第4話:元将軍の薪割りと、魂を癒す黄金のポタージュ
### 第4話:元将軍の薪割りと、魂を癒す黄金のポタージュ
日だまり郷の朝は、規則正しい薪割りの音で幕を開ける。
パーン、パーンと、小気味よく、寸分の狂いもない間隔で響く乾いた音。
アルドの丸太小屋の裏手で斧を振るっているのは、筋骨隆々とした体躯に歴戦の傷跡を刻んだ男――レイヴンである。
「よし。今日の分はこれくらいで十分だろう」
レイヴンが額の汗を拭いながら息をつくと、彼の足元には、まるで定規で測ったかのようにミリ単位で大きさが揃えられた薪の山ができていた。
彼が使っているのは、アルドが「刃こぼれしているから気をつけてね」と渡した、年季の入ったただの鉄の斧だ。しかし、レイヴンがそれに無意識の内に神気すら帯びた『剣気』を纏わせることで、硬い樫の木すら豆腐のように両断されていた。
レイヴンは、かつて西の大帝国で『千剣の将』と恐れられた最高位の軍人であった。
血と泥にまみれ、国家の非情な命令のままに数万の敵兵を屠り、味方からも「心を持たぬ殺戮兵器」と畏怖された男。だが、度重なる暗闘と裏切りに精神をすり減らし、ついには致死の呪いである『深淵の腐食』をその身に受けて部隊から捨てられた。
死に場所を求めて辺境を彷徨っていた彼を救ったのは、他でもないアルドである。
『ひどい怪我だね。熊にでも襲われたのかい? とりあえず、温かいものでも食べて休むといい』
行き倒れていたレイヴンに、アルドは平然とそう声をかけた。
警戒し、最後の力を振り絞って放ったレイヴンの『絶剣のひと太刀』を、アルドは「おっと、足元がふらついているね。危ないよ」と、持っていたおたまでカキンと弾き返したのだ。
あの瞬間の絶望と、その後に振る舞われたスープのあまりの温かさを、レイヴンは生涯忘れることはないだろう。
「レイヴン、おはよう! いつもありがとう。本当に君は薪割りが上手だね。助かるよ」
小屋の窓が開き、アルドが顔を出した。腰にはいつものお手製エプロンが巻かれている。
「もったいないお言葉です、アルド殿。このレイヴン、貴方様の平穏な朝を温めるための薪となるならば、この命など安いもの」
「あはは、大げさだなぁ。薪割りだけで命なんてかけなくていいからね。さあ、みんなを呼んでおいで。朝ごはんができたよ。今日は、昨日獲れたジャガイモで作った特製ポタージュだ」
アルドの言葉に、レイヴンは最敬礼をして小屋へと向かった。
――食卓には、すでにクランの面々が揃っていた。
記録係のアーキヴァル、暗殺者のシノン、そして賢者のエルミナ。彼らは皆、外の世界では国家を揺るがすほどの力を持つ怪物たちだが、この丸太小屋の食卓では、借りてきた猫のようにおとなしく座っている。
「お待たせ。熱いから気をつけてね」
アルドがテーブルの中央に大きな鍋を置き、木のお椀にたっぷりとポタージュを注いでいく。
黄金色に輝く濃厚なスープからは、バターの豊かな香りと、大地そのものの恵みを凝縮したような甘い匂いが立ち上っていた。
レイヴンは、自分の前に置かれたお椀を両手で包み込むように持ち上げた。
実は最近、彼の体には異変が起きていた。かつて受けた『深淵の腐食』の呪いが、徐々に再発の兆しを見せ、夜な夜な古傷が焼け付くように痛むのだ。王都の最高位の神官ですら「進行を遅らせるのが限界」と匙を投げた不治の呪い。
(……私の命も、長くないかもしれない。だが、最期の瞬間まで、この平穏な村の盾でありたい)
そんな密かな決意を胸に秘め、レイヴンはポタージュを一口、口に含んだ。
「――ッ!?」
滑らかな舌触りとともに、ジャガイモの優しい甘みが口いっぱいに広がる。
だが、次の瞬間、レイヴンは見開いた目からボロボロと大粒の涙をこぼした。
「レイヴン!? どうしたの、熱かったかい!?」
「い、いえ……っ、アルド殿……これは、一体……!」
レイヴンの体内で、劇的な変化が起きていた。
アルドが使ったジャガイモは、大地の精霊たちが彼の魔力にあやかろうと集まり、文字通り「精霊の祝福」を限界まで吸い込んだ超規格外の霊薬へと変貌していたのだ。
温かいポタージュが食道を通って胃に落ちた瞬間、内臓にこびりついていた真っ黒な呪いの瘴気が、朝日に照らされた霜のようにシュゥゥゥと音を立てて消滅していく。
痛みが、消える。
何年も彼を苦しめてきた死の呪縛が、ただの「美味しいスープ」によって、根こそぎ浄化されてしまったのだ。
「ああ……あぁぁ……」
レイヴンは声にならない嗚咽を漏らしながら、スープを飲み進めた。一口飲むごとに、戦場で凍りついていた彼の心が、魂の奥底から温められていく。
隣に座っていたエルミナが、スプーンを震わせながらアーキヴァルに耳打ちした。
「見ましたか、アーキヴァル。アルド様のスープが放つ『神聖浄化』の光を……。深淵級の呪いを、ただの朝食で完全に消し去るなんて……」
「ええ。記録しておきましょう。『第四種・奇跡の顕現(ポタージュ味)』。アルド様の慈悲は、生死の理すらも容易く凌駕する、と」
アーキヴァルもまた、興奮で震える手でポタージュを口に運び、その圧倒的な生命力の上昇に目を細めていた。
「レイヴン。あんまり無理して食べなくていいんだよ? 薪割りで疲れが溜まっていたんだね。今日はゆっくり休むといい」
アルドは、号泣しながら鍋の底まで舐める勢いでポタージュを平らげたレイヴンを見て、少し心配そうに微笑んだ。
「……アルド、殿……」
レイヴンは椅子から立ち上がり、アルドの前に深く跪いた。
「このレイヴン。我が魂が消滅するその日まで、貴方様の振るう『おたま』と『鍬』の絶対的な盾となることを、改めて誓わせていただきます……!」
「いや、だから大げさだってば。おたまの盾ってなんだよ」
アルドは苦笑いしながら、空になった食器を片付け始める。
最強の便利屋は、自分がたった今、不治の呪いを解呪したという自覚など微塵もない。ただ、「うちの居候たちは、よく泣きながらご飯を食べるなぁ。よっぽど外の生活が辛かったんだな」と、的外れで温かい勘違いをしているだけだった。
太陽が高く昇る。
日だまり郷は、今日も絶対的な強者の庇護と、それに気づかない一人の青年の優しさによって、穏やかな時を刻んでいる。
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