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配下からの信頼が重すぎる  作者: きなこもち
第7章

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89/90

「白の王に届く距離」

 

 白霜外界において、距離という言葉はあまり信用できない。


 近いと思った場所が急に遠くなり、届かないと思っていたものが、ある瞬間だけ妙に手前へ来る。

 目で見た位置と、意味としての位置が噛み合わない。

 歩けば近づく。

 立ち止まればそこに留まる。

 そんな普通の理屈が、この白の中では簡単に崩れる。


 だから門の前で「どこまで進んだか」を話す時、ただ歩数だけで考えるのはだいたい間違いだった。


 翌朝、黒翼庭の前進拠点に設けられた仮設会議卓には、白霜外界の位相図が何枚も広げられていた。


 今日の主役は、兵でも外交文書でもない。

 観測記録だ。


 黒翼庭からはクロウとヴェルミリア、バルザード。

 王国からはオルフェンとリセリア、そしてザイード。

 帝国と連邦、商盟は現地の配置確認へ回り、この場では“接見条件の理屈”を優先していた。


 白の向こうに届く距離とは何か。

 その答えを、いま持っている材料から絞るためだ。


 卓の中央に置かれた結晶板の光を見ながら、クロウは内心でかなり率直に思っていた。


(嫌な顔ぶれだな)

(王国が本気で集まる時って、だいたい逃げ場がなくなる)

(理屈で詰められるからな)

(しかも今回は、理屈が通りそうなのが一番嫌だ)


 門前案件はここまでだいたいそんな感じだった。

 なんとなく上手くいった、で誤魔化したい局面ほど、あとで綺麗に理屈がついて逃げにくくなる。


 今回もたぶん、そうだ。


「始めます」


 オルフェンが静かに言った。


 王国の筆頭賢者らしく、声に無駄がない。

 余計な前置きも、場を飾る言い回しもない。

 必要なことだけを、必要な順番で置いていく声だった。


「昨日までの結論は共有済みです。接見に必要なのは接近ではなく、同じ場へ立てる深さを揃えること」


「その先だな」


 クロウが短く返す。


「はい」


 オルフェンは頷いた。


「では本日は、“深さ”とは何かを定義します」


 ひどく嫌な言い方だ。

 だが、まさにそこが本題だった。


 ---


 最初に口を開いたのはリセリアだった。


 彼女は結晶板の表面を指先でなぞりながら言う。

 板の中には、これまでの観測結果を重ねた細い線が幾重にも走っている。

 白の揺れ、門前の浅まり、応答が返った瞬間の位相差。

 どれも小さな変化だが、この場ではその小ささがそのまま重さになる。


「昨日までの記録を重ねると、白の反応には三つの段階があります」


「言え」


「第一段階。観測者に対して白が反応する段階」


 白が浅くなる。

 濃くなる。

 距離が揺れる。

 立ち位置がずれる。

 ここまでは初期から何度も見てきた。人間側の接近や緊張や無理解に対して、白霜外界が直接反応していた段階だ。


「第二段階。門前そのものに意味が生まれ、白がその意味へ応じる段階」


「受容配置以後、ですね」


 バルザードが言う。


「はい」


 リセリアも頷いた。


「人そのものではなく、場に反応が移りました。誰が立つかだけではなく、どういう秩序でそこに立っているかに白が応じ始めた段階です」


 それはもう、観測ではなく関係に近い。

 こちらがどういう場を作っているか。そこへ白がどう返してくるか。

 そういうやり取りが成立し始めていた。


「そして第三段階」


 ここで彼女の声が少しだけ静かになる。


「白の向こう側が、こちらの場そのものを“受け取り可能なもの”として認識し始める段階です」


 それが、ここまでの到達点だろう。


 意味の断片。

 個別呼応。

 明確な応答。


 そこまでは、もう起きた。


「問題は」


 オルフェンが引き取る。


「第三段階と接見の間に、まだ一つ深さが足りないことです」


「一つ、か」


 クロウが低く言う。


「はい」


「応答は返る。ですが、まだ“向こう側がこちらを迎え入れる深さ”にまでは至っていない」


 迎え入れる、では少し強い気もした。

 だが、言いたいことは分かる。


 向こうは返してきた。

 だが、こちらを完全に自分の場へ立たせたわけではない。

 だから応答はあっても、接見には至っていない。


「…それは何で決まる」


 クロウが問う。


 答えたのはザイードだった。


「王権の焦点ですな」


 古い声が、低く落ちる。


「焦点」


「はい。いま向こう側は、陛下を“終わらせる者”として認識しておる。だが、まだ“こちらへ立たせる王”としては測り切れておらぬ」


 その説明は、嫌なくらい納得できた。


 向こうはクロウを知っている。

 呼びかけもした。

 だがそれはあくまで、向こう側からの認識だ。


 接見となると、そこへもう一つ必要になる。


 向こう側の王権空間が、終王クロウを“ここへ立たせても崩れぬ存在”として受け入れること。

 つまり、認識だけでは足りない。

 許容が必要なのだ。


(本当に面倒だな)

(呼ばれただけでは足りないのか)

(いや、足りないんだろうな)

(会うってそういうことだもんな)

(相手が“お前をここへ立たせる”と決めないと成立しない)


 かなり厄介だ。

 そしてかなり筋が通っている。


 ---


「そこに必要なのが」


 ヴェルミリアが静かに言葉を継ぐ。


「“届く意思”ではなく、“届いても崩れぬ芯”ということですね」


「ええ」


 オルフェンが頷いた。


「こちらが“会いに行く”意志を強めるほど、おそらく場は重なりません」


「押しつけになるからか」


「はい」


 リセリアが答える。


「ですが逆に、“届いてもよい形で揺れずにいる”ほど、白は深く重なれる」


 結局またそこへ戻る。


 会いたがるな。

 揺れるな。

 押すな。

 壊すな。


 門前でずっと言われてきたことの延長だ。

 ただし今回は、その精度がさらに高く求められている。


「だったら」


 クロウは卓上の位相図を見たまま言う。


「接見条件っていうのは、要するに“私が会いに行く”じゃないな」


「はい」


 ヴェルミリアが即答する。


「“向こうが陛下を場へ迎えられる深さまで、こちらが崩れずに揃う”の方が近いかと」


 相変わらず、ひどく嫌なほど正確な言い方をする。

 だがその方が、たしかに本質に近い。


 こちらが頑張って会いに行く話ではない。

 向こうが“ここなら重ねてよい”と思えるところまで、こちらが静かに揃う話だ。


「…ひどく受け身だな」


 クロウが言うと、リセリアが小さく苦笑した。


「はい。でも今回ずっとそうではありませんか」


「そうだな」


 否定できない。


 補助宮から白霜外界、門前秩序、受容配置、応答。

 どれも、こちらが押し開けた結果ではなく、“押さなかったから返ってきた”側面が強い。


 なら接見もまた、そうなのだろう。


 ---


 そこでバルザードが、おずおずと一枚の補助図を差し出した。


「もしこの仮説が正しいなら」


「何だ」


「接見条件には、位置ではなく“同期”が必要になります」


 結晶板には、二つの輪郭線が重なる図が描かれている。


 一つは黒。

 一つは白。


 完全に一致はしない。

 だが、一部だけが静かに重なっている。


「王権同期、とでも呼びましょうか」


「大げさだな」


「でも近いです!」


 珍しく食い下がった。


「陛下は終わるべきものを終わらせる王です。向こうは、まだ終えてはならないものを留める王。役割は違いますが、どちらも“世界の歪みに対する王権”です」


 そこへオルフェンも静かに補足する。


「同質ではない。ですが、同格であり、しかも互いに食い合わぬ役割です」


「だから一部だけ重なる」


 ザイードが低く言う。


「終王と静王。その王権の焦点が一瞬でも同期すれば、門はもはやただの境界ではなくなる」


 クロウはしばらくその図を見つめた。


 たしかに、そうかもしれない。


 同じ王ではない。

 同じではないからこそ、全部重なる必要もない。

 だが一部、世界の歪みを引き受ける王としての核が合うなら、そこに接見の細い橋がかかる。


「…なるほどな」


 低く呟く。


「会うんじゃない。重なるのか」


「はい」


 ヴェルミリアが答えた。


「少なくとも、いま見えている現象はそう整理した方が自然です」


 ---


 しばらく沈黙が落ちた。


 誰も軽々しく次を言わない。

 それだけこの結論が重いのだろう。


 王権同期。

 同格の一部が重なる。

 終王と静王。


 全部、それっぽくて面倒だ。

 だが“それっぽい”の域を超えて、たぶん本当にそうなのだ。


「じゃあ」


 クロウはようやく口を開く。


「接見に必要なのは、向こうへ届く力でも、踏み込む権利でもない」


 全員が視線を向ける。


「私と向こうが、食い合わずに重なる一点か」


「はい」


 リセリアが息を整えるみたいにして答えた。


「それが最も近いです」


 その時、クロウの中でようやく次にやるべきことが一本にまとまった。


 中央を強めるのではない。

 むしろ揺れないように保つ。

 各国の役目も、押し出すのでなく削って整える。

 終王としても、会いたい意思を前へ出さず、呼ばれた後の位置に留まる。


 そうして初めて、向こうの白い場と重なれる一点ができる。


(見えたな)

(嫌だが、見えた)

(本当にこういう時は嫌なくらい筋が通る)

(だったらやるしかないか)


 その“やるしかない”へ至る速度が、少し前より早くなっていることに、自分で少しだけ気づく。


 ---


「分かった」


 クロウは静かに言った。


「では次は、“届く”ではなく“重なる”ための調整だ」


 短い言葉だった。

 だが、室内の空気はそれだけで一段締まる。


「接見配置をさらに絞る」


 続ける。


「中央は広げない。むしろ揺れを減らす」


「王国は見るな。記録しろ」


 オルフェンが深く頷いた。


「帝国は外を押さえるだけでいい。中央へ武を感じさせるな」


「連邦は意味を置くな。祈る位置だけを保て」


「商盟は流れを削れ。さらに静かにしろ」


「そして私は、会いたがるな…か」


 その最後の一言に、ヴェルミリアがほんのわずかに目を細めた。


「はい」


「それが最も重要かと」


 やはりそうなる。

 分かっていたが、口にすると少しだけ腹が立つ。


 会うための条件が、“会いたがるな”というのは本当に理不尽だ。

 だが、たぶんここではそれが一番正しい。


 ---


 会議が終わり、王国組が退出したあと。


 クロウは前進拠点の外へ出て、白霜外界の方角をしばらく見ていた。


 今日はまだ配置変更の前だ。

 だから白そのものに大きな変化はない。


 それでも、向こうにいるのだと思う。

 白睡の静王ルシエル。

 まだ終えてはならないものを眠りへ留める王。


 自分とは違う。

 だが、同じ高さに立つ王。


(本当に会うことになるのか)

(…なるんだろうな)

(面倒だな)

(でも、会わないままにはできないか)


 そこまで考えた時、背後からヴェルミリアの気配が近づいた。


「陛下」


「何だ」


「本日は、昨日までより少しだけ声が静かでした」


「そうか」


「腹が定まった時の静けさです」


「お前はそういう言い方が好きだな」


「事実ですので」


 相変わらずだ。

 だが、いまはそれでよかった。


 理屈は見えた。

 次に何を削り、何を残すかも見えた。

 なら、あとは整えるだけだ。


「白の王に届く距離、か」


 クロウは小さく呟く。


「距離じゃありませんね」


 ヴェルミリアが答える。


「ええ」


「同じ場へ立てる深さです」


 その言葉は、やはりひどく正確だった。


 白霜外界において、距離という言葉は信用できない。

 だが深さなら、たぶん少しだけ本質に近い。


 会うために必要なのは、前へ進むことではない。

 同じ場へ立てる深さまで、こちらを揃えること。


 その条件が見えた時点で、もう次の段階は始まりかけていた。



最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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