第33話:ただの庭の池作りと、精霊界の完全なる併合
第33話:ただの庭の池作りと、精霊界の完全なる併合
日だまり郷――いや、今や大宇宙の絶対中心地となった『黄金の城塞』に、穏やかで柔らかな春の朝が訪れていた。
城塞の中庭にそびえ立つ、成層圏すら突破する超絶巨木『世界樹ユグドラシル』の枝葉の隙間から、黄金の石畳へと木漏れ日が優しく降り注いでいる。その光景は、神話の神々が住まう天界すらも色褪せるほどの、圧倒的な美しさと神聖さに満ちていた。
しかし、そんな究極の神域の中にあって、城塞の住人たちの朝はひどく世俗的で、のんびりとしたものであった。
「おはようございます、ゼフィロス殿! 今朝の落ち葉掃きも精が出ますな!」
「おお、これは剛拳修道会の長老殿。いやいや、世界樹の落ち葉は一枚一枚が極上のマナを宿しておりますゆえ、これを集めて腐葉土にする作業は、我が魔法国の数千年の研究を凌駕する喜びなのです」
元・魔法国王ゼフィロスと、大陸最強の武道家である長老が、竹箒を片手に笑顔で挨拶を交わしている。その傍らでは、天界の執行官である戦乙女レギンレイヴが、純白のエプロン姿で洗濯物を干し、「今日は風の精霊の調子が良いので、よく乾きそうですわ」と優雅に微笑んでいた。
かつて世界を裏から牛耳り、あるいは恐怖のどん底に陥れていた覇者や神聖存在たちは、アルドが何気なく作成した『絶対回勅(回覧板)』のルールに縛られるどころか、むしろこの上ない平穏と充実感に満たされ、ただの「ご近所さん」として完全に同化してしまっていたのである。
そんな中、城塞の主であるアルドは、中庭の片隅で腕を組み、真剣な顔でウンウンと唸っていた。
「うーん……。世界樹のおかげで立派な日陰ができたのはいいんだけど、なんだかまだ物足りない気がするんだよな」
アルドの視線の先には、巨大な神竜ポチと、先日海から連れ帰ってきた深淵の海神リヴァイアサン(アルド命名:イルカさん)が、ゴロゴロと昼寝をしている姿があった。
「ポチもイルカさんも、水浴びが好きなはずなんだけど……この城塞の中には、彼らが思いっきり水遊びできるような場所がない。噴水はあるけど、さすがにイルカさんが入るには小さすぎるしなぁ」
アルドは、城塞の景観とペットの住環境という、ごく一般的な「庭造りの悩み」に直面していた。
「よし! 決めた。この中庭の空いているスペースに、大きな『池』を掘ろう! 水草を浮かべて、鯉なんかを泳がせれば、きっと綺麗な日本庭園みたいになるぞ!」
思い立ったら即行動。それがアルドの信条である。
彼は作業小屋から、以前冥界の扉を埋め立てた際にも使用した、お馴染みの『鉄のスコップ(概念排除と事象圧縮を併せ持つ神宝具)』を持ち出してきた。
「この辺りがいいかな。イルカさんが泳ぐには、少し深めに掘らないとね」
アルドは、黄金のオリハルコンの石畳に向かって、一切の躊躇なくスコップを突き立てた。
ザクッ、ザクッ。
神々が数万年かけても傷一つつかない絶対不壊の鉱石が、アルドのスコップの前にまるでプリンのようにえぐり取られていく。アルドから無意識に放射される事象改変のオーラは、空間の硬度という概念そのものを「アルドにとって掘りやすい硬さ」へと自動的に書き換えてしまっているのだ。
「よいしょ、よいしょ。うーん、意外と土が柔らかいな。これならどんどん深く掘れそうだ」
アルドがリズミカルにスコップを振るうたびに、黄金の城塞の地下深くへと、巨大なすり鉢状の穴が形成されていく。
――しかし、彼が掘り進めていたのは、ただの「地面」ではなかった。
この黄金の城塞は、アルドの意思によって星の核と直結した状態で具現化している。そのため、城塞の地下空間は、物質界と、精霊たちが住まう高次元の精神世界『精霊界』との境界線に極めて近い場所に位置していたのである。
「もうちょっと深くしよう。底の方に水脈があれば、そこから水が湧いてくるはずだし」
アルドが、無邪気に、そして無自覚に、さらにもう一掘り、スコップを深々と突き立てた、その瞬間。
――パリンッ!!!
まるで見えない巨大なガラスが割れたような、甲高くも不気味な音が、城塞の中庭全体に響き渡った。
それは、物質界と精霊界を隔てていた『次元の隔壁』が、アルドのスコップによって物理的にぶち抜かれた音であった。
「おや? なんか変な音がしたな。大きな石でも叩いちゃったかな」
アルドが首を傾げた直後。
彼が掘った巨大な穴の底から、目も眩むような七色の光が溢れ出し、同時に、大宇宙の純粋なマナそのものとも言える、圧倒的な密度の『精霊水』が、間欠泉のように大噴出を始めたのだ。
「うわっ!! びっくりした! 水脈を掘り当てたぞ! すごい勢いだ!」
アルドは泥まみれになりながらも、大喜びで穴の縁へとよじ登った。
みるみるうちに、アルドが掘った巨大な穴は七色に輝く純粋な精霊水で満たされ、広大な「池」が完成してしまった。
――だが、事態はそれで終わらなかった。
次元の壁が破壊されたことにより、穴の底(池の底)は『精霊界』と完全に直結してしまったのである。
「…………な、何事ですかァァァァァッ!!?」
池の水面が激しく波立ち、そこから一人の絶世の美女が、悲鳴を上げながら飛び出してきた。
透き通るような白磁の肌に、燃えるような紅の髪、そして水を纏ったような蒼いドレス。彼女の背中には、光の粒子で構成された四対の翅が生えている。
彼女こそは、火、水、風、土の四大精霊を統べる絶対の頂点、『大精霊女王』ティターニアであった。
「わ、我が精霊界の天井が、突然物理的に崩落したかと思えば……信じられない質量のマナが逆流してきて、精霊界が水浸しですわ! い、一体何者がこのような大逆罪を……ッ!」
ティターニアは、水面に浮かびながら、怒りと混乱で肩で息をしていた。
精霊界は、物質界とは異なる法則で成り立つ繊細な世界である。そこに、アルドが掘り当てた水脈(星の核から直接湧き出た究極のマナの液体)が滝のように流れ込み、精霊界は今まさに「歴史上初の大洪水」に見舞われていたのだ。
「あ、ごめんね! 水の勢いが強すぎて、驚かせちゃったかな?」
池のほとりから、泥だらけのエプロン姿の青年が、呑気に手を振ってきた。
「き、貴様……人間……!? まさか、この次元の崩壊は貴様の仕業ですか!」
ティターニアは、アルドをキッと睨みつけた。
「なんという愚かなことを! 精霊界と物質界が直結すれば、次元の圧力が狂い、最悪の場合、この星そのものが空間の歪みに飲み込まれて崩壊してしまいます! いますぐこの穴を塞ぎなさい!!」
大精霊女王が本気で怒りを露わにし、大気を震わせる。その威圧感だけで、城塞の周囲の空間がミシミシと悲鳴を上げた。
しかし。
アルドの目には、大精霊女王の壮絶な怒りも、次元崩壊の危機も、全く別のものとして映っていた。
「うわぁ、すごく綺麗な羽! もしかして、池に住み着いてる『珍しいトンボの妖精さん』かな? それとも水棲のホタル?」
「……ハァ!?」
アルドは、ティターニアを「新しく作った池にたまたま住み着いた珍しい虫(または小動物)」だと完全に誤認していた。
「怒ってるみたいだけど、ごめんごめん。君の住処を水浸しにしちゃったんだね。でも、この水、すごく綺麗だし、泳ぐには最高だと思うんだ。ほら、イルカさんも嬉しそうだよ!」
アルドが指差した先では、深淵の海神リヴァイアサン(イルカさん)が、精霊水の濃密なマナに歓喜し、バシャバシャと楽しそうに水しぶきを上げて泳ぎ回っていた。
「い、イルカ……? あれは、深淵の海神リヴァイアサンではないですか!? なぜ、あのような凶悪な神が、まるで子犬のように腹を見せて泳いでいるのです!?」
ティターニアは、己の常識が粉々に打ち砕かれる光景を目の当たりにし、パニックに陥った。
「そっか、急に水が増えたから、君の家(精霊界)の水の流れが悪くなっちゃったんだね。よし、僕が流れを良くしてあげるよ!」
アルドは、次元崩壊の危機という女王の警告を「水はけが悪いというクレーム」として受け取り、再び作業小屋へと駆け出していった。
「ちょっ、話を聞きなさい! 次元の圧力が……!」
ティターニアの叫びも虚しく、数分後、アルドは自作の巨大な「木製の水車」を担いで戻ってきた。
――当然ながら、その水車を構成している木材は、中庭にそびえ立つ『世界樹ユグドラシル』の枝であり、それを固定している釘は天界の神槍グングニルである。もはや素材の暴力であった。
「これを池の端っこに設置して……よし!」
アルドは、世界樹の水車を池の縁にドスンと設置し、池の底(精霊界)へと繋がる穴に向かって、特製の竹筒(※世界樹の根のストロー)を差し込んだ。
「これで、水がくるくる回って、下の方(精霊界)にも綺麗な空気が送り込まれるはずだよ! えいっ!」
アルドが水車を手で勢いよく回した、その瞬間。
ゴゴゴゴゴゴゴゴッ……!!!!
アルドの作成した『世界樹の水車』が、池の精霊水と、次元の底にある精霊界のマナを、大宇宙の理を超越した凄まじい効率で「循環」させ始めたのだ。
アルドから放射される事象改変オーラが、水車を通じて精霊界全体に行き渡る。
その結果、次元の崩壊を招くはずだったマナの奔流は、完全に制御された「究極のエネルギー循環システム」へと強制的に再構築されてしまった。
「な……な……ッ!?」
ティターニアは、水面に浮かんだまま、己の体内に流れ込んでくる信じられないほど清らかで、無限の力を持つマナのうねりに、完全に言葉を失っていた。
「ど、どういうことですの……。精霊界の淀みや、数万年かけて蓄積した負のエネルギーが、この水車が回るたびに完全に浄化されていく……。それどころか、精霊界そのものの次元の格が、数十段階も引き上げられている……!」
ティターニアの瞳から、ポロポロと大粒の涙が溢れ出した。
彼女は、大精霊女王として、星のマナのバランスを保つという重責を数万年もの間、たった一人で背負い続けてきたのだ。その重圧と孤独は、彼女の心を限界まで擦り減らしていた。
しかし今、目の前の泥だらけの青年が設置した、ただの不格好な水車が、彼女の数万年の苦労を一瞬にして解決し、それ以上の「完璧な循環」をもたらしてしまったのである。
「うん! いい感じに水が回ってるね! これなら水も腐らないし、君の家も快適になるはずだよ。あ、そうだ。妖精さん、お腹空いてない?」
アルドは、ニコニコと笑いながら、エプロンのポケットからタッパーを取り出した。
「昨日焼いたクッキーの残りなんだけど、すごく甘くて美味しいよ。水車のお礼にどうぞ!」
アルドが差し出したのは、世界樹の蜜と天界の牛の乳をふんだんに使った『不老不死の神仙クッキー』である。
「こ、こんなもの……私が……」
ティターニアは、圧倒的な感謝と畏敬の念に震えながら、アルドからクッキーを受け取り、小さく口に運んだ。
サクッ。
――その瞬間、大精霊女王の脳内に、宇宙の真理と究極の多幸感が弾け飛んだ。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ……!!!!」
ティターニアは、もはや女王としての威厳も何もかも投げ捨て、水面に顔を覆って大号泣を始めた。
「美味しい……! なんですの、これ……! 私の数万年の孤独が、この一枚のクッキーの甘さで完全に満たされていく……! あぁ、神様……いいえ、貴方様こそが、真の神……!」
「うんうん、よかった。水遊びの後の甘いものは格別だよね」
アルドは、号泣する大精霊女王の頭を、泥のついた手で優しくポンポンと撫でた。
「偉大なる創造主よ!!」
ティターニアは、水から飛び出し、アルドの足元に濡れたまま平伏した。
「私めは、愚かにも貴方様の神業を次元崩壊などと勘違いしておりました! どうか、どうか私をこの池の『水質管理係』として、末永く貴方様の御側にお仕えさせてくださいませ!」
「えっ? いや、妖精さんが住み着いてくれるなら嬉しいけど……水質管理って、水車があるから大丈夫だよ? でも、イルカさんやポチの遊び相手になってくれるなら大歓迎だよ!」
「はいぃぃぃッ! この命に代えましても、神竜様と海神様の遊び相手を務めさせていただきますッ!」
その日の夕方。
黄金の城塞のリビングにて。記録係のアーキヴァルと、元・大賢者ゾルタンが、遠見の水晶玉を通じて、中庭の様子を無表情で眺めていた。
水晶玉の中では、七色に輝く巨大な池の中で、神竜ポチ、深淵の海神リヴァイアサン、そして大精霊女王ティターニアが、ビーチボール(※疑似太陽)を使って楽しそうにバレーボールをして遊んでいる光景が映し出されていた。
「……先輩。あれ、大精霊女王様ですよね。私、昔文献でしかお顔を拝見したことがありませんが」
ゾルタンが、震える手で眼鏡を直しながら言った。
「ええ。間違いありません。精霊界を統べる絶対の頂点が、今やアルド様のペットたちの『専属シッター』へとジョブチェンジされたようです」
アーキヴァルは、静かに手帳に羽ペンを走らせる。
「記録完了。『第三十三種・精霊界の完全吸収(ただの池作り)』。アルド様のスコップ一振りによって、精霊界は日だまり郷の『地下のろ過装置』として完全に併合されました」
「……もはや、この城塞は一つの宇宙ですね。物質界、天界(戦乙女)、冥界(封印済み)、海界(海神)、そして精霊界までが、あのエプロン姿の青年の『日常』の中に収まってしまった」
二人の記録者が深い溜息をついた直後、リビングの扉がガラッと開いた。
「おーい! みんな、夕ご飯できたよ! 今日は池で釣れた(※間違えて池に迷い込んだ精霊界のヌシ)大きなお魚の塩焼きだよ!」
アルドが、満面の笑顔で大きなお盆を抱えて入ってきた。
「「はいっ!! 喜んで頂戴いたします、我が神よ!!」」
最強の便利屋の「ただの池作り」は、大宇宙の次元の壁を物理的に破壊し、精霊界の全てを自らの庭の「循環システム」へと組み込んでしまうという、前代未聞の創造的破壊によって、世界に新たなる(そして理不尽な)平穏をもたらしたのであった。
アルドの日常は、止まることを知らない。彼が望む「平凡な暮らし」の追求が続く限り、この世界の常識と法則は、限りなく優しく、そして跡形もなく塗り替えられ続けていくのである。
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