外は思いの外肌寒く、カッターシャツだけの霞鐘の体はすぐに冷えた。鐘霞は凝り固まった肩をほぐすのに右の肩を左手で揉んだ。携帯電話を持ち換えて、逆も揉む。

「登はどこ?教えてくれたらあんたらを殺したって殯に言ってあげる」

「日永の命を引き換えにしたら俺らは助かるってことか?」

「そういう事でいい」

 鐘霞の納得の理由が何になっても、オータスはどうでもよかった。木森は無意識にブレスレットを触った。菅野はじっと居里の手の中にある携帯電話から目を離さない。

「宮さんと小春を撃ったのはお前か?」

 鐘霞の質問に、オータスは首を横に振った。居里は手をりきませる。

「クアイにいた四人は?」

 オータスは首を横に振った。

「市民病院の近くにいた室崎さんは?」

 オータスは少し間を開けてから、首を傾けた。

「手伝いはした。頭がいいから運が悪かったんだ」

 木森が唇を噛み締め、涙を流した。

「気が付かなくていい事に気が付いたんだ。どっちにしても、水の在り方とメカニズムの見込みができたら、クアイの人間の死を殯は最初から決めていた。けど、登は殺したくない。だから、あんたらもついでに見逃してあげる。ラッキーでしょ?」

 オータスは親切のつもりだった。鐘霞は口を開かない。実際、この交渉に頷いても鐘霞達は日永の居場所を知らない。ハッタリをするにしても慎重にならなければならない。保障がない。信用できない。そういう類の言葉を並べて、考える時間を稼ごうと鐘霞が考えた時だった。鐘霞の携帯にキャッチホンが入った。

「保障がない」

 鐘霞は無視した。切れる。今度は居里の方にキャッチホンが入る。公衆電話からだった。居里は師巻からかもしれないと、スピーカーを切って出た。

「師巻だ。悪いな、電池がなくなった」

「出てよかったです」

 鐘霞とオータスから目を離さないまま、居里は会話を続ける。

「まだ四人、無事か?」

「ええ」

「公安にお前らを保護してもらう段取りがついた。今から言う場所に向かえ」

 居里は菅野にメモを頼む。居里は指示を待つ。師巻の言葉が続かない。

「師巻さん?」

「聞きたいことがある。五年前、あなたが冬野博士の部屋に行った時、日永登はいたか?」

 遠くから聞こえた声は聞き取りづらく、くぐもっていた。師巻のこめかみが汗で濡れる。背中には熱を感じた。異様に暑くなる。殯は電話ボックスのドアを閉める。師巻はダメ元で受話器を捨て、両手を上げた。受話器は台にぶつかり、垂れて揺れる。居里は黙ったまま、震える。

「居里さん?」

 菅野が呼びかけても返事はしない。菅野は口を閉じた。

「どういうことだ?」

 師巻の声も居里の耳から遠くになる。

「いたか、いないかだけ聞いてる。あんたが見た事を聞いてる」

 師巻に悩む時間はなかった。

「俺は、見てない」

 嘘をつく必要があるのか、師巻は頭が回らなかった。ただ、本当の事を教えるのが癪だった。

「そう」

 殯は受話器を拾うと、耳に当てる。

「日永登はこっちについたよ。お疲れ様」

 そう言いながら殯は、白い筒を公衆電話の上に置いた。すでに噴射されていた。

「瞑目しな」

 殯は受話器を置いた。

「あーあ」

 師巻は肩を落とした。

「一切合切悔いだらけだ」

 暗乱を唱えた殯は外に出るとドアを閉めた。

 居里はフロントガラスを叩く。その音に鐘霞は振り向いた。居里は携帯電話を耳にあてている。鐘霞も耳にあてた。

「瞑目って意味わかる?」

「は?」

「日永、殯についたって。殯から」

 居里は電話を切った。車内に沈黙が流れる。

「居里さ、」

「分かってる」

 居里は菅野の言葉を遮った。

「寝返ったわけじゃないでしょう。弱みなんていくらでもある」

 鐘霞が携帯電話を上げて見せ、オータスと向き合った。

「殯から連絡あったらしい。日永は殯についた」

 オータスは分かりやすく動揺した。鐘霞はその反応が気になった。オータスは憎しみを吐き捨てた。

「役立たず」

 立ち去ろうとするオータスを鐘霞は追いかけた。オータスがナイフで刺す。鐘霞が座り込んだ。太腿から流れる血を押さえ、顔をゆがめる。オータスは走り去る。

「鐘霞!」

 居里がワゴンから出て滑る込むように鐘霞に駆け寄る。

「ただの足止めだ」

 鐘霞は笑う。見えない向こうでバイクの音が遠ざかっているのが聞こえた。それが腹立たしくも、淡々と血は流れる。

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