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配下からの信頼が重すぎる  作者: きなこもち
第6章

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プロローグ 「白の向こうはまだ・・・」

 


 返事というものは、返ってきた瞬間よりも、その手前の方がずっと長い。


 届いたかもしれない。

 でも、まだ届いていない。

 何かはある。

 けれど、まだ言葉にはならない。


 そういう曖昧で、じれったくて、それでも確かに前へ進んでいる時間が、たいてい一番長い。


 いま北方禁域の白霜外界で起きているのも、まさにそれだった。


 黒い門は立った。

 門前の秩序も置かれた。

 争わない。

 勝手に触らない。

 順番を守る。

 門が先。


 そのおかげで、白霜外界は少しずつ“門の前”という形を持ち始めていた。


 以前のように、ただ距離が崩れ、位置が揺れ、記録が噛み合わないだけの場所ではない。

 門へ至る白。

 門の前に生まれた席。

 そこへ立つ資格。

 そういうものが、ようやく現実のものとして並び始めている。


 それでも。


 まだ返事にはなっていない。


 ---


 魔導王国エルグレイスの中央記録院では、その事実がきわめて冷静な言葉で整理されていた。


 白霜外界門前記録、更新。

 中継遺構、安定維持。

 第二圏観測、成立。

 応答未成立。

 微細反応、継続。


 机の上に並ぶと、それは妙に整って見える。

 だが、整って見えるからこそ、最後の一行が重い。


 応答未成立。


 そこまで来ている。

 なのに、まだそこなのだ。


 リセリアは記録板に映る白の揺れを見つめながら、小さく息を吐いた。


「近いのに」


 その声に、隣のオルフェンが目だけを向ける。


「ええ」


「近いのに、まだ言葉にならない」


「はい」


 それが、もどかしい。


 ただの怪異なら、もっと分かりやすい。

 脅威なら脅威で、術式も兵もその方向へ揃えられる。

 遺構なら遺構で、鍵と構造の話にできる。


 だが、いま門の向こうにあるのは、そのどちらにも収まりきらない。


 誰かがいるかもしれない。

 反応もある。

 それでもまだ、こちらの問いへ“返した”とは言えない。


 ザイードが古い指で机を軽く叩いた。


「神話の相手は、だいたいここが長い」


 低い声だった。


「近い。だが、まだ届かぬ。届いたと思ったら、まだ意味が足りぬ。そうやって人の側をじらしてくる」


「意地が悪いですね」


 リセリアが言う。


「向こうから見れば、慎重なのだろう」


 オルフェンが返した。


 その通りかもしれない。


 向こう側がただ眠っているだけではなく、返るべきかどうかを見ているのだとしたら、いまのこの“まだ返事にならない時間”は、単なる停滞ではない。

 むしろ、最後の見極めに近い。


 だからこそ魔導王国は、ますます目を離せなかった。


「黒翼庭は」


 リセリアが問う。


「引き続き、急いでいません」


 オルフェンは記録板をめくる。


「門前秩序を維持し、第二圏観測を最低限で切り上げ、意味を作り急いでもいない」


「…さすがに」


 リセリアは少しだけ苦笑した。


「ここまで来ると、あの終王が偶然だけでやっているとは思えません」


「ええ」


 オルフェンも頷く。


「少なくとも結果としては、最も正しく待っています」


 魔導王国にとって、それは悔しくもあり、同時にありがたくもある事実だった。


 ---


 竜嶺帝国ザルカディアでは、同じ事象がもっと軍務的な顔で報告されていた。


 北方均衡、変動継続。

 門前秩序、暫定安定。

 黒翼庭主導、維持。

 応答、未発生。

 ただし、反応継続。


 帝国にとって大事なのは、まだ“王が増えた”とは言えない点だった。


 もしはっきり応答が返れば、それは北方均衡の再計算を意味する。

 だが今はまだそこまでではない。


 戦略会議室の地図を前に、レオンハルトは腕を組んでいた。


「まだ、だな」


「はい」


 エルマが答える。


「何かはいる。反応もある。ですが、軍として計上するには足りません」


 計上する。

 帝国らしい言い方だ。


 敵戦力。

 脅威度。

 戦域変化。

 そういう言葉へ落とし込むには、門の向こうはまだ曖昧すぎる。


「だが」


 レオンハルトは低く言う。


「無視できる段階でもない」


「もちろんです」


 だから帝国は、前へ出すぎず、引きもしない。


 門前秩序を前提に、席を守る。

 終王の線引きを認めた上で、その中で外されない位置にいる。


 それが今の帝国にとって最も強い立ち方だった。


「返ってくるとすれば」


 エルマが言う。


「次は、終王が門前をどう意味づけるかにかかるかと」


 レオンハルトは頷いた。


「待つ王、だったか」


 昨日の報告で上がってきた整理だ。

 終わらせる王が、いまは待つ側に立っている。


 帝国の価値観からすると少し奇妙だ。

 だが、北方禁域の話としては妙に筋が通る。


「面倒な相手だ」


 レオンハルトは言う。


「門も、終王も」


「ええ」


 エルマはわずかに口元を和らげた。


「ですが、面倒な相手ほど、手順を守る者には読み筋もあります」


 その言葉は、帝国にとっての希望でもあった。


 ---


 蒼海商盟ルヴァンディアでは、もっと率直に言えば、値段が跳ねたのにまだ売れ切らない時期に入っていた。


 門前秩序の成立。

 第二圏観測の成立。

 違反時失格。

 返事は未成立。

 だが反応は継続。


 どれも高い。

 どれも喉から手が出るほど欲しがる相手がいる。

 だが、どれも今すぐ市場へ流し切っていい種類ではない。


 中央取引院で報告を見ていたメリゼアは、机へ肘をつきながらぼやくように言った。


「一番嫌なところに入ったわね」


「ええ」


 カイルも頷く。


「高い。けれど、まだ“確定しました”とは売れない」


「そうなのよ」


 そこが最悪だった。


 門が開いたなら、また別だ。

 応答が完全に成立したなら、それはそれで値段の付け方がある。


 だが今は、そうではない。


 返りかけている。

 でもまだ返っていない。


 この“かけている”がいちばん高く、いちばん厄介だ。


「短期派は」


 メリゼアが問う。


「静かです」


「本当に?」


「少なくとも今度は、門前へ変な足は出していません」


 それは第5巻でしっかり痛い目を見たからだろう。

 門の前で余計な手を出すと、ただ怒られるのではない。席そのものを失う。

 商人にとって、それはかなり分かりやすい損失だった。


「いいことね」


「ええ」


「でも、静かすぎるのも気持ち悪いわ」


「それもええ」


 商盟は“待つこと”にも値段を付け始めている。

 どこまで近づかずにいられるか。

 どの勢力が順番を崩さずに済むか。

 それすらもう商品だ。


「終王は、まだ急がない?」


 メリゼアが聞く。


「はい。むしろ、さらに急がなくなっています」


「でしょうね」


 それもまた、いかにもあの終王らしい。

 派手な動きをするでもなく、全部を独占するでもなく、ただ“壊れる線だけは踏ませない”ように前へ進める。


「嫌ね」


 メリゼアは小さく笑った。


「本人が本気で事故防止しか考えてなさそうなところが、なおさら」


 カイルも肩をすくめる。


「結果だけ見ると、一番高い正解ですけどね」


「だから嫌なのよ」


 商人としては、意図が読みにくい相手ほど面倒だ。

 だが面倒だからといって目を離せる相手でもない。


 ---


 聖冠連邦アルディウスでは、まだ“門前秩序”という言葉そのものが定着していなかった。


 だが、形としてはほぼ同じものが共有され始めている。


 門の前で争うな。

 勝手に触るな。

 順番を守れ。

 意味を急ぐな。


 それは連邦にとって、かなり扱いづらい教訓だった。


 強い名を置きたい国ほど、“まだ待て”は苦しい。


 法王庁の一室で、リュミエラは窓辺に立っていた。

 北の方角を見ても、当然ここから白霜外界が見えるわけではない。

 それでも胸の奥には、あの白い静けさが残っている。


 以前より近い。

 でもまだ返事ではない。

 その微妙な距離感が、祈りの中へまで入り込んできていた。


「…近いのに」


 小さく呟く。


 そこへアシュレイがやって来た。


「またか」


「ええ」


「強くなった?」


「少し」


 それだけで十分だった。


 リュミエラは、以前のように“怖い”だけではなくなっていることにも気づいていた。


 怖さはある。

 けれど、それだけではない。


 向こう側がただ襲ってくるものなら、こんなに慎重に“返りやすい位置”を探している感じにはならない。

 むしろ逆で、あまりにも慎重だからこそ、この近さは不思議だった。


「急いでないのかも」


 リュミエラが言う。


 アシュレイが眉を上げる。


「向こうが?」


「ええ」


「…ああ」


 少し考えてから、彼も頷いた。


「たしかに」


 向こう側が急ぐなら、もっと乱暴な反応が出てもいい。

 だが実際には、門の向こうから返る気配はあるのに、まだ届き切らない。

 それは、向こうもまた慎重なのだと考えた方が自然だった。


「ますます、名前だけ先に置きにくいな」


 アシュレイは苦く言う。


「ええ」


「でも、ここまで来たら本当に誰かはいる」


 その言葉に、リュミエラは静かに頷いた。


 そこはもう、疑いようがない。


 ---


 そして黒鴉城ネヴァーグレイヴ。


 世界がそれぞれの言葉で“まだ返事にならない”を受け止めている頃、最も門に近い場所では、クロウが非常に真面目な顔で記録板を見つめながら、内心ではかなり困っていた。


(近い)

(確実に近い)

(でもまだ返事じゃない)

(ここまで来て“もう少しお待ちください”みたいな空気なの、すごく嫌だな)

(いや、待つしかないんだろうが)


 分かっている。

 分かっているが、面倒は面倒だった。


 門前秩序はできた。

 席もできた。

 反応もある。

 それでもまだ、向こう側から明確な返しはない。


 なら次に必要なのは、ただ静かでいることではなく、“返ってきても壊れないように待つこと”だ。


 言葉にするとかなり綺麗だ。

 綺麗だが、実務としてはひどく面倒だ。


「陛下」


 ヴェルミリアが静かに入室する。


「ああ」


「本日の整理を」


「言え」


「各国とも、門前秩序を前提とした動きへ移行しました」


「帝国は外縁警戒を継続」


「王国は記録保全を優先」


「商盟は順番より待機権の価値へ移行」


「連邦は意味を急がぬ方向へ揺れています」


 きれいだな、とクロウは思った。


 嫌なくらいきれいだ。


 門が立ったことで世界が動き、門前秩序が置かれたことで世界の立ち位置が変わり、いまは全員が“待つ形”へ半歩ずつ寄っている。


 整理すると本当に綺麗だ。

 だからこそ、次にやることまで見えてしまう。


「…次は、私か」


 ぽつりと出た。


 ヴェルミリアはそれを否定しない。


「おそらく」


「そうだろうな」


 クロウは短く息を吐いた。


 結局そこへ戻る。

 門前秩序を置く時も。

 第二圏観測を許す時も。

 最後の鍵を見つける時も。


 全部、結局は自分の立ち方へ寄ってくる。


 逃げたくないわけではない。

 正直かなり逃げたい。

 だがここまで来て“知らない”では済まないのも、また分かっている。


「…面倒だな」


 小さく漏らす。


 ヴェルミリアはそれを聞いて、ほんの少しだけ目元を和らげた。


「はい」


「ですが、ここまで来たからこその面倒かと」


 それは慰めでも何でもなく、単なる事実だった。


 だからクロウも、結局は頷くしかないのだった。




最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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