83話 嘘つきの鏡(賢者の偽り)
「さあ。この女に変わるんだ」
私を捕えた人身売買の男に見せられた肖像画の女性は、金色の髪の長い綺麗な人だった。たぶんエルフ族だろう。耳が長い。まるで太陽のような綺麗な人。
「この方は、ソールといって、お前の新しいご主人様の最愛の人だ」
目が覚めた時、私は私を売り物とする男に早々に変化を強要された。
「……ご主人様はどういう方で、どういう関係ですか」
私は逆らう気はないという様子で、情報を聞く。そもそも変化は姿のみを変える術。記憶などを継承するわけではない。
それは、この男だって知っている。変化は万能ではない。
「旦那様は、このアース国の貴族で、親貴族だ。ソールは旦那様の最愛の人であると同時に、ムンディル子爵の娘でもある」
「つまり、妻ではないという事ですね」
「妻に望んでいたが、不幸にも心の病におちいり、結婚と同時に命を絶ってしまったそうだ。だから正式には妻ではない」
ゲスが。
結婚と同時に心を病んで命を絶つとか、明らかに結婚したくなかったと言っているようなものだ。……最悪すぎる。そんな事を思うけれど、どちらにしろ、私には拒否権はない。
「彼は自分を愛した妻を取り戻したいそうだ」
「……そうですか」
つまり、かわいらしく微笑んでおけという事だろう。何とも嫌な話だ。
相手の内面を全く見ようとしない。まあ、だからこそ、代替えでも構わないと思ってしまうのだろう。
「何を考えている?」
「いえ。何も」
何も考えたくはない。
考えるだけ、憂鬱になるだけだ。しかしその反応を、この男は勝手に反抗的な態度ととらえたらしい。私の顔を掴むとぐいっと自分の方へ向けた。
「狂った男の妻を演じろ。お前に【自分】なんて必要ない。二度と俺から逃げようと思うな」
「分かっています」
フレイヤは誰にも求められていない。そんなの言われなくたって分かっている。
「そうすれば、お前の仲間は見逃してやるし、不自由のない暮らしは保証してやる」
「……仲間?」
その言葉にドキッとしつつも、何も知らないふりをする。
「あの女は使えると言われているからな。内心何を考えているかは分からないが、従順な犬として主人を守っている。お前を連れ出そうとさえしなければ、見目もいいからな。殺処分されることもないだろう」
女という言葉から、私はヨルムを想像した。
どうやら、ヨルムが私と知り合いだということはバレているらしい。確かに、私がいた施設を知っているなら、そこから繋がりを見つけてしまうだろう。
「誰のことですか?」
でもとにかく私は知らないフリをするしかない。
ヨルム達に害がないように、今の私にできるのは、関係ないことを強調するするだけだ。それ以外に無力な私にできることはない。
「本当に知らないのか、知らないふりかは分からないが、この国から逃げられると思っているなら、諦めろ。お前らを飼っているのは、親貴族。それに逃げたとて、お前のような半魔族、人族領では生きられないからな」
「……分かっています」
ヴィリを信じていないわけではない。
でも、私はこの男の言葉が真実なんだろうなと思ってしまう。どこに行っても、【フレイヤ】は迷惑者。必要とされるのは別の人間だ。逃げ切れる想像は、どうしてもできない。
いっそ狂ってしまえれば楽だろうに。
そう思っても、人間中々狂えない。誰にも必要とされていないと分かっていても、必死に生にしがみついてしまう。
この男が居なくなったら、ヴィリにヨルムの事を頼もう。私はまだいい。殺した事を誤魔化すために変化させられることはあっても、殺しの強要はされないのだから。それよりも、ヨルムの方がかなり心にダメージを負っているように思う。
ヴィリごめん。
折角助けに来てくれたけれど、やっぱり頑張れそうもないわと思う。私は弱い人間だから、この先も結局こういう薄暗い場所でしか生きられない気がする。男の言葉をどうしても否定でいない自分がいるのだ。
ここに居れば、私自身を求められなくても、拒否されることはない。
「さあ、これぐらいでいいだろ。お前は今日から、ソールとしてただ笑っていればいい。時が来たら、また別の仕事を持って来てやる」
泣く事すら許されない。
男の言葉に私はただ頷き、目を閉じる。
ああ、私はまた消されるのか。いつか、それを当たり前だと笑っていられる日がるくだろうか。
助けて。
心が悲鳴を上げている。
でも助かる日なんて、それこそ私が死ぬ日ではないだろうか。いっそ、この世界が滅んでしまえばいいのに。そうすれば諦めもつく。
ああでも。
ユイに優しくしてくれた人達が消えるのは、やっぱり嫌だ。魔王様は、ちゃんと戦争を回避してくれるだろうか。折角あんなに頑張ったのだから。
できれば、皆が笑っていられたらいい。そうすれば、少なくとも私のこの能力は、後ろ暗い欲望を満たす為だけではなく、人を幸せにすることもできると胸を張って言えるから。
そう思いながら、私はソールとなった。
◇◆◇◆◇◆◇
「ソールッ!!」
ベッドに腰掛けていると突然オールバックの男が部屋に入ってきて、私に抱き付いた。そしてお腹の辺りに顔をうずめる。
「君が結婚直後に病に臥せってしまって、私はとても心配したよ。でもこれからは、やっと本当の夫婦として一緒に暮らしていけるんだね」
男の言葉に、私は困ったように笑った。
イエスともノーとも返さない。まだ、私は彼がどのようなソールを望んでいるか分からないから。
「ああ。いいんだ。病気の所為で記憶を失ってしまったと医師からは聞いているよ。また優しい君が私の傍に居てくれるだけで……それだけでいい。ここから一緒に、思い出を作っていこう。君の過去は、私が覚えているから、教えていってあげる。何も怖がらなくていいんだ」
これから先、ソールはこの男の、妄想の通りの人物として生きる事になるのか。そう思うと気分は最悪だ。
本物のソールは何故命を絶ったのか。
また死んだはずのソールが生きていても問題ない、ましてや妻に望まれても問題ないという事は、ソール側の家庭にも、その方が都合がいい何かがあるのだろう。
可哀想なソール。
死んでも彼女は自由になれず、その名を辱められる。私はそんな彼女に、同情と謝罪をする。彼女の意志を知る事なく、私は彼女の名を貶める本人へとならねばならないから。
「ありがとうございます。旦那様」
あきらめ。
それが一番楽になる方法だ。すべては仕方がない事。私が生きるために。
「私の事はグレンと呼びなさい」
「……はい。グレン様」
そう彼女がこの男を呼んでいたのか、それともこの男が呼ばれたかった願望に過ぎないのか分からない。それでも求められたものを私は返す。
ある意味私は鏡だ。映すのは真実とは限らない、願望の鏡。
「さあ、屋敷へ帰ろう。ソールが望むなら、もう一度結婚式をとりおこなおう。ソールが望むなら、君に似合う大きく美しい宝石を送ろう。君が望むなら何でも上げるよ。だから私を愛してくれ」
彼女はたぶん、そんなもの望んでいなかったのだろう。
大きな宝石も、地位も、何も。この男に何も望んでいなかった。だから彼はあげたがる。ただ一つのものが欲しいが故に。
たぶん、彼は家も何も関係なく、ソールを愛しているのだろう。……それがどれだけ一方通行にすぎなくても。
「はい。グレン様。屋敷へ行きましょう。貴方が下さるものなら、どんなものでも嬉しいです……愛しています」
ごめんなさい。
その言葉は、誰に向ければいいのか分からない。ソールに対してか。それとも、グレンに対してか。
ごめんなさい。
「愛してます」
ごめんなさい。




