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配下からの信頼が重すぎる  作者: きなこもち
第6章

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75/90

「ただ静かでは足りない」

 


 黒鴉城ネヴァーグレイヴの朝は、今日も静かだった。


 だが、それは心が休まる静けさではない。

 むしろ逆だった。


 やるべきことは、もうだいたい見えている。

 足りないものが何かも、薄々分かっている。

 あとは、そのことを誰が最初にはっきり口に出すか。そんな種類の静けさだった。


 こういう朝は、たいていろくでもない。


 小会議室の卓には、いつものように地図と記録板が並んでいた。


 白霜外界。

 門前固定点。

 第一圏、第二圏、第三圏。

 各国の配置。

 門前位相の変動記録。

 そして、一番端に置かれた整理板の上に、最近やたらと目に入る文言。


 **応答未成立。**


 これが地味に気に障る。


 理不尽に腹を立てているわけではない。

 怒る相手がいるわけでもない。

 ただ、ここまで来てなおその一文が残っていると、“あと一歩の手前で止められている”感じが強すぎて、どうにも気が重くなるのだ。


 クロウは記録板を見ながら、内心でかなり率直に思っていた。


(近い)

(絶対に近い)

(でも、まだ返事じゃない)

(何なんだこれは)

(ここまで来て“あと少しお待ちください”みたいな空気なの、本当に嫌だな)


 もちろん、門の向こうに受付係がいるわけではない。

 いたらいたで、それはそれでかなり嫌だ。


 だが気分としては、わりと近い。


 反応はある。

 誰かがいる気配もある。

 門の向こうに“何もない”とは、もうとても思えない。


 なのに会話にはならない。

 こちらの存在は届いている気がするのに、向こうからはまだ、はっきりした形で返ってこない。


 だから余計に、“では何が足りないのか”を考えざるを得ない。


 そして、その答えがだいたい嫌な方向へ転がっていくことも、最近はもう十分に学んでいた。


 扉が静かに開き、ヴェルミリアが入ってくる。


「おはようございます、陛下」


「ああ」


 クロウは短く返した。


「整理は」


「済んでおります」


 やはり早い。


 この人は本当に、こちらがまだ“嫌だな”の段階にいるうちに、大体“では並べますね”の段階まで進んでいる。

 頼もしい。

 頼もしいが、少しだけ待ってほしくなる時もある。


 ヴェルミリアは記録板を三枚、順に卓へ置いた。


「昨夜までの門前観測を再整理しました」


「言え」


「はい」


 一枚目は、門前位相の変動記録。

 二枚目は、各国配置ごとの白の整い方。

 三枚目は、反応が返りかけてはまだ返事にならない、その中途半端で、それゆえに重い変化をまとめた板だった。


「まず結論から申し上げます」


 ヴェルミリアは落ち着いた声で言った。


「門前秩序は、安定しております」


「そうだな」


 そこはもう、かなり確かだった。


 各国は順番を守り始めた。

 勝手な前進は減った。

 外からの余計な術式も消えた。

 第二圏の試験的観測も成立した。


 つまり、壊さない条件はかなり見えている。


「ですが」


 来た。

 やはり来る。


「応答そのものは、いまだ成立しておりません」


「…そうだな」


 そこが問題なのだ。


 静かにしている。

 壊していない。

 順番も守っている。

 門の機嫌も、前よりはずっといい。


 なのに返事にはならない。


 なら結論は一つしかない。


「ただ静かならいい、わけじゃないんだな」


 クロウが低く言うと、ヴェルミリアは頷いた。


「はい」


「それが昨夜の結論でもありました」


 分かっている。

 分かっているが、言葉にされるとやはり少し嫌だ。


(そうなんだよな)

(“余計なことをするな”だけで全部済むなら、もう返ってきていい)

(でも返ってこない)

(ってことは、“何もしない”と“受け取る準備がある”は別なんだよな)

(面倒だな)


 かなり面倒だった。


 静かにしていればいい、というのは楽だ。

 人間にとっては分かりやすい。


 だが今回必要なのは、ただ黙って立っていることではない。

 返ってくるものを壊さず受け取れる形で、そこにいることらしい。


 それは一段難しい。

 しかも、ものすごく“最後の一歩”っぽい面倒である。


 ---


 そこへ、ガルドとバルザードも入ってきた。

 しばらくしてセラフィナも現れ、いつものように小会議室は四天王込みの整理の場になる。


 全員が揃うと、話は早い。

 早いが、そのぶん逃げ場もない。


「帝国の外縁警戒は引き続き安定」


 ガルドが短く報告する。


「門前へ直接の圧はかけていません」


「魔導王国は?」


 クロウが問う。


「第二圏観測記録の再解析中」


 バルザードが答えた。


「ずいぶんと丁寧に“門そのものではなく門前の変化”を見ています」


「商盟は」


「短期派の再浮上なし」


 セラフィナが言う。


「少なくとも表では、ですが」


「それで十分だ」


 いまは本当にそうだ。

 短期派が門前でまた何かを始めなければ、それだけでかなり助かる。


「連邦は」


 クロウが聞くと、セラフィナは少しだけ目を細めた。


「揺れております」


「いつも通りだな」


「はい」


 それでも、前よりはましだった。


 連邦は意味を急ぐ国だ。

 だが前の段階で、“急いで名を置くほど門に嫌われる”気配はさすがに学んでいる。


 つまり今、各国は全体としてかなり静かだ。


 静か。

 なのに返事は来ない。


 ならやはり、問題は静かさそのものではない。


 ---


 クロウはしばらく地図を見て、それから言った。


「確認するが」


 全員の視線が集まる。


「いま門前にあるのは、“壊さないための秩序”だ」


「はい」


 ヴェルミリアが答える。


「争わない。勝手に触らない。順番を守る。門が先ですね」


「そうだ」


 それは全部、壊さないための条件だ。

 遠ざけられないための線引きだ。

 言い換えれば、まだ守りの条件でしかない。


「なら」


 クロウは続ける。


「返ってきても壊れないようにするには、それとは別の何かが要る」


「はい」


 やはりヴェルミリアは迷わない。


「門前を、“受け取る場”へ変える必要があります」


 出た。

 たぶん今日の本題だろうと思っていたが、やはりそこに来る。


 受け取る場。


 言葉としては分かる。

 だが分かったからといって、すぐ具体になるわけでもない。


「…具体で言うと何だ」


 クロウが聞くと、バルザードが口を開きかけた。

 嫌な予感がしたので、クロウは先に釘を刺す。


「派手な儀式の話ならやめろ」


「違います!」


 珍しく即座に否定した。


「今回はそういう方向ではありません!」


 少し安心する。


 この男は放っておくと、次の瞬間には“受容増幅陣列試作七案!”とか言い出しかねない。

 それを今やられると本当に困る。


「では何だ」


「恐らくですが」


 バルザードは観測盤へ指を当てた。


「“何もしない”のではなく、“返ってきても崩れない位置を示す”ことです」


「位置」


「はい。人の位置、視線の向き、意味の中心。そういうもの全部です」


 そこでヴェルミリアが引き取る。


「言い換えるなら、門前に“返ってきたものが収まる形”を作ることかと」


 少し分かりやすくなった。


 返ってきても収まる形。

 それはたしかに、ただ静かにしていることとは違う。


 いまの門前秩序は、あくまで“人間側が騒がない形”に過ぎない。

 だが必要なのは、もっと先だ。


 返ってきたものがそこで壊れない。

 人間側の意味や力で押し潰さない。

 門前そのものが受け皿として成立している。


 そういう形が要るのだろう。


(面倒だな)

(かなり具体になったが、なった分だけ余計に面倒だ)

(受け皿を作れ、ってことだろ)

(それを誰がどう定義するんだ)

(…また私か)


 そこへ自然に着地するのが、いちばん嫌だった。


 ---


「陛下」


 ヴェルミリアが静かに言う。


「はい、そういう顔をなさると思っておりました」


「どういう顔だ」


「“結局また私か”というお顔です」


 言われて、クロウは一瞬だけ黙った。


 この女は時々、本当に余計なところまで正確だ。


「…否定はしない」


「存じております」


 返しが早い。


「ですが、おそらく今回は本当にそうかと」


「だろうな」


 そこはもう、自分でも分かっていた。


 門前秩序が成立した時もそうだった。

 第二圏を誰に渡すかを決めた時もそうだ。

 門が嫌わない線引きは、結局いまのところクロウの言葉を中心に形になっている。


 なら“受け取る場”を定めるのも、やはり自分の役目になる可能性が高い。


 面倒だ。

 ひどく面倒だ。


 だが、ここで“知らない”をやる方がもっと面倒になる。

 それももう、だいぶ分かっている。


「各国は」


 クロウが問う。


「いまの門前秩序に従っている」


「はい」


「帝国は外を押さえている」


「はい」


「王国は見方を理解している」


「はい」


「連邦は意味を急がない方へ少し寄った」


「はい」


「商盟も、少なくとも場は崩さない」


「はい」


 そこまで言うと、だいたい見えてくる。


 つまり各国は、少なくとも“壊さない側”へ半歩ずつ寄っている。

 なら次は、それをもう一段だけ“受け取る側”へ組み替える。


 帝国は圧を抑える位置。

 王国は記録を保つ位置。

 連邦は祈りと意味を乱さない位置。

 商盟は外からの流れを崩さない位置。

 そして黒翼庭は、その中心。


 気づくと、もうだいぶ具体だった。


(本当に嫌だな)

(嫌なんだが、理屈としてはかなり見えてきた)

(だから余計に逃げにくい)


 逃げにくいというか、逃げたら全部が雑になる。

 そこが一番つらい。


 ---


 しばらく沈黙が落ちたあと、クロウは静かに言った。


「待つだけでは駄目なんだな」


 誰にともなく、だが全員に向けて。


「待つに値する形で、待たないといけない」


 その言葉に、四天王は一斉に頭を下げた。

 やはりそうなる。


 別に今のは決め台詞のつもりではない。

 かなり普通に、いま考えたことをそのまま口にしただけだ。


 だが門前案件に関しては、その“普通に考えたこと”がいちいち一段重く響いてしまう。


「その通りかと」


 ヴェルミリアが言う。


「“何もしない”ではなく、“返ってきてもよい位置を保つ”」


「ええ」


 セラフィナもやわらかく続ける。


「待つだけでは、ただ沈黙です。ですが受け取るつもりで待てば、その沈黙にも形が生まれます」


 言っていることはかなり綺麗だ。

 綺麗だが、言い換えると**“ただぼんやり待つな。ちゃんと受け取る気で待て”**という話でもある。


 それはすごく分かる。

 そしてすごく面倒だ。


「…つまり」


 クロウは低く言った。


「門前を変える必要がある」


「はい」


「次は、待つための場にする」


 その一言で、空気が少しだけ動いた。


 決まった。

 少なくとも四天王にとっては、もうそれで十分なのだろう。


 クロウとしてはまだ**“そうするしかないな”**くらいの気持ちなのだが、周囲はもうその言葉を“では具体に落とします”の段階で受け取る。

 やはり早い。


(いや、分かる)

(分かるが本当に早いな)

(こっちはまだ少し“嫌だな”が残ってるんだが)


 だが、それも口には出さない。


 ---


「配置案を組みます」


 ガルドが低く言う。


「現在の第一圏から第三圏を再定義し、門前中央の意味を保ちます」


「記録線も再調整いたします」


 バルザードが続く。


「見るためではなく、返ってきても崩さないための配置へ」


「連邦側の立ち位置も探ります」


 セラフィナが言う。


「リュミエラ様の感知は、おそらく場の静けさに寄与するでしょう」


「商盟と帝国にも、立ち位置の意味を理解させます」


 最後にヴェルミリア。


「単なる席替えではなく、“受け取るための配置”として」


 全部、もう前へ進んでいる。


 クロウは少しだけ遠い目をしたくなったが、何とか堪えた。


「好きにしろ」


 短く言う。


「ただし、やりすぎるな」


 それだけは必要だ。


 場の意味を作ろうとして、人間側が一気に儀式めいた圧を増したら本末転倒である。

 この門前は、そういう“こちらの熱量過多”をかなり嫌う。


「承知いたしました」


 ヴェルミリアが答える。


「静かに、ですが明確に整えます」


 その表現は、かなり良かった。


 静かに。

 だが明確に。


 たぶん今必要なのは、まさにそれだ。


 ---


 会議がひと段落したあと、クロウは一人だけ少し長く卓の前に残っていた。


 地図の上にある門前図。

 各国の位置。

 白霜外界。

 門前固定点。

 そして、自分が立つはずの中央。


 ここに意味が集まる。

 集まってしまう。


 それが嫌でないわけではない。

 だが、だからこそ逃げられない。


(待つ王、か)

(本当にそういう役目になるのか)

(終わらせる側のはずなんだがな)

(いや、終わらせるためにも受け取らないといけない時があるのか)

(…そういうことなんだろうな)


 少しずつ、自分の中でも繋がってくる。


 終王だからこそ、返ってきたものを壊さず受け止める責任がある。

 ただ切るだけではない。

 ただ裁くだけでもない。


 それはこれまでの自分の王としての在り方を、少しだけ広げる話でもあった。


 ひどく面倒だ。

 だが、目を逸らしたくはない。


「…やるしかない、か」


 小さく呟く。


 すると、いつの間に戻ってきていたのか、扉のそばにいたヴェルミリアが静かに言った。


「はい」


「…いたのか」


「失礼いたしました」


 まったく悪びれない。


「ただ、陛下がそう仰ると思っておりましたので」


「嫌な読みだな」


「光栄です」


 少しだけ、本当に少しだけだが、クロウは息を抜いた。


 こういう時、この女があまり過剰な慰めを言わないのはありがたい。

 やるしかない時に“でも無理しなくていいんですよ”みたいなことを言われる方が、たぶん今は困る。


 やるしかない。

 なら、やるだけだ。


「門前を変える」


 もう一度、自分でも確認するように言う。


「次は、待つための場にする」


「はい」


 ヴェルミリアは深く頷いた。


「そこから先で、ようやく向こう側は返しやすくなるのでしょう」




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