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魔族撤退戦記 ~勇者が魔王を殺した、その日から~  作者: どみさん


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25/29

我々は罰を受けて当然だ

 ゾーラは、担架を拒んだ。


 ゼーレンの城門に着いたときには歩幅が半分になっていたのに、それでも杖をついて自分の足で入ると言った。止めたのは三人いた。誰の言うことも聞かなかった。


「ここまでは歩く」


 それだけだった。


 評議会の控え室で、俺はその背中を見ていた。骨の細さが衣の上からでもわかる。象牙色の角だけが、昔のまま残っている。


「来なくてよかった」


 俺が言うと、ゾーラは鼻で笑った。


「見届けずに死ねるか」


「死ぬ気で言うな」


「死ぬ気ではない。死ぬ身だ」


 返せなかった。事実だからだ。


 ナーシャが水差しを持ってきた。ゾーラは一口だけ飲む。


「あの場で何を言うつもりだ」


「聞きたいか」


「聞きたくない」


「なら本番まで取っておく」


 老女のくせに意地が悪い。だがその意地の悪さに、いつも救われてもきた。





 式典前の本会議場は、前に来たときより静かだった。


 人が少ないわけではない。議員も書記も衛兵もいる。だが今日は全員が、これから記録される場に立っている自覚を持っていた。咳払い一つでも後に残る空気だ。


 アルベルトが進行を告げ、調印の前に証言の機会を設けると言ったとき、数人の議員が顔をしかめた。予定にない、という顔だった。


 ゾーラが立つ。


 杖をつく手が少し震えていた。だが声は揺れなかった。


「私はゾーラ」


 名乗りだけで場が静まる。


「魔王ヴェルガの戦の間、後方で子と老人を見ていた者だ。将ではない。だが、戦の果てに何が残ったかは見てきた」


 殲滅派の議員が口を結ぶ。ブラウ村の男もいる。今日は前より遠い席だが、目だけは近い。


「我々は、あなた方の都市を焼いた者の末裔だ」


 一語ずつ置くように言った。


「その重荷を、背負っている」


 誰も動かない。紙をめくる音すら止まる。


「この条約は赦しではない」


 ゾーラの濁った目が議場をなぞる。


「赦しを乞うために来たのでもない。忘れてほしいと願うためでもない。我々は罰を受けて当然だ。その前提で、なお生きる」


 胸の奥がきしんだ。交渉の言葉としては、弱すぎる。


 それでも、誰も止める声を出さなかった。


「この条約は、存在に値することを証明する機会だ」


 議場の空気が変わった。理屈ではない変化だった。


「我々がこれから何を育てるか、何を守るか、何を差し出し、何を残すか。それを見てほしい。見た上で、それでも滅ぼすべきだと言うなら、そのときまた刃を向ければいい」


 殲滅派の一人が息を呑む。実利派の男が目を伏せる。アルベルトは動かない。


「だが今日ここで、我々が罪を知らぬ顔で居場所だけを求めていると疑うなら、それは違う」


 杖の先が床を一度だけ鳴らした。


「知っている。背負っている。その上で、生きる」


 短い沈黙。


 誰も拍手しない。そんな場ではない。だが、反論もすぐには出なかった。


 ブラウ村の男だけが、長くゾーラを見ていた。怒りは消えていない。消えるはずがない。ただ、その怒りを向ける先に、少しだけ別のものが混ざった顔だった。





 控え室に戻った途端、ゾーラの足が止まった。


 杖が床を滑り、体が傾く。俺とナーシャで支えるのが一瞬遅れたら、倒れていた。


「大母」


「騒ぐな」


 声だけはまだ強い。


 椅子に座らせる。呼吸が浅い。胸が細かく上下する。


「水を」


 ナーシャが走る。


 ゾーラは目を閉じたまま言った。


「ここまでは見届けたかった」


「まだ調印がある」


「あるな」


「なら立て」


「無茶を言う」


 それでも口元が少し笑った。


 水を飲み、呼吸を整え、しばらくしてから目を開く。濁りの奥に、妙に澄んだ光があった。


「本気でそう思っているのか」


 気づけば、そう訊いていた。


「何を」


「罰を受けて当然だと」


 ゾーラは一度も考え込まなかった。


「一語一句」


 胸の奥で何かがはねる。


「……俺は署名する」


「聞いたのはそれじゃない」


 さすがに、今そこを刺すのかと思った。


「お前は、生きることを正しいと思って署名するのか」


 答えが詰まる。正しい。そんな綺麗な言葉ではない。ましだ。必要だ。遅らせる。残す。育てる。そのどれでもあって、どれだけでも足りない。


「わからん」


 やっと出たのは、それだった。


 ゾーラは頷いた。


「ならまだましだ」


「わからないまま署名するのが?」


「正しい顔で署名するよりはな」


 息を吐く。怒る気にもなれなかった。


 ナーシャが控えめに扉を閉めた。俺たちのやり取りを聞こえないふりをしていたのだろう。たぶん全部聞いている。


「休め」


「調印までは死なん」


「そういう言い方をやめろ」


「嫌だ」


 その頑固さが、今日はありがたかった。


 だが立ち上がろうとしたゾーラの膝が、ひどく頼りなかった。老いは、哲学ほど強くない。


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