第18話:ただの雪かきと、氷の魔女を溶かす至高のホットミルク
第18話:ただの雪かきと、氷の魔女を溶かす至高のホットミルク
日だまり郷に、本格的な冬が到来した。
一晩のうちに降り積もった雪は、村全体を純白の綿帽子ですっぽりと覆い隠し、音のない静寂の世界を作り出していた。
「うわぁ、すごい雪だ! これじゃあ、畑の様子を見に行くのも一苦労だな」
丸太小屋の扉を開けたアルドは、膝の高さまで積もった雪を見て、寒そうに白い息を吐いた。
「よし、みんなが起きてくる前に、少し道を作っておこう」
彼は作業小屋から木製のスコップを取り出し、ザクッ、ザクッとリズミカルに雪を掻き分け始めた。
彼が使っているスコップは、ごく普通の樫の木で作られたものだが、アルドが長年「道を開く」という目的で使用し続けた結果、彼から漏れ出す事象改変の魔力が染み込み、今や『概念的な障害を強制排除する神造宝具』と化していた。どんなに硬く凍りついた雪だろうと、アルドが軽くスコップを差し込むだけで、まるで温かい豆腐のようにフワリと退けられていく。
アルドが鼻歌交じりに雪かきを進めていた、その頃。
村の外縁部に、吹雪を纏いながら歩く一人の女の姿があった。
蒼い髪と、氷のように冷たく美しい美貌を持つ彼女の名は、グレイシア。『氷の魔女』として大陸中から恐れられる、凄腕の賞金首魔導士である。
(……見つけたわ、エルミナ。史上最年少で『賢者』などと持て囃され、私の自尊心を傷つけた小娘。こんな辺境のドブ村に隠れ住んでいるとはね)
グレイシアの瞳には、ドロドロとした嫉妬と憎悪が渦巻いていた。
彼女はかつて魔法学術院でエルミナと首席を争った実力者だが、エルミナの圧倒的な才能の前に敗北し、禁忌の氷結魔法に手を出して追放されたという過去を持っていた。
最近、「日だまり郷に王都を凌ぐ強者がいる」という噂を裏社会のルートで耳にした彼女は、それがエルミナの隠れ家に違いないと確信し、復讐のためにやってきたのだ。
「フフッ……村ごと絶対零度の氷に閉じ込めて、永遠の美しい彫像にしてあげるわ。『第九階位・永久凍土の息吹』!!」
グレイシアが杖を天に掲げると、周囲の気温が急激に低下し、空間そのものがパキパキと音を立てて凍りつき始めた。
それは、飛竜の群れすら一瞬で氷塊に変える、回避不能の広範囲殲滅魔法。恐るべき冷気の津波が、村の入り口に向かって猛スピードで襲いかかる。
――ちょうどその時、村の入り口付近まで雪かきを進めていたアルドが、目の前から迫り来る「白い壁」に気づいた。
「おや? 急に吹雪が強くなったな。雪崩でも起きたのかな?」
アルドは特に慌てる様子もなく、手にした木製スコップを「よいしょ」と構え、迫り来る絶対零度の冷気波に向かって、野球のバットのように軽くスイングした。
パキィィィィィンッ!!!!
世界が凍りつくような大音響と共に、グレイシアが誇る第九階位魔法が、まるで薄いガラスが割れるように粉々に砕け散った。
アルドのスコップから放たれた『概念排除』の波動が、冷気という事象そのものを「ただの邪魔な雪」として認識し、文字通り空間の彼方へと掻き飛ばしてしまったのだ。
「……は?」
グレイシアは、自分の放った最強の魔法が、ただのエプロン姿の青年が振るった『木のスコップ』で物理的に叩き割られた光景を見て、思考が完全にショートした。
「ふう、危ない危ない。いきなりすごい雪の塊が飛んできたぞ」
アルドは額の汗を拭いながら、呆然と立ち尽くすグレイシアの姿に気がついた。
彼女は、己の魔法が破られたショックと、アルドから無意識に放たれる『神域の威圧感』に圧倒され、ガタガタと激しく震えていた。
「うわっ、お客さん!? そんな薄着でこんな吹雪の中にいたら、凍え死んじゃいますよ!」
アルドは慌ててスコップを放り出し、グレイシアの元へ駆け寄った。
「顔が真っ青じゃないですか! かわいそうに、きっと猛吹雪で道に迷ってしまったんですね。さあ、早く小屋の中へ入って!」
「さ、触るな……ッ! 私は、氷の魔女……」
グレイシアは虚勢を張ってアルドを払いのけようとしたが、アルドの温かい手が彼女の肩に触れた瞬間、体内に巣食っていた『禁忌の氷結呪い』が、春の陽射しに当てられた雪のようにシュゥゥと溶け出していくのを感じた。
「ひっ……! な、なんだお前は……! 私の、私の冷気が、お前の体温に負けて……ッ!」
「いいからいいから! 遠慮しないで! ちょうど温かい飲み物を作ろうと思っていたんです!」
アルドは、抵抗する魔女を「寒さで強がっているだけの迷子」と信じて疑わず、半ば強引に丸太小屋の暖かいリビングへと連れ込んだ。
数分後。
暖炉(※原始の精霊王が奉仕する超・魔力融合炉)の神聖な炎によって、部屋の中は常夏の楽園のようにポカポカと暖かかった。
ソファーに毛布を被せられて座らされたグレイシアは、もはや恐怖と暖かさで身動き一つ取れなくなっていた。
「はい、お待たせしました。特製のホットミルクです。ハチミツをたっぷり入れておいたので、甘くて体が温まりますよ」
アルドが、湯気を立てる木製のマグカップをグレイシアの手に握らせる。
――当然ながら、それはただのホットミルクではない。
アルドが飼っている(本人はただの野良牛が住み着いたと思っている)『天界の聖牛』の乳を、暖炉の神炎で絶妙な温度に温め、そこへ世界樹の花から採取した『黄金の神蜜』を溶かし込んだ、一口で死者すら蘇る【究極の神仙薬】である。
「こんなもの……私が飲むとでも……」
グレイシアは震える手でマグカップを口元に運んだ。抵抗しようにも、アルドの放つ絶対的な「おもてなしのオーラ」が、彼女の精神に逆らうことを許さなかった。
こくり。
ホットミルクが、冷え切った彼女の喉を通り、胃の腑へと落ちる。
――その瞬間。
グレイシアの脳内に、天国のような花畑のビジョンが広がった。
極上の甘みと、魂の奥底まで染み渡る圧倒的なまでの『温もり』。それは、彼女が力に溺れ、他人を蹴落としてまで手に入れようとした「氷の力」の虚しさを、根底から優しく包み込み、溶かしていくものだった。
「あ……ぁぁ……」
グレイシアの大粒の涙が、ポロポロとマグカップの中に落ちた。
「温かい……。なんだ、これは……。私の心の中にあった冷たい氷が……憎しみが、全部溶けていく……。あぁ、私は、こんな温もりが欲しかっただけなのに……」
氷の魔女は、毛布にくるまりながら、まるで子供のように声を上げて泣きじゃくり始めた。
「うんうん、よっぽど寒かったんだね。ゆっくり飲んで、体を休めていきなよ」
アルドは優しく微笑みながら、彼女の背中をポンポンと撫でる。
その時、小屋の奥の部屋から、エルミナが眠目をこすりながら出てきた。
「ふぁぁ……アルド様、おはようございま……って、グレイシア!?」
かつてのライバルの姿を見つけ、エルミナの顔色が一瞬で戦闘モードに切り替わる。彼女は杖を構え、グレイシアを睨みつけた。
「なぜ貴女がここに! まさか、アルド様に危害を加えるつもりで……!」
「エ、エルミナ……」
グレイシアは涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、エルミナを見上げた。そして、深々と頭を下げる。
「ごめんなさい……。私が間違っていたわ。貴女が魔法学術院を捨ててまで、この御方に仕える理由が、今なら痛いほど分かる……。私のちっぽけな氷の魔法など、この至高のホットミルクの前では、ただの冷や水に過ぎなかった……!」
「……は?」
エルミナは、かつての傲慢な氷の魔女が、マグカップを両手で握りしめながら信者のような目をしているのを見て、完全に毒気を抜かれた。
「アルド様。この哀れなグレイシアを、どうか貴方様の『氷室の温度管理係』として、末永くこの村に置いていただけないでしょうか……!」
グレイシアはソファーから滑り降り、アルドの足元に平伏した。
「えっ? いや、温度管理って……冷蔵庫の代わりに氷魔法を使ってくれるの? それはすごく助かるけど……」
アルドは首を傾げながらも、快く頷いた。
「いいよ! 春になるまでは雪も多いし、人手があるのは助かるからね。よろしく、グレイシアさん」
「あぁっ! 偉大なる太陽の君よ! この命に代えても、極上の氷をご提供いたします!」
その光景を後ろで見ていたアーキヴァルが、いつものように手帳を開き、羽ペンを走らせる。
「記録完了です。『第十八種・魂の解凍』。対象:氷の魔女。結果:嫉妬と憎悪が完全に溶け去り、有能な冷蔵庫係へと更生」
「……やれやれ。また一人、アルド様の無自覚な優しさに魂を囚われた哀れな犠牲者が増えたか」
レイヴンが呆れたようにため息をつきつつも、その目には確かな敬意が宿っていた。
最強の便利屋の「ただの雪かき」と「ホットミルク」は、こうして王都を脅かすほどの悪名高き魔女の心を溶かし、日だまり郷の食料保存環境を劇的に向上させたのであった。
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