第165話 桃色空間
通路の出口より漂う怪し気なピンクの靄、不思議な事に、俺はこれをどこかで見た覚えがある。えーっと、どこで見たんだったかな? 最近は色々あり過ぎて、俺の記憶容量が圧迫しかけているんだよね。後で整理しておかないとなぁ、ハッハッハ! ……いやあ、どう考えてもマムが発していたフェロモンじゃん、アレ。元祖蔓さんを瞬殺したバイオ兵器じゃん、それ。そんな風に俺が頭を抱えていると、どうやらオルカとダリウスもその事について察したようで。
「……どうするよ?」
「どうすると言っても……どうする?」
「流石に何もせず引き返す訳にはいくまい。ひとまず、先遣隊を送って様子を見るのはどうだ?」
「それしかない、か……」
と言う訳で頼んだぞ、蔓さん三世……! 俺達は期待と申し訳なさを彼の背に向け、出口へと向かわせるのであった。
「あっ、血を吐いた……」
「でもって走り出したのう。相棒、そんな命令出しとる?」
「んな事がある筈もなく……指示を出しても駄目だな、制御不能状態だ」
はい、分かっていた事ではあったけど、やっぱりあのピンクの靄はマムのフェロモンと同じものだ。体内に取り込んだ時点でアウトな代物、つまりは超危険物質である。
「こわ~……」
「無理だな、あの中を突っ切るのは自殺行為でしかないわ」
「ふむ、確かに危険な事に間違いはないが……以前マムが発していたフェロモンと比べれば、随分と大人しい効果になっていないか? 出血量が半分以下だったし、その場で死ぬ事もなかったぞ」
「え? まあ、言われてみれば確かに……?」
あの時は間合いに入った瞬間に即死、って感じだったっけ。
「だとしても、蔓さん三世の様子からして正気を失うのは確かだぞ。仮にあの靄がエリア全体に行き渡っていたら、そもそも探索どころの話じゃない」
「最低でもそれ用の耐性は必須、と言う事か。だがしかし、ううむ……」
まだ納得していないのか、顎に手を当て悩む仕草を取るオルカ。
「一体どうしたんだよ、オルカ?」
「それがな、自分でも全く理性的な考えでない事は分かっているのだが、なぜかあの靄は触れても大丈夫な気がするんだ」
「はい? いやいや、さっきの蔓さんの惨状を目にしておったじゃろう? 即死はないとしても、ああなってしまえばアウトじゃぞ」
「それに俺とオルカはステータスを共有しているんだ。どっちか片方が状態異常になれば、もう片方も同じ状態になってしまう。あのピンクの靄もまた然り、それはオルカも理解しているんだろう?」
「それはそうなのだが、ううむ……」
論理よりも感覚を優先するとは、オルカにしては珍しいな。けど、実のところ俺の中に居る勘さんもそう言っていたりするんだよなぁ。なぜなのかは全く理解不能だけど、あの靄は俺達に無害だって。蔓さん三世はああなってしまったのに、全くもって意味不明な感覚だ。
「蔓さん三世は駄目で、俺達は大丈夫な点、相違点か。構成する霊刻印、もしくは……装備の違い、か?」
「装備? 確かにそれであれば、能力が共有されている私にだけ効果はあるだろうが……ベクトの装備は基本的に、ステータスの基礎値を補助するものばかりではなかったか?」
「それに加えて激痛増幅効果の特殊趣味仕様じゃな」
「実際にその通りだから否定できねぇ……! けどさ、その他にも最近手に入れた謎の装備があるだろ?」
「「謎の……ああー」」
オルカとダリウスは同時に頷き、これまた同時に哀れみを含んだ視線を向けて来た。違うから、イレーネ曰く呪物の類ではないらしいから。
「そう、可能性があるとすれば『夢魔の祝福』だよ。効果説明欄がバグって詳細不明だった訳だが、あのフェロモン空間を無効化できるのなら、ある程度この感覚にも納得がいく。もちろん、触れて大丈夫だなんて保証はどこにもないけどな」
「おいおい、もしや実証実験をするつもりか? 相棒の台詞を借りる訳ではないが、あのマムが与えたものだぞ? 信じるに値するとはとても思えん。何よりも危険じゃ」
「それもその通りなんだよなぁ」
「……私が行こう」
そう言って、オルカが手を挙げた。
「え? いやいや、仮に行くとしても『強健』持ちの俺が行くべきだろ。オルカが体を張る場面じゃないって」
「『強健』は耐久値を回復する能力で、状態異常を治す訳ではないだろう? であれば、いざとなった時に魔具の姿に変化できる私の方が適任だ。ベクトが万能薬をいつでも使える体勢で居てくれれば、恐らくは大事にもなるまい」
「それは……」
確かにオルカを魔具の姿にして俺の手元に転送すれば、瞬時にリカバリーは可能だ。万能薬の使用だって、俺とダリウスのどちらかが使う事ができれば、極度の興奮状態からは脱せられる。逆に俺がピンクの靄の中に居たら、治療した傍から状態異常にまたかかってしまう、か……
「……何かあったら、直ぐに連れ戻すからな?」
「その時はよろしく頼む」
先頭をオルカに譲り、出口に向かって行く彼女の背を注視しながら、万能薬を準備をしておく。
「相棒、良いのか?」
「心情的には良くないけど、実際問題、あの靄をクリアするにはオルカの案がベストだ。あれだけ反論を封じられたら、俺はもしもに備えつつ見送る事しかできないよ」
万能薬、準備オーケー。いつでも行って大丈夫だと合図を送り、オルカもそれを確認して頷き返す。緊張は……しているっぽいな。無意識でやっているんだと思うけど、剣を持っていない方の腕でエア撫でを敢行なさっとる。うん、ホワイトの毛並みは落ち着くもんね。仕方ない仕方ない。
と、オルカの心情を察している間にも、彼女はピンクの靄が漂う空間、その手前にまで到達していた。今のところは変化なし、だがここからが問題だ。一旦立ち止まったオルカは呼吸を整え――意を決し、危険地帯へと飛び込んだ!
「「「……」」」
万能薬の薬瓶を握る手に汗が伝う。オルカの体調に変化があれば、同時に俺にも変化が起こる筈だ。無限にも思える一秒一秒の全てに神経を尖らせ、もしもに備えるが……変化、なし。蔓さん三世の時とは違い、血を吐く事もなければ、体中の血液が沸騰したり理性がなくなる事もなかった。靄の中に現在進行形で居るオルカも、問題ないとハンドサインを出してくれた。
「ふぅ~~~……! どうやらマジで効果があるみたいだな、『夢魔の祝福』。マムの奴、一体どんな風の吹き回しだ?」
「このエリアによほど迎え入れたかった、とかかのう。ある意味で誘導されている気がするわい」
無事&安堵している最中にもつのっていく、ほのかな不安感。それはそれで心配になる辺り、マムに対してネガティブに信頼しているとも言える。
「ベクト、もうこっちに来ても大丈夫だ。やはり私達には靄による影響がない」
「ああ、こっちも確認したところだ。ただ蔓さん三世の惨事を見るに、やっぱ配下の黒霊は召喚できないな。暫くは俺達だけで探索する事になりそうだ」
「ああ、残念ながらそうなるだろうな」
と、未だにエア撫でを続けているオルカさん。表情は凛々しいままだが、内心では凄まじく残念がっているんだろうなぁ。しかし考えてみれば、ホワイト抜きの探索って結構久し振りか? ううむ、いつも以上に罠に気を付けないと。
「先頭交代だ。さて、出口の外はどうなっているかな~……っと」
靄を掻き分けながら前に進む。可愛らしくも毒々しい色合いで染められているが、視界はそこまで遮られる事はないかな。そういう意味では霧裂魔都の方が視界が悪く――って、もしやここ、暖炉の中か?




