「会うための条件」
返事が来たあとで分かるのは、返事そのものより、その先の面倒さだった。
黒鴉城ネヴァーグレイヴの朝は静かだ。
静かだが、休まる静けさではない。
今日は特にそうだった。
小会議室の卓には、門前図、白霜外界位相記録、各国の立ち位置整理、そして新しく加わった一枚の記録板が並んでいる。
**接見前段階**
この言い方がもう、あまりにも嫌だった。
もちろん嫌だと言っても、間違っているわけではない。
むしろ正しい。
正しいからこそ、いよいよ逃げ場がなくなる。
クロウはその一文を見ながら、かなり率直に思っていた。
(分かる)
(分かるんだが)
(返事が来た以上、その先は“会う”しかない)
(ないんだが)
(いざこうして文字にされるとすごく嫌だな)
(面倒だな、本当に)
面倒だった。
最初は状況確認だった。
次は門前秩序。
その次が受容配置。
そして応答。
流れとしてはきれいすぎるほどきれいだ。
きれいだから困る。
雑な飛躍が一つでもあれば、まだ“もう少し様子を見る”で逃げられるのに、今は嫌なくらい筋が通っている。
返事が来た。
向こうに王がいた。
終王である自分に返した。
なら、次に必要なのは接見条件の確立だ。
理屈としては完璧だ。
完璧だから気が重い。
扉が静かに開いて、ヴェルミリアが入ってくる。
「おはようございます、陛下」
「ああ」
「皆も間もなく」
「分かった」
その少し後に、ガルド、セラフィナ、バルザードが入ってきた。
四天王が揃うと、いつものように空気が一段締まる。
締まるが、今日はさらにその上に“もう次へ進むしかない”という確認みたいな重さが乗っていた。
「始めます」
ヴェルミリアが言う。
「本日の論点は一つ。応答の次に、何を満たせば“会う”へ至るかです」
やはり、真正面から来た。
---
「まず前提を確認します」
ヴェルミリアは記録板を一枚示した。
「門前秩序は成立済み」
「受容配置も成功」
「白の整いも二日以上継続」
「意味断片の受領あり」
「個別呼応あり」
「明確な応答あり」
そこまで並べられると、本当にもう否定のしようがない。
返事は来た。
向こう側は確かにこちらを見ている。
しかも終王を認識している。
「ここまで来た以上」
ヴェルミリアが続ける。
「門前は単なる観測地点ではなく、接見へ向かう前室に近い性質を持ち始めています」
「前室」
クロウが低く繰り返す。
「はい」
「門そのものを開くのではなく、向こう側と同じ場へ立てる条件を整える場所、と言い換えてもよろしいかと」
その説明はかなり分かりやすかった。
開ける。
攻略する。
踏み込む。
そういう感じではない。
同じ場へ立てるように、こちらを整える。
そのための前室。
(また上手い言い方をするな)
(いや、実際近いんだろう)
(門は扉じゃなくて境界だ)
(なら、こちらが向こうと噛み合う形にならないと駄目か)
そこまで考えた時、バルザードが珍しく落ち着いた声で言った。
「おそらく、接見条件は“距離”ではありません」
「だろうな」
クロウも頷く。
距離で会えるなら、もっと単純な話になっている。
「第二圏の観測成功も、受容配置も、応答も、全部“どこまで近づいたか”より“どういう意味で立っていたか”に寄っています」
「はい」
ヴェルミリアもすぐに続ける。
「なら接見に必要なのも、接近ではなく“意味の一致”かと」
「…会うって、本当に面倒な言い方だな」
思わず漏れる。
セラフィナがやわらかく微笑む。
「はい。ですが、陛下らしい形かと」
「何がだ」
「踏み込まずに届く、という点が」
それを言われると、少しだけ言葉に詰まる。
たしかに、ここまでの流れは全部そうだ。
強く押して開けたことはない。
むしろ押さないこと、急がないこと、壊さないことの方が前へ進んできた。
だから今回も、たぶん同じなのだろう。
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「接見条件の候補を三つに分けました」
バルザードが新しい記録板を出す。
珍しく字がきれいだった。
やはり今日は本人も多少緊張しているらしい。
そこには三つの項目が並んでいた。
**一、王権の同位性**
**二、場の静的連結**
**三、意味の押しつけの不在**
「ひどくそれっぽいな」
クロウが言う。
「ありがとうございます!」
「褒めてない」
バルザードは少しだけ咳払いしたあと、説明を続けた。
「一つ目。“王権の同位性”」
「これは、接見が“誰でも行ける対話”ではなく、“同じ高さの王権同士が重なる現象”である可能性です」
「…それはありそうだな」
応答が自分にだけ深く返った以上、そこはかなり有力だ。
「二つ目。“場の静的連結”」
「昨日までの白の整い方から見るに、向こう側とこちら側の場が一瞬だけ“ぶれずに重なる”必要があります」
「門をくぐるんじゃなく、場所が重なるのか」
「はい。おそらくは」
ここまで来ると、もはや術式というより位相そのものの話だ。
「そして三つ目。“意味の押しつけの不在”」
ここでバルザードの声が少しだけ低くなる。
「接見を急ぎすぎると、こちら側が“会いに行く意味”を先に厚くしすぎます」
「すると」
「向こう側の返す余地が死にます」
ひどく分かりやすい。
会いたい。
知りたい。
見たい。
その気持ちが強くなりすぎるほど、場は壊れる。
これまでずっとそうだった。
だから接見でも、やはりそこが一番危ないのだろう。
「つまり」
クロウは低く言った。
「会いたがるな、ってことか」
「はい」
ヴェルミリアが頷く。
「少なくとも、“会うこと自体”を目的にしすぎれば危ういかと」
会わなければならない。
でも、会いたがってはいけない。
ひどい話だ。
ひどいが、門前案件はだいたいそういう理不尽さでできている。
(面倒だな)
(本当に面倒だな)
(必要だから進む。だが欲しがるな)
(そういうことなんだろうな)
(やりたくないわけじゃない)
(でもやりたがるのも違う)
(…厄介すぎるだろ)
---
ガルドがそこで低く言った。
「武の話なら、分かりやすいです」
「言え」
「敵陣へ踏み込む時、こちらが勝ちたがりすぎると崩れます」
「あるな」
「はい。勝つために前へ出すぎれば、逆に足場を失う」
「今回は、会うために前へ出すぎるのがそれに近いかと」
かなり分かりやすかった。
接見したい。
それ自体は間違いじゃない。
だがその気持ちを前へ出しすぎると、場の均衡が崩れる。
必要なのは会いたい気持ちではなく、会っても壊れない状態。
結局そこへ戻る。
「なら」
クロウは卓の上の門前図を見ながら言う。
「接見条件っていうのは、要するに“会っても壊れない位置”のさらに先か」
「はい」
ヴェルミリアが答える。
「“会っても壊れない”だけでは足りません。“同じ場へ立っても、互いの意味を食い合わない”必要があります」
食い合わない。
それもまた、嫌なくらいしっくり来る表現だった。
終王の意味が強すぎれば、向こう側を裁く場になる。
向こう側の白が強すぎれば、こちらの輪郭が溶ける。
だから必要なのは、そのどちらでもない均衡。
同じ高さで立てる、一瞬の重なり。
---
「王国側にも意見を求めた方がよろしいかと」
ヴェルミリアが言う。
「呼べ」
やがて、小会議室へオルフェンとリセリアが入ってくる。
すでに話の流れは共有済みらしく、二人とも最初から重い顔をしていた。
「接見条件、ですか」
オルフェンが言う。
「ああ」
クロウが短く答える。
「そちらはどう見る」
オルフェンは記録板を一枚出した。
「結論から申し上げます」
「門前はもう“見る場”では足りません」
「そこまでは同じだな」
「はい。次に必要なのは、“向こう側の王権空間と局所的にでも位相を揃えること”です」
やはり、同じ結論へ来る。
「条件は三つかと」
リセリアが引き取る。
「一つ、中央の王権核が揺れないこと」
「二つ、観測が前へ出すぎないこと」
「三つ、周囲の国家意思が場を奪わないこと」
「…ずいぶん身も蓋もないな」
クロウが言うと、リセリアは少しだけ苦笑した。
「身も蓋もありません。ですがそのくらい単純です」
つまり、クロウが中央で揺れずに立つ。
王国は見すぎない。
帝国や連邦や商盟も、自分の国の意味を持ち込みすぎない。
そこまで揃って、ようやく“同じ場へ立てる”可能性が出る。
「向こう側からの条件は」
クロウが問う。
オルフェンは少しだけ考えてから答えた。
「応答を見る限り、終王たる陛下ご自身へ返す意志はある」
「ああ」
「なら、残る問題は“返せる深さまでこちらが届くか”です」
返せる深さ。
良い言葉だと思った。
会うとは、向こう側へ押し込むことではない。
向こうが返しきれる深さまで、こちらの形を揃えることだ。
---
そこで、クロウはしばらく黙った。
全員も黙る。
この沈黙は、いつものように“陛下が何か考えておられる”の顔で見られているのだろう。
実際にはかなり普通に考えていた。
(やることは見えてる)
(中央を揺らさない)
(周りを静かに保つ)
(意味を押しつけない)
(要するに、会うために会いたがるな、だ)
(本当に面倒だな)
そして、そこまで整理すると逆にもう腹をくくるしかなくなる。
ここで止まっても、次の段は来る。
だったら自分で整えた方がいい。
「…分かった」
クロウは低く言った。
「なら、次に必要なのは接近じゃない」
卓上の門前図へ視線を落とす。
「同じ場へ立てる深さを揃えることだ」
短い沈黙。
それからヴェルミリアが深く頭を下げた。
「はい」
「そのために、門前を今一度組み替える」
続ける。
「今度は“会うための配置”だ」
誰も異論を挟まない。
やはり、もうそうとしかならないのだろう。
「各国の役目は維持。ただし一段進める」
クロウは言う。
「帝国は外縁を押さえるだけでなく、“中央へ武を感じさせない外縁”にしろ」
「王国は見るな。見誤るな」
オルフェンが無言で頷く。
「連邦は祈るな、ではない。祈りを厚くするな」
そこへセラフィナが言う。
「すでに調整を始めております」
「商盟は雑音を減らせ。さらに減らせ」
ヴェルミリアが答える。
「メリゼア殿にもその意図は伝わるかと」
「そして」
一度だけ言葉を切る。
この先が、一番面倒だ。
「私は中央で揺れない」
それは命令というより、確認だった。
だが一番大事なのはたぶんそこだ。
会うために必要なのは、終王が“会いたがる”ことではない。
終王が、呼ばれたあとも崩れずに立っていることだ。
その役目が、結局また自分へ戻ってくる。
(本当に最後までこれだな)
(いや、分かってた)
(分かってたが)
(やっぱり一番面倒なのは私か)
---
会議が一段落したあと、人が少しずつ引いていく。
オルフェンたちは王国側配置の再調整へ。
四天王もそれぞれの役目へ戻る。
最後に残ったのはヴェルミリアだけだった。
「陛下」
「何だ」
「本日は、昨日より少しだけお顔がはっきりしておられます」
「どういう意味だ」
「腹が決まったお顔です」
クロウは少しだけ眉を寄せる。
「決まりたくて決まったわけじゃない」
「存じております」
「だが、やるしかないのも分かっている」
「はい」
「そういう顔です」
言い返しにくい。
言い返しにくいが、たぶんその通りなのだろう。
接見したいわけではない。
いや、したくないわけでもない。
そこが一番ややこしい。
会う必要がある。
そしてたぶん、自分でももう会いたくないとは思っていない。
ただ、その気持ちを前へ出した瞬間に壊れる。
だから、会いたいのに会いたがるな、という理不尽な作法を守るしかない。
「…面倒だな」
やはり最後はそれになる。
ヴェルミリアはごくわずかに目元を和らげた。
「はい」
「ですが、ここまで来たからこその面倒かと」
「そうだな」
短く返す。
そこだけは、もう否定しない。
返事が来る前には辿り着けなかった面倒だ。
呼ばれる前にも。
白き王がいると分かる前にも。
なら、この面倒は進んだ先にあるものだ。
そう思えば、少しだけましだった。
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