第45話:ただの洗濯と、多次元呪厄神のトントン洗い
第45話:ただの洗濯と、多次元呪厄神のトントン洗い
黄金の城塞に、抜けるような青空と心地よい春風が吹き抜ける、あるうららかな休日の朝。
日だまり郷の気候は、元・太陽神アポロン(現在は温室兼・日照管理の全自動ヒーター)と大精霊女王ティターニアの完璧な連携により、常に人間にとって最も過ごしやすい「ポカポカの春」または「涼しい初夏」の絶妙なバランスに保たれている。
城塞の中庭では、大宇宙の終焉を司るアラクネ(現在はアルドの専属仕立て屋)が、世界樹ユグドラシルの木陰で、自らの「終末の糸」を使って優雅に夏服の新作コレクションを編み上げていた。
「いやあ、今日も本当にいい天気だ。風も適度にあるし、絶好の『お洗濯日和』だね!」
アルドは、新緑の匂いが混じる風を胸いっぱいに吸い込み、エプロンの紐をキュッと結び直した。
「最近、みんな畑仕事(元・混沌魔軍の農地開拓)や修行(剛拳修道会の滝行)で、服を泥だらけにして帰ってくるからなぁ。アラクネさんが作ってくれた丈夫な服とはいえ、汚れをそのままにしておくのは生地によくない。よし、今日は全員分の服をまとめて綺麗にしよう!」
アルドは、城塞の巨大な脱衣カゴから、山のような衣服を抱え上げ、中庭の端にある「精霊の池(大精霊女王と海神の遊び場)」へと向かった。
そして、作業小屋から「洗濯板」と「固形石鹸」を持ち出してくる。
――言うまでもないが、それらは決してただの洗濯道具ではない。
アルドが手にしている洗濯板は、先日、創世神アルファ・オメガが「暇つぶしの彫刻細工です」と置いていった『創世の石版(大宇宙の物理法則が全て刻み込まれた絶対真理の石板)』である。そして固形石鹸は、世界樹の樹液と精霊界の極純水をベースに、アルドが事象圧縮のオーラで練り上げた『概念漂白の神塊』であった。
「よし、この辺の岩場で洗おう。……おや?」
アルドは、洗濯物の山の中から、レイヴンが愛用している漆黒のコートを取り出し、その背中の部分に付着している「ドス黒いシミ」のようなものを見つけて首を傾げた。
「なんだこのシミは。泥汚れじゃないな……すごく嫌な匂いがするし、なんだかシミ自体がウネウネ動いているような……。しぶとい油汚れかな?」
アルドの驚異的な「日常フィルター(事象の誤認)」は、その恐るべき存在を単なる「ガンコな油汚れ」として処理していた。
しかし、そのシミの正体は油汚れなどではない。
それは、大宇宙の次元の狭間に巣食い、無数の並行宇宙を呪いと絶望で食い潰してきた『多次元呪厄神マリス』の分体であった。マリスは、この日だまり郷から放たれる圧倒的なマナに惹きつけられ、レイヴンが外をパトロールしている隙に、次元の壁を透過してコートに張り付いていたのだ。
このまま放置すれば、呪厄神はコートを触媒にして城塞全体に「絶対死の呪い」を撒き散らし、神々すらもドロドロの汚泥に変えてしまう手はずであった。
『フフフ……。愚かな人間どもめ。我が呪縛はすでにこの布地に完全に定着した。いかなる神の浄化魔法であろうと、この多次元に絡みついた呪いを解くことは不可能……。さあ、絶望の泥に沈むがい……』
呪厄神マリスが、コートの中から禍々しい笑い声を上げようとした、まさにその瞬間。
「こういうガンコな汚れには、やっぱり昔ながらの『トントン洗い』が一番だね! よーし、綺麗にするぞー!」
アルドは、呪厄神が潜むコートを、創世の石版(洗濯板)の上にバサッ!と広げた。
「そぉいッ!!」
――ゴリッ、バキバキバキィィィィンッ!!!!
アルドが、概念漂白の石鹸をシミ(呪厄神)にこすりつけ、石板の凹凸に押し付けて、親指の付け根で全体重を乗せて「ゴシゴシッ!」と力強く擦り上げた。
その瞬間、大宇宙の物理法則を刻んだ石板の表面と、アルドの「汚れを落とす」という事象改変オーラが激しく摩擦を起こし、次元の狭間に隠れていた呪厄神の本体が、文字通り「布地の繊維の間から物理的に引きずり出される」という異常事態が発生した。
『ギ、ギャァァァァァァァァァッ!?!?』
マリスは、かつて経験したことのない激痛と暴力に、次元を超えた絶叫を上げた。
『な、何事だ!? 我が、多次元に分散させていた不可視の呪詛が、ただの石の板でゴリゴリと削り取られていく!? 痛い! 痛いィィィッ! 概念が物理的に摩擦されているゥゥゥッ!』
「おっ、やっぱり泡立ちがいいな。でも、汚れの根が深いみたいだ。こういう時は、しっかり叩いて汚れを浮かさないとね!」
アルドは、石鹸の泡にまみれて「やめてくれ」と懇願するシミ(マリス)を一切意に介さず、コートを丸めて石板の上に置き、木製の洗濯棒(※神竜の角を削ったもの)を高く振り上げた。
「よーいしょ、よーいしょ! トントン、トントン!」
ズドォォォン! ズドォォォン!! ズドォォォン!!!
アルドが洗濯棒を振り下ろすたびに、精霊の池の水面が爆発したように跳ね上がり、黄金の城塞全体が地震のように激しく揺れた。
その一撃一撃は、星を砕く物理的破壊力と、「不浄を絶対に許さない」というアルドの無慈悲なまでの清潔への執念が込められている。
『ホギャァァァァァァッ!? やめ……! 叩かないでッ! 我が、我が数億年かけて集めた全宇宙の絶望と悪意が、ただの石鹸の泡と打撃によって「フローラルな香り」へと強制的に書き換えられていくゥゥゥッ!?』
呪厄神マリスの怨念は、アルドのトントン洗いの前に手も足も出ず、文字通り「シミ抜き」されるかのように、コートの繊維から一滴残らず弾き出されてしまった。
「ふう、こんなもんかな。よし、あとは精霊の池の綺麗な水でしっかりすすいで……と」
アルドは、完全に漂白されて意識を失いかけているマリス(泡の塊)ごと、コートを精霊の池にザブンと沈め、ジャブジャブと豪快にすすいだ。
池の中では、大精霊女王ティターニアと海神リヴァイアサンが、アルドの洗濯を手伝うように、極上の清流の渦を作り出してコートを優しく揉み洗いしてくれる。
「うん! すっごく綺麗になった! しかも、なんだかすごくいい香りがするぞ。柔軟剤を入れたみたいだ」
アルドがコートを引き上げると、そこには新品以上の輝きと、大宇宙の星雲を思わせる深い漆黒を取り戻したレイヴンのコートがあった。
そして、アルドの足元の水たまりには、かつて多次元呪厄神と呼ばれた禍々しい怪物が、アルドの洗濯によって完全に概念を漂白され、プルプルと震える「ラベンダーの香りがする、透明で可愛らしいスライム(芳香精霊)」へと姿を変えてうずくまっていた。
『キュゥゥ……(ワタシ、モウ誰モ呪ワナイ……。洗濯物ヲ、イイ匂イニスル妖精トシテ生キテイク……)』
元・呪厄神は、アルドの圧倒的な家事力の前に完全に心を砕かれ、自ら進んで「柔軟剤マスコット」としての新たな生を受け入れたのである。
「あはは! なんかいい匂いのするスライムがいるな。洗濯のお手伝いをしてくれたのかな? ありがとうね!」
アルドは、ニコニコと笑いながら、柔軟剤スライムの頭を優しく撫でた。
その光景を、中庭の木陰で冷や汗を流しながら見つめていたクランの面々。
「……見ましたか、ゾルタン。多次元を脅かす不可視の呪いが、物理的な洗濯板の摩擦と棒の打撃によって、柔軟剤にクラスチェンジしましたよ」
アーキヴァルが、手帳にペンを走らせる手が小刻みに震えているのを隠しきれずに言った。
「え、ええ……。記録完了。『第四十五種・多次元呪厄神のトントン洗い(ただの洗濯)』。対象:宇宙の呪いマリス。結果:アルド様の洗濯板で概念ごとゴリゴリと削り落とされ、フローラルな香りのマスコットへと強制更生」
ゾルタンは、自分の服の袖をギュッと握りしめ、「私の服にシミがついていなくて本当に良かった」と心底安堵の息を漏らした。
「アルド殿にかかれば、宇宙の呪いすらも『ガンコな油汚れ』と同列の処理をされるということか。……俺のコートが、買った時より数万倍の防御力を得て返ってきそうだ。ありがたく着させてもらおう」
レイヴンが、干されていく自分のコートを見上げながら、深い感謝の念を込めて合掌した。
「おーい! みんなの服も綺麗に洗えたよー! 太陽神の光と風の精霊のおかげで、すぐに乾きそうだよ!」
アルドの明るい声と、パンパンとシワを伸ばす心地よい音が、春の中庭に響き渡る。
最強の便利屋の「ただのお洗濯」は、多次元に跨る宇宙の呪いを、ただの「良い香りのする柔軟剤スライム」へと文字通り洗い流し、黄金の城塞の住人たちに、究極の清潔と平穏をもたらしたのであった。
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