家族そのに2
「日永登は父親のやったことをよく知らないと思いますよ。察するには幼すぎた」
運転しながら小春が言った。助手席には宮が乗っている。小春は路肩に車を停める。
「日永の父親、冬野博士は殯夫妻と関係していましたが、たぶん目的が相違したんでしょう。決別して、日永登を妻の友人に預け、海外に身を隠していました。日永登が十歳の時に、再び引き取りに来ています。師巻さんはずっと日永登の捜索に執念を燃やしていました。けど、灯台下暗しにも程があるでしょう」
小春はぼやいて、頭を掻いた。木森は後部座席から身を乗り出した。
「室崎さんは日永が冬野博士の息子だって知ったから殺されたの?」
「きっかけはそうだと思うよ。あの市民病院にはその日永を預かっていた友人がいる。室崎さんは何らかの理由で勘付いたんだよ。たぶんそれで井町先生に話を聞きに行こうとした。けど、きっかけだから。気が付いたから、早めに殺されただけ。僕ら全員もう用済みです。だから番頭さん達は死んだ」
木森は座席に背を強く預けた。隣の居里が肩を抱く。宮はメモを後ろに差し出した。居里が受け取る。
「松葉のポケットに入っていたメモだ」
酸素? 同じ元素だけれど、違う元素?
「どういう意味、これ?」
居里は目で何度もメモを読むが、理解ができない。後ろから鐘霞がそのメモを取る。横から管野も覗くが、二人で難しい顔をする。
「水について松葉は何か手がかりを見つけたんだ。それを殯が見たかどうかは分からない。けれど、日永がうちにいたのは奇跡だな。結果論だが、保護していたことになっていた」
「どうですかね? 逆に、日永を見つけやすくしてしまったとも言えますよ。殯も冬野博士の息子を捜してたでしょう」
小春が宮に言う。
「日永が水のありかを知っているかもしれないということか?」
宮が聞く。
「微妙ですけどね。冬野博士は息子を大事にしていたそうですから。大事な息子には自分の悪事を知られたくないものでしょう?」
「日永はどうすんの?」
木森が聞いた。バックミラー越しに小春は木森の心配そうな顔を見た。
「とりあえず、師巻さんが面倒みるよ。このワゴンも防弾仕様だから安心はできないけど、安心して」
「師巻さんだけでどうにかなんのか?」
鐘霞が疑い深げに言った。小春はシートベルトをはずし、ふり向いた。
「あの執念だったら、命かけるんじゃないですか? これから身を隠せるところに行きます。遠いので、コンビニで食べ物買ってきます」
宮が携帯電話のアドレス帳を開く。
「私も行こう。十分以内に戻って来る」
二人はほぼ同時に車を降りた。宮が携帯電話を耳に当てた瞬間、頭がはじけた。小春が音にふり返る。木森は悲鳴を上げて頭を抱えた。その悲鳴に重なるようにまた銃声が響く。小春が倒れる。居里が運転席に滑り出ると、ワゴンを発車させた。すぐに左折し、姿を消す。オータスは二つの死体の間に立ち止まると携帯電話を拾った。
日永の携帯電話が鳴る。鐘霞からだった。その名前を見て、日永は電話に出るのを一瞬ためらった。そのためらいの間に、師巻が電話を取った。
「もしもし。鐘霞だ」
「あんたか。宮さんと小春が撃たれた。頭に命中、どっちも死んだ。どうする?」
師巻は息を飲み、震えた。光を遮った目の色が変わる。
「少し時間をくれ。考える」
通話を切ると、日永の携帯電話という事を忘れて師巻はベッドに投げた。それを日永は不安そうに目で追った。師巻は立ち上がり早口で捲し立てた。
「俺はこれから少し出る。いいか、絶対に部屋から出るな。鍵は俺が持って行く。チェーンははずしといてくれ。だから誰が来ても動くな。ドアスコープも覗くな。息を潜めて、じっとしていろ。絶対だぞ」
日永は頷いた。師巻は部屋を出て行く。ドアが閉まる音が余韻を残すように日永の耳に響いた。暖房の機械音が無機質な鼓動に聞こえた。寒くない部屋のはずなのに冷えていく。喉が乾いていないのに、日永は立ち上がり鏡の前にあったペットボトルを取る。温い水が喉に張り付く感じがした。
携帯電話が鳴った。ペットボトルの蓋を閉めずに置くと、日永は慌てて携帯電話に手を伸ばした。画面には宮の名前があった。日永は急いで出る。
「日永です」
「はじめまして。殯だよ」
顔の筋肉が石になったような気がして、日永は唇が動かせなかった。
「冬野博士の息子は死んだと聞いていたからね。こんな風に話せるなんてね」
日永は混乱を無言で押し通す。周りを見る。何をどうしても、今は自分が殯と向き合うしかない。
「水の生まれる場所はどこ?」
「し、知りません」
うわずった声で日永は答えた。
「忘れているだけだよ。冬野博士は君に絶対に教えているはずだ。あのね、秘密という行為には争いという側面が大きくある。相手が損をして、自分が得をするため。または、自分が損をしないように相手に悟られないため。保身も体裁もすべて忘れて正直に話し、たがいの秘密がなくなれば、争いは無意味に近いものになるかもしれない。それがあの薬だよ。そんなうまくいくとは思えないけど、新しい自白剤としては使える。結局そういう風になる。何が言いたかというと、君がこういう立場になる不安な未来も冬野博士は予測していたはずだ。だから君に水の場所を教えているはず」
殯の言葉を日永はほとんど飲み込めなかった。暖房の音ばかりやけに気になった。心臓は重力に負けそうだった。
「もしそうじゃなくても、君はあの水で不透明な窒息が起きない。耐性をつけられている。きっと水にあふれた生活を幼い頃にしたはずだ」
裏庭。父親に手を引かれる自分の小さい手。裏庭の箱。白い箱の小屋。日永は口をおさえる。
「死ぬ気で思い出して。知らなくても思い出せ。今日合わせて、二日あげる。さっき二人死んだよ」
「誰が?」
日永の声はほとんど呻めきだった。
「あと五人だね」
殯は残りの要件を伝え、電話は切れた。日永は呆然と立ちすくむ。師巻が戻って来る前に出なければと、日永はメモ帳に電話番号を走り書くとちぎって、落とさないように握りしめた。メモはすぐに汗で湿ってゆく。日永は携帯電話を鏡の前に置く。ポケットに財布があるのを確かめると、部屋を飛び出した。階段を駆けおりて、フロントを足早に通り過ぎ、ホテルを出ると標識を探す。駅を教える矢印を見つけると、日永は走った。
駅に辿り着くと、駅員に公衆電話の場所を聞く。メモの番号を何回か間違えながら日永はやっと、電話をかけられた。相手はなかなか出なかった。やっと通じたと思ったら、無言だった。
「はい」
疑心暗鬼なコノメの声に縋りつくように日永は受話器を両手で力強く握った。
「コノメ! 俺、登」
「え?ウソ。びっくりした。なんで公衆電話から?」
予想外の相手にコノメの声が裏返る。
「スマホ落としたんだ」
個人のスマホは一人暮らしのアパートに置いてきていた。
「大事な用事ができて、ヒバリさんに。そっちにすぐに戻りたいんだけど、お金もなくて」
「さんざんじゃん!」
コノメは日永の心とは裏腹におかしそうにした。
「途中の駅までの切符買うからさ、これから言う駅まで迎えに来て。お願い」




