ポストカードに天才のサイン3
犬が吠える。姿は見えない。苔が生えたブロック塀の上を優雅に黒猫が歩いて行く。角で道路に飛び降りると、黒猫は日永達の前を横切り、姿を消した。室崎が電信柱を見て、住所を確認する。その様子がカーブミラーに写る。
「二丁目だから、もう少し先だね」
室崎が歩くあとに日永はついていく。青木には息子と娘がいた。母親は病死しており、青木の死後、きょうだいは親戚の平八家の養子になったが、別々に暮らしている。宮によれば、関係は良好だという。
「あった」
室崎が立ち止まる。砂のようにざらざらした薄いベージュの外壁に〈ひらはつコーポ〉の看板があった。平八夫妻が経営しているコーポだった。二階建全六室で、住宅街にひっそりとなじんだコーポだった。
「部屋は二階だ。二〇三号室」
二階にいくと、後ろから足音が聞こえた。日永は階段の途中、後ろを見る。室崎は青木兄妹が住む部屋へとすすむ。階段をのぼる青年が日永の視線に顔を上げた。青年はほぼ坊主に刈り上げていた。眉毛は細く、眼光が鋭い。日永は思わずビビる。青年の傍らには、女の子がいた。青年と手を繋いでいる。
「どうした、日永」
ついて来ない日永を心配して、室崎が戻って来た。室崎と青年の目が合う。
「あ」
声を発したのは、青年だった。
「もしかして親父の知り合いですか?」
室崎はびっくりする。室崎と青年は初対面だった。かつ、室崎は兄妹の写真さえ、見たことはなかった。室崎は優しく尋ねた。
「もしかして、青木さんの息子さんですか?」
荒は妹から手を離すと、丁寧なお辞儀をした。
仏壇の横にタンスがある。その上に写真が飾られていた。スーツや作業着を着たその人たちは皆、笑顔だった。その中に、室崎もいた。その写真を懐かしそうに室崎は眺める。
「青木さんは本社からうちに出向して来た時期があってね。八年ぐらい前かな。一緒に働いてたんだ。半年ぐらいだったけどね」
一緒に写真を眺める日永に室崎は話した。
「親父、その時が一番楽しかったって言ってたっす。その写真、お気に入りでずっと飾ってました。死んでもそのままで。だからめっちゃ色褪せてるけど」
コウがテーブルに急須で淹れたお茶を置く。妹にはリンゴジュースを置いた。椅子に座った妹は左右に揺れながらめったにない来客にそわそわしている。
「そのおかげで、怪しまれずに話ができそうでよかったよ。青木先輩に感謝だね」
室崎の顔がほころぶ。コウは照れくささをごまかすような、難しい顔をした。日永と室崎は出されたお茶の前に座った。室崎は妹の方にほほ笑みかけた。
「妹の風花です」
コウが紹介した。
「こんにちは。今、何年生?」
風花は恥ずかしがりながら小さく答えた。
「六年生です」
「じゃあ、来年中学生か」
「そうなんですけど、落ち着きなくて、甘えん坊で、困ってるんですよ」
風花は照れくさそうにしていたがずっとにこにこしていた。室崎が名刺をテーブルに出す。日永も慌てて、慣れない手つきで出した名刺を室崎の出した名刺の横に置く。
「もう、ノワキの社員じゃないんすね」
コウが二枚の名刺を自分の方に寄せながら呟いた。風花が興味津々に首を伸ばしてのぞき込む。
「まあ、僕もいろいろあってね」
室崎は笑ってごまかす。
「日永はアルバイトというか契約社員というか、定時制に通いながら、うちで働いてくれてるんだ。コウ君と同い年」
「へぇ」
コウが日永の方を見る。日永、頭をひょこっと動かす。
「働きながら学校って大変?」
コウが尋ねる。
「うーん、まあ、なんとかなってる。クラスのほとんどの人が働きながら通ってるから。いろんな人がいる」
「ふーん」
リンゴジュースを飲む風花を横目にコウは少し先の将来について考えていた。
「それでね、要件なんだけど」
室崎が話を切り出した。コウは目線を正面に戻す。
「お父さん、部下の人を引き連れてノワキ辞めたあとに会社立ち上げたよね?」
「はい。片づけとかは、全部、平八のおじさんがやってくれて、今どうなったかは知らないんすけど。でも、取引先がいなかったって話してるの聞きました」
「え?」
室崎はありえないと戸惑う。
「俺らがまだガキだから、おじさん達は俺に言わないけど。親父が死んだあと、会社の整理におじさん達が行ったら、紙の書類とかパソコンとか全部なくて。証拠隠滅じゃないかって。何か怪しい事してたんじゃないかって。でも、負債とかはなかったです。俺らも、生活できてましたし。部下の人達も、家建てた人もいるって。警察の人にも親父の仕事はどんなのだったか聞かれたけど、俺なんも知らなくて」
「そうだよね。細かい仕事の事なんか分からないよね」
室崎はしょうがないと思った。自分も家族に仕事の話はあやふやにしている。
「父の仕事を聞きに?」
「うん、そうだったんだけど。優秀な人だったから、どんな仕事してたか知りたくて、うちの事業拡大のための営業みたいな。ちょっと個人的にも青木先輩のやってた事に興味あったから」
詳しい事は教えず、室崎はごまかした。
「突然来て、ごめんね。帰りに平八さんのお宅にも挨拶に行くよ。近所だよね? 」
「はい」
コウが口で簡単に平八家の道を説明する。日永は風花を見る。にこにこしている。それで思い出した。足元に置いた紙袋を日永はテーブルの上に置いた。
「あ、これお土産です」
「サンドウィッチ?」
目を輝かせながら風花が聞く。
「ラーメンとバウムクーヘン」
日永が言う。コラッと兄は妹を叱った。
「失礼な態度をするな、風花」
「風花、バウムクーヘンも好き! 開けていい?」
めげない妹にコウはすいませんと謝った。
「喜んでくれてよかったよ。日永、開けてあげな」
日永が紙袋から包装紙に包まれた箱を出した。
「あ、あとこれ。可愛かったから。うちの妹も好きで、もしかしたら風花ちゃんも好きかなって」
日永はついでに買っていた琥珀糖を紙袋の底から出した。風花は嬉しそうに頬を染める。
「琥珀糖っていうんだ。たぶん、バウムクーヘンの方がおいしいけど」
日永は個人的感想を素直に伝えた。風花は琥珀糖の入った透明ケースを両手で包み、まじまじと見つめた。そして日永に「コハクトウ」の漢字を紙に書かせたり、色とりどりの琥珀糖の味をひとつずつ聞いた。日永は透明な蓋に貼られたシールを見ながら、ひとつひとつ、風花に教えた。マンゴー、ソーダ、ブドウ、イチゴ、メロン、ピーチ。そこで、コウは思い出した。コウは仏壇を見る。仏壇には桃の缶詰が供えられていた。
「そういえば、天才の仕事を引き継いでいるって親父言ってた」
室崎の座っている席で桃の缶詰を朝食に食べる父親の姿を、コウは記憶から蘇らせた。風花はブドウが好きだと日永に喋る。フルーツサンドだと苺が好きと付け足す。
「天才?」
室崎が聞き返す。
「誰かは知らねぇっす。ノワキにいた時に、アメリカに研修で行ったらしくて。まだ母親がいて、俺が小学生だった。その時出会ったって。あの設計図は天才だって。その人が桃の缶詰めが好きで親父、ゲン担ぎによく食ってて。絶対に将来価値が出るからってポストカードにサイン貰ったって。見せて貰った事あると思うんですけど、名前覚えてねぇな。すんません」
コウは眉間に皺を寄せて頭を捻らす。それは冬野博士だろうと室崎は察した。風花はピーチの琥珀糖を食べ、ソーダの琥珀糖を日永に分けた。




