家族そのに1
白いベッドの上に、日永と師巻は並んで座った。窓の外はまだ昼だった。
ビジネスホテルに日永は連れて来られていた。師巻はクアイを小春と宮に任せ、日永をタクシーに押し込んだ。
「苗字は三回、代わりました。冬野、日永、十歳からは坂星です。中学を卒業してからは、日永を使っています。宮さんには旧姓を使っていると説明しました」
「身を隠すなら坂星の苗字の方がよかったんじゃないかい?」
師巻は腕を前で組み、背中をかがめてサングラス越しに日永を見た。
「坂星だと、オータスがびっくりするかなって。いつか戻って来ると思ってるんです。だからヒバリさんには無理を言って、ひとり暮らしをしてるんです。オータスが俺の所へ来た時、新しい家族がいたら、遠慮して帰っちゃいそうで。あの時逃げたのは、師巻さん達の事、警察だと思ったんだ。本当の事を話せば、俺もオータスも捕まるかもしれないと思った」
「日永はオータスを本当に弟だと思っているのか?」
師巻の問いに、日永はまっすぐと正面を見た。そこには鏡があった。情けない顔をしているな、と日永は思い、俯いた。
「そもそもオータスの方が大人です。俺らのは兄弟ごっこみたいなものだとは分かっています。でも、何年たっても、俺の感情ではオータスは弟なんです」
師巻は黙ったままだった。日永は苦笑いをする。
「あの時、オータスが父さんを殺してなかったのかもしれません。でも、もし違うって分かっていても付いていかなかったと思います。あの時、すべての住所は坂星の所になっていたし、俺も頼りにしていた。俺には行くところがあった。オータスと坂星を比べて、安全な方をすぐに選んだ。オータスがひとりで逃げるようにした」
「正しい選択をしたよ。偉いもんだ」
師巻は正論で褒める。日永も何度もそう思った。けれど、罪悪感は何年経っても消えもなかった
「学校帰りにホテルオカミから出て来るオータスを見かけたんです。追いかけたけど、見失った。調べたら、アルバイト募集してて。それで働くようになって、不透明な窒息を見て、クアイに入ったんです。父親の事とは関係なくて、偶然なんです。でも入って、自分は無関係じゃないって、分かりました。でも、言えなくて秘密にしました」
日永の声はしぼんでいく。日永が鐘霞にオータスのことを漏らしたのは、罪悪感から来る甘えだった。師巻は日永の背中を軽く叩く。運命だと言えば、慰めになるかと師巻は考えたが、言えなかった。そして、ゆっくりとその手をおろした。
「オータスは殯の部下だ。殺し屋みたいな仕事をしているようだ。接触した事はないから憶測しか言えんがな。殯にも同情はないとはいえん。殯夫妻は慈善家を隠れ蓑にした利権屋でもあった。人脈を売る事もあった。その中には戦争に関わるものが多かった。殯は両親に絶望して狂ったのか、やけくそになったのか、俺には知れない心情を持ったのか、復讐か。親を殺した。十二年前か。その辺りから俺は殯を調べるようになった。記事にしようとしたら、色々あって、シンプルに言えば脅された。俺には弱みがいっぱいある」
師巻は自嘲した。
「殯夫妻の事が世に出ると、人生が終わる金持ちさんが多すぎる。でもその金持ちさんも殯の息子がいなくなるのを望んでいた。殯は親の人脈引き継いで、弱みを握って思う存分楽しんでいる。俺は首輪としてクアイを任された。まあ、潤沢な資金で奴を調べられる。だから言う事を聞いてる」
師巻のジャケットはくたびれていた。日永も慣れない喪服を早く脱ぎたかった。
「オータスに会ってどうする?」
心配を師巻は聞いた。
「どうしたらいいかずっと悩んでるんです」
力なく日永は笑う。
「でも、助けてあげないといけない気がするんです」
日永の声は頼りなかった。それでも、力強く拳を握っていた。その拳を見つめながら、師巻は口をついた。
「ハンドクリームの腹の具合、バウムクーヘンの夜明けに寄せては返せない、アルミニウムの荷造りひも」
日永が師巻を見返す。
「俺の暗乱だ。けど、俺は鐘霞達のようになれなかった。あの訓練でほぼ死んだよ。最初暗乱は、絶対に人に知られてはいけないルールでやっていた。不透明な窒息になった時、他人が耳元で自分の暗乱を囁いたら、脳が混乱し、そのまま窒息するってな。でも、そんな事はなかった。いくら他人が自分の言葉を言おうと、目は覚めない。自分の声じゃないと起きられないんだ。いいようにできている。でも俺は最初のルールで信用して欲しい人間には俺の暗乱を教えている」
師巻は三回、暗乱を唱えた。日永は困った。
「覚えられない。難しい」
日永は素直に訴えた。師巻はもう一度だけ、暗乱を繰り返した。
「すぐに覚えられなくて当然だ。気持ちを知っていて欲しいだけだ」
師巻はポケットを探るとポストカードを出して、日永に見せた。
「これは青木の会社にあったもんだ。青木のデスクに飾ってあった。俺が回収した」
森かどこかの風景画のポストカードだった。そこには控えめな字で「Y.Hinaga」とあった。




