77話 初めての温泉(魔王の逃走)
「これが、温泉……」
かぽーん。
何の音か分からないが、何かがぶつかったような音がした。もくもくと湯気が上がっていて、あまり目の前の視界は良くない。
裸の付き合いは、大切ですという、ユイの良く分からない押しで、若干無理やり温泉に勇者達と押し込まれたわけだが……どうなんだろう。相変わらず、ユイが斜め上に何かを考えているように思えてならない。
今回は何だ?……とりあえず男の裸を見ても別に何もないからな。
そう心で呟くが、ユイに通じている気がしない。
「フレイ。こんだけ広いと泳げるんじゃないか?! というか、俺は泳ぐ!」
「恥ずかしいから止めろ。後、風呂場ではしゃいで転んで頭を打って、全裸で倒れて、変態に襲われても知らな――」
「怖いから止めろ。フレイが言うとマジで怖いから」
「そう思うなら、風呂ぐらい、静かに入りなよ。あと、風呂に入る時は体を洗ってからだから」
見事に勇者を制御するものだな。
流石は幼馴染と言おうか。2人のやり取りを見て、俺は幼馴染とはこういうものなのかと思う。ただ幼馴染というよりは、兄弟のようにも見えるが。
「魔王、来ないのか?」
「いや、行くが……」
腰布一枚で様子を見ていると、勇者が声をかけてきた。
「フレイ、まずは体を洗うんだったな」
「って、お前、布で前を隠せ」
「何を隠す必要があるんだ。ふはははは。俺の体はに隠さなければならない場所などない」
全裸で堂々と、オーディンが風呂場へ向かった。
そして盥のようなものを手に取ると、温泉からお湯をくみ体を洗う。……なるほど。ああやって体を洗うのか。そして体を洗いきったオーディンは温泉の中へいち早く入った。
「うむ。悪くないな」
「って、何でお前が一番に入るんだよ」
「当たり前だ。俺はいつでも一番だ」
そう言って、オーディンは馬鹿のように笑っているが、もしかしたら、俺の為に入り方を見せたのかもしれない。俺は魔王城で風呂に入る事はあるが、こうやって他人と一緒に風呂へ入ったことはなかったので、実のところどうすればいいのか分からなかった。
とりあえず、俺も見様見真似で体を洗う。
「テュール先輩、凄い傷……」
「ああ。魔物にやられた傷だからな。どうしても跡が残るんだ」
そう言うテュールの体には、醜い傷が無数についていた。バルドルが顔を青ざめさせながら、その傷を恐る恐るといった様子で見ている。
「あの。教会の薬草を使えば、少しは薄くなるかも……」
「いや。いい。……これは、俺の誓いの証でもあるんだ」
誓いか。
そういえば、ユイがテュールは魔物に家族を殺されて心に傷をおっているのだと、この間説明していた。別にテュールに暗い過去があろうが、俺には関係ない話なのだが、何でも心に傷があると、その傷を癒すために勇者に恋をしてしまうらしい。それで、今はテュールが一番まずい状況だとかなんとか説明していた。
ん?つまり勇者がテュールとくっ付けば、俺はユイに勇者を勧められずにすむのでは――。
「魔王。お前、今は変な事考えてただろ。甘いからな。ユイねーちゃんは、たぶんそんな事じゃ諦めないからな。三角関係美味しすぎますとか言うんだからな」
「ちっ」
確かに勇者の言う通りだ。ユイなら、障壁が大きいほど萌えますねとか言いそうだ。最近ユイが、どう斜め上に話を持っていくのか分かってきた気がする。これは……ユイについて理解が深まったという事だろうか。ただできることなら、もっと別の所を深めたい。
「2人とも、姉さんについて良く分かってきたみたいだね。じゃあ、風邪ひく前に風呂に入って。ちなみにタオルはお湯の中に入れないのがマナーだから」
「何で?」
「布の細かい繊維が浮くとあまり気分がいいものじゃないだろ。掃除も大変だし」
なるほど。
フレイに言われて、俺は布を外し風呂の中に入った。城で入る風呂より、少し熱めな気はするが、これはこれで気持ちがいい。
「……とりあえず、魔王が姉さんと入らなくて良かったよ」
リラックスしたような雰囲気の中、フレイがそう俺に話しかけてきた。
実は、勇者と一緒に風呂に入る事を勧める前に、ユイから一緒に温泉どうですか?と誘われていたりする。だが、男の沽券にかけてそれは断固拒否させてもらった。
もしも一緒に入った場合、すぐにのぼせる可能性があったからだ。
俺がユイの事を好きだと理解している割に、やっぱり俺の事を男としてみてはいないらしい。
「俺は紳士だからな」
「そうみたいだね。魔王が、魔王じゃなければ、姉さんの相手が君でも、ある意味幸せかなとは思わなくないんだけど」
「なら諦めて応援したらどうだ」
「だから、魔王が魔王じゃなければって言っているだろ?」
俺が魔王ではなくなる日は、俺が死んだ後か、俺に息子ができて交代してからになろうだろう。今すぐに交代をしたくても、替えがない。
つまりは一生応援しないと言われている様なものなので、ムッとする。このシスコンめ。
「別に貴様の手など借りなくても、ユイを手に入れて見せる。姉を取られて泣くのはお前だ」
「別に姉さんが幸せなら、泣いたりしないから安心してよ。ただ不幸せなら、何が何でも破綻させるけどね。それこそ、トールと魔王をくっ付けても――」
「って、俺を巻き込むなっ!!」
無関係そうに温泉に顔をつけブクブクと泡を立てていた勇者が立ち上がった。
……本当に必死だな。フレイもそこまで真剣に考えて話してはいないだろうに。ただ今までのやり取りを考えると、もしかしたら勇者はフレイにそうやって躾けられたのかもしれない。
男に惚れられるイコールこの世の終わりぐらいに。それぐらいしないと、この勇者は馬鹿だから、男相手に告白されてもそのまま押し流されそうだ。
「というか、頼むから俺の明るい未来に協力して下さい。お願いします」
思いっきり下手だな。
これが勇者で、人族はいいんだろうか。そう思うが、まあ、変にプライドが高いよりはいいのかもしれない。
俺は少しだけ可哀想になって、勇者に対して助言をしてやることにした。
「確か勇者は魔物について情報が欲しいんだったな。そもそも、魔族領ではそれほど魔物被害はないからな。あったりしても、山奥に入ったものが襲われる程度だ。まあ、魔物の領域を侵せばそれなりの報いがあるのは当然だが」
確か魔物について色々知りたがっているとユイが言っていたので、伝えてやる。
とはいえ、俺もそれほどは詳しくない。なので今、魔物について調べているユイの方が色々知っているかもしれないが。
「魔物の領域?」
「魔物は自分のテリトリーにうるさいものだろう?時折そのテリトリーから追い出されてしまうはぐれもいるが、よっぽどのことがない限り動かないな。それにどんな場所でも主が必ずいるから、規律も守られているしな」
逆に、人族がどうしてそれほどまでに、魔物と上手くいかないのか分からないぐらいだ。
「えっ? 主って、魔物のボスの事だよな? あいつらを倒さないと、場の正常化ができないだろ?」
「場の正常化?意味が分からないのだが。主は、いわゆる王のようなものだ。王を殺されれば、取りまとめるものがいなくなり、無秩序になるだろうが」
場の正常化が何を指しているのか良く分からない。
魔物はいるのが当たり前だ。魔物がいなくなったら、それは正常と言えないのではないだろうか?
「そういう事か」
「そういう事ってどういう事だよ」
「だから、つまり。魔物が異常な動きをする場所は、主を殺してしまった場所じゃないか?ほら、ドラゴン殺しの伝説とか、そういうのがある地域ほど、魔物被害も大きいし」
「ドラゴンを殺したのか?!」
あまりの衝撃の事実に俺は目を見開いた。人族は野蛮だと思っていたが、これほどまでに愚かだったとは。
「ド、ドラゴンだと何があるんだよ」
俺の声が大きかったので驚いたのだろう。勇者がドギマギした様子で質問してくる。……ああ。そうか。本当に知らないんだな。
全然俺が驚いた理由が思い当たっていない様子に、俺はそう言う事かと納得する。人族は野蛮だとか、そういう問題ではなく、そもそも彼らは知らないだけなのだ。
「ドラゴンの知能はかなり高く、人族や魔族に劣らないほどのものだ。時折魔力を使って、幻獣人のように姿を変え、戯れで人族や魔族に紛れ込む事もある。つまり、ドラゴンは魔物の中では最上級の者たちであり、一番俺たちへの理解も示してくれる者達だ。ただしドラゴンは1000年生きる長生きな種族である分、成長が遅く、子供も中々生まれない。だから1度殺してしまえば、次代が育つには時間がかかるだろう。またその時の状況によっては友好的な関係にはなれないだろうな」
魔族は人族に比べて長生きだ。だからドラゴンとの付き合い方もわきまえている。しかしそれに比べ人族は短命ですぐ忘れてしまう。
「なら、一度ドラゴンを殺してしまった場所はもうどうしようもないという事なのか?!」
「まあ、次代が居るならば、次代が育てば、再び規律は守られるようになるな。ただ、先代を殺した事を許してもらうために、心からの謝罪も必要だろうが。彼らは気高いから、口先だけの謝罪では動かないだろう。しかし聞き入れれば、その罪をいつまでも引きずる事もない」
だから魔族はドラゴンに対して最大級の敬意を払う。当たり前だ。彼らは俺らよりもずっと長生きで、気高い一族なのだから。
「ちょっと待て。その話が本当なら、俺の村が襲われたのは――」
「先に人族が手を出したのだろう。先程も言ったが、魔物はよっぽどのことがない限り、テリトリーを出る事はないからな」
魔物の話だったので、聞き耳を立てていたのだろう。少し離れた場所で風呂に入っていたテュールが会話に加わってきた。
「嘘だっ。そんなはず――」
「なら、そうなのかもしれないな。俺も実際にこの目で見たわけではないから何とも言えん。ただ今言った、魔物に関する事は、アース国ではそれが真実だ」
嘘だと信じたい奴には何を言っても無駄だ。
俺はテュールという男と言い争う為にこんな話をしているわけでもない。絡まれるのはごめんだとさっさと話を終わる。
「なら……俺は間違った事をしてきたのか?」
少しして、テュールがポツリとつぶやいた。
俺に何を言わせたいんだ、この男は。面倒な奴だと苛立ちを覚えつつも、少しだけ責任を感じ、深くため息をつく。
普段はあまり同世代の者とは話さないので、こういった慰めは慣れない。しかしここで仲たがいをして、友好な関係が壊れるのは困るのだから仕方がないと、俺は言い聞かせた。
「だから、先ほども言ったが、俺は実際に見たわけではないのだから知らん。ただお前が今までやってきたのがお前の中の正義に従ってきたのならそれを咎められるのは、俺ではない。そして無知である事を知ったのなら、ここから新しい正義を作り従え」
結局のところ、誰に何を言われようとも、自分を制するのは自分だけだ。
すべての責任を負うのが自分である代わりに、選ぶ権利を持つ。だから、別にテュールがやってきた事に対して、部外者である俺が何か言うことではない。
「さて、俺は仕事があるので先に出させてもらう。ゆっくりしていくといい」
俺は立ち上がると、風呂の外へ出る。
ユイの裸の付き合い云々は、少し分からない部分もあるが、まあ、そこそこ収穫はあったように思う。どうやら人族というのは、ただ野蛮だと言うだけではないようだ。話せば分かるし、理解もできる。これなら、ブァン国王とちゃんと取引もできそうだ――。
「ハティー、何でそんなにスタイルいいのっ?!」
浴槽から出た瞬間に聞こえた声に俺はバランスを崩し転びそうになる。それを寸前の所で止めたのだが、今頭にあった事がすべて飛んでいき、頭が真っ白になった。
どうして、今ユイの声が聞こえる?
「ヨルムもすごく細いし。何このくびれっ?!くぅぅぅ。これが種族の差なの?」
「ユイ。落ち着いて下さい。別にユイだって太っているわけではないし、殿方は少し肉付が良い方が――」
「止めて。その体型の人に言われてもみじめなだけなの。一体何を食べたらそんなに胸が大きくなるの?!」
……ユイはそのままでも十分可愛いし、別に――。
ユイの裸を想像仕掛け、俺は頭を振る。何を考えているんだ、俺は。
「前に、殿方に胸をもんでもらうと大きくなるとメイドから聞いた事があるわ」
「って、誰?! そんな事ノルンちゃんに教えたの? ……でも確かにマッサージをするといいと聞いた事があったような」
俺は近くにあった桶を手に取ると、風呂のお湯をくみ、頭からかぶった。
「魔王?!」
「先に失礼する」
どうやら温泉というのは、女湯と男湯が壁一枚で仕切られているだけのようだ。
普段なら女性のそう言う会話も聞き流せるのだが、流石に風呂場というのはいただけない。頭がおかしくなりそうだ。
それにしても、頭がくらくらする。湯にあてられたのか、それともユイにあてられたのか分からないが、夜風にさっさと当たって熱を冷まそうと俺は足早に外へ逃げた。




