長い友人3
「碓氷、授乳室にいた! 駐車場に逃げた! あ、いない!」
日永は駐車場の自動ドアをすり抜けると、碓氷を見失った。
「どこだ!」
管野がエスカレーターを駆け上がりながら、日永に聞く。
「七階の北だ」
日永に追いついた鐘霞が教える。
「お前は時計回りに。俺は逆に行く」
「はい」
日永と鐘霞は二手に分かれて、碓氷を捜す。居里は西のエレベーターに乗って上昇していた。五階で降りて、北へ移動する。室崎は碓氷兄を捜す。
「さっき、アメに会ったよ。うん。ばったり会って。連れて帰るからさ、母さんあんま怒んなよ。思春期なんだからさ。思春期は過酷なもんさ。今? 少し寝たいからって、先に車に行かせた。俺は彼女に事情説明して先に帰らせてもらうから。うん。ちょっと今、一緒にいなくて」
五階のトイレ前で電話をしていた碓氷兄の前に木森が立つ。碓氷兄はぎょっとする。木森は女の名前を口にする。
「私はその女の旦那の妹です」
木森のでまかせに碓氷兄はうろたえる。
「白昼堂々と浮気とはいい度胸だねぇ。あなたいい大学通ってるみたいで。こっちは大学に報告してもいいのよ」
「ち、ちち、ちょっと待って」
碓氷兄はかけ直すと電話を切る。
「あ、あの、どういうことですか?」
「どうもこうもないわよ。不倫の話してんのよ」
木森は詰め寄る。
「え、あの人、結婚してんの?」
「しらばっくれんじゃないわよ。してるわよ、子どももいるわよ」
木森は赤子を抱く女の写真を携帯で見せた。碓氷兄は素っ頓狂な声を上げた。
「お兄ちゃん来てるわよ。あんたの事捜してる。あんたの車も把握してるわよ。金づちでボコボコにしてやるって。あんたらどうなろうがどうでもいいけど、お兄ちゃん犯罪者にしたくないの。車どこ止めてんの?」
「七階! 北の七階です! 」
碓氷兄は車種と車のナンバーを木森に裏返った声で教えた。
「でかした木森」
駐車場に着いていた宮が木森を褒める。
「じゃあ、宮さんが木森のお兄ちゃんということで」
室崎提案した設定に誰も何も返さない。
「でも車は狭い密室だ。急がないと」
宮が速足で駐車場を歩く。
「あった」
碓氷兄の車を見つけた日永が呟いた。
「乗ってます。たぶん、碓氷アメ」
「筒持ってるか?」
耳からの鐘霞の問いに日永は目を凝らすが、はっきり確認できない。
「あんまり見ないように。怪しまれる」
宮が注意する。日永はゆっくりと車の前を歩く。咄嗟に考えて、お腹を押さえた。
「うーっ、う、うっ、ううぅー」
わざとらしい声を漏らし、日永はからだを曲げて膝を付いてそのまま倒れた。体調不良のふりをして、良心で車から引きずり出そうと考えた。
「日永!」
駆け込んできた管野が、日永の肩を揺さぶる。
「どうした? 木森の兄にやられたか?」
管野は日永の頬を叩く。日永は違うと口パクする。
「え、宮さん日永に何したの?」
五階で碓氷兄から木森を見失わせた室崎が心配する。設定が現状をややこしくする。
「碓氷兄、七階着いた」
木森と入れ替わるように、碓氷兄のを尾行していた居里が報告する。宮が駐車場入り口に戻りながら指示する。
「尾行は駐車場入り口まででいい。碓氷兄の向かった方向を知らせて」
「倒れたふりしたんだよ。助けに車から出て来ると思って」
日永が管野に囁く。「なんだ」と管野は思ったが、日永の作戦に乗る事にした。
「おい、おい!」
管野は声を荒げる。
「しっかりしろ! 誰か! 誰か、助けてください!」
管野が叫びながら、さも今気が付きましたかのように車の中の碓氷に目線をやった。碓氷は助手席にいた。白い帽子を深くかぶって、顔は見えない。力なく窓に寄りかかっていた。管野は嫌な予感に、日永を放り投げ、車に駆け寄った。車内を覗く。碓氷の足元に白い筒が落ちていた。
「碓氷! おい、碓氷!」
管野が窓を叩く。碓氷の返事がない。
「助手席に筒発見。碓氷に反応ないです」
日永は起き上がり、管野に駆け寄る。日永はすぐに碓氷の状態に気が付けなかった事に、青ざめた。
「落ち込むのはあとだ! 窓割るぞ!」
「それはやめてください! 申し訳ありません!」
二人が振り向くと、碓氷兄が駆け込んできて土下座をした。
「彼女が既婚者だって知らなかったんです!本当です! 申し訳ありませんでした!」
碓氷兄は、ばっと顔を上げて管野の顔を見て、日永の顔を見て、管野の顔を見た。
「許してください旦那さん!」
「そんなことは、どうでもいい! お前の弟が倒れてる! 車早く開けろ!」
管野が叫ぶ。
「へっ?」
碓氷兄は中途半端にからだを起こし、片膝を付いた。
「早く!」
「はっい!」
碓氷兄が遠隔で鍵を開ける。管野はすぐさまドアを開けると、倒れて来た碓氷の脇の下に腕を入れて、外に引きずり出した。白い帽子が落ちる。そして、脈を測る。碓氷兄も日永の横をすり抜け、弟に駆け寄る。
「アメ! アメ!」
碓氷兄は弟の名前を連呼した。
「生きてますね」
管野は冷静に言った。
「生きてる」
碓氷兄は繰り返した。
「寝てますね」
管野は言った。
「寝てるだけですかぁ」
碓氷兄は弟の顔をまじまじと見た。そして安堵した。日永は腕を伸ばし、掴むと、背中に筒を隠した。これからどうしようと日永は緊張する。
「ごめんなさい。早とちりでした」
管野が碓氷兄に謝った時、日永は背後に隠した筒を奪われた。驚き顔を上げると、宮がいた。宮の両手にはすでに何もなかった。
「どうかなされましたか?」
宮が良い人の顔で、碓氷兄に話しかけた。そして、碓氷弟がやっと目を覚ました。
駐車場で、宮と会った鐘霞は先に戻るように言われた。エスカレーターで五階まで降りると、アイスクリーム店の前のベンチに座った。鐘霞はバニラアイスを捜した。白いアイス。けれど、それは中断された。顔を上げれば、師巻が立っていた。
「よぉ、久しぶり。前会った時より丈夫そうな見た目になったな、鐘霞」
鐘霞は黙ったまま、顔を背けた。三年前に河津が死んだと鐘霞に伝えたのは師巻だった。それ以来の再会だった。鐘霞は、立ち去ろうとした。
「よくあるよな」
師巻は鐘霞を呼び止めた。師巻は明るい声で続けた。
「喧嘩したわけじゃねぇが、なんとなく関係が悪くなる事。顔合わすのが、なぜか気まずくなる。いい機会だ。仲直りしよう。あ、ちょうどいい。アイスクリームでも食べながら」
「しません」
鐘霞の拒絶に師巻は空しく、頷くしかなかった。鐘霞はエスカレーターで下っていった。その姿を見送りながら師巻は思った。悪者にはなりたくないが、悪役にもなりたくない。




