我々は罰を受けて当然だ
ゾーラは、担架を拒んだ。
ゼーレンの城門に着いたときには歩幅が半分になっていたのに、それでも杖をついて自分の足で入ると言った。止めたのは三人いた。誰の言うことも聞かなかった。
「ここまでは歩く」
それだけだった。
評議会の控え室で、俺はその背中を見ていた。骨の細さが衣の上からでもわかる。象牙色の角だけが、昔のまま残っている。
「来なくてよかった」
俺が言うと、ゾーラは鼻で笑った。
「見届けずに死ねるか」
「死ぬ気で言うな」
「死ぬ気ではない。死ぬ身だ」
返せなかった。事実だからだ。
ナーシャが水差しを持ってきた。ゾーラは一口だけ飲む。
「あの場で何を言うつもりだ」
「聞きたいか」
「聞きたくない」
「なら本番まで取っておく」
老女のくせに意地が悪い。だがその意地の悪さに、いつも救われてもきた。
◇
式典前の本会議場は、前に来たときより静かだった。
人が少ないわけではない。議員も書記も衛兵もいる。だが今日は全員が、これから記録される場に立っている自覚を持っていた。咳払い一つでも後に残る空気だ。
アルベルトが進行を告げ、調印の前に証言の機会を設けると言ったとき、数人の議員が顔をしかめた。予定にない、という顔だった。
ゾーラが立つ。
杖をつく手が少し震えていた。だが声は揺れなかった。
「私はゾーラ」
名乗りだけで場が静まる。
「魔王ヴェルガの戦の間、後方で子と老人を見ていた者だ。将ではない。だが、戦の果てに何が残ったかは見てきた」
殲滅派の議員が口を結ぶ。ブラウ村の男もいる。今日は前より遠い席だが、目だけは近い。
「我々は、あなた方の都市を焼いた者の末裔だ」
一語ずつ置くように言った。
「その重荷を、背負っている」
誰も動かない。紙をめくる音すら止まる。
「この条約は赦しではない」
ゾーラの濁った目が議場をなぞる。
「赦しを乞うために来たのでもない。忘れてほしいと願うためでもない。我々は罰を受けて当然だ。その前提で、なお生きる」
胸の奥がきしんだ。交渉の言葉としては、弱すぎる。
それでも、誰も止める声を出さなかった。
「この条約は、存在に値することを証明する機会だ」
議場の空気が変わった。理屈ではない変化だった。
「我々がこれから何を育てるか、何を守るか、何を差し出し、何を残すか。それを見てほしい。見た上で、それでも滅ぼすべきだと言うなら、そのときまた刃を向ければいい」
殲滅派の一人が息を呑む。実利派の男が目を伏せる。アルベルトは動かない。
「だが今日ここで、我々が罪を知らぬ顔で居場所だけを求めていると疑うなら、それは違う」
杖の先が床を一度だけ鳴らした。
「知っている。背負っている。その上で、生きる」
短い沈黙。
誰も拍手しない。そんな場ではない。だが、反論もすぐには出なかった。
ブラウ村の男だけが、長くゾーラを見ていた。怒りは消えていない。消えるはずがない。ただ、その怒りを向ける先に、少しだけ別のものが混ざった顔だった。
◇
控え室に戻った途端、ゾーラの足が止まった。
杖が床を滑り、体が傾く。俺とナーシャで支えるのが一瞬遅れたら、倒れていた。
「大母」
「騒ぐな」
声だけはまだ強い。
椅子に座らせる。呼吸が浅い。胸が細かく上下する。
「水を」
ナーシャが走る。
ゾーラは目を閉じたまま言った。
「ここまでは見届けたかった」
「まだ調印がある」
「あるな」
「なら立て」
「無茶を言う」
それでも口元が少し笑った。
水を飲み、呼吸を整え、しばらくしてから目を開く。濁りの奥に、妙に澄んだ光があった。
「本気でそう思っているのか」
気づけば、そう訊いていた。
「何を」
「罰を受けて当然だと」
ゾーラは一度も考え込まなかった。
「一語一句」
胸の奥で何かがはねる。
「……俺は署名する」
「聞いたのはそれじゃない」
さすがに、今そこを刺すのかと思った。
「お前は、生きることを正しいと思って署名するのか」
答えが詰まる。正しい。そんな綺麗な言葉ではない。ましだ。必要だ。遅らせる。残す。育てる。そのどれでもあって、どれだけでも足りない。
「わからん」
やっと出たのは、それだった。
ゾーラは頷いた。
「ならまだましだ」
「わからないまま署名するのが?」
「正しい顔で署名するよりはな」
息を吐く。怒る気にもなれなかった。
ナーシャが控えめに扉を閉めた。俺たちのやり取りを聞こえないふりをしていたのだろう。たぶん全部聞いている。
「休め」
「調印までは死なん」
「そういう言い方をやめろ」
「嫌だ」
その頑固さが、今日はありがたかった。
だが立ち上がろうとしたゾーラの膝が、ひどく頼りなかった。老いは、哲学ほど強くない。




