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隠れる、向かう2



 池。湖。海。澤。渚のコテージ。汝は三時男爵の吹き出し。その先にはクジラ。桃の缶詰を開けるリズム。それに合わせて足踏みする小さな足。いち、に、さん。いち、に、さん。迷子になる。泣く。お前はすぐに迷子になる。帰って来られるように書いておこう。大事にするんだよ。大事にね。心配なら隠しておきなさい。

 日永は目を覚ました。胸を大きく膨らますと、口から全部吐いた。

「登が帰って来るのは久しぶりだったからね。俺のベッドで我慢しな」

 ヒバリの寝室だった。ヒバリはベッドの横のデスクで国語辞書を読んでいた。

「調べもの?」

 寝起きのせいか、日永の声は掠れていた。

「うん。なんとなく、リラが好きそうな言葉を捜してる。歳時記だって読む。脳みそがぐつぐついい出したら、これが気分転換になるんだよ」

「ヒバリさんは俺が井町先生の所に行く前に住んでた場所、知ってる?」

「知らないな」

「そう」

 日永は起き上がる。ヒバリは辞書を閉じた。

「何かよくない事が起きたな」

 ヒバリの言葉に日永は咄嗟に弁解が思いつかなかった。

「ヤマネの事だろう、どうせ。何も俺には教えてくれなかったが、ややこしい男だった。でも俺は、ヤマネのおかげで、死なずにすんだし、今も生活できてる。俺はあいつの最後の友人らしい。そう言われた時は嬉しかった。柄にもなく。女だけが欲しかった俺がな」

 ヒバリは笑った。日永は困った顔しかできなかった。

「お前はいい子だし。大事にしたいんだ。

いい子じゃなくなっても」

 ヒバリがなぜか傷ついたような気がして、日永はさらに困った。

「ヤマネがよくない事をしていたのを気が付かないふりをした。俺の手には負えないからな。でも一番はお金の為に。でも償いじゃないからな。それは偶然の仮定だ。これは仮定と家庭をかけてる。家族の家庭な。まあそういうことで、お前が俺にそのよくない事を言わなければならない」

 日永は困り果てた。布団を握りしめる。ヒバリは肩を落とす。

「言えるまで沢山寝て、沢山食べなさい。それが心に大事だから」

「お父さーん」

 コノメが入って来た。

「お客さんきたよ。いつもの編集部の人」

「これから打ち合わせなんだ。すぐ行く」

 ヒバリが急いで部屋を出て行く。コノメも一緒にいなくなる。どーも、どーもお待たせしました、すいませんねぇ、というヒバリの溌剌とした声が響いて来る。日永はベッドからおりる。コノメが足音を消して、ヒバリの部屋に戻って来た。手には小さいスケッチブックを持っている。日永は飛びついた。コノメは日永の口を塞いで、睨む。日永は理解をして、頷いた。コノメはそっと手を離す。

「前にリフォームしたでしょ?その時に登の荷物が私のクローゼットに間違って運ばれちゃって。でも、そのままにしてたの覚えてる?」

「なんとなく」 

 ふたりはひそひそとドアの向こうを気にしながら、話す。

「私が登の部屋に行くとお父さん怪しむでしょ? だから、私の所にあるのだけ見てみようって。運が良かったね」

 コノメは得意げに、ニッコリとした。黄ばんだスケッチブックの裏を開く。裏表紙の裏には坂星家の住所と行き方、電話番号が丁寧な字で大きく書いてある。その隣の紙にも住所が書いてあった。それは坂星家の住所よりも小さく、縮こまってるような字だった。

「これがそうかは分からないけどね。間違えだったらごめんね」

「ううん。きっとそうだよ。ありがとう」

 スケッチブックと一緒にコノメは自転車の鍵とお年玉袋を渡した。今年の正月にヒバリから大奮発で二万円貰っていた。日永が中学まで着ていた黒いブルゾンも気を効かせて持って来ていた。

「お金返してね」

「うん。絶対」

 自分にまじないをかけるように日永は言った。日永はブルゾンをはおり、鍵とお年玉袋をポケットに入れ、住所の書かれた紙だけちぎり、スケッチブックをコノメに預けた。

「元に戻しておいて」

「うん。できるだけ秘密にするけど私、口軽いからね。脅されたら、すぐ喋っちゃうからね。ミジンコより口軽いから、それだけ心に置いといて」

「大丈夫。人類皆、ミジンコより口軽いよ」

 日永はコノメが自分の部屋に戻ったのを待ってから窓から外に出ると、駐車場へ静かに急いだ。施錠をはずすと、そのまま走り出す。力の限り漕いで、消えてゆく夕焼けの道連れにされるがまま、冷たい風を受け止める。青いブレスレットが、跳ねるように揺れる。


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