第17話:ただの燻製作りと、大帝国の剣聖を燻す狼煙(のろし)
第17話:ただの燻製作りと、大帝国の剣聖を燻す狼煙
冬の空気が一段と冷え込む中、日だまり郷には香ばしく、食欲をそそる匂いが漂っていた。
アルドは丸太小屋の裏手に自作した小さな木箱の前で、パタパタと団扇を扇いでいた。
「よしよし、いい煙の量だ。これなら美味しい燻製ができそうだな」
木箱の中には、先日村の近くで倒れていた(アルドの張った結界にぶつかってショック死した)巨大なイノシシの肉が吊るされている。アルドは冬の保存食を作るために、裏山で拾ってきた香りの良い木の枝を使って、それを燻している最中だった。
――当然のことながら、彼が「香りの良い木の枝」として燃やしているのは、ただの木ではない。かつて神々が地上に降り立った際に杖として使われた『神代の霊木』の枯れ枝である。
そして吊るされている肉は、一頭で城壁を粉砕する『災厄の猪』。
極上の魔獣の肉が、神代の霊木の煙によって燻されることで、その肉体組織は極限まで純化され、一口食べれば死者すら蘇らせる『不老不死の霊肉』へと変貌を遂げつつあった。
さらに、木箱の隙間から立ち昇る煙は、純度100%のマナを含んでいるため、天空に向かって真っ直ぐに伸び、まるで天界と地上を繋ぐ「黄金の狼煙」のように輝いていた。
「うーん、少し煙の量が多いかな? まあ、風で散るから大丈夫だろう」
アルドはのんびりと煙を眺めながら、お茶を啜った。
一方、その「黄金の狼煙」を、数十キロ離れた街道から忌々しげに見つめている一団があった。
西の大帝国から密命を帯びて派遣された精鋭部隊。その先頭に立つのは、白銀の甲冑に身を包み、大剣を背負った初老の男――帝国最高戦力である『剣聖』バルバロスである。
「……見え透いた挑発だな。かつての我が教え子よ」
バルバロスの瞳には、冷酷な光が宿っていた。
彼らの目的は、かつて帝国で『千剣の将』と恐れられながらも、致死の呪いを受けて見捨てられた男、レイヴンの奪還(あるいは始末)であった。
帝国諜報部の報告によれば、死んだと思われていたレイヴンが、なぜか辺境の村で呪いを完全に克服し、全盛期を遥かに凌ぐ力を得て生き長らえているという。帝国上層部は、その「呪いを解く未知の技術」と「全盛期の戦力」を再び手に入れるため、彼の師匠である剣聖バルバロスを差し向けたのだ。
「あの黄金の煙……。まるで『俺はここにいる、来れるものなら来てみろ』と言わんばかりだ。レイヴンめ、辺境で命拾いをして、少しは増長しているようだな」
バルバロスは手綱を引き、日だまり郷へ向けて馬を走らせた。
――数十分後。
日だまり郷の結界の外縁。バルバロスが部隊を待機させ、単身で村へと足を踏み入れようとしたその瞬間。
「……そこから先は、俺の『主』の庭だ。泥靴で踏み入ることは許さん」
空間を切り裂くような鋭い声と共に、木の上から一人の男が音もなく降り立った。
手には薪割り用の鉄斧。普段着の麻の服。しかし、その体から放たれる『剣気』は、かつて帝国軍を率いていた頃の陰惨なものではなく、圧倒的に澄み切り、天をも切り裂くような純白の覇気に満ちていた。
「レイヴン……! 貴様、本当に生きていたのか」
バルバロスは、かつての弟子の姿を見て、背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
(……なんだ、この隙のなさは。致死の呪いはどうした? しかも、ただ立っているだけなのに、我が本能が『これ以上進めば死ぬ』と警告を発している……!)
「久しいな、バルバロス将軍。だが、今の俺は帝国の犬ではない。ただの『便利屋の薪割り係』だ。貴様らが探し求めるような力など、ここにはない。帰れ」
レイヴンは、斧をだらりと下げたまま、一切の感情を交えずに告げた。
「ふざけるなッ! 貴様は帝国の所有物だ! その命も、呪いを解いた未知の秘術も、全ては帝国のために捧げられるべきなのだ! 大人しく投降すれば、再び将軍の地位を用意してやる。だが逆らうなら……我が『聖剣』の錆にしてくれるわッ!」
バルバロスは背中の大剣を抜き放ち、地を蹴った。
剣聖の称号は伊達ではない。その踏み込みは音を置き去りにし、放たれた斬撃は空間そのものを両断する神速の一撃であった。
しかし。
レイヴンは動かなかった。ただ、憐れむような目でバルバロスを見つめているだけだ。
(貰ったァァァァッ!!)
バルバロスの剣がレイヴンの首元に届こうとした、まさにその時。
「おや、お客さんかい? なんだか大きな声が聞こえたけど」
パサッ、と。
アルドが、出来立ての『燻製肉の塊』を片手に持ち、結界の中から顔を出したのだ。
そして、驚くべきことに、アルドがひょいっと身を乗り出したその「首」の軌道上に、バルバロスの全力の剣撃が完璧に重なってしまった。
「な、しまったッ!?」
バルバロスは目を見開いた。無関係な村人を斬るつもりはなかったが、もはや剣を止めることは不可能。
だが、剣刃がアルドの首に触れる直前。
「あれ? なんか飛んできた?」
アルドが、無意識に手に持っていた「ただの燻製肉の塊」を、顔の前にスッと持ち上げた。
ガギィィィィィィィィンッ!!!!
耳を劈くような金属音。
バルバロスが誇る伝説の聖剣が、燻製肉の表面に激突し……あろうことか、刃の方がボロボロに欠け、真っ二つに折れ飛んでしまったのだ。
「は……?」
バルバロスは、手元に残った折れた剣の柄を握りしめたまま、完全に思考を停止した。
(せ、聖剣が……肉の塊に……折られた……!? ば、馬鹿なッ! これは神造兵装だぞ!? それが、こんな田舎の燻製肉に……ッ!?)
バルバロスの脳内がパニックに陥っている中、アルドは「あっ」と声を上げた。
「ごめんごめん! 驚かせてごめんね! 剣の稽古中だったのかい? でも、危ないから振り回しちゃダメだよ。ほら、剣が折れちゃったじゃないか」
アルドは心底申し訳なさそうに謝りながら、燻製肉を差し出した。
「お詫びと言ってはなんだけど、これ、今できたばかりの燻製肉なんだ。お腹空いてるだろう? 少し食べて落ち着いてよ」
アルドは、手で燻製肉の端をちぎり(聖剣を折るほどの硬さの肉を、彼はまるでパンのようにあっさりと素手で千切った)、バルバロスの口元へ差し出した。
「あ……う……」
バルバロスは、圧倒的な恐怖と混乱の中、無意識にその肉を口に含んでしまった。
――そして。
「…………ッ!!!」
肉を噛み締めた瞬間、バルバロスの脳天に雷が落ちた。
神代の霊木で燻された霊肉の旨味が、味覚を通り越して魂そのものを打ち据える。そして、彼の老いた肉体の細胞一つ一つが爆発的な歓喜の声を上げ、失われつつあった全盛期の生命力と覇気が、無限の泉のように湧き上がってきたのだ。
「美味い……! なんだこれは……! 私の、私の剣聖としての長年の苦労は、この肉の一かじりにも満たないというのか……!」
バルバロスは、折れた剣を放り出し、膝から崩れ落ちて号泣し始めた。
「アルド殿。この男は……」
レイヴンが冷や汗を流しながら口を開く。
「うん、きっとお腹が空きすぎて、イライラしてたんだね。よくあることだよ。ほら、もっと食べなよ。いっぱいあるからさ」
アルドはニコニコと笑いながら、号泣する剣聖の口に次々と肉を放り込んでいく。
「あぁ……偉大なる神よ……! 私は、帝国という小さな鳥籠の中で、己の力を過信していた井の中の蛙でした……!」
バルバロスはアルドの足元に縋り付き、土下座をした。
「レイヴンが帝国を捨てた理由が、今なら痛いほどわかります。この『真理の肉』の前では、帝国の栄華など残飯以下……! どうか、どうか私めも、この村の『燻製の見張り番』の末席に加えていただけないでしょうか!」
「えっ? いや、燻製の見張り番って……野良犬じゃないんだからさ。でも、美味しいって言ってくれて嬉しいよ」
アルドは苦笑いしながら、バルバロスの頭を撫でた。
その日の夕方。
街道で待機していた帝国軍の精鋭部隊の元に、バルバロス将軍が一人で戻ってきた。その手には、大切そうに抱えられた「燻製肉の欠片」が握られている。
「将軍! レイヴンはどうなりましたか!?」
「……レイヴンは死んだ。そして、我々が立ち入るべき場所ではない。帝国には『辺境には神の住まう不可侵の聖域があった』と報告せよ。二度と、あの村には近づくな」
バルバロスは遠い目をしながら、兵士たちに撤退を命じた。
その後、バルバロスは軍を退役し、時折日だまり郷の周囲をうろついては、アルドの作る干し肉の匂いを嗅いで涙を流す『謎の隠遁剣聖』として余生を過ごすことになるのだが、それはまた別の話である。
「うーん、今年の燻製は会心の出来だな!」
小屋の中で、アルドは夕食の準備をしながら満足げに笑っていた。
「ええ、本当に。アルド様の燻製は、帝国最強の剣聖の誇りすらも完全に燻り出してしまう、まさに奇跡の味わいです……」
レイヴンが、深い敬意と共に燻製肉を口に運びながら、静かに涙を流す。
最強の便利屋の「ただの冬の保存食作り」は、大帝国の野望を一つの肉塊で粉砕し、また一人、世界最強クラスの武人を狂信者の列に加えるのであった。
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