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配下からの信頼が重すぎる  作者: きなこもち
第1章 『黒翼の終王、目覚める』

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「監視祠へ向かう影」



 立体地図の一角で、南へ逸れた帝国斥候が監視祠へ近づいていた。


 対する影鴉は、すでに先回りしている。


 セラフィナが目を閉じたまま、静かに報告する。


「祠の内部、確認いたしました。人員は七名。うち三名が監視官、二名が祈祷師、一名が記録係、残る一名は護衛。帝国所属ではなく、混成管理です」


「予想より少ないな」


「祠はあくまで簡易拠点ですので」


 ヴェルミリアが補足する。


「本格的な情報集積はさらに後方で行うのでしょう。ですが、ここで収集された情報もまた、複数国家へ分配されるはずです」


 面倒だ。


 面倒だが、情報が流れること自体は止められない。

 なら、どんな形で流すかが重要になる。


「会話は拾えるか」


 クロウが聞くと、セラフィナは頷いた。


「はい。間もなく」


 その瞬間、立体地図の横へもう一つ、淡い光の幕が現れた。

 映像ではない。

 音だけを術式で拾っているらしい。言葉が少し遅れて、揺らぎを帯びたまま広間へ浮かび上がる。


 最初に聞こえたのは、風の音だった。


 吹きさらしの尾根を渡る、乾いた北風。

 扉の軋み。

 雪を踏む音。


 それから、人の声。


『帝国軍斥候隊、緊急照会だ! 禁域中心部での反応増大を確認、監視補助を要請する!』


 若い男の声だった。

 張っている。

 緊張を押さえ込みながら、必要以上に強く響かせている声だ。


 続いて、祠の中から別の声が返る。


『…確認する。所属と印を』


『竜嶺帝国北方方面軍、第三偵察線所属! 隊長ルークスの名で照会する!』


 帝国側の所属が一つ取れた。


 セラフィナが目を閉じたまま言う。


「記録しました」


 早い。


 地図上の光点と同様、こちらの情報処理速度もだいぶ普通ではない。


 光の幕の向こうで、男の声が続く。


『現在、先行三騎が谷内部を監視中。異常な静穏化、飛竜の怯え、視認不能の圧あり。禁域側がこちらを認識している可能性が高い』


 その一文が浮かんだ瞬間、玉座の間にいた全員の空気がわずかに変わった。


 **認識している可能性が高い**


 向こうも、そこまでは読んだか。


 ヴェルミリアが小さく言う。


「羽一枚で十分でしたね」


 だから、その一言が怖いんだって。


 クロウは心の中だけで突っ込む。

 だが確かに、相手へ“見られている”意識を植え付けるという意味では、効果的すぎるほど効果的だった。


 音声はさらに続いた。


『繰り返す。禁域側が認識している可能性が高い。だが、現時点で直接的な攻撃はなし。再度言う、直接的な攻撃は――』


 そこで一度、言葉が乱れた。

 祠の中でざわめきが起きる。


 別の、年配の低い声が割って入る。


『攻撃がない? 本当にか』


『少なくとも今はだ! だが、谷に入った瞬間に空気が変わった。誰かに見られている』


 その表現に、バルザードが感心したように小さく息を漏らした。


「ほう。感覚は悪くありませんね」


「喜ぶところではない」


 クロウが言うと、バルザードは慌てて頭を下げた。


「失礼しました。ですが、相手がきちんと脅威を認識しているのは悪くありません。愚かにも無策で突っ込まれる方が後々の手間が増えますので」


 それもそうか。


 この世界では、いちいち理屈が通るのが困る。

 言っていることがだいたいが正しい。正しいから止めれない。


 音声がまた変わる。


『後続部隊を呼ぶか?』


『いや、待て。まだ早い』


 その一言に、玉座の間の空気が一瞬だけ止まった。


 クロウは少しだけ気まずくなる。


 向こうも“まだ早い”と言った。


 ただそれだけなのに、妙に言葉が被った感じがして落ち着かない。

 変なところで共鳴しないでほしい。こっちはこっちで色々いっぱいいっぱいなのだが。


 ヴェルミリアは静かに目を細めた。


「帝国側にも、無闇に踏み込む愚将ばかりではないようですね」


 ガルドが低く唸る。


「隊長の判断か」


「おそらく」


 セラフィナが答える。


 光の幕の向こうで、ルークスの声が続いた。


『いまここで後続部隊を呼べば、こちらが怯んだと見られる。まずは祠からの監視を重ねろ。谷内部の反応を拾えるだけ拾う。俺たちはさらに先に進む』


 そう来たか、とクロウは思う。


 帝国の隊長、ルークス。

 思った以上に肝が据わっている。

 怖がりながら、それでも止まらない。


 たぶんこの世界では強い側の人間なんだろうな。


「陛下」


 セラフィナが静かに呼ぶ。


「祠側はまだ後続部隊を呼びません。ですが、監視精度を上げるため、術式を一段深く回そうとしています」


「こちらへ干渉は」


「届きません。境界線の空気を撫でる程度です」


 ならまだ問題はない。


 問題はないが、そのまま放置すると“禁域側は見ているだけだ”という認識が固まるかもしれない。


 難しい。


 圧を見せるだけで、手は出さない。

 だが甘くも見せない。


 やはり難しい。


「…もう一枚、落とせるか」


 クロウは考えた末に言った。


 ヴェルミリアがほんのわずかに視線を上げる。


「羽を、ですか」


「ああ。ただし近づけすぎるな。脅しになるからな」


 自分で言っていて、何の微調整をしているんだろうと思う。

 だが今はこれが一番ましに思えた。


「祠ではなく、谷の出口付近だ。これ以上踏み込めば次はない、くらいの境界線でいい」


 数拍の沈黙。


 それからヴェルミリアが、ゆっくりと頭を垂れた。


「…なるほど」


 嫌な“なるほど”なんだ⁉


「帝国に“境界線”だけを教えるのですね」


 そこまで格好いい話ではないんだが。


 いや、でもまあ、結果としてはそうか。


「そうだ」


 とりあえず短く返す。


 するとヴェルミリアは、今度こそはっきりと微笑んだ。


「お任せを」


 怖い。


 その一言がとても怖い。


 だが、ここで止めるのも違う。

 クロウは結局、何も言わずに地図を見つめた。


 地図の上で、谷の出口付近へ小さな黒点が一つ動く。

 影鴉ではない。もっと大きく、もっと濃い。


 黒翼騎士か、あるいはヴェルミリア自身が術で投影しているのか。

 判別はつかなかった。


 次の瞬間、地図の中の白い雪原へ、また一枚、黒い羽が落ちた。


 今度は先ほどよりも大きい。


 しかも位置が絶妙だった。

 谷の先。

 これ以上進めば外へは戻れない、そのぎりぎりの線。


 祠の音声が乱れる。


『…っ、おい、いまの見えたか!?』


『羽だ! まただ!』


『どこに落ちた!?』


『谷の出口だ! いや、違う、あれは――』


 若い声が息を呑む。


『道を、塞いでるのか…?』


 実際に塞いでいるわけではない。

 たった一枚の羽だ。人が跨げば済む。


 だが、そう見えるのだ。


 それ以上は進むなと、空気そのものが言っているように。


 クロウは地図を見ながら、少しだけ寒気を覚えた。


 上手い。


 上手すぎる。


 たったこれだけで“境界線”を作ってしまうのか。


 祠の向こうで、帝国側がざわめく音が続く。


『隊長に伝えろ! 谷の先に新たな徴候あり! 繰り返す、新たな徴候――』


 そこで音が一度途切れ、別の声が重なる。


『待て。文言を選べ。“攻撃”ではない。これは“警告”だ』


 ルークスの声だった。


 玉座の間にいた誰もが、その一言を聞き逃さなかった。


 ヴェルミリアが静かに言う。


「悪くありませんね」


 ガルドも低く続ける。


「少なくとも、見所はある」


 セラフィナはわずかに微笑んだ。


「では、まだ選別の余地はございます」


 やめてくれ。


 人の生殺与奪を見定めるみたいな言い方はやめてほしい。


 クロウは心の中でそう思いながらも、表情だけは静かなまま保った。


 そして、少しだけ理解する。


 この場にいる四人にとって、自分の言葉はもう単なる指示ではない。

 世界のどこまでを許し、どこからを許さないか、その線引きそのものなのだ。


 怖い。


 本当に怖い。


 しかも、その線引きが相手にちゃんと伝わってしまっているのが、なおさら怖い。


「帝国斥候、進行停止」


 ガルドが告げた。


 地図上で、谷内部の三点がぴたりと止まる。

 後衛の二点も高度を維持したまま、わずかに後方へ下がった。


 祠からの音声には、短い沈黙が流れていた。


 それから、ルークスの声。


『…ここまでだ。これ以上は踏み込まない』


 クロウは内心で少しだけ安堵した。


 よかった。


 本当によかった。


 少なくとも今この瞬間、全面衝突は避けられそうだ。


『監視結果をまとめる。谷内部に明確な監視あり。禁域側は我々の接近を認識している。攻撃意志は不明。ただし、境界線の提示あり。これを持ち帰る』


 祠の向こうで、記録係が慌てて筆記する気配がする。

 紙をめくる音。

 筆記具の擦れる音。

 祈祷師の小さな息。


 ヴェルミリアはその言葉を聞き終えると、満足げではない、だが確かな納得を含んだ顔で目を伏せた。


「十分です」


「…何がだ」


 クロウが聞くと、ヴェルミリアは静かに答えた。


「帝国が、警告を警告として受け取れる国であることが分かりました」


 大げさだ。


 大げさなのだが、間違ってもいない気がしてくるのが嫌だった。


「少なくとも今夜の段階では、無用に線を踏み越えるほど愚かではないようです」


 セラフィナも続ける。


「ならば、いきなり潰す必要はございません」


 だから、その物騒な基準は何なんだ。


 いや、もう今さら驚かないけれども。


 クロウは玉座の肘掛けに指先を置き、わずかに考える。


 いま必要なのは、おそらく二つだ。

 一つは、このまま撤退させること。

 もう一つは、“見ているぞ”という意識だけを残すこと。


「追うな」


 クロウは言った。


「帰らせろ。だが、監視は切るな」


 四天王が一斉に頭を垂れる。


「「「「御意」」」」


 やはり揃いすぎていて怖い。


 だが、今のは悪くない指示だったと思う。

 たぶん。

 おそらく。

 できればそうであってほしい。


 地図の上で、帝国斥候の光点がゆっくりと反転する。

 谷を出て、来た道を戻る形だ。

 祠へ向かった一騎も、そこで合流するつもりらしい。


 少なくとも第一段階は終わった。


 そう思った時。


 バルザードが、ぽつりと呟いた。


「ですが…面白いですね」


 嫌な前振りだ。


 クロウは無言のままそちらを見る。


 バルザードは片眼鏡の位置を直しながら、地図を見つめていた。


「帝国の隊長、あれは自分で“警告”と表現しました。つまり相手は、陛下の意図を一段浅いところであっても掴み始めています」


「言いたいことを簡潔にしなさい」


 ヴェルミリアが刺すように言う。


 だがバルザードは、珍しく真面目な声音のまま続けた。


「はい。要するに、次からはもっと慎重に来るでしょう。慎重に、ですが、より深く」


 その一言で、玉座の間の空気が少し変わる。


 クロウも意味は分かった。


 一度境界を見せた以上、相手は次にその境界の性質を探ろうとする。

 今夜は引いた。

 だが、引いたから終わりではない。

 むしろ始まりだ。


 ヴェルミリアが静かにまとめる。


「ええ。帝国は今夜、“触れてはならないものが確かに存在している”と知った。ですから次は、その“触れてはならないもの”がどこまで何を許すのかを測りに来ます」


 クロウは表情を変えないまま、心の中で呻いた。


 面倒だ。


 やっぱり面倒だ。


 しかし避けられないのも分かる。


「…なら、その次に備えろ」


 短くそう言う。


「だが、繰り返す。まだ早い」


 その言葉に、ヴェルミリアは深く頭を垂れた。


「承知いたしました。では帝国には、今しばらく自らの頭で考えさせましょう」


 セラフィナは柔らかく微笑む。


「不安と敬意は、よい抑止になります」


 ガルドはただ一言。


「境界は守らせます」


 バルザードはやけに晴れやかな顔で頷いた。


「では私は、次の“静かな対応”に備えて監視系のみ強化しておきます!」


 監視系のみ、という言葉が信用できるかどうかはさておき。


 クロウは、ここでようやくほんの少しだけ肩の力を抜いた。

 もちろん見た目には出ていないはずだ。

 たぶん。


 今夜は乗り切った。


 少なくとも、いきなり血の雨にはならなかった。


 だが、その代わりに確定したことがある。


 帝国は、また来る。


 しかも次は、今夜よりずっと慎重で、ずっと本気に近い形で。


 そしてこちらの配下たちは、その一手一手すべてに意味を見出し、勝手に万全の盤面を整えていく。


 胃が痛い。


 いや、この体に胃があるのかは知らない。

 だが、あると仮定するなら確実に痛い。


 クロウは地図の上から消えていく帝国斥候の光点を見送りながら、静かに思った。


 たぶんこれが、始まりなのだろう。


 千年ぶりに目覚めた王としての最初の夜は、どうにか大崩れせずに終わった。


 その事実だけが、いまは唯一の救いだった。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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