第43話:ただの衣替えと、終末の織手の強制仕立て直し
第43話:ただの衣替えと、終末の織手の強制仕立て直し
大宇宙の法則を根底から書き換え、ありとあらゆる次元の覇者や神々をご近所さん(あるいは家事手伝い)として取り込んでしまった日だまり郷――『黄金の城塞』に、本格的な春の陽気が訪れていた。
城塞の中庭にそびえ立つ超絶巨木『世界樹ユグドラシル』は、新緑の葉をキラキラと輝かせ、その足元にある精霊の池では、深淵の海神リヴァイアサン(イルカさん)と神竜ポチが、大精霊女王ティターニアが作り出す水しぶきを浴びて楽しそうに昼寝をしている。
地下では元・魔界大帝サタナスが「春はボイラーの温度調節が肝心ですからな!」と腕を捲り、屋根の上では戦乙女レギンレイヴが心地よい春風を全身に受けて優雅に風見鶏の職務を全うしていた。さらには、先日「画商」として住み着いた並行宇宙の観測者アイオーンが、アルドの描いた風景画を城塞の回廊に並べては、無数の目玉から感動の涙を流している。
もはやこの城塞は、マルチバースのどの並行宇宙を探しても絶対に存在し得ない、狂気と奇跡が完璧なバランスで調和した「究極のユートピア」と化していた。
そんな春うららかなある日の午前中。
城塞の主であるアルドは、自室の巨大なクローゼット(※元々は王都の宝物庫の扉を再利用したもの)の前で、衣類を引っ張り出して腕を組んでいた。
「いやあ、すっかり暖かくなってきたな。そろそろ分厚い冬服をしまって、春服を出さないと。衣替えの季節だね」
アルドは、冬の間に着込んでいた手編みのセーターや分厚いコートを畳み、代わりに薄手のシャツや麻のズボンを取り出していく。
「おや? この春用のカーディガン、袖のところが少しほつれてるな。去年、畑仕事の時に枝に引っ掛けちゃったんだった。このまま着たら穴が大きくなっちゃうし、今のうちに直しておこう」
アルドは、部屋の隅から愛用の『裁縫箱』を持ち出してきた。
――言うまでもないが、彼が「ただの裁縫箱」と呼んでいるその木箱の中身は、世界を滅ぼしかねない神造アーティファクトの塊である。
針は、かつて天界の神々が魔界の扉を縫い閉じる際に使用した『次元縫いの銀針』。糸は、運命の女神モイラが「年越しそばのつなぎ」の余りとして置いていった『大宇宙の運命の糸』。そしてハサミは、同じくモイラが愛用していた、あらゆる概念を断ち切る『断絶の金鋏』である。
「よしよし。糸を針に通して……と。こういう細かい作業は、意外と好きなんだよね」
アルドが鼻歌交じりに、ほつれたカーディガンの袖に針をチクチクと刺し始めた、まさにその時である。
――ギリリリリリッ……!!
黄金の城塞の上空、春の青空が広がっていた空間そのものが、まるで古びたセーターの糸が解けるように、不自然に「解れ」始めた。
青空の裏側から覗いたのは、星も光も存在しない、絶対的な虚無の暗闇。
そして、その「空間のほつれ」から、巨大な八本足と、妖艶な女性の上半身を持つ恐るべき異形の神が、ズルリと這い出してきたのである。
『フフフ……。見つけたわ。全ての運命の糸が絡み合い、停滞している忌まわしき特異点。大宇宙の理を狂わせる小賢しい城塞よ』
彼女の名は、アラクネ。
大宇宙の終焉を司る『終末の織手』。
運命の女神モイラが「運命を紡ぐ者」であるならば、彼女は「紡がれた運命と空間を全て解きほぐし、宇宙を元の『無』へと還す者」である。彼女がその八本足から放つ「終末の糸」は、触れたあらゆる物質、魔力、次元、果ては時間そのものをも解体し、ドロドロの素粒子へと分解してしまうという、防ぐことの不可能な絶対消滅の権能を持っていた。
「な、なんだあの禍々しい蜘蛛の化け物は!? 空が……空の空間そのものが、糸のように解かれていっているぞ!?」
中庭で落ち葉を掃いていた元・魔法国王ゼフィロスが、上空の異変に気づいて腰を抜かした。
「おぉぉ……! あれは神話の古文書に記された、宇宙の寿命が尽きる時にのみ現れる『終末の織手』! なぜ、星の寿命が延びたばかりのこの星に……! はっ、アルド様がマルチバースの理をオモチャにしすぎたせいで、宇宙の自浄作用がバグを起こしてしまったのですわ!」
戦乙女レギンレイヴが、風見鶏の定位置から絶叫する。
『さあ、全ての法則よ、運命よ、形あるものよ! 私のこの「終末の糸」によって、美しき無へと還るがいいわァァァッ!』
アラクネが妖艶に微笑みながら、両手と八本足から、漆黒の極細の糸をシャワーのように地上の黄金の城塞へと放ち始めた。
その糸が触れた瞬間に、城塞のオリハルコンの屋根がシュルシュルと音を立てて糸屑のように解体され始める。このままでは、数分と経たずに城塞ごと星が分解されてしまう。
絶対絶命の危機。
その時、自室の窓をガラッと開けて、アルドが顔を出した。
「おや? なんか外が騒がしいな。……うわっ! なんだか空から黒い糸がたくさん降ってきてるぞ!」
アルドは、空中で漆黒の糸を操りながら高笑いしている巨大なアラクネの姿を見上げた。
「あの人、すごい数の糸を操ってる! しかも、手足が八本もあるように見える衣装……! もしかして、春の新作の服を作りに来てくれた『仕立て屋の職人さん』かな!?」
アルドの驚異的なポジティブ思考と勘違いは、今回も大宇宙の終末兵器を「ちょっと奇抜なファッションの出張お直し職人」へと強制的に変換してしまった。
「おーい! 仕立て屋さーん! ちょうどよかった! 今、春服の衣替えをしてて、ほつれを直してたんですけど、プロの職人さんが来てくれるなら手伝ってもらえませんかー!?」
アルドは、手に縫いかけのカーディガンと『裁縫箱』を持ったまま、テラスへと飛び出した。
『……ハ? 誰が仕立て屋よ!? 私は終末の……え?』
アラクネがアルドの姿を捉えた瞬間、彼女の放っていた「終末の糸」が、アルドの周囲数メートルの空間に触れた途端に、フニャフニャと力を失い、ただの「ちょっと質の良い黒い毛糸」へと物質的に劣化してしまった。
アルドから無意識に放たれる『圧倒的な平穏の事象改変オーラ』が、「宇宙を終わらせる」というアラクネの凶悪な概念を、「洋服の生地になる」という極めて日常的で無害な概念へと上書きしてしまったのだ。
「うわぁ、近くで見るとすごく艶があって綺麗な黒い糸ですね。シルクかな? これで服を仕立てたら、すごく着心地が良さそうだ!」
アルドは、自分の足元に落ちてきたアラクネの「終末の糸」を無造作に拾い上げ、指でクルクルと弄んだ。宇宙を消滅させる猛毒の糸が、アルドの手の中ではただの高級素材として扱われている。
『ば、馬鹿な!? 私の絶対分解の糸が、ただの繊維になっているだと!? き、貴様、何者よッ!』
アラクネはパニックに陥り、さらに大量の糸をアルドに向けて射出したが、アルドはそれらをモイラの『断絶の金鋏』でシャキシャキと手際よく切り揃え、束ねていく。
「あ、職人さん、そんなに一気に糸を出したら絡まっちゃいますよ! ほら、僕が今直してるこのカーディガンの袖、職人さんのその丈夫な糸で縫い直してもらえませんか? 僕の素人仕事じゃ、やっぱり心許なくて」
アルドは、テラスからジャンプして(※事象改変による空中歩行)、上空に浮かぶアラクネの目の前までやってくると、ほつれたカーディガンと『次元縫いの銀針』を、アラクネの手に強引に押し付けた。
『な……え……!?』
「僕はこっちのズボンの裾上げをするから、職人さんはそのカーディガンをお願いね! 一緒に春の準備をしよう!」
アルドの「一緒に作業しよう!」という、有無を言わさぬ純粋な暴力(同調圧力)に巻き込まれ、アラクネの体内を流れる破壊の衝動が、強制的に「職人としてのクリエイティビティ」へと変換されていく。
『あ、ああ……!? なんだ、この針は……! 私の指が、勝手に動く……!? しかも、この針で縫い付けるたびに、私の「終末の糸」が、布地と完全に同化して、絶対に解けない強靭な「創造の織物」へと変わっていく……!』
アラクネは、涙目になりながら、アルドに押し付けられたカーディガンの袖を、猛烈なスピードでチクチクと縫い直し始めた。
彼女が破壊のために紡いだ糸は、アルドの「服を直す」という意思と、次元縫いの銀針の力によって、大宇宙のいかなる攻撃にも耐えうる『絶対不壊の神装甲』へと縫い上げられていくのだ。
「すごい! さすがプロだ! 八本も手足があるから、作業がものすごく早いね! 縫い目も完璧だ!」
アルドが横で拍手をして褒めちぎる。
『や、やめろ……! 私を褒めるな……! 私は宇宙を滅ぼす存在……なの、に……。どうしてこんなに、縫い物が楽しいの……!? もっと、もっと美しい服を仕立てたい……!』
アラクネの凶悪だった瞳が、完全に「服飾デザイナーの狂気と情熱」へと染まり上がった。
彼女は、カーディガンの修繕を数秒で終えると、自らの体から無尽蔵に「終末の糸(改め、究極のシルク)」を放出し、アルドの体型に合わせた完璧なデザインの「春の新作ジャケット」を、空中で編み上げ始めたのである。
「わあ! 僕の新しい服まで作ってくれるの!? ありがとう、仕立て屋さん!」
数分後。
テラスの床には、力尽きてゼェゼェと息を切らすアラクネと、彼女が仕立てた、宇宙の星雲を思わせる美しい漆黒の春物ジャケットを羽織り、ご機嫌でポーズを決めるアルドの姿があった。
「ぴったりだ! 着心地も最高だし、風通しもいい! さすがプロの仕立て屋さんだね!」
『ハァ……ハァ……。ど、どうだ……。私の……最高傑作は……。宇宙の法則の全てを織り込んだ、絶対に破れない、究極の……春服だわ……』
アラクネは、自分が宇宙を滅ぼす代わりに「一着の服」を完璧に仕立て上げたという、異常なまでの達成感と疲労感に包まれ、テラスに大の字になって倒れ込んだ。
「うん、すごく気に入ったよ! 職人さん、もしよかったら、これからも僕やみんなの服を仕立ててくれないかな? 報酬は美味しいご飯と、この城塞のふかふかのベッドだよ!」
アルドがニコニコと手を差し伸べる。
『……ふっ。宇宙を無に還すより、貴方のような規格外のモデルの服をデザインする方が、よほど刺激的で面白そうだわ……』
アラクネは、アルドの手を取り、妖艶に、しかし憑き物が落ちたような清々しい笑顔で立ち上がった。
『謹んでお受けするわ、我が創造の主。このアラクネ、これより貴方の「専属・オートクチュール仕立て屋」として、最高のコレクションを紡ぐことを誓いましょう!』
その様子を、リビングから遠見の魔導具で眺めていたアーキヴァルとゾルタン。
「……終わりましたね。宇宙の終末が、春の新作コレクション発表会にすり替わりました」
アーキヴァルが、手帳に羽ペンを走らせながら、深く溜息をつく。
「記録完了。『第四十三種・終末の織手の強制仕立て直し(ただの衣替え)』。対象:大宇宙の終焉アラクネ。結果:アルド様のほつれた服を直させられ、物作りの喜びに目覚めて専属のファッションデザイナーへとジョブチェンジ」
「……ついに、アルド殿の着ている服が、大宇宙の法則そのものを素材にした絶対装甲になってしまったな。もはや、彼に傷をつけることは、宇宙そのものを破壊するよりも難しくなったということだ」
レイヴンが、自分の着ているボロボロのコートを見下ろし、「俺も少しほつれを直してもらおうかな」と真顔で呟いた。
「おーい! みんなも冬服の整理が終わったら、仕立て屋さんに採寸してもらおうよ! 今年の春はオシャレにいこう!」
アルドの明るい声が、春の陽光が降り注ぐ中庭に響き渡る。
最強の便利屋の「ただの衣替え」は、宇宙を終わらせる究極の脅威を、凄腕のファッションデザイナーへと転職させ、黄金の城塞の住人たちの「春の装い」を、文字通り大宇宙最強の防具へとアップデートしてしまったのであった。
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