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配下からの信頼が重すぎる  作者: きなこもち
第4章

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57/90

「迂回したつもりで正解を踏む」

 


 次の踏査に向けた準備期間は、クロウにとって少しだけ気が楽で、少しだけ気が重かった。


 気が楽なのは、白霜外界へ実際に入っていないからだ。

 あの“歩いているだけで自分の感覚が信用ならなくなる場所”へ突っ込んでいないというだけで、だいぶ楽である。

 人間は平穏な床と、まともな壁と、普通に開閉する扉にもっと感謝するべきだと思う。


 気が重いのは、その準備が順調すぎるからだった。


 影鴉衆は白の浅まりを観測し始めた。

 バルザードは“最低限”の追加試作を二つ作った。

 最低限とは何かについては、もうあまり深く考えないことにした。

 精神衛生上のためである。

 ヴェルミリアは観測結果を並べ、白霜外界の“機嫌の良さそうな順番”みたいなものまで仮説化し始めている。

 ガルドは護衛配置をさらに詰め、セラフィナは外界で見失わないための人の置き方まで磨き込んでいた。


 誰もサボらない。

 誰も迷わない。

 ありがたい。

 だが、ありがたいという感情と、“このまま本当にまた行くんだな…”という憂鬱はきれいに両立する。


 その朝も、白霜外界への再踏査直前、クロウは小会議室の地図を見ながら思っていた。


 正面、嫌だな。


 白霜外界の概略図には、前回見えた門影の出現位置が複数の記録で薄く重ねられている。

 当然ながら一致はしない。

 ただし、白の浅まりが観測された帯だけは、ある程度の幅で重なっていた。


 そこへ向かう導線も、前回より絞れている。

 だが、絞れたからといって親切になるわけではない。


 むしろ逆だ。


 前回の記録整理で、一つだけ露骨に嫌なことが分かった。


 **門影に最短で近づこうとした導線ほど、白霜外界の反発が強い。**


 嫌な予感しかしない話である。

 近道が近道の顔をしながら、実際には“飛びついた者から弾く”類のものなら、それはもう罠と同じだ。

 罠と言って差し支えない。

 できれば行きたくない。


「陛下」


 ヴェルミリアが今日の整理板を置いた。


「前回の観測を踏まえ、門影へ至る導線は二系統まで絞れております」


「二つか」


「はい。正面導線と、南西側の回り込みです」


 嫌な二択である。


 正面は速い。

 だが明らかに“どうぞ来てください”の顔をしている。

 そういう道はだいたい駄目だ。

 南西側の回り込みは遠い。

 だが、白の浅まりの出方だけを見ると、こちらの方がまだ“様子を見ながら近づける”感じがある。


 そしてこういう時、周囲はたいてい“どちらにも意味がありますね”みたいな顔をするのだが、本人の気持ちはもっと単純だ。


 正面、嫌だな。

 かなり嫌だ。

 見ただけで嫌だ。

 あの導線だけ、地図の上なのに妙に“待ち構えている感”がある。

 白霜外界にそんな感情があるのかは知らないが、あるように見える時点でもう嫌だ。


 しかも、嫌なだけで済まない。

 そういう道はたいてい、“最短に見えること”そのものが試しになっている。

 近道を見た瞬間に飛びつくかどうか。

 あるいは、“見えているものをそのまま取りに行く”程度の雑さで入ってくるかどうか。

 白霜外界みたいな場所が、それを試していない方がおかしい。


「陛下?」


 ヴェルミリアに呼ばれ、クロウは考えを切り替えた。


「…正面はまだ踏まん」


 静かに言う。


「南西を回る」


 その瞬間、室内の空気が少し変わった。


 ヴェルミリアがわずかに目を細める。

 ガルドは黙って頷く。

 セラフィナの微笑みがほんの少しだけ深くなる。

 バルザードだけが、すぐに何かを思いついた顔をした。


 やめてほしい。

 今のはかなり素朴な理由なのだ。


(いや、だって嫌だろう)

(あの正面導線、どう考えても嫌だろう)

(何なんだあの“来てみろ”みたいな顔)

(絶対にろくでもないって)


 しかし内心がどうであれ、外に出した言葉は違う意味を持つ。


「理由を伺っても?」


 ヴェルミリアが問う。


 ここが難しい。

 “嫌だから”では王としてどうかと思う。

 いや、内心では十分に正しい理由なのだが、言い方というものがある。


 クロウは地図の正面導線を指先で軽く押さえた。


「正面は、近づかせる気がない」


「少なくとも、いまの段階では」


 これは、本音でもあった。


 正面導線は、最短だ。

 最短すぎる。

 白霜外界みたいな場所が、そんなに素直に最短を置くとは思えなかった。

 なら“最短に見える”こと自体が警戒点になる。


 ヴェルミリアが静かに頷いた。


「白霜外界がこちらの接近態度を見ているなら、正面からの最短接近は“飛びつき”と判定される恐れがありますね」


 そういう立派な整理になるのか。

 いや、まあ、そうなのだろう。

 たぶん。


 ガルドが低く言う。


「南西側は遠いですが、白の浅まりが段階的です。退路維持にも向きます」


 ありがたい。

 ちゃんと実務に落としてくれる男は本当にありがたい。


 セラフィナも続く。


「向こうに選ばせるのではなく、こちらが“順番を守る意思”を示すことにもなります」


 意思。

 うん、そういうことにしておこう。


 バルザードが片眼鏡を押し上げた。


「なるほど。最短経路をあえて捨てることで、固定前の中継遺構に“焦っていない”と伝えるのですね」


 そんな高度な交渉だっただろうか。

 いや、結果としてはそうかもしれない。

 困る。


(いや、違うんだよな)

(“焦っていない”んじゃなくて、“正面が嫌”なんだよ)

(この違い、地味に大きいんだが)


 たぶん誰にも伝わらない。

 もう半分諦めている。


「準備を」


 クロウは短く言った。


「行くぞ」


 すると全員が一斉に頭を垂れた。


「「「「御意」」」」


 やはり仰々しい。

 だが、ここで今さら“やっぱりやめよう”とは言えない。

 言った瞬間、別方向にもっと大きな解釈が乗るだけだ。

 経験で分かる。


 ---


 白霜外界への再踏査は、前回より静かだった。


 景色は相変わらず白い。

 寒さも相変わらずだ。

 だが、隊の動きに迷いが少ない。


 見るものを絞ったからだ。


 人の位置。

 足場。

 白の浅まり。

 門影そのものではなく、その手前で景色がどう変わるか。


 それだけに絞ると、白霜外界はまだ嫌だが、前回よりは“何を嫌がればいいのか”が分かる。

 そこは少し助かった。


 少しだけである。

 楽になったわけではない。


(嫌なものの種類が分かっても、嫌なものは嫌なんだよな)


 むしろ、正体が少し分かったぶん、嫌さが具体化している。

 “何か分からないから怖い”から、“ここでこうずれるのが面倒で怖い”へ変わっただけだ。

 人間はそんなに急には強くならない。


 南西側へ回る導線は、前回の往路とは明らかに手触りが違っていた。


 白が厚く閉じていない。

 とはいえ親切でもない。

 視界は相変わらず浅く、距離感もまだ怪しい。

 だが“こっちへ来るなら、まずこの順番を守れ”と言われている感じはある。


 正面導線のあの露骨な不快さ――

 飛び込めば即座に意味をずらされるような、あからさまな拒絶――

 それに比べれば、こちらはまだ“試されている”で済んでいた。


 試されるのも嫌だが、正面から弾かれるよりはまだましだ。


「前方、浅まり」


 影鴉衆の低い声が飛ぶ。


 クロウは歩調を少し緩めた。


 前方の白が、ほんのわずかに薄い。

 霧が晴れるような変化ではない。

 もっと“塗り重ねた白を、向こう側から指で撫でている”みたいな浅まり方だ。


 気持ち悪い。

 だが前回より分かる。


「止まるな」


 クロウが言う。


「浅まりだけ見ろ。影を探すな」


「承知いたしました」


 ヴェルミリアの返答がすぐ来る。


 前回ここで門影そのものへ意識を持っていかれた者ほど、見失った。

 だから今は、“まだ見えないもの”の手前を見る。


 理屈は分かる。

 だがやっていることは、見たいものを見ないようにしながら近づく、というかなり変な行為だ。

 精神衛生上悪い。


 南西側の回り込み導線は、正面に比べて地形の変化が細かかった。


 低い雪丘。

 埋もれた岩。

 視界の端で揺れる白の濃淡。


 正面みたいな“どうぞこちらです”感がない。

 代わりに、“本当にこっちで合ってるのか?”感が強い。


 しかしクロウの内心では、そちらの方がまだましだった。


(うん、こっちの方がましだ)

(嫌な予感が、正面の半分くらいで済んでいる)

(半分でも十分嫌だが)


 白霜外界に入ってから、嫌な予感を割合で評価するようになった自分に少し驚く。

 人は環境に適応するらしい。

 あまり嬉しくない適応だが。


 ---


 しばらく進んだところで、バルザードが小さく声を上げた。


「おや」


「何だ」


 クロウが聞くと、彼は観測盤を見つめたまま答える。


「前回より、位相の揺れが浅いです」


「南西側だからか」


「それもありますが…」


 バルザードは顔を上げた。


「正面導線を避けた瞬間から、白霜外界側の反発が弱まっています」


 嫌な予想が当たった。


 やはり正面は駄目だったのだ。

 少なくとも今は。


「つまり」


 ヴェルミリアが静かに整理する。


「白霜外界は“最短”に応じない」


「あるいは」


 セラフィナが続ける。


「最短で来る者を、まだ通す気がない」


 だろうな、と思う。

 だから最初から嫌だったのだ。


 ここで少しだけ、クロウは内心で複雑な気分になった。


 嫌な予感が当たって助かる。

 だが嫌な予感が当たるということは、今後も“うわ嫌だな”がだいたい正解になるということでもある。

 あまり嬉しくない才能である。


(いや、別にいらないんだよな、この勘)

(もっとこう、平和な方向で発揮できないものか)


 たとえば天気とか。

 いや、天気も白霜外界相手だと当てにならないかもしれない。

 ひどい話だ。


「陛下」


 ガルドが低く呼ぶ。


「前方、地形のずれが減っています」


 クロウが視線を上げる。


 たしかに、白の浅まり方が変わってきていた。

 今までは向こう側で揺れていた白が、少しずつ“向こうに何かある前提の薄まり方”へ寄ってきている。


 遠くに、まだ黒い何かは見えない。

 だが“そこに何かが立つための余白”だけが、少しずつ整い始めていた。


 その時、クロウは本当に単純なことを考えた。


 正面じゃなくてよかった。


 心からそう思った。

 正面導線を選んでいたら、たぶん今ごろもっと面倒なことになっていた。

 根拠はまだ薄い。

 だが、こういう時の実感はだいたい外れない。


(よかった)

(本当に正面じゃなくてよかった)

(あれを選んでたら絶対ろくでもない)


 心の中でそう思った、その直後だった。


 前方の白が、すっと割れた。


 割れたというより、“もう隠す必要がない”とでも言うように、薄い膜のような白が左右へ退いた。


 そしてその向こうに、黒い影が立っていた。


 門影。

 いや、前回よりはっきりしている。


 塔でもあり、門でもある。

 だが今は、そのどちらかと言うなら“門”に近い。

 縦に長く、閉じており、半ば崩れ、しかしなお立っている構造。


 クロウは思わず足を止めた。


「…門か」


 誰にともなく言う。


 今度は前回みたいに“ちょっと見えた”ではない。

 白の向こうに、はっきりと黒い輪郭がある。


 しかも、消えない。


 前回は、こちらが見ている間にも形の意味が滑っていた。

 門か塔かも定まらず、近づこうと思った瞬間に距離ごと逃げていく感じがあった。

 だが今は違う。


 崩れている。

 黒い。

 立っている。

 そこに“門として壊れ残っている”ことだけが、妙に頑固に動かない。


 それがかえって気味が悪かった。


「固定されています」


 バルザードの声が珍しく低い。


「前回と違う。今回は“見えている”ではなく、“そこにある”状態です」


 ヴェルミリアもすぐに頷く。


「陛下」


「分かっている」


 クロウは短く返した。


 いや、本当は半分くらいしか分かっていない。

 ただ、一つだけはっきりしていることがある。


 南西を回った。

 正面を避けた。

 その結果、門影が前よりはるかに素直に姿を定めた。


 つまり。


(これ、正面を避けたのが当たりだったのか)

(えっ、本当に?)

(いや、嫌だから避けただけなんだが?)


 そこが一番困る。


 自分の中ではかなり素朴な判断だった。

 “正面が嫌”という、きわめて人間的な理由である。

 だが結果だけ見ると、白霜外界の接続条件を正しく踏み抜いた王みたいになってしまう。


 それが一番困る。


 そしてもちろん、その困りごとは周囲には伝わらない。


「…なるほど」


 ヴェルミリアが静かに言う。


「正面導線は罠、あるいは“まだ早い者を落とす顔”だったのですね」


「ええ」


 セラフィナも微笑む。


「陛下は最初から、あれを嫌っておられました」


 嫌っていた。

 それは間違いない。

 だが意味が違う。


(いや、そうなんだが)

(そうなんだが、もっとこう…)

(“見抜いた”というよりただ単に“嫌”だったんだよ)


 とはいえ、今ここでそんなことを言っても仕方がない。

 結果として当たっているなら、もう言葉の出どころはあまり問題にならないのだろう。

 少なくともこの場では。


「前進は」


 ガルドが問う。


 クロウは門影――いや、もはや門と呼んでいいその黒い構造を見つめた。


 半壊している。

 白の中に長く置かれたせいか、輪郭の端が少しずつ削れている。

 だが完全に死んではいない。

 むしろ、“ここで長く眠っていたものが、ようやく見つけられた”みたいな嫌な静けさがある。


 間違いなく、何かだ。

 しかも、補助宮の時とは違う。


 あれは終王の庭に属する施設だった。

 だがこれは、もっと別の王権へ連なる匂いがする。


 そして、ここで欲を出したらたぶん終わる。

 その確信だけは、理屈より先にあった。


「急ぐな」


 クロウは言った。


「見えたからといって、近づいていいとは限らん」


 これは普通の判断だ。

 門を見つけたからといって、即突っ込むのは馬鹿である。

 少なくとも白霜外界相手には。


 しかしそれを聞いた四天王の反応は、やはり少し重い。


「承知いたしました」


 ヴェルミリアが頭を下げる。


「固定条件が揃ったからこそ、ここで欲を出さない、と」


「観測を先に」


 ガルドも続く。


「退路を維持したまま、距離と反応を測ります」


 セラフィナはやわらかく言う。


「辿り着いたことより、辿り着けた条件の方が重いのですね」


 そう、そこだ。

 そこは本当にその通りだ。


 少なくとも今のクロウには、“中へ入る”より“ここにどうやって来られたか”の方が重かった。


(いや、本当にそうなんだよな)

(たどり着いたこと自体は大きいが)

(次も来られないと意味がない)

(そして次も来るのかと思うと、ちょっと嫌だな…)


 結局そこへ戻る。

 面倒なものは、見つけた瞬間から次の段階を要求してくる。


 ---


 その場で行われた初期観測は、前回よりずっと安定していた。


 親衛隊が退路基点を確保する。

 影鴉衆が門周辺の白の濃淡を測る。

 死書官群が記録の一致率を照合する。

 バルザードが位相変動の浅まり方を追う。


 そして、それらの結果はいやに綺麗だった。


 南西回り。

 正面導線の回避。

 影ではなく白の浅まりを追う。

 無理に近づかない。

 その全部が、門を“門として立たせる”方向に噛み合っている。


 クロウはその報告を聞きながら、少しだけ遠い目をしたくなった。


 当たっている。

 全部、妙に当たっている。


 嫌な予感で正面を避けた。

 飛びつくなと思って手前を見ろと言った。

 それが白霜外界相手には正解だった。


(何だろうな、これ)

(私の勘が鋭いというより)

(白霜外界が“雑に来るな”って顔に出しすぎなんじゃないか?)


 そう思いたい。

 そう思わないと、何かこう、自分が妙に王らしくなってきたみたいで落ち着かない。


 いや、配下から見れば最初から十分王らしいのかもしれないが、本人の気持ちは大事だ。

 たぶん。


「陛下」


 バルザードが、今度は本当に抑えた声で言う。


「これが本当に中継遺構なら、かなり大きいです」


「だろうな」


「補助宮と違い、こちらは“眠り”を繋ぎ止める側です。つまり」


 彼は門の向こうを見た。


「その先に本体ではなくとも、“本体へ続く固定点”がある可能性が高い」


 そこまで聞いて、クロウは小さく息を吐いた。


 やっぱりそうなる。

 ただ見つけただけで終わるはずがない。

 見つけたなら次は“何に繋がっているか”になる。

 実に面倒だ。


「今日はここまでだ」


 クロウが言う。


 またか、と思う者はいない。

 この場では、それが最も重い判断だと全員が分かっているからだ。


「十分だ」


 そう続ける。


「見えた。固定した。なら、今日はそれでいい」


 欲を出さない。

 それが今の白霜外界に対して一番大事だ。


 ガルドが頷く。


「撤収準備を」


 ヴェルミリアも一礼する。


「観測条件を保持したまま、離脱記録を取ります」


 セラフィナが静かに微笑む。


「“見つけた日”ではなく、“次も見つけられる日”にするのですね」


 言い方が綺麗すぎる。

 だが意味としてはそうだ。


 クロウは門の黒い輪郭を最後にもう一度だけ見た。


 白の中で、なお立っている。

 遠いようで、前回より明らかに近い。

 そして、まだこちらを拒んでもいない。


(…見つかったな)

(いや、見つけたのか)

(どっちでもいいが、もう次があるんだろうな、これ)


 うっすらと頭痛の気配がした。


 だが同時に、少しだけ胸の奥がざわつく。

 補助宮で見た“別の王の痕跡”が、いよいよただの記録ではなく、実際の地形と構造として前に現れたのだ。


 面倒だ。

 だが、目を逸らしたくない。


 その二つが、最近は本当に綺麗に同居するようになってきた。


 ---


 帰路、白霜外界は往路より少しだけ静かだった。


 こちらが“順番を守った”ことに機嫌を良くしたのか。

 あるいは、単に門が一度姿を定めたぶん、白の揺れも少し落ち着いたのか。

 そこはまだ分からない。


 ただ一つ言えるのは、前回よりは帰りやすかったということだ。


 それだけでも十分大きな成果だった。


 来た時は、白の中を進んでいるというより、白の中へ少しずつ解かれていく感じがあった。

 だが今は違う。

 帰路は帰路として続いている。

 完全ではないにせよ、“戻る”という意味がまだ保たれている。


 そのことが妙にありがたかった。


「陛下」


 白霜外界の縁を抜ける直前、ヴェルミリアが静かに呼んだ。


「何だ」


「今回の導線選択ですが」


 そこまで聞いて、クロウは少しだけ嫌な予感がした。


 あまり掘り下げないでくれ。

 できれば“嫌だったので避けた”で済ませておきたい。


 だがヴェルミリアはそんな願いを聞く人ではなかった。


「正面を切られたのは、どの段階で確信なさいましたか」


 やめてほしい。

 聞かないでほしい。

 本当に。


「…確信というほどではない」


 クロウは慎重に言葉を選ぶ。


「ただ、近すぎた」


「近すぎた」


「ああ」


 ここは嘘ではない。


「白霜外界みたいな場所が、素直に最短を置くとは思えなかった」


 それはかなり本音だ。

 ただし本音の中心にあったのは、“嫌だ”という感覚である。

 そこは少しだけ省いた。


 ヴェルミリアは深く頷いた。


「十分です」


 いや、十分なのか。

 本人としてはまだ少し足りない気がする。

 主に説明の丁寧さが。


「順路を“距離”ではなく“受け入れられ方”で測られたわけですね」


 そういう立派な言い方になると、一気に逃げ場がなくなる。


 クロウはもうそれ以上は言わなかった。

 たぶん、言ったところで状況は変わらない。


(まあ、いいか)

(結果が良かったなら、もういいか)

(よくはないが)


 そういう諦めが、最近だいぶ早くなっている気がする。

 やはりあまり嬉しくない成長である。


 白霜外界の外へ出ると、普通の雪原がやけにまともに見えた。

 ただの寒さ。

 ただの風。

 ただの遠さ。


 これだけで、少しほっとするのだから人間は単純だ。


 そしてその先には、黒鴉城ネヴァーグレイヴが待っている。

 報告と整理と、次の準備も待っている。

 思い出したくない現実だが、思い出さないわけにもいかない。


「…門だったな」


 クロウは小さく呟いた。


 塔のようにも見えた黒い影は、今回、たしかに“門”として立っていた。


 なら次は、その門が何へ繋がるかの話になる。

 分かっている。

 分かっているから、少しだけ胃が重い。


 だがそれでも、もう前ほどの“ただの嫌だ”だけではない。


 門は見えた。

 固定した。

 到達条件も少し見えた。


 なら、次は中だ。


 そう考えた瞬間、ちょっとだけ現実から目を逸らしたくなったが、たぶん無理だろうなとも思った。

 諦めがよくなってきたのも、やはりあまり嬉しくない。


 ---


 黒鴉城へ戻る頃には、白霜外界で得たものはもう“遠征の成果”というより、“次に必要な前提”へ変わりつつあった。


 南西からでなければ門は定まりにくい。

 正面導線はまだ早い。

 影を追えば逃げる。

 白の浅まりを追えば近づける。

 そして、門は確かに門として存在する。


 それだけで十分に重い。

 しかも厄介なことに、それらはどれも綺麗に繋がっていた。


 白霜外界は、気まぐれに道を変える場所ではない。

 むしろ逆だ。

 一定の順番と態度にだけ、少しずつ応じる場所なのかもしれない。


 だからこそ面倒だ。

 理不尽ではないぶん、こちらも手順を積まなければならない。

 そして手順を積めば積むほど、奥にあるものが現実味を帯びてくる。


 別の王の痕跡。

 眠りを繋ぐ中継遺構。

 あるいは、その先にある本体ではない何か。


 どれもまだ仮説だ。

 だが、もう仮説のままで片づけられる段階ではない。


 白霜外界の門は、まだ開いていない。

 それでも、“そこに門がある”と分かった時点で、行かなくてはならないのだろう。


 それが嫌で、それでも目を逸らしたくなくて、そして結局また行くしかなくなる。


 最近は、そういうことが増えた。


 あまり嬉しくない。

 だが、たぶんこれが王というものなのだろうとも思う。

 行きたくない場所ほど、自分で行かなければならない。


 その理解だけは、少しずつ板についてきていたのだった。




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