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魔族撤退戦記 ~勇者が魔王を殺した、その日から~  作者: どみさん


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山は我々を拒まない

 十二日目に、最初の合流があった。


 丘の東側から三十人ほどの集団が現れた。武装した男が六人、残りは女と子供だ。先頭の男がドラクの兵に何か言い、ドラクが顎で列の後方を指した。三十人は黙って列に加わった。


 十五日目に、また来た。今度は四十人。


 十八日目には二つの集団が同じ日に合流した。七十と二十五。角の形が違う。クランが違うのだろう。二つの集団は列の中で自然に距離を取り、混ざらなかった。


 合わなかった集団もある。ドラクの兵と怒鳴り合い、そのまま東へ消えた一隊がいた。


 千人に届こうとしていた。





 行軍は遅かった。


 一日に進める距離が、人数が増えるたびに縮んでいく。非戦闘員が多い。子供が歩けなくなれば止まる。老人が遅れれば待つ。配給も減っていた。列は伸び、先頭と後尾の間が半刻以上開くこともあった。


 俺は列の中ほどを歩いていた。折れた角の断面を親指でなぞりながら、周囲を見ている。


 前方で、低い振動が空気を揺らした。


 角だ。先頭のドラクの兵が角を震わせ、何かを伝えている。振動が列を伝って後方へ流れていく。一人が受け取り、次の一人へ渡す。声ではない。角の共鳴だ。


 俺には聞こえない。折れた角では共鳴の輪に入れない。だが列の動きで意味はわかった。足が速まり、空の水袋を探る者がいる。前方に水場があるのだろう。


 共鳴は通信だ。前世の研究者なら、そう分類する。角は共鳴器官であり、低周波の振動で情報を伝達する、と。


 だが今、列の中を歩いていると、それは通信ではなかった。


 共鳴が伝わるたびに、列の空気が変わる。肩の力が抜ける者がいる。子供が母親の手を離して駆け出す。水があるという情報だけでは説明できない何かが、振動と一緒に流れている。


 安堵だ。安堵が、角を通じて伝染している。


 俺の角には届かない。


 列の脇を、老人が歩いていた。象牙色に近い角が、日に透けて薄く光っている。老人は前を歩く若い男の肩に手を置き、立ち止まった。


 若い男が振り返った。老人は何も言わず、若い男の角に自分の角を近づけた。触れてはいない。だが角と角の間が震えた。


 三秒ほどで、老人が離れた。若い男は頷き、前を向いて歩き出した。迷いなく。足取りが変わっていた。さっきまで周囲を見回していた目が、まっすぐ北を向いている。


 道を知っている目だった。


 先例がある。前世の研究で、口承文化の民族が身体的接触で知識を伝達する例をいくつか見た。だがそれは手を握るとか、額を合わせるとかいう象徴的な行為だった。


 魔族の角は、違う。


 記憶が流れたのだ。この山道を歩いた先達の記憶が。老人の角から若者の角へ、共鳴を介して。言葉を経由しない、生の体験として。


 列の後方から、子供の声がした。


 振り返ると、五つか六つの子供が三人、角をぶつけ合って笑っていた。額を寄せ合い、小さな角の先端を触れさせている。ぶつかるたびに、かちり、と硬い音がする。


 遊んでいるのだろう。だが角が触れ合うたびに子供たちの表情が変わった。驚いたり、笑ったり。互いの感覚が流れ込んでいるのだ。


 共鳴の練習だった。言葉を覚える前に、角で感じることを覚える。それがこの種族の育ち方なのだ。


 俺はそれを見ていた。足を止めて、見ていた。


「何見てんの」


 ナーシャが隣に来ていた。いつの間にか。螺旋角の右側、刀傷が走っている方が夕陽に光っている。


「何のことだ」


「あんたの目。子供を見てた目。兵を見てた目。老人が角で道を伝えてたとき。全部同じ目をしてた」


 ナーシャは腰の剣の柄に手を置いた。親指が鍔を撫でている。


「研究者の目だよ。珍しいものを見つけた学者みたいな顔」


 答えなかった。答えられなかった。


「あんた、変わったね」


 ナーシャの声が低くなった。


「将軍の頃と」


 風が吹いた。列の前方から、焚き火の煙の匂いが流れてくる。誰かが先に野営の準備を始めたらしい。


「将軍ゼルドは、共鳴も文化も気にしなかった。部下の角がどう震えてるかなんて、見もしなかった。命令して、動かして、勝つ。それだけだった」


「今も変わらない」


「嘘つけ」


 ナーシャは前を向いたまま言った。目は合わせなかった。


「変わったことが悪いとは言ってない。ただ、見てると落ち着かない」


 それだけ言って、ナーシャは列の後方へ戻っていった。腰の剣が歩調に合わせて揺れる。


 落ち着かない、か。


 当然だろう。将軍が突然、部下の文化に興味を持ち始めたら不自然だ。ゼルドという男は、そういう人間ではなかったのだ。俺は別人なのだから。


 だがそれは言えない。言えば全てが崩れる。





 二十三日目。列の後尾が見えなくなった。


 丘を三つ越えたあたりで、ナーシャが戻ってきた。


「八人、遅れてる」


「誰だ」


「老人が四人。足を痛めた兵が二人。熱を出した子供が一人。ゾーラが子供のそばにいる」


 足を止めた。北の空に、ヴァルム山脈の稜線が以前より近い。山裾の色が見えるようになっていた。赤茶けた岩肌。木は少ない。


「待てるか」


「半日。それ以上は列全体が止まる。食料が足りない」


 千人分の食料は、山に入る前に尽きる。止まれば全員が飢える。


「進め。先に進める者から山に入る。遅れた者は追いつけるところまで来ればいい」


 ナーシャは何も言わなかった。右手が腰の剣に触れたまま、離れなかった。


 列が動き出した。俺は前を向いて歩いた。振り返らなかった。振り返れば足が止まる。止まれば千人が死ぬ。


 背後で、空気が微かに震えた。ゾーラが角を使っているのだろう。子供を宥めている振動が、折れた角の断面にかすかに触れて消えた。中身はわからない。





 二十八日目。山道に入った。


 気温が落ちた。平原では晩秋だった空気が、山に入ると一気に冬になった。息が白い。岩の隙間に霜が降りている。


 道は狭い。二人が並べばいっぱいの獣道を、千人が一列で登っている。足元は岩と砂利。滑る。列の後方から何度も悲鳴が上がった。


 山に入って三日目に、岩壁が見えた。


 切り立った崖の表面に、何かが刻まれている。風化して薄くなっているが、規則的な溝だ。


 足を止めた。


 溝に触れた。指先に振動が残っている。岩に角を押し当てて、振動で刻んだ痕だ。


 共鳴痕。


 ドラクが近づいてきた。片目で岩壁を見上げている。


「読めるか」


 ドラクは黙って岩壁に角を近づけた。しばらく動かなかった。岩に残った振動を、角で拾っているのだ。


「『諸族、火のもとに集え』」


 ドラクが離れた。


「先に来た連中がいる」


 山の上だ。この岩壁より先に、誰かがいる。魔族が。逃げてきた者たちが、山の中に火を焚いて待っている。


 ドラクの残った右目が、俺を見た。


「お前の三千、集まるかもしれんな」


 風が山の上から吹き下ろしてきた。冷たい。だがその風の中に、微かに、煙の匂いがした。


 待っている者がいる。


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