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配下からの信頼が重すぎる  作者: きなこもち
第7章

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「連邦は祈りの形を選ぶ」

 


 聖冠連邦アルディウスは、名を置くことで世界を整えてきた国だ。


 異端。

 奇跡。

 加護。

 神敵。


 そうしてものごとに名を与え、意味を定め、その意味を祈りと秩序へ結びつけてきた。

 名は、ただの言葉ではない。

 連邦にとって名とは、世界をどう受け止め、どう並べ替え、どの方向へ心を向けるかを決める力そのものだった。


 だからこそ今、白霜外界の門前で起きていることは、連邦にとってひどく扱いづらい。


 応答は返った。

 向こう側には王がいた。

 しかも、それはただの災厄や怪異として片づけられるものではない。


 そこまで来てしまった以上、本来なら何らかの名を置きたい。

 名を置けば、国の祈りも、騎士の覚悟も、法の言葉も、一つの方向へ揃えられる。


 だが、ここで強い名を置けばたぶん壊す。

 門前を壊す。

 白を閉じさせる。

 せっかく返ってきた応答まで遠ざける。


 壊すと分かっていてなお名を置くのは、もはや信仰ではなく焦りだ。


 その焦りを、連邦はいま必死で飲み込もうとしていた。


 ---


 連邦側前進拠点の朝は、祈りの気配が薄かった。


 祈りがないわけではない。

 ただ、以前のように場を満たすほど濃くはない。

 白い布幕の内側に置かれた簡易祭壇も、燭台の火も、聖句板も、どこか控えめに見える。


 それは手抜きではない。

 怠りでもない。


 祈っていないのではなく、**祈りすぎないようにしている**のだ。


 その違いは、連邦の人間にとって想像以上に大きい。


 祈りとは、本来もっと満ちるものだ。

 意味を宿し、場を清め、心を揃えるものだ。

 それを自分たちの手で薄くするというのは、ある意味では自分の国らしさを少し削ることでもあった。


 リュミエラは簡易祭壇の少し手前に立ち、静かに呼吸を整えていた。

 目を閉じれば、白霜外界はすぐそこにある。


 見えるわけではない。

 だが、分かる。


 白は今日も遠くない。

 それどころか、応答以後の残響がまだ薄く続いていて、こちらの形を静かに確かめている感じすらある。


 怖い。

 やはり怖い。


 けれど、その怖さはもう“襲ってくるかもしれない”怖さではない。


 むしろ逆だ。

 こちらが強く名を置きすぎれば、また閉じる。

 こちらが意味を厚くしすぎれば、向こう側は慎重に身を引く。


 そう分かっているからこその怖さだった。


「…近いです」


 小さく呟く。


 布幕の入口で足音が止まる。


「入るぞ」


 アシュレイの声だった。


「どうぞ」


 彼が中へ入ってくる。

 鎧は着ていない。

 門前へ出る前の軽装で、剣も今日は背に負っていなかった。


 それだけでも、彼なりに“押しつけない形”を意識しているのが分かる。


 以前の彼なら、もっと分かりやすく勇者だっただろう。

 剣を持ち、前へ立ち、必要なら斬る。

 そういう役目の似合う男だった。


 だが今は違う。

 見たものを見たまま受け止め、押しすぎない方を選ぶ強さが、少しずつ身についている。


「どうだ」


 いつものように、彼は遠回しな言い方をしない。


「昨日までと、何が違う」


 リュミエラは少しだけ考えてから答えた。


「深いです」


「前から深かっただろう」


「はい」


「でも、今日は違います」


 彼女は胸へ手を当てたまま続ける。


「こちらを見ている、ではなく…こちらがどう祈るかを見ている感じがします」


 アシュレイは黙った。


 奇妙な言い方だ。

 だが、このところの彼はもう、リュミエラのそういう感覚を簡単には否定しない。


「祈り方、か」


「ええ」


「討つか、受け取るか、みたいな話か」


 その言い方は勇者らしく少し単純だった。

 だが、核心は近い。


「はい」


 リュミエラは頷く。


「強い意味を置く祈りなら、たぶんまた遠ざかります」


「じゃあ」


 アシュレイは腕を組んだ。


「いま必要なのは、“こちらの意味で包まない祈り”か」


「そうだと思います」


 そこまで言って、自分でも少し不思議になる。


 祈るのに、意味で包まない。

 連邦の人間なら、普通は矛盾して聞こえる言い方だ。


 だが今の白霜外界と、白き王に対しては、それが妙に正しい気がした。


 ---


 同じ頃、法王庁から届いた使者が前進拠点へ入っていた。


 携えてきたのは新しい指示ではない。

 法王ユリオス十三世の短い言葉だけだ。


 **「名を急ぐな。祈りの位置を守れ」**


 紙にすれば、たった一行。

 だが、その一行には今の連邦の苦しさが全部入っていた。


 白き王に何と名を置くのか。

 それはまだ決められない。


 だが決められないまま何もしないのでもない。

 祈ることを捨てるのでもない。


 祈りの位置を守る。

 つまり、こちらの信仰の形を崩さず、なおかつ押しつけにならない位置へ留まる。


 高度で、窮屈で、ひどく連邦らしくない学び方だった。


「猊下は正しいですね」


 リュミエラがその書簡を読み終えて言うと、アシュレイは小さく頷いた。


「そうだな」


「前なら、もっとはっきり名を置いていたと思います」


「ああ」


「でも今は、それが違うと分かっている」


 法王もまた、変わってきている。

 いや、正確には、ずっと慎重な人だったのだろう。

 今それが前へ出ているだけだ。


 連邦は大きい。

 大きい国ほど、一つの名で世界を整えようとする。

 だが今の北で必要なのは、整えすぎないことだった。


 ---


 昼前、異端審問局からの使者が到着した時、空気は少しだけ硬くなった。


 持ってきたのは命令ではない。

 だが、命令になり損ねた圧のようなものは十分にあった。


 グラウス本人ではなく、副官格の審問官が書状を差し出す。

 アシュレイが受け取り、その場で目を通した。


「何と」


 リュミエラが問うと、彼はあからさまに嫌そうな顔をした。


「“門前接見の可能性が高まるなら、なおさら連邦としての神学的位置づけを急ぐべき”だとさ」


 予想通りだ。

 むしろ、もっと強く出てきてもおかしくなかった。


「駄目です」


 リュミエラはすぐに言った。


「そうだな」


 アシュレイも即答する。


「今やれば、場を乱す」


 審問官は口を開きかけたが、アシュレイが先に遮った。


「ここは門前だ。異端審問局の机の上じゃない」


「しかし勇者殿、連邦としての立場を」


「立場を守りたいなら壊すな」


 その言い方は、少し前のアシュレイならしなかったかもしれない。


 以前の彼はもっと真っ直ぐで、もっと単純だった。

 だが今は、見たものを見たまま受け止める強さが育っている。


「白き王が何であるか、まだ断じ切れぬ」


 アシュレイは低く続けた。


「だが少なくとも、こちらが意味を押しつけるほど場が閉じるのは分かっている」


「なら今の連邦に必要なのは、断定ではない」


 審問官は表情を変えない。

 だが、押し切れるとは思っていない顔だった。


 法王の指示。

 聖女の感応。

 勇者の現場判断。


 この三つが揃っている以上、異端審問局といえど、今は門前で勝手を通しにくい。


「その旨、持ち帰れ」


 アシュレイが最後に言う。


「ここでは、祈りの形を乱すな」


 審問官は一礼し、無言で退いた。


 完全に納得していないのは明らかだ。

 だが今は、それで十分だった。


 ---


「強くなりましたね」


 使者が去ったあと、リュミエラがぽつりと言った。


「何がだ」


 アシュレイが眉を寄せる。


「前なら、もっと迷っていたと思います」


 その言葉に、彼は少しだけ視線を逸らした。


「迷ってるさ」


 短く返す。


「ただ、前より見たものをそのまま信じるようにはなった」


 それは勇者としての成長でもあった。


 教義。

 命令。

 国の大義。

 それらは大事だ。

 だが、今ここで本当に場に立っているのは自分たちだ。


 なら、見たものを無視してまで大義へ寄るのは違う。


「白き王は敵じゃないんですか」


 リュミエラがそっと問う。


 その問いに、アシュレイはすぐには答えなかった。


「…まだ分からない」


 やがて、そう言う。


「でも、少なくとも“討てばいい相手”ではない」


 それだけで十分大きな変化だった。


 黒翼の終王クロウも。

 白き王ルシエルも。

 以前なら、もっと単純な敵として処理しようとしていたかもしれない。


 だが今は違う。

 見た上で、違うと言える。


 それは勇者としてかなり強い。


 ---


 午後、連邦側の祈りの位置はさらに一段調整された。


 布幕の位置を少しだけ後ろへ。

 祭壇の向きをわずかにずらす。

 燭台の数を減らす。

 祈祷士の列も、厚く並べない。


 外から見れば微差だ。

 だが門前では、その微差の方が大きい。


 祈りを消すのではない。

 こちらの意味の圧を少しだけ薄める。


「変な感じですね」


 調整を見ながら、リュミエラが言う。


「何がだ」


「祈りを正しくするために、祈りを少なくするのが」


 アシュレイは少しだけ口元を緩めた。


「たしかにな」


 連邦らしくない。

 だが、今はそれでいい。


 いちばん大事なのは、ルシエルとクロウが同じ場へ立てる条件を壊さないことだ。

 連邦がここで厚い意味を置けば、その一点がまた濁る。


 なら連邦の役目は、祈りを押し通すことではない。

 祈りの形を削ることだ。


 やがてリュミエラはそっと目を閉じた。

 胸へ手を当て、深くは祈らず、薄く息を整える。


 その瞬間、白の奥の気配がわずかに静まった。


「…いま」


 彼女が小さく呟く。


「どうした」


「少しだけ」


 目を開ける。


「遠ざかりませんでした」


 それは連邦にとって、かなり大きな手応えだった。


 祈らないのではない。

 祈り方を変えれば、場を壊さずに済む。


 そのことが、理屈ではなく感覚として返ってきたのだ。


 ---


 夕方、連邦から黒翼庭へ短い報告が送られた。


 **連邦は接見段階において、意味を厚く置かない。祈りは位置の保持に留める。**


 その書面を読んだクロウは、少しだけ目を細めた。


「…思ったより早いな」


 ヴェルミリアが問う。


「何がですか」


「連邦がそこまで素直に削るとは思わなかった」


「勇者殿と聖女様が、現地で正しく機能しているのでしょう」


「だろうな」


 アシュレイとリュミエラ。

 連邦の中で、この二人が前へ出ていることの意味は大きい。


 強硬派だけなら、たぶんもっと面倒になっていた。

 だが今は違う。


 連邦は揺れている。

 それでも門前では、壊さない側へ半歩寄っている。


「助かる」


 思わず本音が出た。


 ヴェルミリアはいつものように、それをそのまま受け取る。


「はい」


「連邦は、いま“祈る国”ではなく“祈りの位置を守る国”になりつつあります」


「…上手く言うな」


「事実ですので」


 それもたしかに、事実だった。


 帝国は席を外さない。

 連邦は名前より先に祈りの形を選ぶ。

 王国は見すぎない。

 商盟は静けさを売らない。


 少しずつだが、各国は“会うための条件”の一部になり始めている。


(整ってきたな)

(嫌なくらい)

(本当に、少しずつ全部が噛み合ってくる)

(こういう時はたいてい、次も面倒なんだよな)


 そう思う。

 だが、面倒だから止める段階はもう過ぎている。


 白き王に届く距離は、距離ではなく深さだった。

 そしてその深さは、一国の力だけでは届かない。


 帝国が押さえ、王国が見極め、連邦が祈りを薄め、商盟が流れを絞り、黒翼庭が中央で揺れない。

 その全部が揃って、ようやく一つの場になる。


 だから連邦が、名前より先に祈りの形を選んだことは、接見へ向かう上でかなり大きな一歩だった。



最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。

引き続きよろしくお願いいたします。

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