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75 話 馬車の移動(魔王の旅行)

 ハン伯爵領へ向かう馬車の中、ユイが眠たそうに、こくりと首を揺らした。その様子が、いつものお姉さんぶった動きと真逆であどけなく、何だか可愛い。

「ユイ。寝ても大丈夫だぞ?」

「いえ。そんな。大丈夫です」

 俺が声をかけると、ユイははっとしたように目を開け、首を横に振った。その目の下には隈ができかけている。俺はそっとユイの頬に手を添えその目を覗き込む。

 すると、ユイが突然、俺の手を掴んだ。


「ご心配には及びません!ちょっと、魔物について調べ物をしていただけですから」

 そして誤魔化すようにニコリと笑らった。

 最近ユイが、俺のスキンシップを避けるようになってきている。どうやら、やっと俺がユイの事が好きだと気が付いたようで、俺の事を意識し始めたらしい。そこで距離を取って関係を間違えないようにしているらしいが、今更だ。

「ユイは働き者だから心配だな。ユイの体はユイだけのものではないのだから無理はしないでくれ。それに、魔物の件は急いで調べる必要はないと思うぞ」

「えっと、戦争阻止の切り札は、早めに用意した方が良いと思うんです。そ、それから私の体は私だけのものですよね?」

「この国は、今もしも賢者が居なくなったら、大混乱になるだろうからな。民も、貴族も、ユイの存在が欠かせないものになっている。もちろん、俺もユイが居なくなったら困るからな」

「えっ。いや、私ごときに……とてもありがたい言葉ですが。それは買いかぶりというか、たぶん大丈夫かと……。あっ、そう言えば。魔王様に助言いただいた通り、最近は外へ外出する時もハティーについて来てもらってますよ」

 ユイが話題を慌てた様子で変えてきた。

 最近ユイが魔王城から離れようと動いているのはもちろん気が付いている。でも逃がす気なんてない。ただし追い詰めれば、ユイの場合無茶な行動に出かねないので、追い詰めすぎない程度に動きの制限をかけるだけにしている。だから俺は、話題の転換にそのままのった。

 いなくなっては皆が困るという言葉は、しっかりユイの心に釘のように刺さっただろう。

「それは良かった。ユイが1人で城下町を歩き、さらに勇者と2人きりで食事をしたと聞いた時は驚いたからな。何かあっては心配だ」

「えーっと、魔王。それ、もう終わった話だろ」

 勇者が俺の言葉を遮るように会話に加わってきた。

 ちっ。俺とユイの楽しいひと時を邪魔しやがって。相変わらず、俺に協力するという意味を良く分かっていない男だ。まあ、だからこそ、女性にあまりモテないのだろうが。


 現在ハン伯爵領に向かう、この狭い馬車の中には、俺とユイ、それに勇者と、身の周りの世話をするメイドのハティーがいた。

 最初は俺だけが乗る予定だった馬車に、俺がユイを呼び込み、ユイはさらにハティーと勇者を呼び込んだ。どうやらユイは俺と2人きりになるのを避けているようだ。嫌で避けているというよりは、俺との関係を正常化させようとしての事だとは思う。だが折角意識してくれているのに、正常化なんてさせるつもりはなかった。

「ああ、終わった話だな」

 勇者にはとりあえず、こんこんと協力というものが何たるかを説明しておいたので、たぶん大丈夫だと思いたい。……でも、コイツ馬鹿というか、まったくのガキだからな。女性と2人きりになる意味とか、全然分かっていない気がする。

「えっと。皆、ここに居る人は戦争を起こしたくない同士ですし、仲良く頑張りましょう。ね?」

 不穏な空気を感じたのか、ユイはそう言って会話に入る。

「おう! 戦争は駄目だよな」

「そうだな」

 ユイは純粋に戦争回避を考え、俺はユイが俺と勇者をくっつけようとしなくなる為に戦争回避を考え、勇者は自分自身がホモにならない為に戦争回避を考えている。勇者の理由が特におかしい気がするが、どうやら戦争回避に失敗すると、パーティーメンバー全員から愛の告白を受ける羽目になるらしい。……流石にそれは同情する。

 とりあえず、それぞれに回避理由は違うが、全員が本気で考えているので、この件に関しては共同戦線するべきだろう。


「ただハン伯爵領では戦争回避のために動くのではなく、人身売買の犯人を探すのだろう?ユイ。分かっていると思うが、絶対ハン伯爵領では1人で動くな」

「えっ……。大丈夫ですよ。犯人も私みたいな、平凡な顔、覚えていないでしょうし。そんな大っぴらに犯人知りませんかって探したりしませんから。それに犯人捜しよりも、赤毛の女の子探しを優先する予定ですし」

 確かにユイはとても特徴の薄い顔立ちだ。背丈も小柄だが、低すぎるわけでもなく平凡。肌の色が少し変わっているが、髪や目の色も黒でそれほど珍しくない。

 ユイが強烈な印象を放つのは、その行動の点だけで、それがなければ本当に普通なのだ。むしろ存在感は希薄だ。ある意味、奇妙なぐらいに。

「ユイ様、せめて私だけは連れて行って下さい」

「えっ。でもハティーも折角だから羽を伸ばしたいんじゃない?最近、ハン伯爵領に温泉がある事が分かって、そこで露天風呂を作ったってデュラ様から聞いたんだよね。温泉はいいよ。お肌ツルツルになるし。体を芯から温めるから、腰痛にもいいんだよね」

「おんせん?」

「はい。天然のお湯が湧き出る場所で作られたお風呂の事です。私が、お風呂とか温泉に入りたいなぁとぼやいていたのをデュラ様が覚えていて下さって、こっそり作っていて下さったんです。本当に優しい方ですよね」

 ……あのジジイ。まだユイの事を諦めていなかったか。

 ユイが綺麗好きなのはトイレの件で十分分かっている。ユイがハン伯爵領に住みたくなるように、ハン伯爵が率先してトイレの整備をしていたことは事前に聞いていたが、まさか風呂にも手を出していたとは。

 しかも温泉はまだ俺が聞いた事のない単語だ。ちっ。

 ユイに伯爵を継がなくてもいいと言っておきながら、抜け目がない。


「その、おんせんというのは、王都でもできるのか?」

「どうでしょう。温泉は出る場所でない場所がありますので。でも銭湯……えっと公衆浴場とかならできそうですね。普通は沐浴か体を拭くのみときいたので。慣れないと湯あたりするかもですけど、気持ちいですよ」

 なるほど。確かに、一般の者は基本風呂には入らない。

 少し考えてみるのもいいかもしれない。

「そう言えば、このくっしょん?だっけ。ユイねーちゃんが作ったんだよな。これもユイねーちゃんの国にあったものなのか?」

「ええ。長時間座りっぱなしだと、どうしても体が痛くなりますから。それに体の隙間を埋めると楽なんですよね」

 相変わらず、ユイは徐々にこの国はなかったものを普及させていく。このクッションは、今は馬車の中だけではなく、普段の生活でも使われるようになってきた。貴族の婦人の中には、クッションに刺繍をほどこすのを趣味にするものもいると聞く。


「ユイ様。私は仕事で行くので、お気遣いはいりません。ユイ様が秘密主義なのは分かりますが、温泉で誤魔化さず、連れて行って下さい」

 話がそれていってしまいそうになったが、きっちりメイドが話を戻してきた。

「……いや。別に、ハティーをハブにしているわけじゃなくて、本当に申し訳ないだけなんだけど。結構長く滞在するわけだし」

「大丈夫です。手の抜き方なら、ユイ様より得意ですから」

 それもそれでどうなんだという会話だが、確かにユイは変なところで不器用で、仕事でこだわり出すと手抜きができないタイプだ。確かに、メイドの言い分は間違いはない。

「いや手を抜く、抜かないじゃなくて。人間働きすぎるとマジで死ぬんだよ。私の国では、その死因に過労死って名前を付けてるぐらいだし。せめて誰かと交代勤務できれば、週に2回は休めると思うけど……はっ。そうだ。魔王様。ちょっと知り合いのメイドを引き抜いてはいけませんか?」

「引き抜き?」

 ユイが自分からメイドが欲しいというのは珍しい。どちらかというと、何でも自分でこなそうとするタイプだ。


「えっと。流石に今日の今日は無理だって分かってるんですけど。ノルンちゃん付きのメイドのヨルムと仲良くなりまして」

「ノルンの?」

 ノルン付きのメイドと言えば、この間ユイと密会したメイドだ。

 たぶん何か特殊な武術の訓練を受けているメイド。護衛の意味を考えれば、これほどまでに最適なメイドはいないだろう。

 だが……あまりにも狙いすぎていて、どうにも引っかかる。

「考えておこう」

 少し探ってみた方がよさそうだな。

 考えすぎかもしれないが、せめてあのメイドが、どこでその技術を身に着けたかぐらいは知っておくべきだろう。


「ありがとうございます。……あ、ようやく着いたみたいですね」

 まだ馬車は止まっていないが、窓から見知ったものが見えたらしい。ユイが嬉しそうに顔を綻ばせる。

「ユイ、そんなに嬉しいのか?」

 やはりユイにとって、ハン伯爵領という場所は特別な場所なんだろう。俺の問いかけに、ユイははっとしたような顔をすると、少しだけ顔を赤らめた。

「あっ。すみません。なんだか皆と旅行をしている様な気分になってしまって。遊びできたわけではないと分かっているんですが」

「俺もユイと来れて嬉しい」

「はい」

 屈託のない笑顔で答えたユイを見て俺は、難しい事を考えるのは止め、ひとまずこの時間を楽しもうと決めた。

 ハン伯爵領に着けば、大仕事が待っているのだから。

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