第46話:ただのお昼寝と、絶望の夢魔王の強制添い寝
第46話:ただのお昼寝と、絶望の夢魔王の強制添い寝
全員分の服を綺麗に洗い上げ、黄金の城塞の中庭に洗濯物を干し終えたアルドは、心地よい疲労感と共に大きく伸びをした。
「ふぁぁ……。大物の洗濯をすると、やっぱり少し疲れるな。でも、風に揺れる真っ白なシーツを見てると、すごく清々しい気分になるよ」
お昼を過ぎ、元・太陽神アポロンが放つ極上のぽかぽか陽気が、中庭全体を優しく包み込んでいる。世界樹ユグドラシルの巨大な枝葉が、キラキラと輝く木漏れ日を作り出し、絶好の「お昼寝環境」が整っていた。
「よし。今日はもう大きな仕事もないし、世界樹の木陰で少しお昼寝をしよう」
アルドは、中庭の芝生(不老不死の霊草)の上に、国宝・白き聖女の神布でできた特製のピクニックシートを敷き、その上にゴロンと横になった。
彼のすぐ横では、神竜ポチと海神リヴァイアサン(イルカさん)が、アルドの温もりを求めて巨大な体を丸め、すでにスースーと穏やかな寝息を立てている。
「ふふっ。ポチもイルカさんも、温かくて気持ちよさそうだな。それじゃあ、僕も……おやすみなさい」
アルドが目を閉じると、彼の無意識から放たれる『圧倒的な平穏のオーラ』が、城塞全体を優しくコーティングし始めた。それは、どんな神々であろうと、この空間にいるだけで闘争心を失い、強制的にリラックス状態へと移行させられる究極の癒しフィールドであった。
――しかし。
そのアルドの「無防備な睡眠状態」を、大宇宙の暗黒次元から、虎視眈々と狙っている邪悪な存在があった。
『ククク……。ついに隙を見せたな、大宇宙の特異点よ。どれほど物理的な力や事象改変のオーラを持っていようと、精神の奥底――「夢の世界」までは防御できまい』
その存在の名は、フォベトール。
神話の時代より、神々や英雄たちの精神に忍び込み、最も恐れる悪夢を見せ続けて狂気に追いやったとされる、精神支配の頂点『絶望の夢魔王』である。
彼は、アルドの「完璧な日常」を崩壊させるためには、外部からの物理的干渉ではなく、内部からの精神破壊こそが最適解だと計算したのだ。
『いかに強大な存在であろうと、夢の中では無力な赤子も同然。貴様の精神を最も残酷な悪夢でズタズタに引き裂き、二度と目覚めぬ廃人にしてやろう!』
フォベトールは、漆黒の靄のような実体のない姿へと変異し、次元の壁をすり抜けて黄金の城塞の中庭へと降下した。そして、無防備に眠るアルドの額に音もなく触れ、彼の「精神世界(夢の中)」へとダイブを敢行した。
――ズブゥゥゥゥンッ……!!
(さあ、まずは貴様の心の中にあるトラウマを引き摺り出し、地獄の業火と無数の亡者に追われる悪夢の世界を構築して……)
フォベトールは、アルドの夢の中に侵入し、そこで自らの権能である「悪夢の具現化」を行おうとした。
しかし。
フォベトールがアルドの精神世界で目を開けた瞬間、彼を待っていたのは「地獄」ではなく、狂気的なまでの「圧倒的ユートピア」であった。
『な、なんだこの空間は……ッ!?』
フォベトールの目の前に広がっていたのは、地平線の彼方まで続く、ふかふかのマシュマロでできた大地。空からは温かいホットミルクの雨が優しく降り注ぎ、空気は焼きたてのパンと甘いハチミツの香りで満たされている。
そこには、恐怖も、不安も、闘争心も、一切の「負の感情」が存在しなかった。ただひたすらに、優しくて、柔らかくて、ぽかぽかとした「アルドの理想の平穏」が、無限の宇宙規模で広がっていたのだ。
『ば、馬鹿な! 人間の無意識には、必ず恐怖や不安の影が存在するはずだ! なぜ、これほどまでに純度百パーセントの「平穏」だけで精神が構成されているのだ!?』
フォベトールはパニックに陥り、自らの魔力を振り絞って、この夢の中に「業火に燃えるドクロの怪物」を召喚しようと試みた。
『出でよ! 絶望の眷属たちよ! この忌まわしいお花畑を焼き尽くせ!』
ボワァァァァッ! と、フォベトールの周囲に漆黒の炎が燃え上がった。
しかし、その炎から具現化したのは、恐ろしい怪物ではなく……「フリフリのエプロンを着た、つぶらな瞳の子犬たち」であった。子犬たちは「キャンキャン!」と嬉しそうに鳴きながら、フォベトールの足元にすり寄ってきた。
『は……!? な、なぜだ! 我が悪夢の魔術が、こんな……こんなモフモフした生物に変換されるなど……ッ!?』
フォベトールは信じられない光景に後ずさりした。
アルドの精神世界が持つ「平穏の事象圧縮力」は、夢魔王の悪夢すらも「アルドが心地よいと感じる存在」へと強制的に自動変換してしまうほどの、絶対的な防壁として機能していたのだ。
『や、やめろ……。私の、私の絶望のオーラが……この圧倒的な優しさと温もりの中で、ドロドロに溶かされていく……ッ。精神が、白紙に漂白されて……眠い……ひどく、眠い……』
フォベトールの精神は、アルドの夢が放つ「究極のヒーリング効果」に抗うことができず、次第に自我を失い、ふかふかのマシュマロの大地にへたり込んでしまった。
――そして、現実世界の中庭では。
アルドは、眠りながら寝返りを打ち、無意識に腕を伸ばした。
「んん……。なんか、すごくモフモフした『抱き枕』があるなぁ……。温かくて気持ちいい……」
アルドが寝ぼけ眼のまま、ガシッと腕の中に抱き込んだのは、夢の世界へのダイブに失敗し、現実世界で実体化してしまっていたフォベトールの本体(漆黒の靄から、実体のある黒い羊のような姿へと変異していた)であった。
『ヒギャァァァァァッ!?(は、離せ! 貴様、眠りながら私を物理的に抱きしめるなど……! しかも、この腕のホールド力、神の力でも抜け出せんッ!)』
フォベトールは現実世界でもがいたが、アルドの『事象改変の寝技(絶対に逃さないハグ)』の前に完全に拘束されてしまった。
「よしよし……。いい子だねぇ……。ふわふわで、最高の抱き枕だ……スゥ……」
アルドは、夢魔王の毛並みに顔を埋め、さらに深く、幸せそうな寝息を立て始めた。
その瞬間、アルドの体温と無意識の事象浄化オーラが、フォベトールの肉体に直接流れ込んだ。
『ア……ァァ……。ダメだ……。私の……宇宙最悪の夢魔王としてのプライドが……この青年の、圧倒的な寝顔とハグの前に……完全に、屈服させられる……。あぁ、なんて温かいんだ……。もう、悪夢なんてどうでもいい……。このまま、永遠に抱かれて眠っていたい……』
フォベトールは、アルドの腕の中で完全に抵抗を諦め、つぶらな瞳をトロンとさせながら「メェェ……」と可愛らしい羊の鳴き声を上げて、共に深い眠りへと落ちていった。
数時間後。
城塞のテラスでお茶を飲んでいたアーキヴァルとゼフィロスは、世界樹の木陰で起こったその一部始終を、言葉を失ったまま見つめていた。
「……先輩。アルド様が抱きしめて寝ているあの黒い羊、神話に登場する絶望の夢魔王フォベトールですよね?」
ゾルタンが、震える指でメガネを押し上げながら確認する。
「ええ。間違いありません。記録完了。『第四十六種・絶望の夢魔王の強制添い寝(ただのお昼寝)』。対象:ナイトメア・キング。結果:アルド様の夢の中の圧倒的な平穏に敗北し、現実世界でも極上の抱き枕(安眠サポートペット)へとジョブチェンジ」
アーキヴァルは、手帳に静かにペンを走らせ、深い感息を漏らした。
「これで、我々は物理的な脅威だけでなく、精神的な悪夢の脅威からも完全に解放されました。あの羊がいる限り、この城塞の住人は永遠に『最高の初夢』レベルの安眠を保証されることでしょう」
「……寝ている間すら、無意識に宇宙の脅威をペットにしてしまうとは。アルド殿の『平穏への執着』は、いかなる神の権能よりも恐ろしいな」
レイヴンが、自分のコート(柔軟剤スライムのおかげでいい匂いがする)を羽織りながら、呆れたように、しかし心底リラックスした顔で笑った。
「んぁ……。よく寝たぁ。この新しい抱き枕、すごくふわふわで最高だったよ。ポチとイルカさんの新しいお友達だね!」
アルドが目を覚まし、腕の中の黒い羊(元・夢魔王)の頭をポンポンと撫でる。
『メェェ〜♪(はい、ご主人様! 最高のアフタヌーン・スリープを提供します!)』
フォベトールは、すっかり毒気を抜かれた顔でアルドの頬にすり寄った。
最強の便利屋の「ただのお昼寝」は、大宇宙の精神世界を脅かす夢魔王を、ただの「ふわふわの抱き枕」へと文字通り抱き潰し、黄金の城塞に、起きている間も眠っている間も、決して破られることのない究極の安らぎをもたらしたのであった。
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