第22話:ただの古本整理と、世界の歴史を書き換える虫干し
第22話:ただの古本整理と、世界の歴史を書き換える虫干し
春の陽気が心地よく、日だまり郷に吹き抜ける風が若葉の香りを運んでくる季節。
丸太小屋の庭先に茣蓙を敷き、アルドは山のように積まれた古い書物と格闘していた。
「いやあ、冬の間にずいぶんと湿気を吸っちゃったな。カビが生える前に、しっかり虫干ししておかないと。アーキヴァルの大切な本ばかりだからね」
アルドは独り言を呟きながら、分厚い革張りの本をパラパラと捲り、風通しを良くして茣蓙の上に並べていく。
――当然のことながら、それらの本はただの「古い本」などではない。
記録係であるアーキヴァルが、世界の歴史をアルドの都合の良いように書き換えるための参考資料として集めた、国宝級の魔道書や、神話の時代から伝わる『原初の歴史書(アカシック・レコードの写本)』である。中には、開くだけで常人の精神を破壊する呪いが掛けられた禁書や、厳重な鎖と幾重もの封印魔術で縛られた『世界滅亡の預言書』なども混ざっていた。
「おっ、この本、すごく古くて表紙が開かないな。金具が錆び付いちゃってるみたいだ」
アルドは、禍々しい紫色のオーラを放ち、太いミスリルの鎖でグルグル巻きにされた『奈落の魔典』を手に取った。
そして、「よいしょ」と軽い掛け声を上げながら、素手でその鎖をあっさりと引きちぎり、表紙を強引にこじ開けた。
パァァァァァンッ!!
本に施されていた「触れる者を灰にする絶対封印」が、アルドの指先から放たれる圧倒的な『事象改変の神気』によって、ただの静電気程度の火花を散らして無惨に消滅した。
「ふう、開いた開いた。中は……うーん、文字がびっしりで読めないな。まあ、風に当てておけば湿気も飛ぶだろう」
アルドは、恐ろしい呪詛の叫び声を上げようとした魔典のページを、バサバサと乱暴に振り払い、太陽の光の下へと無造作に放り投げた。陽光とアルドの神聖なオーラを浴びた禁書は、瞬く間にその邪気を浄化され、ただの「少し埃っぽい真っ白なノート」へと漂白されていく。
その信じられない光景を、村の入り口にある巨木の陰から、ワナワナと震えながら見つめている一人の男がいた。
男の名は、ゾルタン。
王都の地下深くに存在する『真理の図書館』の最高責任者であり、王国のあらゆる歴史と機密を管理する「知の頂点」に立つ大賢者であった。そしてかつて、アーキヴァルの上司でもあった男だ。
(……間違いない。ここ数ヶ月、世界の歴史書や運命の記述が、何者かの手によって勝手に書き換えられるという異常事態が起きていた。その震源地は、この名もなき辺境の村……!)
ゾルタンは、片目に装着した国宝『神眼のモノクル』を通して、アルドの行動を注視していた。
(あ、あの大馬鹿者ッ! なんということを……! あれは神話の時代に封印された『奈落の魔典』だぞ! 鎖を素手で引きちぎっただと!? しかも、ページを乱暴に捲るたびに、周囲の世界の因果律そのものが『アルドの無意識』に合わせて書き換えられていく……!)
ゾルタンの目には、はっきりと見えていた。
アルドが本をパタパタと扇ぐたびに、その風に乗って「過去・現在・未来」の事象がポロポロと崩れ落ち、新たに『平穏で平和な歴史』として再構築されていくのが。
彼が「文字が読めない」と呟いた瞬間、その本に記されていた『世界を滅ぼす邪神の真名』という概念そのものが、大宇宙の歴史から完全に削除されてしまったのだ。
「や、やめろォォォォッ!!」
ゾルタンはもはや隠れていることも忘れ、悲鳴を上げながら巨木の陰から飛び出した。
「それ以上、歴史の記述を乱すな! お前がその本を捲るたびに、王都の図書館の蔵書が真っ白になっていくのだぞ! この世界の理を、これ以上壊すなァァァッ!」
血相を変えて駆け寄ってくるゾルタンを見て、アルドはパチクリと目を瞬かせた。
「うわっ、びっくりした。どうしたんですか、突然飛び出してきて」
「貴様、自分が何をしているのか分かっているのか!? それは歴史を司る……」
「あ! もしかして、古本回収の業者さんですか!?」
アルドはポンと手を打った。
「いやぁ、ちょうどよかった! 読めないくらい古い本がたくさんあって、処分に困っていたんですよ。業者さんがわざわざこんな辺境まで引き取りに来てくれるなんて、助かります!」
「……は?」
ゾルタンは、己の言葉を完全に遮られ、ポカンと口を開けた。
アルドはニコニコと笑いながら、先ほど浄化して『ただの白紙の束』にしてしまった奈落の魔典を、ゾルタンの胸にドサッと押し付けた。
「はい、これ。もうカビ臭さは飛んだと思うんですけど、ちょっと日焼けしちゃったかもしれません。引き取ってもらえますか?」
「な……あ……っ……」
ゾルタンがその本を受け取った瞬間。
彼の脳内に、アルドから放たれる『神域の平穏オーラ』と、本から伝わる『絶対的な浄化の波動』が直接流れ込んできた。
(こ、これは……なんという……。私の脳を常に苛んでいた、歴史の矛盾や他者の悪意の記憶が……全て、優しく白紙に戻されていく……)
知識の探求こそが至高だと信じ、常に世界の裏側に潜むドロドロとした陰謀を管理し続けてきたゾルタン。彼の心は、限界まで擦り切れていたのだ。
「あぁ……。なんという、静寂……。文字がない。血生臭い歴史の記述がない。ただ、純白で……温かい……」
ゾルタンの瞳から、知性の輝きと共に、長年抱えていた狂気とストレスがスッと抜け落ちていった。
彼はその本を赤子のように胸に抱きしめ、両膝を突いてボロボロと涙を流し始めた。
「うんうん、古い本って重いし、運ぶのも一苦労ですよね。休憩していってください。ちょうど今、温かいお茶とお茶請けを用意しようと思っていたんです」
アルドは、号泣する王国の最高知将の背中を、優しくポンポンと叩いた。
「お茶請けは、先日畑で採れた『知恵のリンゴ』で作ったアップルパイです。頭の疲れがすっきり取れますよ」
――言うまでもないが、それは神話に登場する『原初の果実』をふんだんに使用した、一口で宇宙の真理を悟ることができる究極の神仙スイーツである。
「あ、あぁ……。頂戴、いたします……。私は、もう……何も知りたくない……。ただ、貴方様の淹れてくださるお茶と、この平穏な白紙だけがあれば、それで……」
ゾルタンは、完全に骨抜きにされた顔で、アルドの足元に平伏した。
その光景を、丸太小屋の縁側で優雅に紅茶を啜りながら見下ろしている男がいた。
記録係のアーキヴァルである。
「……やれやれ。久しぶりにお顔を拝見したと思えば。相変わらず余裕のない御方ですね、ゾルタン様」
「ア、アーキヴァル……! 貴様、なぜここに……。いや、そういうことか。貴様は、この偉大なる『真理の主』の元で、新たな歴史を編纂していたのだな……!」
ゾルタンは涙声で、かつての部下を見上げた。
「ええ。王都の埃っぽい地下室で、他人が作った歴史の尻拭いをする仕事には飽き飽きしましてね。ここでは、アルド様が創造される『全く新しい、そして絶対的に平和な神話』を、最前列で記録することができるのです。これ以上の喜びが、記録者としてありましょうか?」
アーキヴァルは自慢げに手帳を見せつけた。
「そ、そうか……。私も、私もその末席に加えてはくれないだろうか……! もう王都には戻りたくない! この村の、アルド様の『書庫のモップ掛け係』でいい! 私を、ここに置いてくれッ!」
ゾルタンは、王国の威信も大賢者のプライドも全て投げ捨て、アーキヴァルに土下座をして懇願した。
「ふむ。ちょうど蔵書が増えてきて、本棚の整理の手が足りなかったところです。アルド様への絶対の忠誠を誓うのであれば、歓迎いたしますよ、我が『後輩』殿」
アーキヴァルは悪戯っぽく微笑み、大賢者の加入を許可した。
「おーい! アップルパイ焼けたよー! 業者さんも、アーキヴァルも、温かいうちに食べて!」
エプロン姿のアルドが、香ばしい匂いを漂わせるお盆を持って縁側へとやってくる。
「「はいっ!! 喜んで頂戴いたします、我が神よ!!」」
二人の記録者(狂信者)は、アルドの焼いた神仙アップルパイの前にひざまずき、涙を流しながらその至高の甘味を堪能するのであった。
最強の便利屋の「ただの古本整理」は、こうして世界最高の情報機関のトップをただの「モップ掛け係」へと転職させ、王国の歴史の記述権限すらも、日だまり郷の庭先へと完全に掌握してしまったのである。
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