第103話:帳簿の健全化と、情報局長アーキヴァルの強制入社(第四回・方針会議と負債の清算)
第103話:帳簿の健全化と、情報局長アーキヴァルの強制入社(第四回・方針会議と負債の清算)
黄金の城塞『日だまり郷』のリビングで続く、アルド主催の『便利屋の今後の方針会議』。
窓の外は美しい夕焼けに染まり始め、アルドは会議を一時中断して、手早く夕食の仕込みを行っていた。
「みんな、会議も大詰めだから、先にご飯の準備をしておくね! 今夜は『特製・飛竜のカルパッチョと、世界樹のオリーブオイル和え』を前菜にするよ!」
アルドがキッチンで、飛竜の新鮮な赤身肉を、向こうが透けて見えるほど極薄に、しかし完璧な繊維の向きで切り分けていく。
「よし! この極薄の飛竜肉に、庭で採れた星屑ハーブと、大精霊の加護を受けた世界樹のオリーブオイル、そして神仙レモンをたっぷり絞って……。肉の旨味とオイルの香りが完璧に絡み合う、最高の前菜の完成だ!」
アルドが美しく盛り付けられた大皿をテーブルの中央に置くと、その宝石のような輝きと食欲を刺激する酸味の香りに、神竜ポチと星狼シロ、そしてクッションにされた邪神までもが、本能的に羨望の波動を放っていた。
このカルパッチョ、一口食べれば飛竜の野生のアミノ酸が全身の細胞を瞬時に超活性化させ、世界樹のオリーブオイルが血中のあらゆる毒素や呪いをサラサラに洗い流し、魂の奥底から尽きることのないエネルギーを湧き上がらせる『究極の超回復・浄化食』である。
「うむ……! この肉の極限の薄さと、オリーブオイルが織りなす黄金の輝き! 見るだけで我が魔界の闘争本能が、高級レストランでワインを嗜む紳士のようにフニャフニャに溶かされそうになるわい!」
元・魔界大帝サタナスが、フォークを震わせながら握りしめ、感涙に咽いでいた。
極上の前菜を摘みながら、会議はいよいよ第四の議題へと入る。
「さて、シノンの完璧な防犯技術も確認できたところで……次は、アーキヴァルだね」
アルドが視線を向けると、冷徹な執事服に身を包んだ情報局長アーキヴァルは、優雅に立ち上がり、胸に手を当てて一礼した。
「はい。私の経歴など、アルド様の描く壮大な事業計画(世界救済)の前にあっては、取るに足らない計算式の端数に過ぎません」
「そんなことないよ。アーキヴァルはうちの便利屋の大切な『経理担当兼・記録係』じゃないか。彼が来てから、仕事の依頼書の整理も、お金の計算も、全部完璧にやってくれてるから、僕は現場の仕事に集中できるんだ」
アルドはニコニコと笑いながら、アーキヴァルがまとめた分厚い帳簿(※実際は国家間の裏取引や帝国崩壊の全記録)をポンポンと叩いた。
「そういえば、アーキヴァルが最初にうちに来た時のこと、覚えてる?」
アーキヴァルは、眼鏡の奥の鋭い光を伏せ、静かに頷いた。
「ええ、私の魂の奥底に刻み込まれております。私が主の規格外の御力の前に己の計算の全てを狂わされ、完全なる敗北を喫したのは、今から数ヶ月前……。私が大陸全土に根を張る裏の情報機関『梟の目』のトップとして、主の『異常な事象改変能力』を危険視し、直接支配下(あるいは消去)に置こうと接触した日のことです」
アーキヴァルが、かつての冷徹な支配者としての記憶を語り始める。
彼はかつて、国家の存亡すらも情報一つで操作する、大陸最大の情報機関にして裏の支配者であった。彼はアルドという規格外の存在を自らの手駒にするため、絶対に逃れられない概念的な呪縛を施した『絶対隷属の契約書』を用意し、言葉巧みにアルドにサインさせようとしたのだ。
しかし、その日。
アルドはリビングのテーブルで、大量のレシートと睨めっこしながら『便利屋の家計簿』をつけている真っ最中であった。
『うーん、今月は道具の修理代がかさんじゃったな。赤字にならないように、ちゃんと計算しないと……。おや、そこの眼鏡のお兄さん、何か御用ですか?』
アーキヴァルが自信満々に提示した『絶対隷属の契約書(致死の呪いが込められた羊皮紙)』。それをアルドは、ただの「ややこしい請求書か、セールスの書類」だと勘違いした。
『あれ? この書類、計算が間違ってますよ。ここの項目、無駄な経費が多すぎますね。ちょっと赤ペンで修正しておきますね』
アルドが、手作りの『事象修正の赤ペン』を取り出し、契約書に「シュッ、シュッ」と赤線を引いた瞬間。
アーキヴァルが長年かけて構築してきた巨大情報機関の『概念的な存在証明』と『呪縛の魔力』は、アルドの「間違った家計簿を正しく修正する」という意思の前に、物理的に「キュイィィン!」と音を立てて、全て『健全な黒字の家計簿』へと強制的に書き換えられてしまったのである。
自らの組織の全権と呪縛が、ただの『赤ペン先生の添削』にいとも容易く消し飛ばされ、自らの命運すらもアルドの帳簿の中に組み込まれてしまったアーキヴァルは、己の知略が児戯であったことを悟り、その場で膝から崩れ落ちたのだ。
『ど、どうか私を貴方様の駒としてお使いください……! この究極の事象演算能力、もはや私の情報網など、主の帳簿の片隅にも及びません……!』
しかしアルドは、崩れ落ちた眼鏡の青年を見て、嬉しそうに笑って答えたのだ。
『お兄さん、計算がすごく早そうだね! 実は僕、経理とか書類仕事が苦手でさ。もし良かったら、うちの便利屋の事務員として雇わせてくれない? もちろん、お給料はちゃんと払うよ!』
「……あの時の主の『事象を書き換える究極の帳簿整理』を目の当たりにしたからこそ、私は過去の支配者としての驕りを捨て、主の『忠実なる記録係』として生涯を捧げる覚悟を決めたのです」
アーキヴァルは、深く、宗教的なまでの敬意を込めて一礼した。
「あはは、だから大袈裟だって」
アルドは照れくさそうに頭を掻いた。
「あの時のアーキヴァル、すっごく疲れた顔をして、分厚い書類の束を持って訪ねてきたでしょ? セールスマンかと思ったけど、数字の計算がすごく正確だったからさ。てっきり『ブラックな税理士事務所から逃げ出してきた、超優秀な経理のお兄さん』かと思ったんだよ。疲れすぎて、自分が持ってた書類の計算ミスにも気づいてなかったみたいだしね」
アルドの驚異的な「日常フィルター」は、かつての裏社会のトップによる命がけの契約戦を、「過労で倒れかけていた悪徳企業の営業マンを、事務員として救済してあげた」程度にしか記憶していなかった。
「だが、アルド殿。アーキヴァルの情報収集能力と書類作成の速度は、ただの事務員の域を遥かに超えているぞ」
大賢者ゾルタンが、ニヤリと笑いながらアルドに問いかける。
「最近の『粗大ゴミ回収(帝国機神の解体)』の際にも、アーキヴァルは裏で帝国の国家予算と軍事機密を全てハッキングし、皇帝の資産を完全に掌握(合法的に没収)するという離れ業をやってのけた。アルドも、彼の『真の恐ろしさ』に薄々気づいているのではないかな?」
その言葉に、再びリビングの空気がピンと張り詰めた。
ついに、アルドがアーキヴァルの真の実力(大陸最大の頭脳としての正体)を暴き、彼をクランの『最高司令官(参謀)』として正式に遇するのか。レイヴンは固唾を呑み、アーキヴァル自身も僅かに眼鏡のブリッジを押し上げた。
「うん……実は僕も、アーキヴァルの事務処理能力、ずっと異常だなって思ってたんだ」
アルドは、真っ直ぐな瞳でアーキヴァルを見つめた。
「アーキヴァルって、僕が依頼から帰ってくる前に、もう次の依頼人の背景とか、報酬の相場とかを完璧に調べてくれてるよね。おまけに、たまに手帳に何かを書き込む時の顔が、すごく悪巧みをしてるみたいだ。……もしかして、君」
ゴクリ、とアーキヴァルの喉が鳴る。
(つ、ついに、私が世界を裏で操っていた冷徹な情報局長であることを見抜かれたのですね……! ならば、全てを打ち明け、真の腹心として……!)
「もしかして、君……『王都の超一流銀行で働いてた、伝説の融資担当(取り立て屋)』だったりする?」
「…………は?」
アーキヴァルは、常に完璧なポーカーフェイスを保っていた顔を、かつてないほど呆然と歪ませた。
「だって、どんなにややこしいお金の計算も、アーキヴァルが処理すると1ルピアの狂いもないじゃない! しかも、相手の嘘を見抜くのがプロ級だ。きっと、銀行でお金を貸す相手を厳しく審査する、凄腕のバンカーだったんだよね。厳しすぎるノルマから逃げ出して辺境に来ちゃったけど、お金への嗅覚は超一流だ。だから最近、仕事で出た『余分な報酬(帝国からの莫大な賠償金)』も、一瞬で合法的な利益として計上してくれてたんでしょ?」
アルドは、ウンウンと頷きながら満面の笑みを浮かべた。
「だから、今後の方針その四! アーキヴァルにはただの経理だけじゃなくて、『便利屋の最高財務責任者(CFO)兼・広報担当』として活躍してもらうことにするよ! これからは、うちの便利屋の資産運用と、依頼人との交渉プランも全部任せるからね!」
「あ……はい。最高財務責任者として、敵対勢力の資産の完全なる搾取と広報(情報操作)、命に代えても完遂いたします……」
アーキヴァルは、己の壮絶な情報戦の歴史が、全て『銀行の凄腕取り立て屋スキル』という日常の枠組みの中に完璧に押し込まれ、合法化されたことに絶望と謎の達成感を覚えながら、深く、深く頭を下げるしかなかった。
こうして、方針会議の第四の議題もまた、アルドの「完璧なまでの勘違いと日常フィルター」によって、世界の真理を華麗にすり抜け、いよいよ最後の議題――便利屋の『真実(最終方針)』へと進んでいくのであった。
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