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配下からの信頼が重すぎる  作者: きなこもち
第1章 『黒翼の終王、目覚める』

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「沈黙の王と四人の臣下」


帝国斥候の光点が地図の境界線へ消えてからも、玉座の間の空気はしばらく緩まなかった。


誰も気を抜いていない。


それどころか、四天王の間には、目に見えない次の手がすでに行き交っているようだった。


立体地図の光はまだ消えていない。谷、尾根、監視祠、帝国斥候の通った軌跡。

すべてがそのまま残されている。戦いというほどのものは起きなかった。

だが、盤上では確かに一手が交わされたのだと、この場の全員が理解していた。


クロウは玉座の上で静かに座ったまま、内心ではようやく息をついていた。


助かった。


少なくとも今夜は、それでいい。


いきなり全面衝突にならなかっただけでも十分だ。

こちらの世界のことをほとんど知らない状態で戦争まがいの何かに突入するのは、さすがに無理がある。


だが、その安堵はすぐに次の不安へ変わる。


問題はここからだ。


向こうは帰った。だが、持ち帰る。報告する。検討する。

そうなれば次に来るのは、今夜よりもっと手強い相手か、もっと大きな集団か、あるいはもっと面倒な形の探りだろう。


そしてこちらの配下たちは、その“次”に向けて、もう動き出している。


ヴェルミリアが地図の光をひと撫でした。

すると、谷の地形表示が薄れ、代わりに別の情報層が浮かび上がる。

今度は線だ。帝国側の監視塔、連絡路、祠、補給路らしきものが蜘蛛の巣のようにつながっている。


「第一報は、おそらく半刻以内に帝国北方方面軍へ届きます」


淡々とした報告だった。


クロウは一瞬、時間感覚を頭の中で換算しかける。半刻。だいたい一時間くらいか。

少なくとも“すぐ”であることは分かる。


「そこから帝都へ飛ぶか」


「緊急度次第ですが、今夜の件であれば間違いなく飛ぶでしょう」


ヴェルミリアは答えた。


「禁域の沈黙が破られた。加えて、帝国斥候は“見られている”と認識した。軍事国家としては、中央に上げない理由がありません」


「ルークスという隊長が、余計な脚色をしなければいいのですが」


バルザードが言う。


ヴェルミリアはそれに小さく首を振った。


「脚色はされると思っておきなさい。恐怖は正確な記述よりも速く伝播するものです」


その言い方がやけに現実的で、クロウは少しだけ嫌な気分になった。


確かにそうだ。


報告書の上では一枚の羽でも、現場の兵が持ち帰る印象はもっと大きい。

“谷に入っただけで飛竜が怯えた”“見えない誰かに見られていた”“先へ進むなと空気そのものが警告した”――そんな話になれば、中央ではますます対応が割れるだろう。


軽視するか。恐れるか。利用を考えるか。


どちらにせよ面倒だ。


「なら」


クロウはゆっくりと言った。


「向こうがどう受け取るかも見ておきたい」


その一言に、四天王の視線が玉座へ集まる。


いや、集まらないでほしい。毎回そんなに真っ直ぐ見られると緊張する。


だが表情は崩さない。


「帝国が、今夜の接触をどう扱うかだ。恐れて距離を取るのか、慎重になるのか、それとも意地になるのか」


自分で言っていて、だいぶそれっぽいなと思う。


実際には、普通に今後の危険度を測りたいだけだ。


しかしヴェルミリアは深く頷いた。


「ごもっともです。相手の反応そのものが、次の材料になります」


助かった。


今のところ拡大解釈されていない。たぶん。


だがセラフィナが静かに続ける。


「では帝国内部の温度差も拾ってまいります。恐怖に傾く者、憤りに傾く者、打算に傾く者。その比率が分かれば、次に誰が前へ出るか見えます」


その内容自体は有能そのものだ。


有能そのものなのだが、行動の速さが怖い。


「もう入れるのか」


「すでに境界線までは可能です」


セラフィナは穏やかに言った。


「ただ、深くではございません。まだ“手を伸ばせる位置”を確かめている段階です」


何かもう、言葉の一つ一つが物騒だ。


クロウは一瞬だけ視線を逸らしかけて、踏みとどまった。


ここで狼狽えるとまずい。

今のところ、自分は“全体を見ている王”で通っている。

その仮面を自分から崩す必要はない。


必要はないが、精神的にはかなりしんどい。


ガルドが低い声で言う。


「帝国の次手は二つに絞られるでしょう」


「言ってみろ」


「一つは、精鋭部隊を送ること。今夜の斥候では足りぬと判断し、実力ある騎士か竜騎士を伴ってくる形です」


ありそうだ。


「もう一つは」


「手を出さず、監視だけを増やすことです」


答えたのはヴェルミリアだった。


「慎重な中央であれば、こちらを刺激せず、外周に監視線だけ増やすでしょう。その場合は面倒ですが、対応は読みやすい」


つまり、どちらに転んでも面倒なのか。


そりゃそうだろうけど。


クロウは玉座の背にもたれ、わずかに目を閉じる。


休みたい。


いや、本当に。


目が覚めたと思ったら千年経っていて、神話の王扱いされて、配下からの信頼が重すぎて、起きて数時間もしないうちに帝国の斥候対応をしている。


情報量が多い。


普通ならパンクしてもおかしくない。


だが、その“普通なら”がこの場では通用しない。

玉座に座っている以上、少なくとも外からは揺らいで見えてはいけない。


「陛下」


ヴェルミリアの声が少しだけ柔らかくなった。


「差し出がましいことを申し上げます」


何だ。


嫌な予感と少しの救いが同時に来る言い方だ。


「この後はいったん、お休みになられますか」


クロウは一瞬だけ思考を止めた。


休めるのか。


いや、休みたい。ものすごく休みたい。だがここで即座に飛びつくのもどうなんだ。


「…理由を聞こう」


とりあえず格好はつけておく。


ヴェルミリアは小さく頭を下げた。


「今夜の第一接触は、陛下のお考え通り、静かに終わりました。ならば次に必要なのは、慌てて手数を増やすことではなく、盤面を整理することです。帝国が報告を上げ、中央が解釈し、次の命令を返すまでには時間がございます」


理にかなっている。


「その間に、私どもが情報を整えます。陛下は、必要な場面でのみご判断を下してくだされば十分です」


それは、かなり助かる提案だった。


何というか、やはり宰相なのだなと思う。

丸投げしたいという意味ではなく、今の自分が判断すべきことと、配下に任せていいことを切り分けてくれている。


だが、少し引っかかる。


「私が不在でも回ると」


「不在ではございません」


ヴェルミリアはすぐに訂正した。


「陛下は常に中枢におわします。ただ、雑音をいちいちお耳へ入れぬよう、場を整えるだけです」


なるほど。


それなら助かる。かなり助かる。


横からバルザードが勢いよく頷いた。


「まったくその通りです!今はまだ再起動直後。細かな確認事項や整備項目も山ほどございますし、何より陛下に瑣末な報告を次々上げるのは恐れ多い!」


その“瑣末”の基準がずれていそうなのはさておき、方向性はありがたい。


セラフィナも静かに言う。


「陛下が沈黙を保たれる時間そのものが、外へは重みとして伝わります。今はむしろ、こちらが慌ただしく動くより、その静けさを保つ方がよろしいかと」


そこまで行くと、もはや自分が黙っているだけで意味が発生していることになる。


便利なのか厄介なのか分からない。


いや、今のところは厄介寄りだ。


ガルドが最後に短く加えた。


「国境は私が見る。ご憂慮には及びません」


そこまで言われると、もう反対する理由がない。


ないどころか、普通にありがたい。


クロウは少しだけ間を置いてから答えた。


「…なら任せる」


四天王が一斉に頭を垂れる。


やはり揃いすぎていて怖い。


「ただし」


ここで一つ、釘は刺しておく。


「独断で線を越えるな。少なくとも、今夜示した境界はこちらから崩すな」


今の自分に言えるのはこれくらいだ。


だが、これはかなり大事な一言でもある気がした。

向こうへ示した“ここまでは見ている、ここから先は危険だ”という線を、こちらが簡単に動かすべきではない。


ヴェルミリアは深く一礼する。


「御意。境界は境界のままに」


セラフィナも頷く。


「陛下の線引きを汚さぬよう」


ガルドはただ一言。


「守ります」


バルザードは珍しく真面目な声音で続けた。


「監視と整備に徹します」


…今のところは、だが。


クロウはそこまで込みで受け取っておくことにした。


その時だった。


玉座の間の大扉の向こうから、低く響く鐘の音が一つだけ鳴った。


大きな音ではない。だが、この広間ではやけに遠くまで届いた。


クロウが視線を上げると、ヴェルミリアが説明する。


「城内時鐘です。第一夜半の終わりを告げるもの」


時計まであるのか。


いや、あるだろうな、この城なら。


むしろなぜないと思った。


そこまで考えて、クロウはようやく一つのことに気づく。


「…私は、どこで休めばいい」


思わず口にしてから、しまったと思った。


これはちょっと素が出すぎたかもしれない。

王が自分の寝所を確認するのは変ではないだろうが、聞き方が少し普通すぎた。


だが四天王の反応は一切ぶれなかった。


むしろ、ヴェルミリアはわずかに表情を和らげたように見えた。


「終焉の玉座にて再びお休みになられても構いませんし、奥の御座所もすでに整っております」


御座所。


言い方がいちいち仰々しい気がする。


「御座所…」


「陛下の私室でございます」


助かる。そう言ってくれた方が分かりやすい。


というか私室あるのか。そうだろうな。王なんだからあるか。


自分で設定したはずだが、細部まではさすがにもう覚えていない。


「案内を」


短く言う。


「かしこまりました」


ヴェルミリアが応じ、他の三人も一歩退いた。


どうやら彼女が先導するらしい。


玉座から立ち上がるべきか、とクロウは一瞬だけ迷った。

だが、ずっと座ったままでも話は進まない。ここは動くしかない。


ゆっくりと立ち上がる。


衣装は見た目ほど重くない。長衣の裾が黒い石の上を滑り、背へ流れる外套がわずかに揺れる。

たぶん見た目には、それなりに様になっているのだろう。


内心は、転ばないかどうかでかなり緊張しているのだが。


長い階を降りる。


一段、一段。


そのたびに、四天王が少しずつ頭を下げる角度を深くするのが見えた。

やめてほしい。そんなに見られると歩き方まで意識してしまう。


それでも何とか平静を保ち、最後の段を下りる。


近くで見ると、四天王はやはり全員、現実感のない美しさと圧を持っていた。

ヴェルミリアは冷たい紫の瞳の奥に知性を隠し、ガルドは動かないだけで壁のように重い。

セラフィナは静かすぎて逆に恐ろしく、バルザードは今にも何かを喋り出しそうな熱を抑え込んでいる。


こんなのに全幅の信頼を向けられているのか、自分は。


怖い。


本当に怖い。


しかも、少しでも見苦しいところを見せたくないと思っている自分がいるのも厄介だった。


ヴェルミリアが身を翻した。


「こちらへ」


玉座の間の奥、左右に伸びる回廊のうち、さらに内側へ続く黒い扉が静かに開く。

人の手ではない。術式か、城そのものが開けているらしい。


扉の向こうには、薄青い灯りのともる長い回廊が続いていた。床は黒い石。壁には細い銀の文様。

一定間隔で置かれた燭台は炎ではなく、結晶のような光を宿している。


広い。


そして静かだ。


玉座の間とはまた違う、生活空間に近い空気がある。

だが、それでも普通の城よりよほど非現実的だった。


ヴェルミリアの少し後ろを歩きながら、クロウは思う。


今日は長い一日だった。


いや、正確には“目覚めてからまだそこまで経っていない”のかもしれない。

だが、感覚としては何日分もの情報を一気に叩き込まれた気分だ。


千年。


黒翼庭。


四天王。


帝国斥候。


境界線。


どれ一つ取っても、処理しきれる量ではない。


なのに、自分の周りにいる者たちは、そのすべてを“陛下なら当然ご承知の上”という顔で受け止めている。


その事実が、回廊の静けさの中で改めてのしかかってきた。


そして同時に、少しだけ分かってしまうこともある。


この四人は、本気で待っていたのだ。


千年という時間を、どんな感覚で過ごしたのかは分からない。

だが少なくとも、今日のこの瞬間を“ようやく訪れた当然の帰還”として受け止めている。

それだけは、疑いようがなかった。


その信頼が、重い。


でも、その信頼の重さを完全に嫌だと思いきれない自分もいた。


そこまで考えたところで、ヴェルミリアが足を止める。


「こちらが御座所となります」


目の前には、玉座の間よりは小さいが、それでも十分に大きな両開きの扉があった。

黒木に銀の細工が施され、中央には翼を模した紋章が刻まれている。


扉が静かに開く。


その向こうに広がっていたのは、広い寝室だった。


天井は高いが、玉座の間ほどではない。壁際には書架と長机。奥には大きな寝台。

重い色の調度ばかりなのに、不思議と息苦しさはない。

人が生活するための場所として整えられているのが一目で分かった。


「必要なものはすべて揃っております」


ヴェルミリアが告げる。


「夜のうちは、外周と帝国側の監視を続けます。動きがあれば、すぐにでも」


クロウは部屋を見回し、それから短く頷いた。


「任せる」


「はっ」


ヴェルミリアは深く頭を下げた。


それから、ほんの少しだけ声音を和らげる。


「陛下」


「何だ」


「お帰りなさいませ」


その一言に、クロウは返す言葉を一瞬だけ失った。


重い。


やはり重い。


だが、それ以上にまっすぐで、嘘がなかった。


だから結局、彼が返せたのは一つだけだった。


「…ああ」


それだけで、ヴェルミリアには十分だったらしい。


彼女は再び一礼し、静かに部屋を辞した。


扉が閉まる。


ようやく一人になった。


クロウはその場に数秒立ち尽くし、それからようやく、誰にも見られていないことを確認するように深く息を吐いた。


「…しんどい」


思わず本音が漏れる。


寝台の端に腰を下ろす。柔らかすぎず、妙に体に馴染んだ。

以前から使っていたかのような違和感のなさが、逆に怖い。


天井を見上げる。


目覚めた時と同じように、黒い天井に細い金の線が走っていた。

だがこちらは玉座の間ほど威圧的ではなく、どこか落ち着く意匠に見える。


静かだ。


やっと静かになった。


だが頭の中はまったく静かではない。


「千年って何だよ…」


小さく呟く。


返事はない。


当然だ。


だからこそ、ようやく自分の考えが自分のものとして回り始める。


自分はどうなったのか。

ここは本当に何なのか。

なぜ設定したはずの四天王が、あんなにも生きているのか。

そして何より、自分はこれから何をするべきなのか。


答えは出ない。


だが、一つだけ分かることがある。


もう後戻りはできない。


少なくとも、あの四人が自分を主として見ている限り、自分はクロウ・レイヴンハートとして動かざるを得ない。

動かなければならない、という方が近いかもしれない。


面倒だ。


重い。


怖い。


それでも。


「…やるしかない、か」


呟いてから、自分で少し笑いそうになる。


口にすると、だいぶ開き直った台詞に聞こえた。


だが実際、その通りなのだ。


逃げるという選択肢は、たぶん最初からない。


クロウは寝台へゆっくりと身を横たえた。


眠れるかどうかは分からない。だが、目を閉じるだけでも少しは整理がつくかもしれない。


その直前。


扉の向こう、遠い回廊のさらに向こうから、また小さく鐘の音がした。


北方帝国では今ごろ、持ち帰られた報告が誰かの机の上に届き始めているのだろう。


そして黒翼庭では、四天王がもう次の盤面を整え始めている。


自分だけが置いていかれないようにしなければならない。


そう思いながら、クロウは静かに目を閉じた。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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