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魔族撤退戦記 ~勇者が魔王を殺した、その日から~  作者: どみさん


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13/29

条件は、武装解除

 天幕を張った。


 洞窟の前の開けた岩場に、布を二枚つなぎ合わせて支柱に掛けた。風が通り、隙間から空が見える。形ばかりの屋根だ。


 使節が到着して三日目。石積みの手前に留まった三人を中に入れるかどうかで丸一日揉めた。ドラクは「敵の目を中に入れるな」と言った。ゾーラは「門前で追い返すのは礼を欠く」と言った。俺は間を取った。洞窟群には入れない。だが石積みの外、山道が見える場所に会見の場を作る。三人には石積みの手前に天幕を建て、水と干し肉を出した。


 三人の使節のうち、二人は随員だった。主席は一人。先頭を歩いていた五十がらみの痩せた男だ。ヘルマンと名乗った。評議会の書記官。外交の専門家ではなく記録と伝達が仕事だと、自分から言った。


 外交官ではなく書記官。この場で何も決める気はないということだ。こちらを対等な交渉相手とまだ見ていないということでもある。


 ヘルマンは天幕の中に入り、地面に敷いた布の上に腰を下ろした。革靴の底が削れていた。この山を登ってきた足だ。


 俺は向かいに座った。ナーシャが右後ろに立つ。ゾーラが俺の左に杖をついて座った。ドラクは天幕の外にいる。入れとは言っていない。自分から入らなかった。だが声の届く距離だ。


 折れた角の断面を、親指でなぞった。





 ヘルマンが懐から羊皮紙を取り出した。丁寧な筆跡が見えた。


「新秩序評議会は、ヴァルム山脈に残存する魔族勢力に対し、以下の予備条件を提示します」


 声に感情がない。読み上げるためだけの声だ。


「第一条。全ての武装の即時解除。兵器、防具、攻撃に転用可能な道具を含む」


 武装解除。二万人の魔族から刀と弓を取り上げる。防具も。攻撃に「転用可能な」道具も含む。農具も石もこの括りに入れられる。


 取り上げてしまえば、あとは何でもできる。


「第二条。評議会が指定する居住区への移動。ヴァルム山脈の占拠は認められない」


 指定居住区。山を降りろ。人間が決めた場所に住め。出入りは管理する。


 この山は「占拠」ではない。逃げてきた場所だ。だが勝者の言葉で書けば「占拠」になる。そして山を降りれば、守れる地形がなくなる。


「第三条。五十五年の魔王戦争における戦争犯罪の承認。魔王軍に所属した全ての個体は、集団としてその責任を認めるものとする」


 全ての個体。


 兵站を運んだ者も。炊事をした者も。生まれた場所がたまたま魔王の領地だった子供も。ルッツのような若い兵も。ルッツの母親も。全員が罪人になる。


 ナーシャの右手が、腰の剣の柄に触れた。音もなく触れて、止まった。


「第四条。自治権の要求を行わないこと。居住区における秩序維持は、評議会が任命する管理官が行う」


 自治権の否定。何を食べ、何語で歌い、子供に何を教えるか。全て人間の管理官が決める。角を削れとは書いていない。だが文化を管理されれば、角は飾りになる。共鳴は儀礼から消え、やがて誰も使い方を知らなくなる。


 ヘルマンは羊皮紙を畳んだ。畳む動作が、読み上げの終わりを示した。


 天幕の布が風に揺れた。陽が翳り、雲の影が岩場を横切った。


 四つの条件は繋がっている。武器を奪い、山を降ろし、全員に罪を着せ、自治を潰す。一つを認めれば、残り三つを拒む論理がなくなる。


 そしてこれは殲滅派の言葉だ。ゲルトが言っていた。管理共存を掲げる議長が、この条件を持たされている。押されているのだ。


 先例がある。最初の提示は、相手の理想形だ。本気の条件はここから削る。


 頭ではわかっている。だが奥歯を噛んでいた。


 天幕の外で、石を蹴る音がした。ドラクだ。条件の一語一語が、布越しに届いていたはずだ。


 沈黙を、ドラクが破った。


 天幕の布が大きく揺れた。布を掴んで引き上げ、ドラクが中に踏み込んできた。大刀の柄に手がかかっている。残った右目がヘルマンを射ていた。


「聞こえたぞ」


 声が低い。


 ヘルマンの顔から血の気が引いた。随員の二人が後ずさった。


「武装解除。居住区。集団で罪を認めろ。自治はやらん。それがお前たちの答えか? この山で四人死んだ。二百人以上追い返した。それで寄越した紙切れがこれか?」


 ドラクが一歩近づいた。天幕の支柱が軋んだ。ヘルマンが口を開きかけた。声が出なかった。


「ドラク」


 ゾーラの杖が地面を打った。一度だけ。乾いた音が天幕の中に響いた。


「座れ」


 ドラクが振り返った。ゾーラの濁った目が、大柄な体を見上げている。背筋だけがまっすぐだった。


「お前の怒りは正しい。だが今ではない」


 大刀の柄を握る手が白い。顎が動いている。


 長い間があった。


 ドラクの手が柄から離れた。


「聞いてやる。だが俺は外だ」


 背を向けた。布をくぐり、出て行った。足音が石を叩いて遠ざかった。


 ヘルマンの額に汗が浮いていた。汗を拭う手が、わずかに震えていた。





「失礼した。続けましょう」


 俺の声は平坦だった。自分でも驚いた。


「ヘルマン殿。こちらの回答を伝える」


 殲滅派の条件を丸呑みすれば終わる。だが全面拒否すれば、穏健派が評議会で戦えなくなる。議長が持ち帰れる形にする。


 ヘルマンは姿勢を正した。新しい羊皮紙を手元に広げた。筆を取る手はもう震えていなかった。


「第一条について。全面的な武装解除は受け入れない。ただし、武装の上限を設定する用意はある。戦闘員の人数と装備の種類を限定し、一覧を評議会に開示する」


 ヘルマンの筆が羊皮紙の上を走った。


「第二条について。指定居住区への移動は受け入れない。ただし、居住域の設定については協議に応じる。ヴァルム山脈を含む一定の範囲を居住域として認める枠組みを提案する。我々が山を降りるのではなく、我々がいる場所を認める形だ」


 ヘルマンの筆が一瞬止まった。俺を見た。


「第三条について。戦争に対する責任を否定はしない。ただし集団責任ではなく、個人の責任として扱うことを求める。命令を下した指揮官と、命令に従った兵は区別されるべきだ」


 これが一番重い。否定すれば反省がないと取られる。認めれば二万人が罪人になる。個人の責任に切り替えるしかない。前世の知識が教えている。集団罰は集団を消す。個人責任なら、集団は残る。


 そしてこの論理を通すなら、俺自身が将軍として負う責任は重くなる。


「第四条について。自治権の全面否定は受け入れない。段階的な自治の承認を求める。最初は限定的でいい。生活の規律と文化の継承について、我々自身が管理する権限を保持したい」


 言い終えた。


 ヘルマンは筆を置いた。羊皮紙を丸め、懐にしまった。


「お伝えします。ただし」


「決定権がないことは承知している」


 ヘルマンが小さく頭を下げた。





 ヘルマンが立ち上がった。随員も続いた。天幕を出かけて、足が止まった。


「もう一つ、伝言があります」


 振り返った。条件を読み上げていたときとは違う目をしていた。何かを量る目だ。


「評議会議長アルベルト・ヴァイスは、ゼルド殿との直接の会談を希望しています」


 ゾーラの指が杖の頭に触れた。音は立てなかった。


「場所は?」


「ゼーレンです」


 ゼーレン。評議会の所在地。ゲルトの交易の起点。南麓を下り、旧占領地を抜け、平原の南端。馬でも七、八日はかかる。


 敵の首都だ。


 だが条件を突きつけるだけなら、使者で事足りる。議長が直接会おうとするのは、あの手紙を読んだからだ。勇者がいなくなった今、共鳴を持つ二万の魔族が山にいる。その統率者が何を考えているのか——知らないままにはしておけない。


 ヘルマンは答えを待たなかった。「ご検討ください」とだけ言い、天幕を出た。山道を下りていく三人の背中が、曲がり角の向こうに消えた。


 ナーシャが横に来た。


「行くの?」


「行かなければ、ここで止まる」


「行けば、殺されるかもしれない」


「殺すつもりなら使者は寄越さない」


 向こうも知りたいのだ。こちらが何者で、何を望んでいるのか。わからないから、会おうとしている。


 ナーシャの右手が剣の柄を握った。握ったまま、離さなかった。


 ゾーラが杖をついて立ち上がった。何も言わずに天幕を出た。濁った目が山道の先を見ていた。


 南から風が吹いている。雪ではない匂いがした。


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