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配下からの信頼が重すぎる  作者: きなこもち
第6章

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「白き眠りからの応答」

 

 その夜、クロウはほとんど眠れなかった。


 眠れないと言っても、まったく目を閉じなかったわけではない。

 ちゃんと寝台には入ったし、呼吸も整えた。

 けれど、頭のどこかがずっと白霜外界の門前に立ったままだった。


 ――終わらせる者。


 あの呼びかけが、耳ではなく胸の奥に残っている。


 声ではない。

 はっきりした会話でもない。

 それでも、あまりにも明確だった。


 向こう側は、自分を知っている。

 少なくとも、そう呼ぶだけの認識を持っている。


 理屈としては、別におかしくないのかもしれない。

 王権に連なる門なら、七柱のことを何も知らないはずがない。

 終王を知らずにいては、むしろ不自然ですらある。


 理屈としてはそうだ。

 そうなのだが、実際に呼ばれると話は別だった。


(面倒だな)

(本当に面倒だ)

(知っている相手が向こうにいる、ってことだろ)

(いや、まだ“相手”と決まったわけでもないか)

(でも少なくとも、何かは私を“終わらせる者”として見ていた)

(…重いな)


 重い。


 重いが、不思議と嫌悪だけではなかった。


 怖さはある。

 警戒もある。

 それでも胸のどこかに**「本当にいたのか」**という、どうしようもなく静かな実感も残っている。


 それがまた落ち着かなかった。


 いないかもしれないものを相手にしている間は、まだ逃げ道がある。

 推測で済ませられる。

 記録の問題にできる。

 だが、向こう側から言葉の形をした断片が返ってきた以上、もうそれは難しい。


 白の向こうに、ただの現象ではない何かがいる。

 そこまでは、もう認めるしかなかった。


 ---


 翌朝の門前は、昨日まででいちばん静かだった。


 各国とも、もう余計なことは一つもしたくない顔をしている。

 帝国は境界でいっそう規律を固め、王国は記録をさらに絞り、連邦は祈りの気配を薄くし、商盟はほとんど影のように人と情報の流れを止めている。


 そして黒翼庭の中央。


 クロウは昨日と同じ位置に立ちながら、今日は少しだけ感覚が違うことに気づいていた。


 昨日までは**“待つために立つ”**だった。


 今日はそこへ、もう一つ意味が乗っている。


 **呼ばれたあとで、壊さずに立つ**


 その違いは大きかった。


 向こう側はすでにこちらを見た。

 しかも、ただ見ただけではない。

 自分を“終わらせる者”として呼んだ。


 なら、こちらもまたその事実に浮つかず、崩れずに立たなければならない。


 かなり難しい。

 そしてかなり面倒だ。


「陛下」


 ヴェルミリアがごく小さな声で言う。


「境界、安定」


「ああ」


「記録線、問題なし」


「分かった」


「中央も、昨日のまま保たれています」


「…そうか」


 それだけのやり取りだった。

 だが、今はそれでいい。


 何しろ今日は、少しでも**“今日は来るかもしれない”**という気配を前へ出すと、それだけで白が身を引きそうな感じがある。


 期待すら、押しつけになる。


 そういう日だった。


(本当に面倒だな)

(来るかもしれない日に限って、期待するなって話なんだろ)

(いや、分かる)

(分かるが、人間そう簡単に期待を消せるかと言われるとだな)


 もちろん、顔には出さない。

 最近はそれだけはだいぶ上手くなった。


 ---


 朝の観測が始まってしばらくは、何も起きないように見えた。


 白は整っている。

 門前も乱れていない。

 昨日の呼びかけの余韻だけが、静かに場の底へ残っている。


 それでも、違いは確かにあった。


 白が遠くない。


 近づいたわけではない。

 距離そのものは相変わらず普通ではない。

 だが**“向こう側がただ向こうにあるだけではない”**感じが、昨日よりもさらに濃くなっている。


 リュミエラは胸へ手を当てたまま、小さく息を整えていた。

 今日はその感知が、これまででいちばん静かだった。


 静かで、深い。


 怖い。

 それは消えない。

 だが、怖さの中にある慎重さが、もうはっきりと“誰かのもの”に近づいている。


「どうだ」


 アシュレイが低く問う。


「近いです」


 リュミエラは答える。


「昨日より、さらに」


「危ないか」


 その問いに、彼女は少しだけ目を閉じた。

 胸の奥にある気配を確かめるように、数呼吸だけ沈黙する。


「…怖いです」


「それはそうだろうな」


「でも、危ないという感じではありません」


 その答えに、アシュレイもすぐには言葉を返さなかった。


 怖い。

 けれど害意ではない。

 深い。

 けれど押し潰してくる感じでもない。


 向こう側は、こちらへ無理に踏み込むつもりではなく、むしろ慎重に近づき方を測っている。

 そんな感触だった。


「昨日より“見ている”感じか」


 アシュレイが言う。


「はい」


 リュミエラは頷く。


「探っているというより…決めている感じです」


「何を」


「返すかどうかを」


 短い答えだった。

 だが、それだけで十分だった。


 向こう側はいま、まさに決めているのだろう。

 返すか。

 どこまで返すか。

 何を返すか。


 そういう段階に、たぶん入っている。


 ---


 王国側でも、リセリアがほとんど同じ結論へ辿り着いていた。


「揺れ方が違います」


 彼女は結晶板を抱えたまま言う。


「昨日までは、“こちらを見ている揺れ”でした」


「今日は」


 オルフェンが問う。


「“向こう側で何かが定まりつつある揺れ”です」


 ザイードが喉の奥で低く息を鳴らした。


「返書、か」


「その可能性が高いです」


 言葉としてはまだ慎重だ。

 だが、顔はかなり確信に近い。


 学者は、分からないものの前で興奮しやすい。

 それでも今、リセリアが無理に前へ出ようとしていないこと自体が、この場の正しさを証明しているようでもあった。


 知りたい。

 だが知りたいからこそ、押さない。


 それがいま門前で最も大切な作法だと、王国の人間たちももう十分理解していた。


「記録を続けろ」


 オルフェンが静かに言う。


「だが、見すぎるな」


「はい」


「今日は“取る”日ではありません。“受け取れるか”を見る日です」


 リセリアは深く頷いた。

 そこを間違えれば、せっかく整った白がまた遠のく。

 そのことは、誰より彼女自身が分かっていた。


 ---


 帝国でも同じような変化は、別の形で表れていた。


 レオンハルトは中央を見たまま、腕を組んでいた。

 白は静かだ。

 だが昨日までの“整っている白”より、今日はさらに**“意味を返す準備に入っている白”**に見える。


「殿下」


 エルマが小さな声で言う。


「今日の白は、こちらの呼吸すら見ている気がします」


「動揺するな、という話だな」


「はい」


 レオンハルトは小さく息を吐いた。


 帝国にとっても、これはあまり得意な局面ではない。

 剣を抜かずに立つ。

 境界を押さえる。

 そこまではいい。


 だが“返書の前触れ”を前にして、なお自分の呼吸まで整えていろと言われると、これはもう戦ではなく作法に近かった。


「面倒だな」


 思わず漏れる。


 エルマが少しだけ驚いた顔をしたあと、控えめに答える。


「同感です」


 それでよかった。


 ---


 昼を少し回った頃、ついに白が変わった。


 今までのように浅くもならない。

 濃くもならない。

 整っていた白が、さらに一段だけ静かになる。


 静か、というより、沈むに近い。

 場そのものが息を潜めて**“今なら返せる”**ところまで均された感じだ。


 門前にいる全員が、それを肌で理解した。


 来る。


 今度は本当に、来る。


 クロウは中央に立ったまま、ほんのわずかにだけ呼吸を止めた。


(落ち着け)

(落ち着け)

(ここで浮くな)

(返事を奪うな)

(受け取るだけでいい)


 自分に言い聞かせる。


 向こう側は昨日、自分を呼んだ。

 なら今日は、その続きを返してくる可能性が高い。


 そこでこちらが

 “来い”

 “見せろ”

 “名を出せ”

 の気配を出せば、たぶん全部が台無しになる。


 だから待つ。

 崩れずに。

 受け取るためだけに。


 そうして数拍。


 白の奥で、黒い輪郭がこれまででいちばん安定して立ち上がった。


 門だ。


 はっきり見えたわけではない。

 それでも、あれが門なのだと誰の目にも分かる。


 白の中に黒が立つ。

 ただの影ではない。

 意味を持った境界として。


 リュミエラが息を呑む。

 リセリアは手の震えを抑えるように記録板を抱え直す。

 レオンハルトは一歩も動かず、ただ視線だけを鋭くする。

 カイルですら、今日は冗談を挟まない。


 そしてその門の向こうから、今度は断片ではないものが返った。


 ---


 最初に来たのは、景色だった。


 いや、景色と呼んでいいのかは分からない。


 白の向こうに、一瞬だけ別の白が重なる。

 こちらの白霜外界より深く、もっと静かで、もっと**“眠っている白”**だった。


 雪ではない。

 霧でもない。

 時間そのものが白く沈んでいるみたいな空間。


 その中に、遠く、何かがある。


 玉座のようにも見える。

 棺のようにも見える。

 あるいはただ、眠りを載せるための座なのかもしれない。


 そこへ、言葉が重なった。


 今度は明確に、クロウへ。


 ――待たせたな。


 短い。

 だが、その一言だけで胸の奥が重くなる。


 待たせたな。


 まるで、本当に長い眠りの向こうから、ようやく返した言葉みたいだった。


 クロウは一瞬だけ息を失った。


 それは予想していた“神秘的な断片”より、ずっと人の言葉に近かったからだ。

 いや、人の言葉というより、王の言葉かもしれない。


 謝罪ではない。

 言い訳でもない。

 ただ事実として**“返すのが遅れた”**と知っている者の言葉。


(本当に…いたな)


 今度は誤魔化しようがなかった。


 向こう側には明確な意志がある。

 しかも、自分へ返すべき言葉を選べるだけの意識がある。


 その事実が、思ったよりずっと深く刺さる。


「陛下!」


 ヴェルミリアの声が飛ぶ。

 だが、それは焦りというより確認に近い。


「…聞こえた」


 クロウは小さく答えた。


 声が少しだけ低くなる。

 抑えないと、自分でも分かるくらい何かが揺れそうだった。


「何と」


 ヴェルミリアが問う。

 問うが、その声も普段よりわずかに硬い。


「待たせたな、だ」


 その一言で、場の空気が変わる。


 リュミエラが目を見開いた。

 リセリアははっとしたように顔を上げる。

 オルフェンが初めてはっきりと息を呑む。

 レオンハルトの目が細くなり、アシュレイは無意識に半歩だけ前へ出そうとして、そこで止まった。


 誰もその言葉を完全には聞いていない。

 だが**“いま終王が向こう側から明確な応答を受け取った”**ことだけは全員が理解した。


 しかも、その内容が攻撃でも拒絶でもない。


 待たせたな。


 それはもう、ただの現象の返しではなかった。


 ---


 白の向こうの景色は、そこで終わらなかった。


 一瞬だけ、さらに深い白が開く。


 そこには眠りがあった。


 長い、長い保留のような眠り。

 怠惰でも停滞でもない。

 何かを守るために、あえて留まっている眠り。


 そしてクロウは、その感触の中にひどく奇妙な既視感を覚えた。


 これは、自分とは違う。

 だが、まるで無関係でもない。


 自分が終わりを引き受ける王なら。

 向こうは、まだ終わらせてはいけないものを眠りの中で保留する王。


 そんな印象が、一瞬だけ胸をかすめた。


「…そういうことか」


 思わず漏れる。


 その言葉は誰にも届いたかどうか分からない。

 だが自分の中では、かなり大きい理解だった。


 向こう側はただ眠っていたのではない。

 世界に必要だから、その眠りを引き受けていた。


 そしていま、こちらが受け取れる形になったから、ようやく返してきた。


 そう考えると、今までの慎重さにも全部筋が通る。


 ---


 だが、その景色も言葉も長くは続かなかった。


 門はまだ完全には開いていない。

 向こう側の王も、まだこちらへ姿を見せる段ではないのだろう。


 白の向こうの深い景色は、静かに輪郭をほどき始める。

 門の黒も、少しずつまた白の中へ沈み始める。


 それでも今度は、喪失感より**“ここまで返った”**という重みの方が大きかった。


「追うな」


 クロウは低く言った。


 誰にというより、場全体へ向けて。


「今日はこれでいい」


 その判断は、すぐに全員へ伝わる。


 オルフェンが頷く。

 レオンハルトも異論を挟まない。

 アシュレイも、商盟も、連邦も、誰も前へは出ない。


 いまここでさらに引き出そうとするのは愚かだ。

 そのことを、もう全員が十分に理解していた。


 白は再び静かに整い、門の輪郭も薄れていく。

 だが、さっきまでそこにあった応答だけは消えない。


 待たせたな。


 その言葉は、門前に立った全員の記憶へ確かに刻まれていた。


 ---


 引き上げの直前、リュミエラが小さな声で呟いた。


「眠っていたのでしょうか」


 ただ眠っていたのではない。

 眠ること自体に意味があった。


 アシュレイが低く返す。


「たぶんな」


「はい」


 彼女は胸へ手を当てる。


「そう感じました」


 王国側でも、リセリアが震える息で言う。


「これは、もう記録ではありませんね」


 オルフェンが目を閉じた。


「ええ」


「現在です」


 帝国のレオンハルトは、最後まで門前から視線を外さなかった。


「王が、もう一柱いる」


 エルマが言う。


「はい」


「そして、終王と話した」


「少なくとも、その段に入りました」


 それだけで北方均衡の意味は十分変わる。


 商盟の後方で、メリゼアはいつもよりずっと真顔だった。


「順番どころじゃないわね」


 カイルが苦笑する。


「ええ。まず“本当に返した”の方が先でした」


「高いどころじゃないわ」


 その声には、珍しく打算より驚きの方が強く出ていた。


 ---


 そして中央。


 クロウは最後にもう一度だけ、白の向こうを見た。


 門は見えない。

 深い眠りの景色も、もうない。

 それでも、そこに確かに“誰か”がいたことだけは分かる。


 しかもその相手は、自分を知っていた。


 待たせたな、と言った。

 その一言には、長い時間と、長い保留と、ようやく返せたという重みが全部入っていた。


「…面倒だな」


 小さく漏れた声は、いつものようでいて、いつもと少し違った。


 今までの“面倒”は、厄介さや責任の重さに対するものだった。

 だが今はそこへ、どうしようもなく個人的な揺れが混じっている。


 返事が来た。

 本当にいた。

 しかも、自分に返した。


 それは嬉しいと言うには重すぎる。

 怖いと言うには静かすぎる。

 だが少なくとも、もう昨日までの自分には戻れない。


 白き眠りからの応答は、門前だけでなく、クロウ自身の中にも確かな変化を残していた。




最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。

引き続きよろしくお願いいたします。

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