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配下からの信頼が重すぎる  作者: きなこもち
第6章

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「帝国は剣を抜かずに立ち続ける」

 


 帝国は強い。


 その強さは、ただ前へ出る力だけではない。

 いつ前へ出るべきか。

 そして、いつ出ないべきか。

 そこを決められるところにも、あの国の強さがある。


 竜嶺帝国ザルカディアの北方前進拠点は、白霜外界から少し距離を取った黒い岩場の上に築かれていた。


 城ではない。

 だが、ただの野営地でもない。


 旗の位置。

 兵の動線。

 見張りの視界。

 退路と進路の切り分け。

 どこに誰が立ち、どこへ動けばどう支え合えるかまで、一目で分かる並び方になっている。


 その全体が、何も言わずにこう告げていた。


 ここは帝国軍の拠点だ。

 曖昧な場所ではない。

 迷いながら置かれた陣でもない。


 白の向こうに曖昧さが広がっているからこそ、帝国はなおさら自分たちの輪郭を崩さない。


 その中央、簡素な指揮卓の前で、レオンハルトは北を見ていた。


 視線の先に門は見えない。

 白霜外界の白が、遠くをぼかしているからだ。


 それでも、そこに黒い門が立っていることは、もう全員が知っている。

 見えないものを、見えている前提で扱わなければならない。


 軍としては、あまり気分のいい仕事ではない。


 敵なら見える方がいい。

 地形なら測れる方がいい。

 門なら、開いているか閉じているかくらいは分かってほしい。


 だが今の北方禁域は、そのどれも素直ではない。


「本日の境界警戒線、更新しました」


 エルマが記録板を差し出す。


 レオンハルトは受け取り、ざっと目を通した。


 白霜外界境界、異常なし。

 門前各国配置、安定。

 商盟の外部私設線、現時点で再発なし。

 黒翼庭中央線、変動小。

 門前位相、静的安定継続。


「変わらんな」


「はい」


 エルマは頷いた。


「少なくとも表向きはですが」


 そこが重要だった。


 いまの門前は、派手な動きがないほど危ない。

 誰もが一度、“門に嫌われる”を見ている。

 だから皆、我慢している。

 大国も、学者も、商人も、信仰の国も、それぞれのやり方で飲み込んでいる。


 だからこそ、一人だけ我慢をやめた時の揺れが大きい。


「連邦は」


 レオンハルトが問う。


「まだ揺れています。ただし、勇者と聖女が前に出て以降、強硬派の動きは表に出にくくなっています」


「商盟は」


「表では静かです」


「それが一番信用しづらいな」


 思わず出た言葉に、エルマもわずかに口元を和らげた。


「同感です」


 商盟は静かな時ほど腹の中が忙しい。

 だが前巻で門に嫌われた以上、さすがにもう露骨な抜け駆けはしにくいはずだ。


 問題は、帝国自身だった。


 自分たちはいま、どう立つべきか。

 どこまで前へ出て、どこから先は出ないべきか。

 その見極めを誤らないことが、いまの帝国には一番求められている。


 ---


 副官が入ってきて一礼する。


「殿下」


「何だ」


「北方方面軍より、門前支援線の増設案が」


 レオンハルトはそれを受け取って、一枚目で止めた。


 補給線の前進。

 予備兵の増派。

 門前圏近傍における待機戦力の増強。


 分かりやすい案だった。

 普通の戦場なら、むしろ正しい方向ですらある。


 近くに兵を置く。

 補給を厚くする。

 いざという時にすぐ押し出せるようにする。


 だが、いまの門前ではそれが一番危ない。


「却下だ」


 即答だった。


 副官が一瞬だけ目を上げる。


「理由を伝える」


「門前の外側を厚くするのは構わん」


 レオンハルトは紙を机へ戻した。


「だが、門前へ“帝国が力を積み始めた”と見える配置は避ける」


「しかし、殿下」


「聞け」


 低い声だった。

 それだけで副官が背筋を伸ばす。


「いま門前で価値を持つのは、前に兵を置くことではない」


「前に兵を置かずに、崩れず立てることだ」


 その言葉は、帝国の軍人には少し苦い真理だった。


 強い国ほど、前へ出ることに慣れている。

 力があるなら押す。

 押せるなら取る。

 それが帝国の基本でもある。


 だが、いま門前で必要なのは“出られるのに出ない”強さだった。

 自分たちの力を持ちながら、それを門の前へぶつけない判断。

 そこを誤れば、白霜外界ではたぶん勝てない。


 副官はすぐに頷いた。


「失礼しました」


「いや」


 レオンハルトは短く返す。


「普通なら、そう考える」


 普通なら、前に兵を出す。

 近い位置を押さえる。

 戦力で席を守る。


 だが今回は違う。

 ここではそれが“押しつけ”に見えかねない。


 帝国が本当に強いなら、そこを間違えないことの方が重要だった。


 ---


 副官が下がったあと、エルマが静かに言った。


「殿下は、あの終王をずいぶん高く見ていますね」


「高いからだ」


 レオンハルトは迷いなく言う。


「好き嫌いの話ではない。門前であれほど自然に線を引ける相手を、低く見てどうする」


 それはかなり率直な評価だった。


 黒翼の終王クロウ・レイヴンハート。

 帝国にとって、決して気楽に受け入れられる相手ではない。

 だが、それとこれとは別だ。


 門の前で、国の面子より門を優先しろと言う。

 無断接触を禁じる。

 順番を守らせる。

 そして、その線を門が嫌わない。


 そこまで見た以上、“ただの厄介な王”では済まない。


 腹芸なら、読みようがある。

 野心なら、対処の仕方もある。

 だが本気で実務的な正しさから線を引いていて、その結果が門にも支持されるとなると、これは非常に扱いづらい。


「待つ王、でしたか」


 エルマが言う。


「ああ」


「帝国にはあまりいない型ですね」


「だろうな」


 帝国の王権は、基本的に前へ出る。

 測る。

 踏む。

 取る。


 だが、いま門前に必要なのはもっと別の型だ。


 待つ。

 押さない。

 崩れず立つ。


 そういう型。


「なら帝国も」


 レオンハルトは窓の外、白い方角を見たまま言う。


「少なくとも今は、それに合わせて強くあれ」


 それが、帝国なりの結論だった。


 ---


 その日の昼過ぎ、門前圏の境界で小さな異変が起きた。


 大事ではない。

 だが、いまの帝国の役割を決めるには、ちょうどいい種類の面倒だった。


 白霜外界のさらに外側、観測の端に近い岩帯で、二つの小規模勢力が鉢合わせたのだ。


 一つは、帝国内の地方貴族が独自に送り込んだ私設観測騎兵。

 もう一つは、商盟経由で雇われた流れの観測傭兵。


 どちらも本隊ではない。

 だからこそ危ない。


 こういう“主流ではない小さな連中”ほど、面倒の火種になる。

 大国の正式部隊ほど、線を越えた時の重さを理解していないからだ。


 報告を聞いたレオンハルトは即座に立ち上がった。


「殿下」


 副官が驚く。


「自ら出られるのですか」


「門前に近いか」


「境界です」


「なら行く」


 この件は部下に任せてもいい。

 だが、いま帝国が“どういう力で境界を押さえるか”を自分で示す意味があった。


 前へ出すぎず、しかし崩させもしない。

 それを兵に見せるには、自分が一度やるのが早い。


 ---


 境界の岩帯は、門前ほどではないが、すでに白霜外界の影響が薄く混じる場所だった。


 雪はない。

 だが空気が乾き、遠近感の端が少しだけ信用しづらい。

 そこに長く立っていると、景色がほんのわずかずつずれている気がしてくる。


 そこへ帝国の騎馬が現れた時、私設騎兵と傭兵たちはちょうど睨み合いに入りかけていた。


 まだ剣は抜いていない。

 だが、あと数呼吸遅ければ、たぶん抜いていた。


「止まれ」


 レオンハルトの声は低く、よく通った。


 両者の視線が一斉に向く。


 帝国私設騎兵の側が慌てて姿勢を正す。

 傭兵の側は一瞬だけ舌打ちしそうな顔をしたが、さすがに正面から帝国第一皇子を前にして抜くほど馬鹿ではなかった。


「ここは門前境界だ」


 レオンハルトは馬上から二つの集団を見下ろした。


「お前たちの面子を競う場所ではない」


 誰にでも分かる言葉で言う。

 それが大事だった。


 高い理屈はいらない。

 門前秩序だ何だと飾らなくていい。

 こういう連中には、“余計なことをすると帝国が潰す”くらい分かりやすい方が効く。


「帝国の名を使って前へ出ようとしたのなら、恥を知れ」


 私設騎兵が顔を青くする。


「商売の抜け道に境界を使うつもりなら、場を見誤ったな」


 傭兵側も黙る。


「どちらも、今ここで門前秩序を乱したと見なせば、それぞれの所属元へ正式に返す」




「帰れ」


 短かった。

 だが十分だった。


 帝国私設騎兵はすぐに引いた。

 傭兵側も不承不承だが退く。


 追わない。

 捕えない。

 だが、ここで揉めることだけは絶対に許さない。


 それが今の帝国に必要な強さだった。


 副官が小さく息を吐く。


「見事です」


「見事でも何でもない」


 レオンハルトは淡々と答える。


「門前に近い場所で、揉めさせなかっただけだ」


 だが、その“だけ”がいま一番難しい。

 そして一番価値がある。


 ---


 夕方、境界での一件は当然黒翼庭にも伝わった。


 小会議室で報告を受けたクロウは、内容を聞き終えたあとで少しだけ目を細めた。


「帝国が自分で潰したか」


「はい」


 ヴェルミリアが答える。


「地方貴族筋の独自行動と、商盟経由の小規模傭兵線。双方とも境界で押し戻したとのことです」


「…助かるな」


 ぽろりと本音が出た。


 ヴェルミリアはそれをそのまま拾う。


「はい。かなり」


 やはり、こういうところは話が早い。


「前に出すぎない。だが崩させもしない」


 クロウは記録板を見ながら言った。


「帝国も、自分の役目が分かってきたな」


「ええ」


 ヴェルミリアは頷く。


「門前そのものへ圧をかけず、境界を静かに押さえる。非常に理にかなっております」


 実際、その通りだった。


 境界の揺れが門前へ伝わらないようにする。

 小さな面倒を手前で止める。

 それはまさに“受け取る場”を守るために必要な役目だった。


(助かる)

(本当に助かる)

(帝国がここまで綺麗に役割へ入るとは思わなかった)

(いや、まだ油断はしないが)

(少なくとも今は助かる)


 面倒な時ほど、助かるものは助かるとはっきり認めた方がいい。

 最近のクロウは、そのあたりも少しずつ素直になってきていた。


 ---


 その日の夜、帝国から黒翼庭へ一本の短い連絡が入る。


 内容は簡潔だった。


 **門前境界の乱れを処理。以後も帝国は境界安定を優先する。**


 それだけだ。

 誇張もない。

 恩着せがましさもない。


 その文面を見て、クロウは少しだけ口元を動かした。


「いかにも、だな」


「はい」


 ヴェルミリアが言う。


「帝国らしく、短く重い報せです」


「悪くない」


 それも本音だった。


 門前を“受け取る場”へ変えるなら、中央だけ整えても意味がない。

 境界で細かい揉め事が続けば、結局は白の向こうまで落ち着かない。


 なら帝国がその外を押さえてくれるのは、思った以上に大きい。


「返しておけ」


 クロウが言う。


「余計なことをさせるな。今のままでいい、と」


 ヴェルミリアはすぐに頷いた。


「承知いたしました」


 それで十分だ。


 褒めすぎると帝国は警戒する。

 冷たすぎると今度は角が立つ。

 今必要なのは、あくまで“役割が噛み合っている”ことだけを伝えることだった。


 ---


 夜も更け、ひとりになったあとで、クロウはふと窓の外を見た。


 北は見えない。

 白も門もここからは分からない。


 だが、その見えない向こう側へ、今日は少しだけ“整うための部品”が増えた気がした。


 帝国は剣を抜かずに立ち続ける。

 それは派手ではない。

 だが、門前ではたぶんかなり強い。


「…悪くないな」


 小さく呟く。


 その言葉は、帝国への評価でもあり、今日という日の進み方への評価でもあった。





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