第81話:ただの防カビ燻煙と、深淵の疫病獣の強制酵母化(新たなる黒幕の飢餓計画)
第81話:ただの防カビ燻煙と、深淵の疫病獣の強制酵母化(新たなる黒幕の飢餓計画)
黄金の城塞『日だまり郷』の朝は、大宇宙の理すら凌駕する究極の平穏と、食欲をそそる極上の匂いに包まれて幕を開ける。
今日の朝食は、アルドが腕によりをかけた『特製スフレパンケーキ・神仙ベリーの自家製ジャム添え』であった。ナイフを入れるとシュワッととろけるような生地に、大精霊の加護を受けた甘酸っぱいベリーのジャムが絶妙に絡み合い、一口食べるだけで魂が天界へと昇天しそうになるほどの絶品である。
「うむ……! このフワフワの生地、噛むほどに大地の恵みが口いっぱいに広がるぞ! 主殿の料理は、もはや一つの宇宙を創世するに等しい奇跡だな!」
元・魔界大帝サタナスが、フォークを持つ手を震わせながら感涙に咽いでいた。
「キューッ!(おかわり! もっとおかわり!)」
足元では、神竜ポチとモフモフの星狼シロが、顔中をジャムだらけにしながらお皿を舐め回している。
「あはは、いっぱいあるからゆっくり食べてね。パンケーキは焼き加減が命だから、上手く膨らんでよかったよ」
アルドはエプロン姿でニコニコと笑いながら、次々とフライパンで新しい生地を焼き上げていた。
そんな賑やかなダイニングの片隅、一枚の防音結界が張られた長テーブルでは、大公レオハルト、情報局長アーキヴァル、元・大賢者ゾルタンによる、極秘の『朝の作戦会議』が進行していた。
「……大公閣下。先日の『黄金の天秤商会』の残党から回収した裏帳簿、暗号の解読が完全に終了いたしました」
アーキヴァルが、分厚い書類の束を大公の前に差し出す。その眼鏡の奥の瞳は、氷のように冷徹な光を放っていた。
「やはりな。商会を裏で操り、王都の経済を意図的に混乱させていた真の黒幕がいたか」
「ええ。王国の影の重鎮、ヴァンダル侯爵です。彼は自らの領地に莫大な食糧を不当に溜め込む一方で、王都の国営大穀物庫に手を回していました。昨夜、我々の情報網と、庭で寝ていた元・混沌の王アザトス殿の感知能力が、大穀物庫の地下で異常な魔力反応が膨張し始めているのを捉えました」
ゾルタンが、魔力測定器の禍々しい紫色の波形を指差した。
「ヴァンダル侯爵が召喚したのは、古代の禁書に記された『深淵の疫病獣』です。この魔獣は、周囲の有機物を一瞬にして猛毒の腐敗物に変換し、致死の病魔を撒き散らします。侯爵の狙いは、王都の食糧を全て腐らせて人為的な大飢饉を引き起こし、自らが溜め込んだ食糧を法外な価格で売りつけることで、王家の権威を失墜させることでしょう」
「民の命たる食糧を人質に取り、飢えを利用して国を乗っ取る算段か……。底なしの強欲、万死に値するな」
大公レオハルトが、怒りで拳を強く握りしめた。
「ええ、全く以て許しがたい外道です」
アーキヴァルは、手帳の真新しいページに『対・ヴァンダル侯爵・請求書』と優雅な筆記体で書き込みながら、ニッコリと微笑んだ。
「ですが、我々が事前にその兆候を察知した以上、王都のパン一つすら腐らせることは許しません。敵の悪意が牙を剥く前に、根こそぎ刈り取って差し上げましょう。……ちょうど、アルド様にうってつけの『お掃除』の口実があります」
アーキヴァルは、ペンを滑らせて一枚の『依頼書』を迅速に作成した。
ちょうどそこへ、焼き上がったパンケーキを運んできたアルドに、アーキヴァルは深々と頭を下げて依頼書を差し出した。
「アルド様、美味しい朝食の最中に申し訳ありません。実は大公閣下より、急ぎの『清掃依頼』が入っております」
「おや、急ぎのお仕事かい? どれどれ……『王都の国営大穀物庫にて、風通しの悪さから大規模なカビと害虫が発生している。小麦が全滅する前に、至急カビの駆除と倉庫の換気をお願いしたい』……なるほど!」
アルドは、依頼書を見て真剣な表情でコクリと頷いた。
「穀物庫にカビが生えちゃうなんて一大事だ! 小麦はみんなの命の源だからね。梅雨時でもないのにカビが生えるなんて、よっぽど風通しが悪くて湿気が溜まってるんだろう。よーし、今日は僕の特製『防カビ燻煙剤』と、『超強力・換気サイクロン』を持って、倉庫を隅々までピカピカにしてこよう!」
アルドが意気揚々と作業着に着替え、巨大な工具箱を持って部屋を出て行った後。
リビングの影から、レイヴンとシノンが音もなく立ち上がった。
「主の『カビ退治』の邪魔をする、薄汚いネズミ(侯爵の密偵)どもは、俺たちが先に処理しておく。……さあ、新たなる害虫駆除の始まりだ」
かつては敵の罠に偶然飛び込んでいたクラン『黄昏の守護者』は、今や王国内に張り巡らせた完璧な情報網を駆使し、自ら能動的に巨悪を粉砕する無敵の組織へと変貌を遂げていたのである。
***
その頃、王都の一等地にあるヴァンダル侯爵の豪華絢爛な屋敷。
侯爵は、黄金の杯に注がれた年代物のワインを揺らしながら、窓の外に広がる王都の街並みを見下ろして下劣な笑いを漏らしていた。
「クックック……。今頃、大穀物庫の地下では『深淵の疫病獣』が順調に育っている頃合いだろう。あの疫病獣が放つ腐敗の呪いは、いかなる神聖魔法でも浄化できん。数日後には、王都の小麦は全てドス黒い毒の塊に変わり、愚民どもは飢えに苦しむことになる」
侯爵は、傍らに控える黒装束の密偵たちに傲慢な視線を向けた。
「大公派の奴らが慌てふためき、私に泣きついてくる姿が目に浮かぶわ。私の隠し倉庫にある小麦を、通常の百倍の値段で売りつけてやろう。行け、お前たちは穀物庫の周囲を見張り、腐敗が確実に進行している様をしかと見届けてこい!」
自らの野望が完璧に遂行されていると信じて疑わない悪徳貴族の笑い声が、豪奢な部屋に虚しく響き渡っていた。
***
「よし、カビ取りと換気の準備は完璧だ!」
アルドは、国営大穀物庫の巨大な扉の前に立ち、手作りの『絶対浄化の防カビ燻煙剤』と、巨大なプロペラがついた『事象旋風の換気サイクロン』を用意していた。
――当然ながら、その素材は常軌を逸している。燻煙剤は、寿命を迎えた超新星の核を粉砕し、世界樹の浄化樹脂で固めた『大宇宙の邪気を一掃する星の瞬き』。換気サイクロンは、神話の暴風鳥の羽根を何百枚も重ねて作った、次元の澱みすらも吹き飛ばす『究極の環境制御ファン』である。
「うわぁ……。大公様が言っていた通り、これはひどいな。扉の隙間から、ドス黒いカビの胞子みたいなのがモクモク漏れ出てるぞ。おまけに、なんだかヘドロみたいな嫌な臭い(致死の腐敗ガス)がするし、中からドロドロとした『巨大なカビのお化け』みたいなのが蠢いてる音がする」
アルドは、穀物庫の扉に手をかけながら、プロの清掃業者としてのダメ出しを始めた。
彼の驚異的な「日常フィルター(事象の誤認)」は、大宇宙の生命を腐らせる疫病獣の本体とそれが放つ呪いの毒ガスを、「湿気と換気不足によって異常繁殖し、もはやスライムのように動き出した極度に悪質な巨大カビの塊」だと完全に誤認していた。
「よし! こんなにカビが繁殖していたら、大事な小麦が全部ダメになっちゃう! 一気に燻煙剤でカビの根を絶って、換気ファンで悪い空気を全部吹き飛ばしてやるぞ!」
アルドは、防塵マスク(ただの布マスクだが、事象改変オーラにより絶対防毒)を口元に当て、致死の瘴気が充満する穀物庫の中へと、鼻歌交じりにズンズンと踏み込んでいった。
『……ルォォォォ……? ナンダ、コノ矮小ナ人間ハ……? 我ガ絶対腐敗ノ領域ノ中ヲ、ナゼ肉体ガ溶ケズニ歩イテイラレル!?』
深淵の疫病獣は、触れた瞬間に細胞がドロドロに腐り落ちるはずの毒霧の中を、平然と歩いてくるアルドを見て激しく動揺した。アルドの事象改変オーラは、疫病獣の放つ絶対の呪いを「ちょっとカビ臭くて鼻がムズムズする」程度に強制的に緩和させていたのだ。
『コザカシイ! ナラバ直接、我ガ『万物腐敗の触手』デ魂ノ底マデ腐ラセテクレルワァァァッ!』
激怒した疫病獣は、毒のヘドロで構成された巨大な触手を何十本も突き出し、アルドを丸呑みにしようと襲い掛かった。
「うわっ! このカビのオバケ、すごくしつこくて厄介だな! でも、この特製・燻煙剤の煙なら、どんな隙間のカビも一網打尽だ!」
アルドは、襲い来る疫病獣の巨大な本体に向けて、『絶対浄化の防カビ燻煙剤』の導火線に火をつけ、ポイッと軽く放り投げた。
――シュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!!!
アルドが放り投げた燻煙剤から、眩いばかりの銀色の煙(超新星の浄化エネルギー)が爆発的に噴き出し、疫病獣の巨体を包み込んだ瞬間。
星を腐海に変えるはずの強靭な腐敗の呪いは、アルドの「ガンコなカビを煙で根こそぎ退治したい」という圧倒的で暴力的なまでの意思の前に、物理的に「シュワワワッ!」と音を立てて、ただの『煙に巻かれた無害な汚れ』へと強制的に分解・中和され始めた。
『ギ、ギャァァァァァァァァッ!? な、何ダコノ異常ナ浄化力ハ!? 我ガ全テヲ腐ラセル深淵ノ身体ガ、タダノ殺虫剤ノ煙デ白ク漂白サレテイクゥゥゥッ!?』
「よし、煙が隅々まで行き渡って、カビの動きが止まったぞ! ここで一気に、換気サイクロンで悪い空気を全部吹き飛ばす!」
アルドは、背中に背負っていた『事象旋風の換気サイクロン』のスイッチを入れ、最大出力で疫病獣に向かって強烈な風を叩きつけた。
――ズバババババババババッ!!!!!!
大宇宙の法則が、アルドの「完璧な換気と防カビ処理」という意思に完全にひれ伏す。
サイクロンから放たれた『絶対整流の風』は、穀物庫の中に充満していた禍々しい腐敗の魔力を完全に吹き飛ばし、新鮮な大気と入れ替えていく。
そして風を浴びた疫病獣の本体は、アルドの清掃が持つ『腐敗を止めて品質を良くする』という概念によって物理的な限界を超えて書き換えられ、その存在そのものが変質していった。
『ア……ァァ……。我ノ、大宇宙ノ命ヲ奪ウハズノ腐敗ガスガ、マルデ都合ノイイ【小麦粉ヲ美味シク発酵サセル為ノ香り】ノヨウニ……!? イヤ、風ヲ浴ビル度ニ、我ガ呪イノ魔力ガ、異常ナマデニ心地ヨイ【極上ノ神仙酵母ノエネルギー】ニ変換サレテイクゥゥゥッ! 私ノ存在ガ、食糧ヲ腐ラセルノデハナク、コウシテ王都ノ小麦ヲ最高ノパンニ昇華サセル「極上ノ全自動・発酵精霊」トシテ機能スルコトガ、コレホドマデニ満タサレルコトダッタトハ……!』
深淵の疫病獣の凶悪な意思は、アルドの「防カビ燻煙と換気作業」によって完全に浄化され、書き換えられた。
万物を腐らせる禍々しい魔獣は、気がつけば「穀物庫の天井付近にフワフワと漂い、保管されている小麦を絶対に腐らせず、むしろパンにすれば最高に膨らむ『奇跡の神仙酵母』を絶え間なく振りまく、超高性能な『エコ発酵精霊(見た目はマシュマロのような白い妖精)』」へと姿を変えていたのである。
「よしよし! 嫌なカビの臭いは完全に消えて、なんだかパン屋さんの前みたいないい香りがしてきたぞ! これで小麦も傷まずに、美味しいパンがたくさん焼けるね!」
アルドが換気ファンを止めて額の汗を拭うと、穀物庫を覆っていた陰湿な空気は一瞬にして晴れ渡り、山積みになっていた小麦袋からは、黄金色に輝く極上のオーラが放たれ始めていた。
***
一方、その光景から少し離れた穀物庫の裏路地。
ヴァンダル侯爵が放った密偵たちは、大宇宙の災厄である疫病獣が、たった一つの燻煙剤と換気扇で「マシュマロみたいな酵母の妖精」に成り下がった光景に言葉を失い、恐怖と絶望で完全に腰を抜かしていた。
「ば、馬鹿な……。深淵の疫病獣が、ただのカビ扱いだと……!? 侯爵閣下の完璧な飢餓計画が、ただの清掃作業で……!」
「た、退却だ! 直ちにこの絶望的な異常事態を閣下に報告し……」
密偵たちが踵を返そうとした、まさにその時。
「――誰が、帰っていいと言った?」
路地の影の中から、音もなくシノンの短剣が閃き、密偵たちの急所を正確に峰打ちで叩き伏せた。
退路の先からは、レイヴンが神具の斧を肩に担ぎ、凄まじい威圧感を放ちながら道を完全に塞いでいる。
「主の『カビ掃除』の邪魔をする害虫どもめ。貴様らが喚び出した変なヘドロのせいで、主がどれだけ換気に手間をかけたと思っている」
レイヴンが、冷酷な瞳で見下ろす。
「ヒィッ……! お、お許しを……! 我々はヴァンダル侯爵閣下の……!」
「貴様らは、我らが情報局長への【素晴らしい証拠品】だ。……ヴァンダル侯爵とやら。いずれ迎える『完全なる破滅』への第一歩、きっちりと踏ませてもらったぞ」
シノンの冷たい宣告と共に、密偵たちは完全に意識を刈り取られ、荷袋へと詰め込まれていった。
***
数日後。日だまり郷の黄金の城塞。
「……終わりましたね。星を腐らせる宇宙の疫病獣が、アルド様の腕によって見事な神仙酵母の妖精に成り下がりました」
記録係のアーキヴァルが、大公から送られてきた莫大な報酬と、王都のパン屋ギルドから山のように届いた『極上のふかふかパン』を確認しながら、手帳の『対・ヴァンダル侯爵・請求書』の第一ページ目に羽ペンを走らせる。
「ええ。記録完了。『第八十一種・深淵の疫病獣の強制酵母化(ただのカビ掃除と換気)』。対象:大宇宙の災厄アビス・プレイグ、およびヴァンダル侯爵の密偵部隊。結果:アルド様の手作り燻煙剤と換気ファンによって疫病獣は永遠の芳醇な酵母へと概念を書き換えられ、裏で蠢く密偵はクランメンバーによって完全捕縛。悪徳貴族を追い詰めるための【第一の証拠】として回収完了しました」
「アルド殿が換気したあの大穀物庫、今では『奇跡の神仙小麦庫』と呼ばれ、そこから出荷された小麦で作るパンは、一口で万病を癒やすと大評判になっているそうだな。侯爵の飢餓計画など、完全に極上のパン生地に練り込まれたというわけだ」
レイヴンが、暖炉の前でシロ(星狼)にふかふかのパンを食べさせるアルドを眺めながら、不敵に笑う。
「ええ。ですが、これはまだ侯爵を追い詰めるための序の口に過ぎません。奴が次にどんな汚い手を使ってこようとも……我々の完璧な情報網とアルド様の【日常の家事】が、全てを未然に粉砕します。奴が手駒を全て失い、その罪の重みに完全に押し潰されるその瞬間まで、我々は淡々と【請求書】の項目を増やし続けるのみです」
アーキヴァルの眼鏡の奥で、全てを計算し尽くした冷徹な死神の光が煌めいた。
最強の便利屋の「ただの防カビ清掃」は、王都の飢餓の危機をただの換気作業として解決し、悪徳貴族の野望を粉砕するだけでなく、王国に最高の食文化をもたらす奇跡の穀物庫を誕生させてしまったのである。
城塞の住人たちによる「能動的な悪の粉砕」は、国家の裏に潜む真の黒幕へと至る決定的な証拠を集めるため、完璧な手順で次なる『大掃除』の準備を進めていくのであった。
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