裏話1 その感情を何と呼ぶのだろう
血の匂いが辺りに充満している。
シリル王子が療養している別邸の回廊で、ローランは軽く目を閉じた。
第一陣営の筆頭騎士である彼は、何の生産性もない愚かな王位継承権争いに巻き込まれ、暗殺者まがいの計画に組み込まれて、今、ここにいる。
誇り高き騎士をこのようなことに使う毒婦アンジェラも、その毒婦にいいようにされている現国王も、それを止められない力なき第一王子にも、ほとほと愛想が尽きていた。
(尽くす価値もないな)
このまま、こんな国は捨ててもいいとは思ったが、どこに行っても生きる意味など見出せないことは目に見えていたので、このままどさくさに紛れて、自分の人生に自ら終止符を打つのも悪くないと思った。
しかし、一つだけ、気になることがあった。
(アンリはどうしているんだろうか)
自分とは陣営が違うが、同じ立場の男だ。この騒乱に巻き込まれていることは間違いない。
(もう、死んでいるのか……?)
彼の運命は、既に決まっている。第二王子の陣営は、負ける。そして主だった者は皆殺しだ。
そう思っていたからか、アンリと遭遇した時、幽霊にでも会ったような気になった。
彼は、既に何戦か交戦した後なのだろう、満身創痍だった。荒く息を吐いている彼は、ローランの姿を認めると、一瞬、その瞳に絶望の色を宿した。
しかし、すぐに彼は挑発するような瞳でこちらを見た。痩せ我慢だろうが、その気丈さは感嘆に値する。
一言二言言葉を交わし、すぐに斬り結んだ。
互いに剣を振るい打ち合う。アンリの獲物は刀という特殊な片刃の剣で、それを振るう彼の姿は舞っているようで、そのくせ一切の無駄がない美しい剣筋だ。
しかし、アンリの体力は既に、限界に近かったのだろう。
全体重をかけるようにして思い切り打ち込むと、アンリは一歩足を下げ、ふらついた。体制が崩れ、隙が生まれる。
ーーー仕留めた、と確信した。
このまま一歩踏み込めば、殺せる、と。
その時、窓から差し込む月の光が、アンリの姿を仄かに照らし出した。血塗れで満身創痍だったにもかかわらず……彼は息を呑むほどに美しかった。
それは死を覚悟した者が放つ、最後の生命の輝きだったのかもしれない。ただ、今の彼は、ローランが今まで見た中で、どんなものよりも綺麗でーー尊かった。
(いなくなる、のか……)
アンリが?
シャルトル家という腐り切った環境で生まれ育ち、全てのものが色褪せて見え、くだらないものにしか見えないローランにとって、アンリという人間だけは、唯一、興味を惹く存在だった。
『どうしたの? お前、なんで、そんなところで一人でいるの?』
差し出された小さな手。
一瞬、封印した記憶が蘇りそうになって、無理やり振り払った。
アンリという青年は、成績優秀で武芸にも秀でているが、根本的には素直で純朴な男だ。
一方的にライバル視され辟易することもあったが、自分に真っ向から挑戦する気概がある人間は彼くらいしかいない。
必死に食らいついてくる彼のせいで、シャルトル家の次男として、一位を取り続けなければならない日々。
正直、大概鬱陶しいと思っていたが、少なくともアンリという人間は、自分以外が見えていないと思えば、溜飲が下がっていたのも事実だ。
そう、アンリという人間の関心の大部分が、自分という存在で占められているかと思うと、多少は自分にも生きる意味があると、張り合いなった側面もある。
一瞬の逡巡。
殺し合いの場において、それは致命的だった。
ローランが見せた隙を、アンリが見逃すはずもない。鋭く間合いの内側に切り込まれ、そしてアンリの剣が鋭く一閃した。
「………っ」
内部に生じる鋭い痛みと熱。即死には至らないが、致命傷となる一撃だった。
それは刃による傷ではないので外傷は驚くほど少ない。しかし刃に乗せられた魔法が、内臓を引き裂いたのは間違いなかった。
(終わり、か……)
何の感慨もない。つまらない人生だったというだけだ。
が、自分の攻撃が通ったことに驚いた様子のアンリを見た瞬間、不意に焦燥に似た感情が湧き出た。
無防備でーー心が掻き立てられる。
(俺がいない世界で、アンリは生きていくのか)
そう考え、すぐに否定する。
この状況で彼が生還するのは難しい。この後、自分以外の誰かの手にかかって死ぬのだろう。
ーーいや、この誰の目をも奪う妖艶な美しさを持つ男が、ただ殺されるだけで済むのか。
許せない、と思った。
自分以外の誰かの刃に引き裂かれて無惨に死んでいくアンリの姿を思い浮かべると、胸がざわついた。
(駄目だ。今、連れて行かなければ)
今までに感じたことのない焦燥感。彼の心を占めるのは、最期の瞬間まで、常に自分でなければならない。
また、他の誰かから彼の尊厳が踏みにじられるほどの屈辱を与えられてはいけない。
ーーだから、この世界に彼を残してはいけないと、そう思った。
幸いにもローランは、常に護身用の短剣を身に付けていた。
隙をついてアンリの胸を一突き。
間違いなく急所を突いたと確信した。
見開かれたアンリの目には「油断した」と書いてある。この感情の隠せなさが彼らしくて、こんな時なのに笑いたくなる。
憎々しげな表情で、何とか距離を取ろうとする、つれない体を引き寄せる。折角この手でとどめを刺したのに、離れるなんて、もったいない。
この世で最も価値あるものに、自分の手で引導を渡したという達成感が胸に満ちる。
最期の時に抱き締めたアンリの体の熱は、きっと自分だけのものであり、彼と共に逝けるであれば、上々の人生の終焉だったーーはずだった。
再び、人生を繰り返し、その世界にアンリという存在がいないという現実を知るまでは。
⭐前世の二人の関係はブロマンス⭐




