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配下からの信頼が重すぎる  作者: きなこもち
第3章 『魔導王国と神話の遺産』

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「補助宮」

 


 黒翼庭の中枢へ戻ってもなお、クロウの頭の中には同じ言葉が残っていた。


 補助宮。


 ただの仮称だ。

 魔導王国が便宜上そう呼んでいるに過ぎない。

 実在もまだ確定していない。

 位置も分からない。

 どの程度の施設なのかも、何を担っていたのかも、今のところは推測ばかりだ。


 だが、それでも妙に引っかかる。


 補助宮。

 王城に属する副次施設。

 記録、監視、封印、転移補助、認証。


 どれも理屈としては理解できる。

 黒鴉城ネヴァーグレイヴのような巨大拠点が、本城だけで完結しているとは考えにくい。

 境界、監視、補助、保管、そうした機構が別にある方が自然だ。

 バルザードが食いついたのも、技術的には当然なのだろう。

 ヴェルミリアが即座に主導権の話へ変えたのも、黒翼庭の宰相としては正しい。


 それでも。


 ただの設定用語として流れていかない。

 もっと別の、何か手に触れかけた時のような感覚がある。


「…嫌な感じだな」


 誰もいない廊下で、小さく呟く。


 嫌だ、というのは少し違うかもしれない。

 怖い、にも近い。

 ただその怖さは、敵が近づいてくる時のものではない。


 自分の知らない自分の一部が、向こうから近づいてくるような怖さだった。


 高い窓のない回廊を歩く。

 壁を流れる術式灯は淡く、床石は冷たい。

 黒翼庭の中はいつだって静かだ。

 配下たちは気配を殺して動くことに慣れているし、城そのものも“賑わい”より“重み”で満ちている。


 だが今日は、その静けさが少しだけ内側へ響く。


 補助宮。


 もしそれが本当にあるなら。

 そこに何が眠っているのか。


 技術か。

 記録か。

 王権の認証か。

 あるいは、今の自分がまだ知らない“昔の自分たち”の名残か。


 そこまで考えたところで、クロウは足を止めた。


 前方から、妙に軽快な足音が聞こえてきたからだ。


「陛下!」


 やはりバルザードだった。


 片眼鏡を押し上げ、黒い技師服の袖を少しだけ乱しながら、珍しく足早に来る。

 義手の指先には細い結晶板が何枚も挟まれていて、どう見ても今まさに何かを思いついた顔をしていた。


 嫌な予感しかしない。


「何だ」


 クロウが言うと、バルザードは一礼しながらも、もう半分くらい喋り始めていた。


「補助宮に関して、仮説が三つほどまとまりました!」


「三つもあるのか」


「最低でも三つです!」


 増える前提で言うな。


 だが、ここで止めても結局あとでまとめて聞くことになる。

 なら先に聞いた方がまだましかもしれない。

 それに、今は自分も補助宮という言葉を頭の外へ出したかった。

 考え続けても、同じところを回るだけだ。


「場所を移す」


 クロウが短く言うと、バルザードはすぐに頷いた。


「もちろんです!」


 相変わらず返事だけは異様に良い。


 ---


 案内されたのは、工廠区画に隣接する小さな監視室だった。


 中央工廠ほど騒がしくはない。

 だが静かすぎるわけでもない。

 壁面一帯に嵌め込まれた監視板と、立体図投影の術式盤、それにいくつかの保管箱。

 研究室と作戦室の中間のような部屋だ。

 油と金属と、わずかな薬液の匂いが混じっている。工廠に隣接する部屋らしい匂いだった。


 バルザードは部屋へ入るなり、結晶板を術式盤へ滑らせた。


 低い光が広がり、北方禁域周辺の地形立体図が浮かび上がる。

 黒鴉城ネヴァーグレイヴを中心に、谷、尾根、監視境界、古い崩落跡、商盟側から拾った認証子流通地点。

 そこへさらに、ザイードたちが推定している“補助宮候補地点”が薄い青で重ねられる。


 白線谷の外れ。

 崩落帯の奥。

 監視線から半歩ほどずれた余白地帯。

 どれも、“地図の上では見えているのに、今まで誰も強く意味づけしていなかった場所”だった。


「まず前提として」


 バルザードが言う。


「本城級施設が単独で存在する可能性は低いです」


「そこまでは分かる」


 クロウも頷く。


「ええ。ですので問題は、“どの種の補助施設か”です」


 バルザードは指を一本立てた。


「第一案。《監視補助宮》」


 立体図の北東側、細い谷筋の外れが光る。


「本城境界の監視、侵入者の認識、術式反応の蓄積を担う施設です。もしこれなら、帝国や連邦が経験した“見られている感覚”の一部を支える基盤である可能性があります」


 彼はそのまま術式盤を操作し、帝国側の監視祠、連邦の巡察接触点、黒騎士ガルドが立った位置を薄線で結ぶ。


「この場合、本城は常時すべてを見ているわけではなく、複数の監視支点から情報を束ねて“どこへどう応答するか”を選別していることになります」


 なるほど、と思う。


 あの境界の感覚が単なる本城からの直視だけではなく、外に張り出した監視支点で補われているなら、確かに理にかなう。

 ガルドが現れる位置。

 鐘のような音が響くタイミング。

 見られている感覚が濃くなる地点。

 そうしたものが、単なる演出ではなく“監視網の手触り”として説明できる。


「第二案。《封印補助宮》」


 今度は南寄りの崩落帯が光る。


「こちらは、王権級封印の維持と再調律を担当する施設です。本城に直結するのではなく、“閉じるべきものを外で閉じ続ける”ための中継層ですね。認証子の存在とも比較的相性が良い」


 その言い回しに、クロウの胸が少しだけざわつく。


 閉じるべきものを、外で閉じ続ける。


 何故だかその説明は、妙にしっくり来た。

 自分の記憶にはない。

 だが、理屈として納得する以上の何かがある。


 まるで、その働きの方向だけは身体が先に知っているような感覚。


「第三案」


 バルザードの声が少しだけ弾む。


「《記録補助宮》」


 今度は白線谷のさらに奥、地図上では薄くしか出ていない余白地点が光る。


「本命です」


 やはりそうなるか。


「王権記録、認証履歴、裁定基準、あるいは本城へ持ち込むには危険な記録物を隔離保存する施設。もし黒翼王の補助宮という呼び方が妥当なら、ここが最も“補助宮”らしい」


 クロウは黙って立体図を見ていた。


 記録。

 裁定基準。

 認証履歴。


 どれも、自分が知っていてよさそうなのに、今の自分にはまだ遠い言葉だった。

 遠いのに、全部が自分に関係している気がする。

 そこがひどく落ち着かない。


「もし」


 クロウがゆっくりと口を開く。


「記録補助宮だとしたら」


「はい」


「そこには、何が残っている」


 バルザードは少しだけ真面目な顔になった。


「仮説でしかありませんが」


「構わない」


「…陛下ご自身に関する記録が残っている可能性があります」


 部屋が少し静かになる。


 もちろん、他に誰もいない。

 だが、言葉が落ちたあとの空気は確かに変わった。


 クロウはすぐには答えなかった。


 自分に関する記録。

 王権の記録。

 裁定の履歴。

 選別の基準。

 誰を通し、誰を閉ざし、何を終わらせ、何を残したか。


 それはつまり、今の自分が“感覚”としてしか持っていないものの、もっとはっきりした形がどこかに保存されているかもしれないということだ。


「…面倒だな」


 ぽつりと漏れる。


 それは逃げでも拒絶でもなく、本音だった。


 知りたくないわけではない。

 むしろ知るべきなのだろう。

 けれど、知れば今の自分の立ち位置も少し変わってしまう気がする。


 いまの自分は、過去を知らないまま、それでも王として振る舞っている。

 そこへ“記録された過去の自分”が現れた時、今の判断はどう見えるのか。

 それが少し怖い。


 バルザードはその短い独白をどう受け取ったのか、一瞬だけ姿勢を整えた。


「だからこそ、他国に先んじられるべきではありません」


 やはりそう訳すか。


 だが今のは、たしかにその通りでもある。


「補助宮が記録施設なら、下手な接触だけで閉じる恐れがあります」


 バルザードが続ける。


「特に魔導王国のように知識で封を開けようとする相手は危険です。封印学者は“触れてよい理由”を見つけるのがうまい」


「嫌な言い方だな」


「技術者としての最大限の敬意です」


「なら、なおさら嫌だ」


 クロウが返すと、バルザードは本気で不思議そうな顔をした。

 この男のこういうところが少し怖い。


 ---


 そこへ、扉が静かに開いた。


 ヴェルミリアだった。


 彼女は一歩入っただけで、室内の空気を一度読み取ったように視線を巡らせる。


「お邪魔でしたら」


「いや」


 クロウが言う。


「ちょうどいい。お前も聞け」


 ヴェルミリアは頷き、バルザードの向かいへ立った。


 説明を一から繰り返す必要はなかった。彼女は机上の結晶板と立体図、それにクロウの顔つきだけで、だいたいの流れを掴んだらしい。


「記録補助宮が本命、と」


「はい」


 バルザードが答える。


「しかも認証子の流通痕跡と、商盟・魔導王国の現状を見る限り、他国もそこへ近い仮説へ到達しつつあります」


 ヴェルミリアは少しだけ目を細めた。


「なら時間の問題ですね」


 彼女の声音には焦りはない。

 だが、危機感はある。


「陛下」


「何だ」


「補助宮に陛下ご自身の記録が残っている可能性、どうお考えになりますか」


 真正面から来る。


 クロウは少しだけ息をついた。

 ここで誤魔化しても仕方がない相手だ。


「…あるかもしれない、と思っている」


 それが一番正確だった。


「確信はない。だが、ただの施設として流していい感じもしない」


 ヴェルミリアは静かに聞いている。


 彼女の前でこういう曖昧な本音を言うのは、少しだけ勇気が要る。だが必要でもある。


「他国に先に触らせたくない」


 続ける。


「王としてだ」


 少しだけ言葉を探した。


「…それだけじゃない気もするが」


 部屋が静かになる。


 バルザードは珍しく何も言わない。

 ヴェルミリアも、すぐには応じない。


 やがて彼女は、いつもより少しだけ柔らかい声で言った。


「それで十分です」


 クロウが顔を上げる。


「主が、自らの遺産に先んじて触れるべきだとお考えになる。それは王としても、個としても、自然な判断かと」


 それは慰めではなかった。

 綺麗に整えすぎてもいない。

 ただ、線を引き直してくれたのだ。


 王であることと、個人的な感情を持つことは矛盾しない、と。


 黒翼庭の王が、自分に連なる過去を自分の手で見たいと思うことは、弱さではなく当然だと。


「…そうか」


 短く返す。


 それ以上は言えなかった。

 だが、それで少しだけ胸の内側が整理された気がした。


 バルザードもそこでようやく口を開く。


「では、技術的にも優先順位は明確です」


 すぐ切り替えるな、と少し思う。

 だが助かる。


「補助宮候補の絞り込み、認証子の所在確認、そして本城側主認証による先行接触」


「本城側主認証」


 クロウが繰り返すと、バルザードは真顔で頷いた。


「つまり、陛下です」


 そうなる。


 分かっていたが、改めて言われるとやはり重い。


「もちろん、いきなり最深部へ触れていただく必要はありません」


 バルザードが補足する。


「補助宮境界には必ず“主認証でなければ開かぬ手前の層”があります。そこを陛下が通られれば、施設の種別判定もかなり進みます」


「他国は」


 ヴェルミリアが問う。


「そこまで行けそうか」


「難しいでしょう」


 バルザードは即答した。


「認証子だけでは足りません。鍵が本物でも、施設側が“主権系譜に属さぬ”と認識すれば、境界で閉じます」


 つまり、認証子が市場に流れていても、それだけで入れるわけではない。

 施設の外殻へ触れる程度はできても、“認められた侵入”にはならない。


 それは少し安心できる情報だった。


「ただし」


 バルザードは少しだけ間を置いた。


「“閉じる”前に、壊すことはできます」


 その一言に、ヴェルミリアとクロウの視線が同時に向く。


 バルザードはきちんと説明した。


「無理にこじ開けるのではなく、複数術式で外殻へ圧をかけ続ければ、施設側が自己保存のために“深層封鎖”へ入る可能性があります。壊れはしない。ですが、結果的に二度と触れられぬ形で閉じる恐れがある」


 それだ。


 クロウが嫌だと感じていたのは、たぶんそれだった。


 敵に奪われるのもまずい。

 だが、誰かの雑な触れ方で“もう開かない”になるのはもっと嫌だ。


 しかも、それが自分に連なる記録かもしれないならなおさらだ。


「なら」


 クロウはもう一度言った。


「やはり、私が先だ」


 今度はさっきよりも、少しだけはっきりしていた。


 王としての決定。

 そして、個人的な意思。


 その両方がようやく同じ方向を向いた感じがある。


 ヴェルミリアが深く頭を垂れる。


「御意」


 バルザードもすぐに続いた。


「最短で整えます」


 その返答の早さに、やはり少しだけ笑いそうになる。


 重い。

 怖い。

 だが頼もしい。


 この配下たちがいるから、自分はまだ“王のふり”だけでは済まずに立っていられるのかもしれない。


 ---


 監視室を出た後も、補助宮という言葉はクロウの中で消えなかった。


 だが、最初に感じたただのざわつきとは少し違っている。

 向き合うしかない、という形に近づいたからだろう。


 回廊を歩きながら、ふと立ち止まる。


 壁際に置かれた黒い鏡板へ、自分の姿が薄く映っていた。


 黒い王装。

 細い黒金の冠。

 金灰色の瞳。

 感情が大きく動く時だけ、背後に現れる黒翼の残像。


 見慣れている。

 けれど、自分の本質まではまだ見えていない。


 王として振る舞うことには少しずつ慣れてきた。

 配下の信頼を受け止めることにも、昔ほどは怯えなくなった。

 だが、自分が何であるかの根までは、まだ霧の中だ。


「…そこにあるなら」


 鏡へ向かってではなく、もっと遠い何かへ向かって言う。


「見に行くしかないか」


 それは決意というより、確認だった。


 逃げたいわけではない。

 ただ、行けば変わるものがあると知っているから、少しだけ言い直しておきたかったのだ。


 補助宮が本当にあるなら。

 そこにはたぶん、今の自分がまだ知らない“自分の理由”が少し眠っている。


 それを、他人の手で先に暴かせる気はなかった。



最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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