第80話:ただの雨どい掃除と、忘却の泥濘神の強制排水化(見えざる残党の姑息な隠蔽)
第80話:ただの雨どい掃除と、忘却の泥濘神の強制排水化(見えざる残党の姑息な隠蔽)
黄金の城塞『日だまり郷』に、本格的な雨の季節が訪れようとしていた。
分厚い雨雲が空を覆い、しとしとと降り続く雨が城塞の外壁を濡らしている。しかし、この城塞はマルチバースの理すらも超越した究極の建築物であるため、雨の音は決して不快な騒音にはならず、まるで大精霊が奏でる極上の子守唄のように、心地よい調べとして住人たちの耳に届いていた。
「いやぁ、雨の日っていうのは、なんだか家の中がしっとりと落ち着いていい気分だね。こんな日は、じっくり煮込んだ温かいポトフが一番だ」
アルドは、手作りのキッチンで鼻歌を歌いながら、巨大な寸胴鍋をかき混ぜていた。鍋の中では、先日の農作業(大地の毒竜の強制肥料化)によって裏山で収穫された『奇跡の神仙野菜』と、分厚いベーコンがグツグツと煮込まれ、魂を昇天させるような極上の香りを漂わせている。
リビングでは、モフモフのサモエド犬であるシロ(元・絶対零度の星狼)と、神竜ポチが、雨に濡れるのを嫌がって暖炉の前に丸まり、幸せそうにいびきをかいていた。
そんなのどかな光景の傍ら、長テーブルの端では、大公レオハルト、情報局長アーキヴァル、元・大賢者ゾルタンの三人が、湯気の立つコーヒーを片手に極秘の作戦会議を開いていた。
「……大公閣下。例の『黄金の天秤商会』の残党についての情報ですが、我が情報局の感知網が、王都の外れにある放棄された商館から奇妙な魔力波形を捕捉しました」
アーキヴァルが、テーブルの上に王都の詳細な地図を広げ、ある一点を指し示した。
「うむ。我が密偵からの報告とも一致している。先日の強制捜査から逃れた商会の一部幹部どもが、国庫から盗み出した莫大な金貨と、裏帳簿の束を持ってその商館に潜伏しているらしい」
大公レオハルトは、眉間に深い皺を寄せてコーヒーを啜った。
「ただ潜伏しているだけではありません。彼らは商館の地下に、禁忌の召喚術で『忘却の泥濘神』を呼び出しています」
ゾルタンが、魔力測定器の不吉な黒い波形を見つめながら冷徹に告げた。
「忘却の泥濘神……大宇宙の深淵に棲み、飲み込んだ物質の『存在そのもの』を世界の記憶から消し去るという、極めて厄介な概念災害ですね」
「ええ。残党どもは、盗み出した金貨や証拠の裏帳簿を、その泥濘神の胃袋に放り込んで隠蔽しようとしているのです。泥濘神の腹の中にある限り、いかなる探知魔法でも金貨を見つけることはできず、さらに泥濘神に触れた者は、自分が何を捜査していたのか、自分自身の名前すらも忘却の彼方に消え去ってしまう」
「なるほど。ほとぼりが冷めた数年後に泥濘神から金貨を取り出し、商会を再興しようという、実に姑息で薄汚い算段ですか。……ですが、そうはさせません」
アーキヴァルは、手帳に新たな【請求書】のページを開き、万年筆のペン先を鋭く走らせた。
「これまでは事後処理が中心でしたが、我々はすでに【事前排除】のフェーズに移行しています。残党どもが記憶と証拠を完全に闇に葬る前に、その商館ごと『綺麗にお掃除』してしまいましょう。……雨の日には、ちょうど良い名目がありますからね」
アーキヴァルは、ニッコリと完璧な笑みを浮かべながら、一枚の『特別な依頼書』をスラスラと書き上げた。
ちょうどそこへ、ポトフの味見を終えたアルドがエプロン姿でやってきた。
「アルド様、お忙しいところ申し訳ありません。大公閣下から、急ぎの『雨の日の出張依頼』が入っております」
「おっ、こんな雨の日に依頼かい? どれどれ……『王都の外れにある古びた商館の雨どいが完全に詰まっており、屋根から地下の排水溝にかけて酷い雨漏りと悪臭が発生している。建物が傷む前に、至急清掃と貫通作業をお願いしたい』……なるほど!」
アルドは、依頼書を見て真剣な表情で頷いた。
「雨どいの詰まりは、放っておくと壁の中に水が侵入して、家をダメにしちゃうからね! おまけに地下の排水溝まで詰まってるなんて、衛生的に最悪だ。よーし、今日は特製の『高圧洗浄機』と『パイプクリーナー』を持って、屋根の先から地下の下水道まで、一気にピカピカに貫通させてこよう!」
アルドが意気揚々と作業着(完全防水・絶対防壁のレインコート)に着替え、工具箱を持って部屋を出て行った後、レイヴンとシノンが音もなく立ち上がった。
「主の『配管清掃』の邪魔をする、薄汚いコソ泥どもは、俺たちが先に処理しておく。……さあ、また新しいゴミ掃除の始まりだ」
かくして、アルドとクランメンバーたちによる、能動的な悪の粉砕作戦が静かに幕を開けたのである。
***
その頃、王都の外れにある古びた商館の地下。
薄暗いランプの光に照らされた石造りの地下室で、黄金の天秤商会の元・幹部たち数名が、部屋の中央でブクブクと泡立つドス黒い泥の塊――『忘却の泥濘神』に向かって、荷車に積まれた金貨の袋や分厚い裏帳簿を次々と投げ込んでいた。
「クックック……! いいぞ、もっと喰わせろ! この忘却の泥濘神の腹の中に入れば、大公の犬どもがどれだけ探そうが、金貨の存在そのものがこの世の記憶から消え去る!」
元・幹部の男が、貪欲な笑みを浮かべて泥を眺める。
「万が一、騎士団がここに踏み込んできても問題ない。この泥が放つ『忘却のガス』を吸えば、奴らは自分がなぜここに来たのかすら忘れ、間抜けな顔で帰っていくことになるからな。数年後、この金貨を取り出して、我々は必ず王都の経済を再び支配してやる!」
彼らは自分たちの完全犯罪が成功したと確信し、下劣な笑い声を上げていた。
だが、彼らは知る由もなかった。彼らの頭上、商館の屋根の上には、すでに一人の『伝説の便利屋』が、長靴を履いて降り立っていたことを。
***
「よし、お掃除セットの準備は完璧だ!」
アルドは、商館の屋根の上に立ち、土砂降りの雨の中で手作りの『事象崩壊のパイプクリーナー』と、『世界樹の高圧洗浄機』を用意していた。
――当然ながら、その素材は常軌を逸している。パイプクリーナーは、混沌の泥を中和するための『星の浄化灰』と『大精霊の涙』を限界まで圧縮した超強力な発泡洗剤。そして高圧洗浄機は、世界樹の太い導管をホース代わりにし、水竜神の胃袋をポンプとして組み込んだ、大宇宙の次元の壁すらも水圧でぶち抜く究極の洗浄兵器である。
「うわぁ……。大公様が言っていた通り、これはひどいな。雨どいの中に、真っ黒でネバネバしたヘドロがびっしり詰まってるぞ。おまけに、なんだかこのヘドロの臭いを嗅ぐと、頭がモヤモヤして『今日のお昼ご飯のメニュー』を忘れそうになるくらい気持ち悪い」
アルドは、雨どいを覗き込んで、プロの清掃業者としてのダメ出しを始めた。
彼の驚異的な「日常フィルター(事象の誤認)」は、大宇宙の存在と記憶を消し去る忘却の泥濘神の本体(の一部)とそれが放つガスを、「長年放置されて異常発酵し、強烈な悪臭で頭をクラクラさせる極度にガンコな泥汚れとカビの塊」だと完全に誤認していた。
「よし! こんなガンコな汚れは、上から下まで一気に化学反応で溶かして、超高圧の水流で海の底まで押し流してやるぞ!」
アルドは、腰から『事象崩壊のパイプクリーナー』のボトルを取り出し、雨どいの入り口から地下の排水溝に向かって、たっぷりと粉末を流し込んだ。
『……ア? ナンダ、コノ矮小ナ人間ハ……? 我ガ絶対忘却ノガスノ中デ、ナゼ自分ノ自我ヲ保ッタママ立ッテイラレル!?』
雨どいから地下まで繋がっている忘却の泥濘神は、触れた瞬間に脳髄から記憶が白紙になるはずの空間で、鼻歌交じりに粉剤を撒き散らすアルドを見て激しく動揺した。アルドの事象改変オーラは、泥濘神の放つ絶対の忘却を「ちょっと物忘れが激しくなりそうな変な臭い」程度に強制的に緩和させていたのだ。
『コザカシイ! ナラバ直接、我ガ『記憶捕食の触手』デ魂ノ底マデ白紙ニシテクレルワァァァッ!』
激怒した泥濘神は、雨どいの中からドス黒い泥の触手を突き出し、アルドの頭を包み込もうと襲い掛かった。
「うわっ! この泥汚れ、ネバネバしてて上まで逆流してきそうだな! でも、お湯を注げばクリーナーの発泡パワーが全開だ!」
アルドは、持参していたポットから熱湯をドバッと雨どいに注ぎ込んだ。
――シュワァァァァァァァァァァァッ!!!!
熱湯とクリーナーが混ざり合い、泥濘神の触手と本体に触れた瞬間。
星の記憶を喰らうはずの絶対的な忘却の呪いは、アルドの「ガンコなパイプの詰まりを泡で溶かしたい」という圧倒的で暴力的なまでの意思の前に、物理的に「ボコボコボコッ!」と音を立てて、ただの『水に溶けやすい柔らかい泥水』へと強制的に分解・中和され始めた。
『ギ、ギャァァァァァァァァッ!? な、何ダコノ異常ナ溶解力ハ!? 我ガ全テヲ無ニ帰ス忘却ノ身体ガ、タダノパイプ洗浄剤デ泡ダラケニサレテ溶ケテイクゥゥゥッ!?』
「よし、汚れが完全に浮いてドロドロになったぞ! ここで一気に、高圧洗浄機でぶち抜く!」
アルドは、『世界樹の高圧洗浄機』の巨大なノズルを雨どいの入り口に突っ込み、トリガーを限界まで力強く引き絞った。
「そぉいッ!!」
――ズドバァァァァァァァァァァァッ!!!!!!
大宇宙の法則が、アルドの「完璧な配管清掃」という意思に完全にひれ伏す。
ノズルから放たれた『事象払拭の浄化水流』は、雨どいから壁の内部のパイプ、そして地下の排水溝に至るまで、泥濘神の巨体を猛烈な勢いで押し流していった。
水流が通過した軌跡から、泥濘神の禍々しい忘却の魔力は完全に洗い流され、代わりにアルドの洗浄機が持つ『あらゆる汚れと悪意を完全に浄化する』という概念が、物理的な限界を超えて泥濘神の存在そのものを書き換えていった。
『ア……ァァ……。我ノ、大宇宙ノ記憶ヲ奪ウハズノ力ガ、マルデ都合ノイイ【配管ヲ綺麗ニスル為ノ洗浄水】ノヨウニ……!? イヤ、流サレル度ニ、我ガ呪イノ魔力ガ、異常ナマデニ心地ヨイ【絶対的ナ清潔感ト浄化作用】ニ変換サレテイクゥゥゥッ! 私ノ存在ガ、歴史ヲ消スノデハナク、コウシテ建物全体ノ汚れヲ落トス「極上ノ全自動・除菌排水システム」トシテ機能スルコトガ、コレホドマデニ満タサレルコトダッタトハ……!』
忘却の泥濘神の凶悪な意思は、アルドの「パイプ洗浄と高圧水流」によって完全に浄化され、書き換えられた。
記憶を奪う禍々しい泥の怪物は、気がつけば「商館の配管全体にコーティングされ、今後一切のゴミや悪臭を寄せ付けない、超高性能な『永久・自浄排水システム』」へと姿を変えていたのである。
「よしよし! 詰まりは完全にぶち抜けたし、配管の中からすっごく爽やかなハーブみたいな良い香りがしてきたぞ! これで雨漏りも悪臭もバッチリ解決だね!」
アルドがノズルを止めて額の汗を拭うと、商館を覆っていた陰湿な空気は一瞬にして晴れ渡り、建物全体が新築以上にピカピカに輝き始めた。
***
一方、その直後の商館の地下室。
元・幹部たちは、天井のパイプから突如として噴出した『事象払拭の浄化水流(と、浄化された泥濘神)』を頭からモロに被ることになった。
「うわぁぁぁッ!? なんだこの物凄い水圧は!?」
「泥濘神が……泥濘神がただの綺麗な水になって、排水溝に流れていくッ! おまけに、俺たちが投げ込んだ金貨や裏帳簿が、全部ピカピカに洗浄されて吐き出されてきたぞ!?」
しかも、アルドによって「汚れ(悪意)を洗い流す」という概念に書き換えられた水流を浴びた幹部たちは、自分たちの心の中にあった『悪巧み』や『強欲』といった汚い感情までをも物理的に洗い流されてしまった。
「あ、あれ……? 俺たち、こんな暗い地下室で何をしてたんだっけ……?」
「さあ……。なんだか、今まで悪いことをしてお金を稼ごうとしていた自分が、すごく恥ずかしくて愚かな存在に思えてきたよ。早くこのお金を、正しい持ち主(国庫)に返さないと……」
悪意を完全に漂白され、憑き物が落ちたように穏やかな、ある意味で間抜けな善人ヅラになった幹部たちが立ち尽くしていると。
「――ご苦労だったな、ドブネズミども。随分と『綺麗な顔』になったじゃないか」
地下室の影の中から、レイヴンが神具の斧を肩に担いで、冷酷な笑みを浮かべて姿を現した。その背後からは、シノンが音もなく歩み寄り、ピカピカに洗浄された金貨の袋と裏帳簿を確保する。
「主の『配管清掃』のおかげで、貴様らの薄汚い魂の汚れまで落ちたようだな。……だが、犯した罪が消えるわけではないぞ」
レイヴンの凄まじい威圧感の前に、すっかり善人(無抵抗)となった幹部たちは、一切の抵抗をすることなく、自ら進んで大公の騎士団に両手を差し出し、大人しく連行されていったのである。
***
数日後。日だまり郷の黄金の城塞。
「……終わりましたね。存在を忘却させる宇宙のヘドロが、アルド様の腕によって見事な自浄排水システムに成り下がりました」
記録係のアーキヴァルが、大公から送られてきた莫大な報酬と、完全に回収された裏帳簿の束を確認しながら、手帳の新たなページに羽ペンを走らせる。
「ええ。記録完了。『第八十種・忘却の泥濘神の強制排水化(ただの雨どい掃除と配管洗浄)』。対象:大宇宙の災厄オブリビオン・スライム、および黄金の天秤商会の残党。結果:アルド様の手作りクリーナーと水流によって泥濘神は永遠の清潔感へと概念を書き換えられ、裏で蠢く残党はクランメンバーによって一網打尽に。回収された裏帳簿から、いよいよ新たなる【巨悪の尻尾】を掴みました」
「アルド殿が掃除したあの商館、今では王都で最も綺麗で清潔なオフィスとして、大公閣下が新たに買い取り、有効活用しておられるそうだな。商会の残党どもが隠していた金貨も、結局はピカピカになって国庫に回収されたというわけだ」
レイヴンが、暖炉の前でシロ(星狼)にブラッシングをしてやるアルドを眺めながら、不敵に笑う。
「ええ。ですが、この裏帳簿を読み解く限り、残党たちを裏で操り、王都の混乱を企てている真の黒幕がいるようです。……奴が自らの手駒を全て失い、その罪の重みに完全に押し潰されるその瞬間まで、我々は淡々と【請求書】の項目を増やし続けるのみです」
アーキヴァルの眼鏡の奥で、全てを計算し尽くした冷徹な死神の光が煌めいた。
最強の便利屋の「ただの雨どい掃除」は、商館の呪いをただの清掃作業として解決し、王国に最高の清潔感をもたらすオフィスを誕生させてしまったのである。
城塞の住人たちによる「能動的な悪の粉砕」は、ついに国家の裏に潜む真の黒幕へと至る決定的な証拠を手に入れ、次なる圧倒的破滅への準備を完璧に整えたのであった。
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