山は我々を拒まない
十二日目に、最初の合流があった。
丘の東側から三十人ほどの集団が現れた。武装した男が六人、残りは女と子供だ。先頭の男がドラクの兵に何か言い、ドラクが顎で列の後方を指した。三十人は黙って列に加わった。
十五日目に、また来た。今度は四十人。
十八日目には二つの集団が同じ日に合流した。七十と二十五。角の形が違う。クランが違うのだろう。二つの集団は列の中で自然に距離を取り、混ざらなかった。
合わなかった集団もある。ドラクの兵と怒鳴り合い、そのまま東へ消えた一隊がいた。
千人に届こうとしていた。
◇
行軍は遅かった。
一日に進める距離が、人数が増えるたびに縮んでいく。非戦闘員が多い。子供が歩けなくなれば止まる。老人が遅れれば待つ。配給も減っていた。列は伸び、先頭と後尾の間が半刻以上開くこともあった。
俺は列の中ほどを歩いていた。折れた角の断面を親指でなぞりながら、周囲を見ている。
前方で、低い振動が空気を揺らした。
角だ。先頭のドラクの兵が角を震わせ、何かを伝えている。振動が列を伝って後方へ流れていく。一人が受け取り、次の一人へ渡す。声ではない。角の共鳴だ。
俺には聞こえない。折れた角では共鳴の輪に入れない。だが列の動きで意味はわかった。足が速まり、空の水袋を探る者がいる。前方に水場があるのだろう。
共鳴は通信だ。前世の研究者なら、そう分類する。角は共鳴器官であり、低周波の振動で情報を伝達する、と。
だが今、列の中を歩いていると、それは通信ではなかった。
共鳴が伝わるたびに、列の空気が変わる。肩の力が抜ける者がいる。子供が母親の手を離して駆け出す。水があるという情報だけでは説明できない何かが、振動と一緒に流れている。
安堵だ。安堵が、角を通じて伝染している。
俺の角には届かない。
列の脇を、老人が歩いていた。象牙色に近い角が、日に透けて薄く光っている。老人は前を歩く若い男の肩に手を置き、立ち止まった。
若い男が振り返った。老人は何も言わず、若い男の角に自分の角を近づけた。触れてはいない。だが角と角の間が震えた。
三秒ほどで、老人が離れた。若い男は頷き、前を向いて歩き出した。迷いなく。足取りが変わっていた。さっきまで周囲を見回していた目が、まっすぐ北を向いている。
道を知っている目だった。
先例がある。前世の研究で、口承文化の民族が身体的接触で知識を伝達する例をいくつか見た。だがそれは手を握るとか、額を合わせるとかいう象徴的な行為だった。
魔族の角は、違う。
記憶が流れたのだ。この山道を歩いた先達の記憶が。老人の角から若者の角へ、共鳴を介して。言葉を経由しない、生の体験として。
列の後方から、子供の声がした。
振り返ると、五つか六つの子供が三人、角をぶつけ合って笑っていた。額を寄せ合い、小さな角の先端を触れさせている。ぶつかるたびに、かちり、と硬い音がする。
遊んでいるのだろう。だが角が触れ合うたびに子供たちの表情が変わった。驚いたり、笑ったり。互いの感覚が流れ込んでいるのだ。
共鳴の練習だった。言葉を覚える前に、角で感じることを覚える。それがこの種族の育ち方なのだ。
俺はそれを見ていた。足を止めて、見ていた。
「何見てんの」
ナーシャが隣に来ていた。いつの間にか。螺旋角の右側、刀傷が走っている方が夕陽に光っている。
「何のことだ」
「あんたの目。子供を見てた目。兵を見てた目。老人が角で道を伝えてたとき。全部同じ目をしてた」
ナーシャは腰の剣の柄に手を置いた。親指が鍔を撫でている。
「研究者の目だよ。珍しいものを見つけた学者みたいな顔」
答えなかった。答えられなかった。
「あんた、変わったね」
ナーシャの声が低くなった。
「将軍の頃と」
風が吹いた。列の前方から、焚き火の煙の匂いが流れてくる。誰かが先に野営の準備を始めたらしい。
「将軍ゼルドは、共鳴も文化も気にしなかった。部下の角がどう震えてるかなんて、見もしなかった。命令して、動かして、勝つ。それだけだった」
「今も変わらない」
「嘘つけ」
ナーシャは前を向いたまま言った。目は合わせなかった。
「変わったことが悪いとは言ってない。ただ、見てると落ち着かない」
それだけ言って、ナーシャは列の後方へ戻っていった。腰の剣が歩調に合わせて揺れる。
落ち着かない、か。
当然だろう。将軍が突然、部下の文化に興味を持ち始めたら不自然だ。ゼルドという男は、そういう人間ではなかったのだ。俺は別人なのだから。
だがそれは言えない。言えば全てが崩れる。
◇
二十三日目。列の後尾が見えなくなった。
丘を三つ越えたあたりで、ナーシャが戻ってきた。
「八人、遅れてる」
「誰だ」
「老人が四人。足を痛めた兵が二人。熱を出した子供が一人。ゾーラが子供のそばにいる」
足を止めた。北の空に、ヴァルム山脈の稜線が以前より近い。山裾の色が見えるようになっていた。赤茶けた岩肌。木は少ない。
「待てるか」
「半日。それ以上は列全体が止まる。食料が足りない」
千人分の食料は、山に入る前に尽きる。止まれば全員が飢える。
「進め。先に進める者から山に入る。遅れた者は追いつけるところまで来ればいい」
ナーシャは何も言わなかった。右手が腰の剣に触れたまま、離れなかった。
列が動き出した。俺は前を向いて歩いた。振り返らなかった。振り返れば足が止まる。止まれば千人が死ぬ。
背後で、空気が微かに震えた。ゾーラが角を使っているのだろう。子供を宥めている振動が、折れた角の断面にかすかに触れて消えた。中身はわからない。
◇
二十八日目。山道に入った。
気温が落ちた。平原では晩秋だった空気が、山に入ると一気に冬になった。息が白い。岩の隙間に霜が降りている。
道は狭い。二人が並べばいっぱいの獣道を、千人が一列で登っている。足元は岩と砂利。滑る。列の後方から何度も悲鳴が上がった。
山に入って三日目に、岩壁が見えた。
切り立った崖の表面に、何かが刻まれている。風化して薄くなっているが、規則的な溝だ。
足を止めた。
溝に触れた。指先に振動が残っている。岩に角を押し当てて、振動で刻んだ痕だ。
共鳴痕。
ドラクが近づいてきた。片目で岩壁を見上げている。
「読めるか」
ドラクは黙って岩壁に角を近づけた。しばらく動かなかった。岩に残った振動を、角で拾っているのだ。
「『諸族、火のもとに集え』」
ドラクが離れた。
「先に来た連中がいる」
山の上だ。この岩壁より先に、誰かがいる。魔族が。逃げてきた者たちが、山の中に火を焚いて待っている。
ドラクの残った右目が、俺を見た。
「お前の三千、集まるかもしれんな」
風が山の上から吹き下ろしてきた。冷たい。だがその風の中に、微かに、煙の匂いがした。
待っている者がいる。




