表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔族撤退戦記 ~勇者が魔王を殺した、その日から~  作者: どみさん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/29

俺はまだ膝を折っていない

「ナーヴクランの残りか」


 ドラクの声が、丘の上から降ってきた。


 大柄な体が斜面を踏みしめ、背後から武装した兵が次々と現れる。五人、十人。まだ増える。丘の稜線が人影で埋まっていく。


 数えた。三十。五十。まだ止まらない。


 丘の裏にも人がいる。この集団は、見えている分だけではない。


「七十三人か」


 ドラクが一瞥で俺の集団を数えた。残った右目が動いている。左目は潰れた瞼が窪んでいるだけだ。


「少ないな」


 折れた角の断面を、親指でなぞった。


 先例がある。敗戦後の敗残兵が合流するとき、最も危険なのは最初の接触だ。どちらが指揮するかを巡って、味方同士で血が流れる。


「ドラク」


 ゼルドの記憶が名前を引き出した。第一軍団の副長。ヴェルガの直属。二度の大攻勢を率いた攻撃型の指揮官。有能で、苛烈。


「久しぶりだな、ゼルド」


 ドラクが目の前に立った。頭一つ分、俺より大きい。両方の角が後方に大きく湾曲し、先端が黒い。夕暮れの光を吸い込んでいる。


「第三軍団は何人生き残った」


「ここにいる全員だ」


「七十三人。三千いた第三軍団の、七十三人か」


 嗤いはしなかった。だが声に嘲りが混じっている。


「お前は何人連れている」


「五百と少し。第一軍団の残りと、道中で拾った連中だ」


 五百。俺の七倍。


 ドラクが丘の下を顎で示した。


「降りろ。話がある」


 命令の形だった。だが剣は抜いていない。それが今のところの答えだ。



 丘の下の空地に、両集団の兵が向かい合って立っている。ドラクの兵は武装が整い、顔に精気がある。俺の七十三人は泥と血にまみれ、半数が負傷していた。


「南に戻る」


 ドラクが言った。


「何だと」


「南に戻って、人間どもを叩く。散り散りになった連中を集めれば一万は残っている。それだけいれば一戦できる」


 奥歯を噛み締めた。


「一戦して、どうする」


「殺す。殺されたら殺し返す。それが戦だ」


「勝てるのか」


 ドラクの右目が細くなった。


「勝てるか、ではない。やるか、やらないかだ」


「負ければ全員死ぬ」


「逃げても死ぬ。山に逃げ込んで冬を越せると思うか? 飢え死にか、凍え死にか。好きな方を選べ」


 反論できなかった。ドラクは正しい。それが腹に重い。


 だが計算は嘘をつかない。


「人間の追撃は組織的じゃない。評議会の統一命令がまだ出ていない。各地の軍が勝手に動いているだけだ。今なら山に入れる」


「逃げる。逃げる、と」


 ドラクが一歩、距離を詰めた。鎧の胸当てが視界を塞ぐ。


「お前の口から出るのは逃げることだけか、ゼルド。第一軍団は逃げたことがない。ヴェルガ陛下の盾として、常に最前線にいた」


「その最前線から五百人しか帰ってきていない」


「お前は七十三人だ」


 ドラクの右手が腰の剣の柄に触れた。


 同時に、ナーシャが横から半歩前に出た。右手が腰の剣に触れている。


 誰も動かなくなった。


「ゼルド」


 ドラクの声が低くなった。


「お前は七十三人しか残せなかった。俺は五百残した。どちらが指揮を執るべきか、数字が答えているだろう」


「数が多い方が偉いなら、お前はヴェルガの半分以下だ」


 ドラクの目が剥いた。残った右目の白い部分が見えた。


 だが殴りかかっては来なかった。三秒ほど俺の顔を睨んでから、口を開いた。


「お前は変わったな、ゼルド。前はもう少し黙っている男だった」


 心臓が跳ねた。ナーシャと同じ言葉だ。


「角が折れると、口が軽くなるのか」



 もう少しで血が流れるところだった。


 ドラクの兵が剣に手をかけ、俺の兵が身構えた。ナーシャの右手は柄から離れていない。


 だが、止まった。


 止めたのは、俺でもドラクでもない。


 丘の裏側から、人の群れが現れた。


 武装していない。鎧もない。杖をつく老人。子供を抱えた女。荷を背負った男。角を持つ者たち。だが兵士ではない。


 非戦闘員だ。


 数が多い。五十、百。まだ来る。丘の裏にこれだけの人が隠れていた。


「兵士だけじゃなかったのか」


 ナーシャが低く言った。短く刈った髪から螺旋状の角が覗いている。髪の後ろを掻いた。


「行く当てのない連中が、道中で合流してきた」


 ドラクの声から、初めて嘲りが消えた。


 列の先頭に、一人の老女がいた。杖をついているが背筋がまっすぐで、歩く速度に衰えがない。象牙色に変色した角が、古い艶を持っている。


 ゾーラ。ヴォルグクランの大母。ゼルドの記憶がそう教えた。七クランの長老衆の筆頭。魔王ヴェルガすら、この老女の前では声を下げた。


 白く濁り始めた目がこちらを見た。ゾーラはドラクと俺の間を通り過ぎ、立ち止まった。杖を地面に一度だけ打つ。乾いた音が空地に響いた。


 誰も動かなくなった。


「二つ聞く」


 ゾーラの声は低い。だが不思議と遠くまで通る。


「ドラク。お前はこの子たちを連れて、南に戻るのか」


 老女の白い目が、非戦闘員の列を示した。子供がいる。老人がいる。歩くのがやっとの者がいる。


 ドラクが黙った。


「ゼルド」


 白い目が、俺に向いた。


「お前の戦は、誰のためだ」


 言葉が出なかった。


 簡単な問いだ。この山の連中のためだ。生き残るためだ。


 だが口が動かない。「この七十三人のため」と即答できない自分がいた。二十七人を死なせた。それは「誰のため」だったのか。


 ゾーラは答えを待たなかった。


「火を焚け。話はそれからだ」


 杖を突いて、非戦闘員の方へ歩いていった。小さな背中が、ドラクの大きな体の横を通り過ぎる。ドラクは道を空けた。



 夜になった。


 焚き火が三つ。二つの集団が混ざることなく、別々に火を囲んでいる。三つ目の焚き火はゾーラの周囲で、非戦闘員たちが身を寄せ合っていた。子供の泣き声が、ときどき聞こえる。


 ドラクが焚き火の向こうから立ち上がり、こちらに来た。


「ゼルド」


「なんだ」


「大母の言うことはわかる。南に戻れば、あの連中は足手まといだ」


 ドラクの声に、怒りがない。疲れている。


「だが山に逃げるだけでは死ぬ。冬が来る。食料がない。追撃が来れば、老人と子供を抱えて逃げ回るのか」


「策はある」


「策か。お前の策で、東の隊は何人死んだ」


 二十三人。言葉が突き刺さった。


「聞いてやる」


 ドラクが俺を見下ろした。残った右目が焚き火の光を受けて、赤く光っている。


「策があるなら聞いてやる。夜明けまでに答えを出せ。俺が納得しなければ、五百を連れて南に戻る」


 ドラクの背中が焚き火の明かりに消えた。


 ナーシャが横に来た。


「で、策はあるの」


「ある。ありかけている」


 ナーシャが三秒ほど俺の顔を見て、短く刈った髪の後ろを掻いた。


「夜明けまでか。寝られないね」


 焚き火の向こうに、ゾーラの小さな影が見えた。杖を膝に置き、子供たちに囲まれて座っている。


 五百の兵と非戦闘員。俺の七十三人を合わせれば、大きな集団になる。


 この集団を、一晩でまとめる計画を作れ。


 ゾーラの問いが頭の中で繰り返していた。お前の戦は、誰のためだ。


 答えはまだ出ない。だが計画を出さなければ、五百人が南に消える。


 南に消えた五百人は、死ぬ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ