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配下からの信頼が重すぎる  作者: きなこもち
第3章 『魔導王国と神話の遺産』

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「観測者たちの北行」

 


 魔導王国エルグレイスの遠征は、帝国とも連邦とも異なる始まり方だった。


 号令は少ない。

 祈祷もない。

 だが静かでもない。


 記録箱の留め具を確かめる音。

 監視結晶を収める緩衝布の擦れる音。

 携行術式盤を折り畳む音。

 護衛杖の石突が床を打つ乾いた音。

 封印具の封線を一つずつ検める、爪先ほどに小さな金属音。


 全部が“見に行くための準備”の音だった。


 王都エルグレイス北門の外には、すでに調査使節の隊列が整っていた。


 軍と呼ぶには小さい。

 だが旅隊と呼ぶには硬い。


 先頭には地誌監視士二名。

 続いて封印学者、記録官、術式測量士、補助魔導師。

 その中央にオルフェン、リセリア、ザイード。

 周囲を少数の護衛騎士と魔導兵が固め、荷車には結晶板、封印具、記録箱、携帯転移標、術式遮断幕が積まれている。


 実務しかない編成だ。


 華美な旗も、王家の威を示す長槍列もない。

 あるのは、必要なものだけを無駄なく積み上げた機能の列だった。


 それでも、この隊列を一目見れば、普通の学術使節ではないと分かる。

 北方禁域に近づくためだけに編まれた、不自然なまでに目的特化の一団だった。


 リセリアは馬上からそれを見渡し、小さく息を吐く。


 ここまで来ると、さすがに実感が出る。


 行く。

 北へ。

 ただの遺跡ではないかもしれない場所へ。

 帝国が押し切れず、連邦が断じきれなかったものの周辺へ。


 胸の奥にあるのは、期待よりもまず緊張だった。

 その上へ、ようやく知的な熱が薄く乗っている。

 怖い。

 だが、その怖さが輪郭を持ち始めたことで、逆に思考だけは冴えていた。


「顔が硬いぞ」


 横から声がした。


 オルフェンだった。


 彼は馬へ乗る姿まで落ち着いている。

 偉そうに見えるわけではない。

 ただ、“慣れている者”の空気がある。

 未知へ近づく時、人前で余計な興奮を見せないことにも慣れているのだろう。


「硬いですか」


「少し」


 オルフェンは即答した。


「悪いことではない。浮かれているよりはましだ」


 それは一応、慰めに近いのかもしれない。


 リセリアは視線を前へ戻す。


「筆頭賢者殿は、平気そうですね」


「平気ではない」


 これも即答だった。


「ただ、平気そうに見せる必要があるだけだ」


 その言葉に、リセリアは少しだけ口元を緩めた。


 やはりこの人は、思っている以上に正直だ。

 正直だが、その正直さを外へそのまま流さないだけで。

 人の前で不安を振りまけば、それだけで隊列の空気が乱れることも分かっているのだろう。


「覚えておくといい」


 オルフェンが言う。


「怖さを感じない者は、たいてい見誤る。だが怖さばかり見せる者も、やはり見誤る」


「では、どうあれと」


「必要なだけ怖がって、必要なだけ進め」


 簡単そうに言う。

 だが、それが一番難しい。


 リセリアは返事の代わりに、馬の手綱を少しだけ握り直した。


 ---


 北へ向かう道は、王都を離れるにつれて少しずつ色を変える。


 エルグレイス近郊の街道は、学術都市群らしく整っていた。

 石畳と土道の境が明確で、里標には距離だけでなく地質や水系の情報まで刻まれている。

 帝国なら補給距離、連邦なら巡礼順路が優先されるところだが、この国では“何が見える場所か”が先に来る。


 それがいかにも魔導王国らしかった。


 どこで風が変わるか。

 どこで地下水脈が浅いか。

 どの丘が古い地形を残しているか。

 そうした情報が、旅人への親切ではなく、監視者のための前提として街道へ刻まれている。


 街道の両脇を流れる景色も、王国らしくどこか整理されていた。

 荒野ですら、荒野として理解されている。

 森は森で、地質は地質で、全部が誰かの観察を一度通った後の風景に見える。


 午前の行程を終え、小休止のために止まった林縁で、ザイードはさっそく古地誌と現地地図を照らし合わせ始めていた。


 年齢のわりに落ち着きがない。

 いや、落ち着きがないのではない。

 気になったものを後回しにできないだけだ。


「教授」


 若い記録官が少し困った顔で声をかける。


「昼食の準備が」


「置いておいてくれ」


「冷めます」


「冷めても食える」


 即答だった。


 リセリアが横を通りながら、少し呆れた声で言う。


「また始まりましたね」


「始まっておるとも」


 ザイードは地図から顔を上げない。


「白線谷周辺の余白だ。後世地図は綺麗すぎる。綺麗に整えた時に、一緒に消してしまった線がある」


 そう言いながら、二枚の地図を重ねる。


 一つは現在地図。

 もう一つは古地誌をもとに復元した暫定地形図。


 違いは小さい。

 だが小さいからこそ意味がある。


「ここだ」


 細い指が一点を示す。


「現在の谷筋では、ただの崩落処理で終わっている。だが古い方だと、妙に不自然な空白が残る」


 オルフェンも近づいてきた。


「施設跡か」


「可能性はある」


 ザイードが頷く。


「少なくとも自然地形の崩れ方ではない。“何かを消した後の整地”に近い」


 それだけで、空気が少し変わる。


 地図における不自然な空白は、学者にとって獣道よりよほど大きな足跡だ。

 何かがあった。

 そして、ただ埋もれたのではなく、“見えないようにされた”可能性がある。

 その差は大きい。


「まだ早い」


 オルフェンは言う。


「今ここで結論づけるな」


「分かっておる」


 ザイードは口ではそう答える。

 だが目は全然分かっていない人間の目だった。


 リセリアはその様子を見て、少しだけ息を吐く。


 これだから学者は。

 いや、自分も同じかもしれないが。


 見つけたいものの輪郭が少しでも見えると、思考がその周りへ一気に集まってしまう。

 だからこそ、横から止める声がいる。


 ---


 午後、使節は最初の中継都市へ入った。


 ここから先は商盟の流通路と接続する。

 つまり、エルグレイス単独の道ではなくなる。


 街の空気も少し変わる。

 王国の学者町らしい整理された静けさの中に、海沿いの商人が持ち込むざらついた声と匂いが混じり始める。


 荷車の車輪へ塗る油の匂い。

 塩気を帯びた帆布の匂い。

 乾いた木箱と湿った縄の匂い。

 “物が動いている”匂いだった。


 王国の流通は整理されているが、商盟の流通は生きている。

 整然としているだけではなく、何かが裏へ回り、抜け道を通り、別の名前で戻ってくる気配がある。

 その差は、宿館へ入った瞬間に分かった。


 宿館の上階、商盟用に確保された私室で、カイルはすでに待っていた。


 相変わらず印象に残りにくい男だ、とリセリアは思う。

 どこか軽そうに見える。

 だが目だけは油断がない。


「ようこそ」


 カイルは立ち上がり、にこやかに一礼した。


「蒼海商盟ルヴァンディア所属、カイルと申します。以後、北方流通と仲介を担当いたします」


 オルフェンが短く頷く。


「筆頭賢者オルフェンだ。こちらは宮廷魔導師リセリア、封印学教授ザイード」


「お噂はかねがね」


 カイルの言葉は軽い。

 だが、軽いだけではない。


 すでに調べているのだろう。

 誰がどの程度危険で、どの程度話が通り、どの程度こちらを利用しようとしてくるか。

 そういう意味では、商盟の情報商もまた一種の監視者だ。

 しかも彼らは、“見る”と同時に“値を付ける”。


「まずは、こちらを」


 カイルが差し出したのは、小さな包みだった。


 幾重にも封をされた布を解くと、中から出てきたのは黒ずんだ金属片。

 指の半分ほどの大きさしかない。

 だが表面に、確かに黒い翼の紋が刻まれている。


 リセリアの目が細くなる。


「…これが」


「売買記録の一件に対応する現物断片です」


 カイルが言う。


「完全な鍵ではありません。おそらく輪状認証子の破片の一つかと」


 ザイードが身を乗り出す。

 リセリアもすぐに簡易監視具を取り出した。


 オルフェンは先に言う。


「触れるな。まず見る」


 二人の手が止まる。


 カイルはそのやり取りを見て、少しだけ面白そうな目をした。

 この使節は、知りたがるくせに、ちゃんと止まれる。

 少なくとも筆頭賢者がいる限りは。


 リセリアは金属片を目だけで追う。


 古い。

 だが死んでいない。


 完全な呪具でも、ただの飾りでもない。

 “反応を待っている破片”のような静けさがある。

 魔力が強く残っているわけではない。

 だが、ただの残骸にしては内側の構造が整いすぎている。


「本物ですね」


 小さく言うと、オルフェンも頷いた。


「少なくとも、ただの偽物ではない」


「でしょう?」


 カイルが笑う。


「商盟も、さすがにこの手の品を雑には扱いません」


 もっとも全部を理解しているわけでもない。

 だからこそ流通に乗るのだろう。


「出どころは」


 オルフェンが問う。


「商盟下位流通。白線運輸を一度経由しています」


 カイルは答える。


「ただし元の持ち主までは追い切れていません。意図的に流したのか、単なる古物流れか、現時点では不明です」


 意図的に流した。

 その可能性が頭をよぎった瞬間、リセリアは少しだけ背筋が冷えた。


 もしこれが偶然ではなく、“市場へ漏れることまで含めて仕掛けられた断片”なら。

 補助宮は、ただ眠っているだけではないのかもしれない。


「他には」


 オルフェンが促す。


 カイルは次の札を出す。


「北方へ向かうには三つのルートがあります。一つは帝国側前線へ正面から寄る道。これは最も速いですが、最も見張られています」


「却下だな」


 オルフェンが即答する。


「はい。ですので現実的なのは二つ」


 カイルが地図を広げた。


「一つは古物・封印品の流れが多い商盟北回り。もう一つは帝国境の少し手前で折れる山沿いの旧巡礼路です」


 ザイードが地図へ寄る。


「旧巡礼路は、白線谷境界へ近いな」


「ええ」


「だが今は半分崩れておるはずだ」


「半分は、です」


 カイルが言う。


「残り半分は、“崩れたことになっている”」


 オルフェンの目が少しだけ細まった。


 面白い言い方だ。

 そしてたぶん、商盟らしい言い方でもある。


「説明を」


「表向きは通行困難。実際には、小荷と少人数ならまだ通れます」


 カイルの指が道筋をなぞる。


「商盟はそこを、正規流通ではなく“急ぎの低視認荷”で使ってきました。大きな隊列は無理ですが、使節規模なら」


 つまり、ちょうどいい。


 学術使節は大軍ではない。

 だからこそ、こういう半死半生の道が使える。


「妙に都合がいいな」


 リセリアが言う。


 カイルは涼しい顔で肩をすくめた。


「商売とは、都合のいいものを先に見つける仕事ですので」


 やはり食えない男だ。


 ---


 その夜、使節の部屋では遅くまで検討が続いた。


 認証子断片の真贋。

 白線運輸の流れ。

 旧巡礼路の使い方。

 北回り商路の中継点。

 補助宮候補地との距離。


 机の上には地図と結晶板が広がり、窓の外では中継都市の夜灯が揺れている。


「補助宮があるとして」


 リセリアが地図を見ながら言う。


「本城と完全に切れている可能性は低い」


「低い」


 ザイードが頷く。


「少なくとも認証系はどこかで主権系譜と接続しておるはずだ」


「なら」


「なら、こちらだけで開くのは不可能かもしれん」


 その結論は重い。

 だが予想通りでもあった。


「しかし」


 オルフェンが言う。


「開けることだけが調査ではない」


 二人が視線を向ける。


「存在を確かめる。反応を知る。主認証が必要かどうかを見極める。それだけでも十分に意味がある」


 たしかにそうだ。


 学者は時々、“開く”ことと“分かる”ことを同一視しがちだ。

 だが、本当に重要なのはその前段階の確認であることも多い。


「北方禁域に近づく以上」


 オルフェンは続ける。


「最悪の形は、“何も分からぬまま深く触れて閉じる”ことだ」


 リセリアはその一言を聞いて、妙に納得した。


 知りたい。

 だからこそ、触れ方を誤ってはならない。


 そこにあるものが遺産なら、なおさらだ。

 遺産は壊れないようでいて、壊れ方を選ぶ。

 無理な触れ方をされると、黙って永遠に閉じる。

 そういうことがある。


「…なら、まずは扉の外です」


 リセリアが言う。


「ええ」


 オルフェンは頷く。


「我らは監視者だ。最初から侵入者になる必要はない」


 その言い方に、カイルが少しだけ笑った。


「魔導王国らしい」


「不満か」


 オルフェンが問う。


「いえ」


 カイルは首を横へ振る。


「商盟としては助かります。最初から本城へ喧嘩を売られると、こちらも道を引きづらい」


 それも本音だろう。


「ただし」


 カイルは少しだけ顔を上げる。


「黒翼庭は待ってはくれません。認証子が市場にもう一つ流れている可能性があります」


「場所は」


「まだ」


「急げ」


 オルフェンの声は静かだった。

 だが、命令としては十分だ。


「承知しております」


 カイルもまた、その声に逆らう気はないらしい。


 ---


 夜更け、各自が部屋へ戻った後。


 リセリアは一人、窓辺に立っていた。


 街の灯が遠くに見える。

 黒翼庭は暗い。

 当然、黒鴉城も補助宮も見えない。


 だが認証子の破片を見た今、補助宮という仮説はもうただの空論ではなくなった。


 あるかもしれない、ではない。

 あるなら、そこへ繋がる断片がもう世界に漏れている。


「本当に、残っているのですね」


 小さく呟く。


 神話の扉。

 王権の記録。

 黒翼の終王に連なる施設。


 怖い。

 だが、怖いだけでは終われない。


 そこに何が眠っているのか。

 なぜ帝国と連邦が、あれほど重く見ながら断じきれなかったのか。

 その答えに、少しずつ近づいている感覚がある。


 そして同時に、もう一つの予感もあった。


 もし補助宮が本当に存在し、それが主認証を必要とするなら。

 いずれ黒翼庭そのものが、こちらの動きに反応する。


 その時、知の国は何を見せられるのか。


 リセリアは窓硝子へ薄く映った自分の顔を見る。


 目が冴えている。

 危ういくらいに。


「浮かれるな、でしたね」


 昼のオルフェンの言葉を思い出し、小さく息をつく。


 分かっている。

 分かっているが、それでも知りたい。


 補助宮が記録施設なら。

 そこには王権の履歴があるかもしれない。

 裁定の基準があるかもしれない。

 あるいは、黒翼の終王そのものを“災厄”とも“神敵”とも片づけきれない理由が、記録の形で眠っているかもしれない。


 だからこそ、この遠征は危険なのだろう。

 敵に向かう遠征ではない。

 答えに向かう遠征なのだ。

 そして答えほど、人を深く踏み込ませるものはないのだった。



最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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引き続きよろしくお願いいたします。

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