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幼馴染のニート更生プログラム  作者: やわらぎメンマ
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10/14

ディスコネクティッド

 「ねぇ、なんか二人、いつの間にそんな仲良くなったの……?」

 急遽ハンドルを握ることになった海斗は、戸惑いながら後ろの座席に座る女子二人に声だけで問う。

 休憩施設を出てからというもの、加奈と沙耶の距離が妙に近い。

 ついさっきまで顔を合わせれば棘のある言葉を飛ばし合っていたはずなのに、今では沙耶が加奈の肩へ身体を預けても、本気で振り払おうとはしなくなっていた。

 「ふふーんっ、そりゃハッカーさんに困らされた同士、息が合っちゃいましてねぇー」

 「はいはい、そんなにべったりくっつかない」

 加奈は鬱陶しそうに沙耶の額を押し返す。けれど、その口元には僅かな笑みが浮かんでいた。

 何かあった? 間違いなく、自分がブラックコーヒーを買い直しに行っている間に。

 気にはなったが、今はそれよりも確認しておきたいことがある。

 「それで、僕たちの地元って……」

 「そっ、とりま面倒なのやっつけておくよ」

 沙耶は身体を起こすと、何気なく後方へ視線を向けた。

 「やっつけるって……」

 「私たちを此処まで追い込んだ敵、かな……」

 今度は加奈が答える。先ほどまで浮かんでいた笑みは、もう消えていた。

 「敵って……、誰か分かったの⁉」

 加奈と沙耶が一瞬だけ顔を見合わせる。

 「うん」

 答えたのは沙耶だった。けれど、それ以上の説明はない。代わりに沙耶は、隣に座る加奈へ身体を向ける。

 「加奈さん」

 「……なに?」

 「絶対、切り抜けるよ」

 「うん……」

 短い言葉を交わし、二人は小さく頷き合う。

 そのやり取りの意味すら、海斗には分からなかった。

 「……なに? どういうこと……」

 答えは返ってこない。沙耶の視線は、既に後方へ向けられていた。

 「……………………来た」

 海斗も反射的にバックミラーを見る。後方から、一台の車が車線を無視して距離を詰めてきていた。

 さらにその後ろにも一台、そしてもう一台。明らかに、通常の走り方ではない。

 「ハッカーさん、スピード上げてッ!」

 「えっ?」

 言われるままアクセルを踏み込む。

 車体が一気に加速した――次の瞬間、海斗は追手を避けようと反射的にハンドルを切った。

 乾いた破裂音が立て続けに響く。

 「キャッ!!」

 車体の後部で何かが弾けた。銃撃――そう理解するまで、数秒も必要なかった。

 「なんで僕たち、撃たれまくってるの⁉」

 「口ばっかじゃなくてアクセル踏むッ! 加奈さんッ!」

 「は、はひぃ?……」

 突然名前を呼ばれ、加奈の背筋が跳ねる。

 「迎え撃つよッ!」

 「ど、どうやってッ⁉」

 「これっ!」

 沙耶は後部の広いスペースへ移動すると、固定されていたケースの一つを開いた。

 中から取り出したものを、後部座席に残された加奈へ差し出す。

 「こ、これって⁉」

 渡された武器を見て、加奈の顔が引き攣った。警察学校で扱った拳銃とは、サイズからしてまるで違う。

 「仕組みくらい勉強したんじゃない? ぶっ放すよっ!」

 「む、むりむりむりむりっ! 的以外に撃ったことないし、こんなデカいの見たこともないのにっ!」

 「当てようとしなくていいから! 牽制しないと私たち、マジで捕まっちゃうよ!」

 再び後方から銃声が響く。車体へ何発か命中したらしく、金属を叩く甲高い音が車内にまで伝わってきた。

 海斗が身を縮めた直後、沙耶は後部ドアのロックを外した。風圧に煽られながら扉を上に開き、後方へ銃口を向ける。

 「おりゃぁあああああ!」

 引き金が引かれた。直後、けたたましい連射音が車内を震わせる。

 海斗は前方だけを見たまま、必死にハンドルへしがみついた。バックミラーを見る余裕などない。

 後ろで何が起きているのかも知りたくなかった。

 「も、もお……」

 隣では、加奈が半ば泣きそうな顔で渡された武器を構えている。

 「知らないんだからぁあああああ!」

 覚悟を決めたように引き金を引く。再び耳を塞ぎたくなるような銃声。

 背後を走っていた一台が大きく車線を外れ、ガードレールへ迫っていくのがミラーの端に映った。

 「や、やったっ」

 「まだだよっ!」

 沙耶の声とほぼ同時。追手の一台から、鋭い閃光が走った。

 「伏せてッ‼」

 「きゃ……」

 加奈が頭を下げる。次の瞬間、車体後方で何かが破裂した。直後から、車が露骨に右へ流れ始める。

 「う、撃たれた……?」

 海斗はハンドルを取られないよう、両手に力を込めた。

 アクセルを踏んでも、先ほどまでのように速度が伸びない。どうやら後輪の一つをやられたらしい。

 それでも追手が攻撃を止める気配はなかった。

 どうする? このまま走り続けられるのか?

 海斗が必死に次の手を考えようとした、その時だった。車内のオーディオから、唐突にノイズが走る。

 『やぁ、君たち。ご機嫌はいかがかな?』

 「な、なにっ……?」

 聞き覚えのない男の声。音楽も流していなかったはずのスピーカーから、場違いなほど穏やかな声が響いてくる。

 『驚かせてしまったようですまないね。私は村上沙耶の上長――とでも言えば、察しが付くかな?』

 「それは……どっちの……」

 海斗はハンドルを握ったまま、沙耶へ視線だけを向ける。

 JIAか、もしくはデリーターか。今の沙耶には、どちらにも『上』と呼べる人間がいる。

 『おや、もうターゲットに身分を打ち明けてたのか――』

 男は愉快そうに笑った。

 『恩知らずの尻軽女だ』

 「ッ……」

 沙耶の表情が消える。それだけで、少なくとも友好的な相手ではないことは分かった。

 『さて、ハッカーくんの問いに対する答えだが――』

 一拍の間。だが、この場にいる三人は、半ば相手の正体に察しがついていた。

 『私はかつての、君の雇い主――そういえば伝わるかな?』

 「つまり……デリーターの首謀者……?」

 『半分正解で、半分不正解だね』

 「はっ?」

 『私たちデリーターに単一の首謀者はいない。もっといえば、首謀者なんて存在しないのさ』

 男の言葉の意味を考える余裕などなかった。

 誰が組織を動かしているのか。そもそも、本当に『組織』と呼べるものなのか。

 今まで自分が従っていた相手の輪郭さえ、ここへ来て曖昧になっていく。

 『さて、小高海斗君。君には既に、この時を予告していたはずだ』

 その言葉で、海斗の脳裏に数時間前の電話が蘇る。


 ――判定の時だ、小高海斗。


 あの時の声と同じだった。ようやく気づく。あれは忠告などではなかった。

 最初から――脅迫だった。

 『次のパーキングエリアに停車するんだ。さもなければ――』

 男が言葉を切る。バックミラーの奥。追走する一台の車に備え付けられたのは、大型の多銃身機関銃だった。明らかに普通の武器ではない。

 『毎秒100発の鉛の嵐――、浴びたくないだろう?』

 「…………ッ」

 海斗の喉が鳴る。銃撃だけなら、まだ走り続けられたかもしれない。

 けれど、あれを撃たれても無事でいられるとは思えなかった。

 「ハッカーさん……」

 「カイ君……」

 後ろから二人の声が重なる。海斗は前方へ視線を戻した。

 道路脇の案内表示には、次のパーキングエリアまで残り五百メートルと出ている。

 逃げるか。従うか。選択肢があるように見えて、実際には一つしか残されていなかった。

 「大人しく、従おう……。彼ら、本気みたい……」

 アクセルから、ゆっくりと足を離す。速度計の針が落ちていく。

 海斗は五百メートル先にあるパーキングエリアへ侵入するため、追手に促されるまま車線を移した。

 

 

 「やぁ、長距離のドライブ、お疲れ様だったね」

 聞き慣れた声に、加奈の身体が固まった。

 パーキングエリアの一角。人気のない駐車スペースを囲むように、数台の車が海斗たちの退路を塞いでいる。

 その中央に立っていた男を見て、加奈は目を見開いた。

 「……ッ! なんで――」

 言葉が続かない。

 「なんで、横山先輩……」

 いつもと変わらない柔らかな笑み。警察官として何度も加奈を助け、つい数時間前まで電話越しに海斗を追う手助けまでしていた男が、今は銃を片手にこちらを待ち構えていた。

 「人は見かけによらない、よく言われてることじゃないか」

 横山は肩を竦める。

 「それに――」

 笑みを崩さないまま、加奈へ視線を向けた。

 「君は僕のことを、信用しすぎてたね。全部僕の都合がいいように動かされてたにも気づかず」

 「……なんで」

 加奈の声が震える。海斗には、その言葉が誰へ向けられたものなのか分からなかった。

 「先輩は、何が目的なんですかっ!」

 「さぁ?」

 あまりにも軽い返答だった。加奈の表情が強張る。

 「僕も君たち同様、“このセカイにプログラムされた人格”にしか過ぎないみたいだからね」

 「…………えっ?」

 海斗の思考が止まる。

 「プログラム……? 人格? な、なに言って……」

 聞き間違いかと思った。けれど、横山は冗談を言っているようには見えない。

 「おや、これは君が作り出してるセカイじゃないか、小高海斗君。 もしかして、まだ理解できてないのかい?」

 「い、いや……、ホントに何言って――」

 世界を作った。自分が。言葉の意味は理解できる。それなのに、その内容だけが頭へ入ってこない。

 「少なくとも、そこの二人は気づいているはずだよ?」

 横山の視線が、海斗の背後へ移った。加奈は俯く。沙耶もまた、何も否定しなかった。

 「どういう……こと? 二人とも……」

 海斗が振り返る。先に口を開いたのは加奈だった。

 「……電話が、来たの……」

 「……電話?」

 「……うん……、不思議な電話……だった」

 加奈の手が、無意識にポケットの中の携帯を握る。

 「内容なんて、何もなかったはずなの……。でも機械音を聞いた瞬間、知らないはずの記憶が流れ込んできて…………、それでっ……それでッ!」

 どこから説明すればいいのかも分からず、加奈の声だけが次第に荒くなっていく。

 だが――。

 「もういい」


 ――バンッ。


 乾いた銃声が響いた。横山が面倒そうに吐き捨てながら、地面へ撃ち込んだ弾丸が加奈の足元で小さくアスファルトを弾く。

 「ひっ……」

 反射的に加奈が後退する。

 「今は君の話を聞いている時間じゃないんだ」

 横山は銃口を下げない。そして今度は海斗へ顔を向けた。

 「小高くん、君に記憶を返すのは、本来意図されていないのだが――」

 一瞬だけ、その笑顔から感情が抜ける。

 「君には、真実を返しておきたい」

 「僕の……真実……?」

 その言葉をなぞった瞬間だった。海斗のポケットから、着信音が鳴り響く。

 「…………ッ」

 反射的に取り出した画面には、番号すら表示されていない。

 ただ、受話器のアイコンだけが点滅していた。

 「さぁ、出てみるといい。それが本当の君の記憶だ」

 横山が促す。指一本。画面へ触れるだけでいい。

 それだけで、今まで理解できなかったすべてに答えが出るかもしれない。

 海斗が指を伸ばしかけた、その時。


 ――バンッ、バンッ!


 「っ⁉」

 海斗のすぐ横で銃弾が地面を弾いた。撃ったのは横山ではない。加奈だった。

 「絶対、ダメだよ……」

 両手で銃を構えたまま、加奈は震えていた。

 銃口の先は横山。それでも、その視線だけは海斗へ向いている。

 「加奈さん、ホンキ、なんだね……?」

 沙耶が小さく問いかける。加奈は静かに頷いた。

 「……おや、やっぱり君たちは邪魔するか……」

 横山の笑みが薄くなる。周囲にいた男たちが、一斉に武器を構えた。

 「カイ君、後でちゃんと説明するから――だから、一緒に来てッ!」

 加奈が海斗へ叫ぶ。次の瞬間、再び銃声が鳴り響いた。

 海斗は一瞬だけ、鳴り続ける携帯を見る。

 真実。本当の記憶。その全部が、今鳴っている電話に出れば分かる。

 だが、それを知る方法まで誰かに決められるのは――もう嫌だった。

 「説明、ちゃんとしてね‼」

 足元に落ちていた銃を拾い上げる。構え方も狙い方も分からない。それでも海斗は、見よう見まねで引き金を引いた。

 でたらめに放たれた弾丸が敵を散らし、加奈と沙耶が動くための僅かな時間を作る。

 「ハッカーさん、主人公っぽいじゃんっ!」

 「今それ言う⁉」

 答える余裕もなく、海斗は近くの車体へ身を隠す。銃撃は止まらない。

 こちらが一発撃ち返す間にも、倍以上の弾丸が金属を叩き、アスファルトを削っていく。

 明らかに火力が違う。長く持つ状況ではなかった。

 「ねぇ! あれ見て!」

 加奈が突然、駐車場の端を指さした。

 「えっ? なにっ⁉」

 「あれっ、使えるんじゃないっ⁉」

 一台のピックアップトラック。その荷台に据え付けられていたのは、つい先ほど海斗たちを狙っていた大型の機関銃だった。

 「良いもん載ってんじゃん!」

 沙耶の目つきが変わる。

 「ハッカーさんっ!」

 「な、なに……ッ⁉」

 「ドライバーは任せたッ!」

 「えっ⁉ ちょっと⁉」

 沙耶が車両へ向かって駆け出す。

 「ほら走るッ!」

 「また僕なの⁉」

 海斗も慌てて後を追った。加奈が援護射撃を続ける間に、三人はどうにかピックアップトラックまで辿り着く。

 二人は荷台へ勢いよく乗り込む。海斗は運転席へ滑り込むと、運よくカギはハンドル脇に刺さりっぱなしだった。急ぎ震える手でエンジンを掛ける。

 「カイ君! 出してッ‼」

 「分かった!」

 アクセルを踏み込む。タイヤが悲鳴を上げ、車体が勢いよく駐車スペースを飛び出した。

 銃撃を浴びながらも再び本線へ向かう。

 バックミラーの中では、数台の車がすぐさま追走を始めていた――その時だった。

 「……えっ――」

 沙耶の声音が、明らかに変わった。

 「さ、沙耶ちゃんッ⁉」

 続くように加奈が声を上げた。海斗は一瞬だけミラーを見る。

 すぐ後ろの荷台の縁で、沙耶が背を預けていた。黒い服の脇腹から、じわりと赤いものが広がっている。いつ撃たれたのかすら分からなかった。

 「加奈さんっ、まだ敵……、来てる……っ」

 「それどころじゃないでしょッ‼ 沙耶ちゃん、血が……、血が出て――」

 加奈が慌てて沙耶の身体を支える。手のひらに、生温い血が広がった。

 「加奈さん――」

 沙耶が力なく笑う。

 「もう、ダメなんだよっ……」

 「諦めるようなこと言うなッ‼ こんなところで死んでどうするのッ!」

 「死んじゃったら、どうなるんだろうね……」

 思わず、加奈の動きが止まる。

 この世界で死んだ人間は、どこへ行くのか。本当に消えるのか。それとも、元いた場所へ戻るのか。今の三人には、それすら分からない。

 「……私、こんなに生きてられるなんて、思ってなかった……」

 「だめ……、だめよっ……、そんなの絶対……許さないッ!」

 加奈は沙耶の身体を強く引き寄せる。

 ついさっきまで、まともに目を合わせることすら避けていた相手。

 それなのに今は、その身体から力が抜けていくことがどうしようもなく怖かった。

 「せめて最後まで、一緒に居てッ! 絶対……絶対死んだら、許さないんだからぁあああ!」

 涙混じりに叫びながら、加奈は荷台に据え付けられた機関銃へ飛びついた。

 引き金を引き切る。凄まじい反動と轟音。狙いなど、あってないようなものだった。

 それでも大量の弾丸が後方へ撒き散らされ、追手の車列を少しずつ崩していく。

 一台が蛇行し、もう一台が路肩へ弾き出される。

 やがて弾丸を吐き出す音が途切れる頃には、追手は二台にまで減っていた。

 「やだっ、弾切れ……⁉」

 加奈が引き金を引いても、もう何も出ない。

 残った二台は速度を落とすどころか、さらに距離を詰めてくる。

 「キャッ……!」

 再び銃撃。加奈が荷台へ身を伏せた。その隣で、沙耶が薄く目を開ける。

 「……えいっ……」

 弱々しい声とは裏腹に、その手は迷いなく追手の車に伸びていた。

 そして、次の瞬間――後方を走る一台の車の下で、鋭い閃光が走った。

 一拍遅れて爆音。先頭の一台が炎に包まれ、制御を失った車体が横滑りする。

 すぐ後ろまで迫っていた最後の一台も避け切れず、そのまま激突した。

 二台まとめて炎の渦へ呑み込まれていく。

 「……えっ?」

 加奈が呆然と振り返る。沙耶はまだ、そこにいた。苦しそうに息をしながら。

 それでも、僅かに笑っている。

 「そんな顔されちゃったら、死ぬに死ねきれないよ……」

 無理に笑っているのは明白だった。それでも沙耶は必死に笑顔を取り繕いながら続ける。

 「敵さんたち、吹っ飛んじゃったねっ」

 冗談めかした声。加奈の目から、一気に涙が溢れた。

 「最後までちゃんと、付き合うよ……」

 沙耶の口元に浮かんだ笑みを見て、加奈の顔がぐしゃりと歪む。

 「か、加奈……さん……?」

 「よ、よかっだぁよぉ……!」

 そのまま沙耶へ抱きついた。

 「ホントに沙耶ちゃん、死んじゃうかと思ったぁ……!」

 「今も十分ヤバいけどねっ……、でも、もうちょっとは持つみたい……」

 「そういうこと言わないでよぉ……!」

 しがみつく加奈の腕に、少しだけ力が戻る。沙耶は困ったように笑った。

 「加奈さん……」

 「なにっ?」

 「名前、初めて呼んでくれたのに……、なんか、懐かしく感じるっ……、なんでだろっ」

 加奈は涙を拭いながら、沙耶の顔を見る。初めて会ったはずだった。少なくとも、この世界の自分はそう覚えている。

 なのに、その笑顔を失うことが怖いという感覚だけは、ずっと昔から知っていたような気がした。

 「私も……、初めてな感じ、しないや……。なんでだろねっ」

 「……変なの」

 それ以上、二人は何も言わなかった。車だけが暗い道路を走り続ける。

 やがてトンネルに入ってしばらくすると、壁面の表示で三人は県境を跨いだことを知った。

 「やっと、戻ってきたね……」

 沙耶が掠れた声で呟く。

 「……ちょっとだけ、休憩させて……」

 そのまま、荷台へ身体を横たえる。

 「沙耶ちゃん……?」

 返事はない。加奈が慌てて顔を覗き込む。胸はまだゆっくり上下していた。

 「……ホントに、寝てるだけ……」

 自分へ言い聞かせるように呟いた。

 しばらくして、前方にサービスエリアの案内表示が見えてくる。海斗はそれを見たまま、無意識にアクセルを緩めかけた。

 けれど誰かに言われたからではない。今度は、自分が止まりたかった。

 「加奈」

 「……なに? カイ君」

 後方から返る声を聞いて、海斗は一度だけ息を整える。

 聞きたいことはいくらでもあった。世界のこと。記憶のこと。横山のこと。そして、自分自身のこと。

 さっきまでなら、きっとまた誰かが話し始めるのを待っていただろう。でも今は違う。

 「次のサービスエリア、ちょっと寄らない?」

 「……?」

 「ちゃんと事情、教えて欲しい……」

 それは、誰かに命じられた行き先ではなかった。自分で止まると決めて、自分から求めた答えだった。

 加奈は少しだけ驚いた顔をしたあと、静かに頷いた。

 「……うん、そうしよっか……



 しばらくしてトンネルを抜けると、車はすぐ目の前にあったパーキングエリアへ入った。

 既に夜も深い。広い駐車場には大型トラックが数台停まっているだけで、人の姿は見当たらなかった。

 海斗はなるべく建物から離れた場所へ車を停めると、すぐに運転席から降りる。

 荷台では、沙耶が浅い呼吸を繰り返しながら眠っていた。黒い服に滲んだ血を見る。今すぐ病院へ連れていくべきなのかもしれない。

 けれど、今の自分たちがまともに病院へ駆け込めるような立場ではないことくらい、海斗にも分かっていた。

 海斗は荷台の奥へ沙耶の身体を移すと、備え付けられていた毛布を掛ける。走行中に身体が動かないよう固定用のベルトを回し、毛布も風で捲れないよう端を挟み込んだ。

 「……村上さん、ごめん」

 返事はない。ただ胸が上下していることだけを確認して、海斗は運転席へ戻った。

 加奈も何度か不安そうに沙耶を振り返りながら、助手席へ乗り込む。

 「それじゃあ、行くね」

 「……うん」

 短い返事を確認し、海斗は再びアクセルを踏んだ。車がゆっくりと駐車場を離れていく。

 加速車線から本線へ合流すると、海斗は迷うことなく次の分岐へ向けて車線を移した。

 その様子を、加奈は助手席から黙って見つめていた。

 「ねぇ、カイ君……」

 「……なに?……」

 「もうさ、だいたい察しがついてるんじゃない?」

 「……なんの、こと……?」

 海斗は前方を見たまま答える。察しがついている。そう言われても、何を指しているのかすら分からなかった。

 いや――、分からないと思いたかった。

 だが加奈は誤魔化す暇もなく、海斗の逃げ道を塞ぐように投げかける。

 「…………このセカイ――カイ君の夢ってこと」

 「……全然、分からない……」

 口から出た言葉は、ほとんど反射だった。

 「……どういう、ことなの……?」

 「そのままの意味だよ」

 加奈の声は静かだった。だからこそ、冗談として聞き流すことができない。

 「このセカイは――ううん、今のカイ君は、カイ君が見ている夢の中にいるの……」

 「そ、そんなこと……、あるわけ――」

 「なら、説明してみてよ。カイ君はなんで、大学辞めてまで、あんなことしてたの?」

 「……それは……」

 言葉が止まる。大学を辞めたことは覚えている。ビーンズを始めたことも、デリーターの仕事を請け負い続けたことも――何をしたのかなら、いくらでも思い出せる。

 なのに――なぜそうしたのかと問われた途端、その記憶の中から自分だけが消えてしまう。

 「なんでカイ君は、目的地の場所、分かってるの……?」

 海斗の手に、僅かに力が入った。言われて初めて気づく。

 加奈から道を教えられた覚えはない。沙耶からナビを渡されたわけでもない。

 それなのに先ほどから、一度も道に迷っていなかった。分岐へ差し掛かれば自然と車線を選び、曲がるべき場所へ来れば、考えるより先にハンドルを切っている。

 行き先の名前すら、まだ聞いていないというのに。

 「やっぱり……、記憶の断片、あるんだね………………」

 「あっ……」

 海斗は何かを否定しようとして――言葉を失った。

 道路脇の標識。そこに書かれていたはずの地名が、読めなくなっている。

 文字の一部が欠けている。いや、違う。文字そのものが、意味を持たない記号の羅列へ変わり始めていた。

 「なに……、これ……」

 一つだけではない。二つ目の標識も。頭上を通過した電光掲示板も。読もうと意識した瞬間から、文字の輪郭が崩れていく。

 海斗は思わずバックミラーを確認した。

 いつからだろう。後ろを走っていたはずの車が、一台もいない。対向車もない。

 周囲には、海斗たちの車が発する走行音しか存在していなかった。

 周りの匂いですら、どこか薄らぎ始めている。

 「もう、終わりが近いんだね……」

 加奈が呟く。その声は、不思議なくらい穏やかだった。まるで、こうなることを知っていたように。

 「嫌だ……」

 海斗の口から、小さく言葉が漏れる。

 夢だろうと、偽物だろうと――今まで自分が見てきたものまで、全部なかったことになるわけではない。

 加奈がいる。後ろには沙耶がいる。サイトウもいた。母親だって――いたはずだった。

 それを『夢だから』という一言だけで終わらせることなど、海斗にはできなかった。

 「それでも絶対、戻らなきゃなんだよ……」

 掠れかけた声で、加奈は自分にも言い聞かせるように言った。

 「でも……、それって――」

 戻ったら、この世界はどうなる? 沙耶は? 加奈は? 自分がここで過ごした時間は?

 聞きたいことはいくらでもあった。けれど、どの問いも言葉になる前に喉の奥で止まった。

 加奈はそんな海斗を見つめながら、精一杯の笑顔を作る。

 「大丈夫。“あの場所”までは、まだ時間あるよ」

 「あの、場所……」

 聞き返した海斗に、加奈はもう答えなかった。

 それを境に、二人の会話は途切れた。車だけが、誰もいない道路を走り続ける。

 標識は次第に意味を失っていく。遠くに見えていた建物の灯りも、一つ、また一つと消えていった。

 それでも海斗は車を止めなかった。不思議と、もう道に迷う気はしなかった。

 どこへ向かっているのか、その先で何が待っているのか。頭では何一つ分からない。

 なのに身体だけは、帰るべき場所を覚えているようだった。

 ただ二人で過ごす時間だけが流れていく。そしてどれほど走った頃だろう。

 加奈はそれまで膝元に置いていた手を、シフトノブを握る海斗の手にそっと重ねる。

 海斗は何も言わなかった。加奈も、何も言わない。

 ただ触れた手の温度だけを確かめるように。

 二人を乗せた車は、終わりかけた世界の中を走り続けた。

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