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長い友人2



「この規模に合った騒動を相手が起す可能性は低い。それに、やけくそな派手な騒動をここで起こすとは思いにくい。この場所はあまりにも殯夫妻と無関係だ。あの筒の中身は向こうにとっても貴重なはずだ。だから予定通り、多くの人間が集まらない、狭い空間を中心的に。トイレ、喫煙所、授乳室。あと、エレベーター。六階の歯科医院と保育所、パソコン教室は私が行く。その後、中央のエレベーターに乗る」

 宮の指示がインカムから流れる。

「ここエレベーター二十五機あんのよ。もうすでに、人が足りない」

 一階の居里が、女子トイレに向かいながら、苛立つ。

「木森。私が一階から三階までの女子トイレ行くから、四階から上よろしく」

「了解」

 居里の指示で木森はエスカレーターで三階から四階へ移動する。

「じゃあ、僕は三階に戻るよ。四階の男子トイレは一通り見た。碓氷アメらしき男の子はいなかった」

 室崎が報告する。

「碓氷の兄の方は?」

 鐘霞は六階のゲームセンターの前で、SNSの画像を何枚も見ながら聞いた。

「見てない」

 室崎は即答した。

「でも、弟が守るなら兄ですよね」

 管野は二階でエレベーターを待つ人間の顔を気にしながら、歩き回る。ベビーカーとすれ違う。母親らしき女はサングラスをかけていた。

「消すなら浮気相手。でもやっぱ女子トイレはないか。男子入れないもん」

 木森は誰もいないメイクルームで囁いた。

「あとをつけて、女子トイレに入った瞬間に筒の栓を抜くかもしれない」

 トイレを出た居里が咳払いをする。

「赤ちゃん連れてるんじゃないか?」

 鐘霞は七階のエレベーターの前にいた。

「碓氷兄は自分が浮気してるのを気づいてない。赤子は連れていけないだろう」

 パソコン教室を出た宮が電話をするふりをして言った。

「でも、赤ちゃんほっとけなくないですか?」

 日永は男子トイレに向かいながら返す。

「親に預けてるんじゃない?母乳じゃないんでしょ」

 居里が二階へ移動する。

「うちもほぼほぼ粉ミルクだった」

 室崎は無意識に哺乳瓶を振る仕草をする。

「日永、授乳室が空室か確かめろ。中に人はいないか?」

 鐘霞の指示に日永はトイレの入り口で立ち止まってしまい、出て来た男とぶつかりそうになった。

「すいません」

 日永は謝る。男はこちらこそ、とにこやかに出て行った。男の姿が見えなくなるまで日永は待った。鐘霞は女を見つける。

「七階の北エレベーターの前に対象の女性。誰か待ってる」

 エレベーターが開くと、ベビーカーを押したサングラスをかけた女が出て来た。ふたりは手を振り合う。

「友達らしき女性が赤子を連れてる」

 鐘霞は伝える。ふたりは焼肉屋を曲がった。

「七階に向かう。他は七階以外にいる碓氷兄を捜して」

 宮が六階から非常階段を駆け上がる。

「日永、授乳室に誰かいるか?」

 男の背中が見えなくなった途端、日永は授乳室前まで走る。空室と出ている。扉を引く。

 女が笑い声を上げる。赤子はベビーカーの中で泣いている。ひとりの女が赤子を抱っこした。お腹が減ったねぇ。泣く赤子をあやす。鐘霞は後ろから見守るように、あとをつける。

「竜天、久しぶり」

 名前を呼ばれ、鐘霞は振り返った。河津が笑って手を振っている。屈託のない笑顔の参考例だと、河津の笑顔を見る度に鐘霞は思った。鐘霞は人生で河津以上に性根の明るい男に出会った事がなかった。大学を卒業後、河津はジャーナリストになると意気込み、口先だけの肩書きで金にならない仕事をはじめた。卒業して一年後、師匠ができた、追求したいことができた、と言って河津は姿を見せなくなった。一年音信不通になったあと、仕事帰り鐘霞の前に河津はひょっこり現れた。

「弥生、お前、久しぶりじゃねぇよ、バーカ」

 鐘霞は怒ったが、すぐに笑ってしまった。河津はごめんごめんと、軽く謝った。

「会えないかと思った。お巡りさんって帰る時間見当つかないから」

「電話しろよ」

「今ちょうどしようか迷ったところ。ご飯行こう。話したいことがあるんだ」

 近くにあったインドカレー屋に入った。どっちもチキンカレーとナンを頼んだ。店員が去ったあとすぐに、河津は話を切り出した。

「竜天さ、警察辞めて俺と働かない?」

 あまりに唐突な誘い話に鐘霞は呆気にとられた。

「今度、会社ができるんだ。俺の師匠、師巻さんっていうんだけど、立ち上げに関わってる。俺も手伝おうと思う」

「会社って、何の会社だよ」

 鐘霞はおしぼりの袋を破く手を止めたまま、聞いた。

「言えない。竜天が、警察辞めたら教える」

 顔を引きつらせた鐘霞は破かないまま、おしぼりをテーブルに投げた。

「お前それで俺が仕事辞めると思うか?」

「給料はいい。それだけ保証する。それ以外は言えない」

 河津は気まずそうにしたが、口は堅かった。

「なんで俺に?」

 鐘霞は尋ねた。

「助けて貰うなら、竜天がいいなって」

 河津はまことに明るく笑った。鐘霞は天上を見上げた。インドカレー屋の照明はシャンデリアだった。白い灯りをぼんやりと眺める。

「返事はすぐにすぐじゃなくていいからさ。考えさせる手間のお詫びにここは俺が奢るよ」

「お前、ジャーナリストは辞めるのか?」

「辞めてない。二足の草鞋。捜したいものがあってね。捜す為に、その会社に入るんだ」

 鐘霞は俯いた。川で落とした二百円は、河津が見つけてくれた。そのお金でバニラアイスを二個買って一緒に食べた。その日からほぼ毎日のように鐘霞と河津は遊んだ。河津の家で夏休みの宿題をした。漢字ドリルの途中で昼寝もした。

「転職してもいいかぁ」

 鐘霞の口から零れ出た。

「え、そんなすぐに返事いらないよ」

 河津は冷静に返した。

「お前には、二百円を川から見つけて貰ったしな」

「ちょっと安すぎる。他にもっとない?」

 鐘霞は自分の父親が死んだ時、河津がずっと一緒にいてくれたのを思い返す。二十歳の時だった。河津は鐘霞の父親のことを雰囲気だけで伯爵と呼んでいた。鐘霞の父親はまんざらでもなかった。

「小学生の二百円は大人の二万円だ」

「ええー」

 嬉しい返事のはずなのに、河津は困った。

「助けてあげたから、助けてくれんのか?」

 鐘霞は思い返す。何度だって思い返す。

「いや。忘れられないから」

「どういうこと?」

 河津は聞き返す。

「忘れそうな事はきっと、どうでもいい。忘れられないことは大事にした方がいいってことだろ?」

「インドカレーが大事ってこと?」

「どういうことだよ。違うけどそれでいいや」

 鐘霞の視界に白い帽子が見えた。横を走り抜けていく。白い帽子を見つけた。

「白い帽子の電球色が」

「鐘霞さん!」

 日永が叫ぶ。白い帽子をかぶった碓氷が鐘霞の横を走り抜ける。日永が追いかける。女が二人、不思議そうに日永達の方を目線だけで見送った。赤子は泣いている。

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