第37話:ただの年越しそば打ちと、運命の女神の糸引き
第37話:ただの年越しそば打ちと、運命の女神の糸引き
黄金の城塞に、年の瀬が迫っていた。
時空神が雪だるまの中で冬眠を始めたことで、大宇宙の時間は「アルドが過ごしやすい、のんびりとしたペース」で流れるようになっていたが、それでも季節の行事というものはやってくる。
「いやあ、今年もあっという間だったなぁ。いろいろな人(神や魔王を含む)が引っ越してきて、すごく賑やかな一年になったよ」
アルドは、城塞の広大なキッチンで、腕まくりをして気合を入れていた。
「一年の締めくくりといえば、やっぱり『年越しそば』だよね。今年は人数も多いし、気合を入れて手打ちそばを作ろう!」
アルドが用意した食材は、当然ながら狂気の沙汰であった。
そば粉は、世界樹ユグドラシルの「生命の果実」をすり潰して乾燥させた『不老不死の神粉』。
つなぎに使う水は、大精霊女王ティターニアが管理する『極純精霊水』。
それらを、アルドの事象改変オーラを込めて、巨大な木鉢(※神竜ポチの抜け落ちた鱗を削り出したもの)の中で力強く捏ね上げていく。
「よいしょ、よいしょ! うーん、粉の質は最高なんだけど、これだけ量が多いと、そばに『コシ』を出すのが大変だな。何か、細くて丈夫な『つなぎ』になるようなものはないかなぁ」
アルドが、生地の弾力に少し不満を抱いて首を傾げた、その時である。
――ピキィィィィンッ……!!
キッチンの空間そのものが、鋭利な刃物で切り裂かれたように真っ二つに割れ、そこから眩い黄金の光と共に、一人の神々しい女性が姿を現した。
目隠し布を巻き、手には巨大な『裁断の金鋏』を持ち、もう片方の手には無数の光り輝く「糸」を束ねた糸車を抱えている。
彼女こそは、大宇宙に生きる全ての神々、悪魔、そして生命体の「運命」を紡ぎ、そして断ち切る絶対神――『運命の女神モイラ』であった。
「……見つけましたよ、大宇宙の特異点。全ての因果を狂わせる冒涜者め」
モイラは、静かな、しかし絶対的な冷酷さを孕んだ声でアルドを睨みつけた。
彼女は現在、深刻なノイローゼに陥っていた。
本来、彼女が紡ぐ運命の糸は、各々の生命体が辿るべき「生と死、栄光と没落」の軌跡を完璧に描き出しているはずであった。しかし、ここ数ヶ月、天界の戦乙女、魔界の大帝、深淵の海神、果ては時空神に至るまで、世界中の「超重要人物」たちの運命の糸が、全てアルドという一つの地点に向かってグルグルに絡み合い、最終的に『アルドの家の庭で茶を飲んで平穏に暮らす』という、全く同じ単調な結末へと強制的に書き換えられてしまっていたのだ。
「私の織りなす壮大な宇宙の叙事詩を、ただの『ご近所付き合い』という喜劇に塗り替えた罪は重い。貴方の存在そのものを、この『断絶の鋏』で根本から切り離し、大宇宙の運命を正常な軌道へと戻してあげましょうッ!」
モイラが、巨大な金鋏を振りかざし、アルドに繋がる「太く輝く運命の糸」をジョキリと切り裂こうとした。
――しかし。
「おっ! その手に持ってるキラキラした細い糸、すごく丈夫そうですね!」
「……え?」
モイラが鋏を振り下ろすよりも早く、アルドが満面の笑顔で彼女の手元を覗き込んできた。
「もしかして、年越しそばの準備を手伝いに来てくれた『製麺所の職人さん』ですか? その糸、つなぎに混ぜたら、ものすごくコシのある美味しいそばになりそう! ちょっと貸してください!」
「は? ちょ、ちょっと、何を言っているのですか!? これは運命の……」
スッ。
アルドは、モイラが後生大事に抱えていた『大宇宙の運命の糸(全生命の因果律の束)』を、まるでただの調理糸でも扱うかのように、ヒョイッと素手で奪い取ってしまった。
「な、あァァァァッ!?」
モイラは目を見開いて絶叫した。運命の糸は、本来であれば実体を持たず、神々ですら触れることのできない概念の塊である。それを、エプロン姿の青年が物理的に鷲掴みにしたのだ。
「よし、これを生地に練り込んで……と。よいしょ、よいしょ!」
アルドは、奪い取った運命の糸を、世界樹の粉と精霊水の生地の中に、容赦なくブチ込み、両手で力強く捏ね始めた。
彼の『事象改変の揉み込み』によって、大宇宙に存在するすべての悲劇、抗えぬ死の運命、そして神々が定めた理不尽な宿命が、ただの「そばのコシ(弾力)」へと強制的に変換されていく。
「や、やめなさいッ! それを捏ねられたら、宇宙の生命体全員の運命が『美味しいそば』になってしまうッ!!」
モイラは半狂乱になってアルドに飛びかかり、手に持っていた『断絶の鋏(対象の概念そのものを切り裂く必殺の神具)』でアルドの腕を切り落とそうとした。
「あ、そうだ! 職人さん、ちょうどよかった。生地が伸びたから、その『大きなハサミ』で、そばを細く切ってもらえませんか? 包丁より均等に切れそうだし!」
「……え?」
モイラが呆然としている隙に、アルドは彼女の手から『断絶の鋏』までをもスポッと抜き取り、それをシャキ、シャキ、と軽快に動かして、薄く伸ばしたそばの生地を等間隔に見事に切り揃え始めた。
「おおっ! このハサミ、すごい切れ味ですね! スパッと切れるから、そばの角が立って最高に美味しそうに仕上がったぞ!」
アルドは、大宇宙の因果を断ち切る神具を「ただのキッチンバサミ」として使いこなし、あっという間に大量の『究極の年越しそば』を完成させてしまった。
「あぁ……。私の、私の数千億年の仕事が……全部、麺類に……」
モイラは、綺麗に切り揃えられたそばの山を見て、ついに膝から崩れ落ち、両手で顔を覆って泣き崩れた。
大宇宙の運命は、アルドの手によって「自由に啜れる美味しいもの」へと完全に再構築されてしまったのだ。
「よし! お湯も沸いたし、さっそく茹でよう! 職人さんも、泣くほどお腹が空いてたんですね。一番に食べさせてあげますからね!」
数分後。
アルド特製のめんつゆ(※深淵の海神の塩と、精霊界の出汁で作った究極の霊液)につけられた、艶やかな年越しそばが、モイラの前に差し出された。
「こんなもの……運命の冒涜です……。私が食べるわけ……」
モイラは涙声で抵抗したが、アルドの「さあ、伸びないうちに!」という圧倒的な善意のオーラに逆らうことができず、震える手で箸を持ち、そばを一口、チュルリと啜った。
――その瞬間。
モイラの体内に、かつてない『解放感』がビッグバンのように弾け飛んだ。
「あ……ぁぁぁぁっ……!!!!」
運命の糸を練り込まれたそのそばは、食べた者に「自分自身の運命を完全に自由に決定する権限」を与えるという、宇宙の理を根底から覆す『絶対自由の神仙食』へと昇華していたのである。
それは同時に、モイラ自身を縛り付けていた「全ての運命を管理しなければならない」という途方もない重圧と呪縛からの、完全なる解放を意味していた。
「美味しい……。なんて、なんてコシがあって、喉越しが良いのでしょう……! それに、この胸の奥から湧き上がる、果てしない自由な感覚……! 私は、私はもう、誰も縛らなくていい! 私自身も、自由になれたのだわ……!」
運命の女神モイラは、そばを啜りながら、顔をくしゃくしゃにして大号泣し始めた。
「うんうん、年越しそばを食べると、一年の悪い因縁(運命)がスッキリ断ち切れるって言うからね! 職人さんのハサミのおかげだよ!」
アルドは、ニコニコと笑いながら、モイラにそば湯を差し出した。
「偉大なる創造主よ……!!」
モイラは、空になったどんぶりを置き、アルドの足元に深く平伏した。
「私めは、これより運命の管理を辞め、貴方様のキッチンの『専属・製麺係およびハサミ研ぎ職人』として、新たな自由な人生を歩むことを誓いますッ!」
「えっ? いや、製麺係って……毎日そばやうどんばかりだと飽きちゃうけど……。でも、うどんを踏む足腰は強そうだし、たまに手伝ってくれるなら助かるかな! よろしくね、職人さん!」
キッチンの入り口で、その光景を目撃していたクランの面々。
「……終わりましたね、大宇宙の因果律が」
アーキヴァルが、年越しそばのどんぶりを片手に持ちながら、静かに手帳にペンを走らせる。
「ええ。記録完了。『第三十七種・大宇宙の運命からの解放(ただの年越しそば)』。対象:運命の女神モイラ。結果:アルド様の手打ちそばに運命を練り込まれ、完全なる自由を獲得し、製麺職人へとジョブチェンジ」
「時空神が雪だるまの中で冬眠し、運命の女神が台所でうどんを踏む。……もはやこの世界に、我々を縛るものは何も存在しないということか。素晴らしい年越しだ」
レイヴンが、ズズッと心地よい音を立ててそばを啜り、満足げに笑った。
「おーい! みんなも冷めないうちに食べてねー! 来年も、のんびり楽しく過ごそう!」
アルドの明るい声が、大晦日の黄金の城塞に温かく響き渡る。
最強の便利屋の「ただの年越しそば打ち」は、大宇宙の全ての生命体を宿命の鎖から解き放ち、誰しもが己の意志で未来を選べるという「本当の意味での平和な新時代」を、一杯の美味しいそばと共に幕開けさせてしまったのである。
アルドの無自覚なDIYと家事は、ついに神々の理すらも完全に消化し、彼が望む究極の「日常」の中へと優しく取り込んでいくのだった。
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