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配下からの信頼が重すぎる  作者: きなこもち
第3章 『魔導王国と神話の遺産』

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「魔導王国エルグレイス」

 


 魔導王国エルグレイスの合議は、だいたい長い。


 それは参加者が多いからでも、話がまとまらないからでもない。

 むしろ逆で、まとまるまでに必要な順番を、誰も省こうとしないから長くなるのだ。


 王国という名は付いているが、エルグレイスは実態としては学術都市群の合議体に近い。


 王はいる。

 宮廷もある。

 だが、帝国の皇帝ほど絶対ではなく、連邦の法王ほど象徴的でもない。


 大きな案件は、必ず知識と政治と利害の交差点を通る。

 軍務だけでは決まらない。

 宗教だけでも定まらない。

 学説だけでも進まない。


 だから遅い。

 だが、一度通った案件は妙に根が深い。

 誰か一人の気分や勢いではなく、複数の理屈をくぐり抜けて骨組みを得た決定になるからだ。


 北方禁域に関する正式諮問も、まさにそういう場で開かれていた。


 ---


 王都エルグレイスの中枢、青星議堂。


 円形に近い広間だった。

 高い天井には術式灯が幾何学模様のように埋め込まれ、床には都市群を象徴する銀の環が幾重にも描かれている。

 聖堂のような荘厳さはない。

 軍議場のような威圧感もない。

 あるのは、“ここでは言葉と理屈で決める”という冷たい前提だけだ。


 上座には王と数名の上級顧問がいる。

 その左右に筆頭賢者、宮廷魔導師団、封印学派、古代遺産管理局、財務院、外交院。

 そして後列には記録係と補佐官たち。


 全員が静かだった。


 静かだが、穏やかではない。

 皆それぞれに、北方禁域の件が“ただの他国トラブル”で終わらないことを理解しているからだ。


 帝国が警戒し、連邦が心的と断じ損ね、商盟が情報価値を嗅ぎ取り始めた。

 それだけでも、北の奥で起きていることが単なる辺境異変では済まないと分かる。


 議の口火を切ったのは、古代遺産管理局の年配官僚だった。


「帝国は慎重。連邦は保留。商盟は情報の流通を強めています」


 声は硬い。


「その上で、我が国としては北方禁域案件をどの等級で扱うか。本日はそこを定めたく存じます」


 等級。


 魔導王国らしい言い方だった。


 敵か味方かではなく、まず“どういう種類の案件か”で分ける。

 その分類ひとつで、割く人員も、許可される研究範囲も、外交姿勢すら変わる。


 小規模辺境異常として扱うのか。

 封印事故として見るのか。

 軍事的危険案件なのか。

 古代遺産案件なのか。

 あるいは神話級案件なのか。


 この国では、情報を整理してまず相手を見極める。

 それが知の国の政治だった。


「軍事案件では足りないでしょうな」


 財務院側の一人が言う。


「帝国が軍を持ち込んでも、なお見極めに留まっている」


「宗教案件でもない」


 封印学派の別の学者が続ける。


「連邦は神敵認定を保留した。少なくとも、教義上の単純な禁忌存在とは処理しきれなかった」


 そうした声がいくつか重なった後、オルフェンが静かに口を開いた。


「神話級遺産案件として扱うべきです」


 声量は大きくない。

 だが、この場ではそれで十分だった。


 視線が集まる。


「根拠は三つ」


 オルフェンは机上の報告書に手を置いた。


「一つ目に北方禁域に現れた黒翼庭なる勢力は、既存の軍事理論、宗教理論の双方で処理しきれていない」


 その通りだった。


 帝国は“押して測る”を試み、境界の主導権を奪えなかった。

 連邦は“名づけて縛る”を試み、神敵の語へ完全には落とし込めなかった。

 武も信仰も届いていない。


「二つ目に報告に現れる現象の多くが、単なる自然異常や魔力汚染ではなく、“意思を持って選別している”ように振る舞う」


 議堂の空気が少しだけ引き締まる。


 意思を持って選別する遺構。

 祈りを拒絶するのではなく、通し方を変える境界。

 押し込まれた行為だけを切り分けて無効化する裁定。


 それらは災害や汚染の振る舞いではない。

 もっと設計された、もっと古い理性の匂いがする。


「最後に」


 そこで、オルフェンは視線を少し落とした。


「古層神話との接続です。《黒翼の終王》という呼称そのものが、断片的とはいえ王権神話の深層と噛み合う」


 後列で数人の学者が小さくざわめいた。


 王権神話。

 その単語は、この国では危険と興味を同時に意味する。


 伝承としては広く知られていても、学術領域で“深層”と呼ばれる部分へ触れることは少ない。

 なぜならその層には、現代国家の正統性や封印史そのものを揺らしかねない要素が沈んでいるからだ。


 王国の顧問の一人が慎重に問う。


「筆頭賢者殿は、北方禁域を失われた王権施設の再起動と見ておられる?」


「再起動とまでは申しません」


 オルフェンは即答しない。


「ただ、失われた時代の中枢級施設、あるいはそれに準ずるものが関与している可能性は高い」


 言い切りすぎない。

 だが曖昧にも逃げない。

 このあたりが、オルフェンが筆頭賢者である理由なのだろう。


 王権施設。

 その語は、会議の空気を少しだけ変える。


 魔導王国の者たちは知っている。

 古い王権施設というものは、強力な遺産というだけではない。

 そこには統治、認証、選別、封環、監視といった、世界そのものへ制度を刻みつける種類の術式体系が眠っている。

 現代国家が使う魔導体系とは、規模も思想も違う。


「ならば」


 今度は軍務寄りの顧問が言う。


「なおさら軍をつけるべきでは?」


 そこへ、リセリアが滑り込むように口を挟んだ。


「軍を前へ出しすぎれば、本城との敵対を招きます」


 若いのに、声はよく通った。


「我々がいま知りたいのは、黒翼庭本体の戦力比較ではありません。周辺遺構の性質と、神話記録との整合です」


 何人かが眉をひそめる。

 軍事優先の者からすれば、理屈っぽく聞こえるのだろう。


 だがリセリアは止まらない。


「帝国はすでに“押して測る”を試しました。連邦は“名づけて縛る”を試みて失敗しました」


「ならば我が国がやるべきは、そのどちらでもない」


 その一言は鮮やかだった。


「知ることです」


 議堂の空気がわずかに変わる。


 それは美しい言葉だ。

 だが同時に、ひどく危険な言葉でもある。


 知る、という欲望は、時に戦争より深く世界を壊す。

 剣は境界を越える。

 だが監視は、境界の意味そのものを奪うことがある。


 王座寄りの位置から、やや年配の顧問が淡々と言った。


「宮廷魔導師殿は、知ることを美徳として語るが」


 軽い牽制だった。


「知るために触れすぎれば、それはただの愚行になるのでは?」


 リセリアの目が細くなる。

 返す気配があった。


 だがその前に、オルフェンが先に言う。


「だから少数なのです」


 全員の視線が戻る。


「大軍は不要。むしろ邪魔になります」


 机上の地図が開かれる。


「本城を攻めるのではない。まず確かめるべきは、黒鴉城ネヴァーグレイヴに付随する副次施設――仮に“補助宮”と呼ぶものの存在です」


 ザイードがすかさず地図の一部を指した。


「こちらの古地図上、白線谷境界の余白部分。さらに商盟経由で確認された認証子の流通痕跡。この二つが本物なら、本城とは別に触れられる施設がある可能性が高い」


「本城ではなく補助宮ですか」


 財務院の男が呟く。


「そこを狙う理由は」


 オルフェンが答える。


「三つあります」


「一つ。本城より敵対を招きにくい」


「二つ。王権の記録がある可能性が高い」


「三つ」


 少しだけ間を置く。


「他国より先に、神話の実在へ触れられる可能性がある」


 最後の一つが、一番大きかった。


 魔導王国エルグレイスが欲しているのは、単なる財宝ではない。

 神話が史実へ戻る瞬間、その最初の証拠だ。


 議堂の空気が静かに熱を帯びる。


 それは戦意ではない。

 知的な野心の熱だ。


 帝国が欲するのは安全保障上の把握。

 連邦が欲するのは教義上の定義。

 だがエルグレイスが欲するのは、現代世界の理論を書き換えうる一次記録である。


 だから危険だ。

 そして、だから止めにくい。


 ---


 だが、魔導王国が知識だけで動く国ではないことも、すぐに示される。


「費用と外交負担は?」


 財務院が問う。


「帝国と連邦の前線へ学術使節を差し込むなら、護衛、補給、通行、現地交渉、すべてが通常案件では済みません」


 もっともな話だった。


 知識は無料ではない。

 知ろうとするには、道も金も人もいる。


 研究とは、つねに帳簿の上でも成立しなければ前へ進まない。

 それが国家案件ならなおさらだ。


「商盟を使います」


 オルフェンは即答した。


「蒼海商盟ルヴァンディアの流通網なら、北への補給と情報仲介の両方を担える。商盟もこの件を高値の情報案件として見ているはずですから、交渉余地は十分ある」


 王座横の顧問が問う。


「商盟を噛ませるのは、情報漏洩の危険も増すのでは?」


「承知の上です」


 オルフェンは否定しない。


「そして、現在の状況では完全な秘匿は不可能です。むしろ商盟を外したまま向かう方が、流通と仲介で足を取られます」


 その判断は冷静だった。


 リセリアも頷く。


「帝国と連邦は既に北へ目を向けている。商盟もまた耳を立てている。ならば、閉じるより先に“使う”べきです」


 知の国の発想にしては、かなり現実的だ。


 ザイードはその横で、小さく喉を鳴らすように笑った。


「結局、我々はいつもかの国と同じ席へ座る」


「同じ席へ座らされる、の方が正しいかもしれません」


 リセリアが冷静に返す。


 議堂の何人かが小さく笑った。

 重い案件の中で、それだけが少しだけ空気を動かす。


 だが、すぐにまた現実へ戻る。


「補助宮が存在したとして」


 封印学寄りの学者が問う。


「誰が開くのです」


 そこが最大の問題だった。


 認証子が本物だとしても、王権施設であるなら単なる鍵穴では済まない。

 主権認識、術式照合、封印条件、あるいは血統や存在位階そのものが要求される可能性すらある。


 ザイードが静かに答える。


「分かりません」


 はっきりしている。


「ですが、少なくとも“誰でも開くことのできる扉”ではないのでしょう」


 リセリアが目を細めた。


「つまり、黒翼庭側の反応が必要になる可能性がある」


「ええ」


 ザイードが頷く。


 その瞬間、議堂の空気がさらに一段冷える。


 敵かもしれない相手の遺産を調べるために、その敵の反応を必要とする。

 この案件の厄介さが、ようやく全員の中で同じ形になった。


 だからこそ、今さら軍ではどうにもならない。


「本城そのものと話す必要が出るかもしれぬ、と」


 王座の脇にいた顧問が言う。


「はい」


 オルフェンは頷く。


「ですが、最初から本城へ使者を送るのは愚策です。まずは補助宮の存在を確認し、周辺遺構の反応を見て、黒翼庭側がどの程度まで“知ろうとする者”を許すのか測るべきでしょう」


 この一言で、方針はほぼ決まった。


 北方禁域案件は、神話級遺産案件として正式指定。

 調査使節は少数精鋭。

 軍は最小限の護衛。

 商盟経由で北へ入る。

 狙うのは本城ではなく、補助宮。


 知の国にしては、ずいぶん具体的な進軍だった。


 ---


 議が閉じた後、広間のざわめきが少しずつ薄れていく。


 役人たちは割り当てを計算し、学者たちは必要文書を書き出し、補佐官たちは商盟への接触文案を整え始める。

 王国の合議とは、決まった瞬間から別の何かに変わる。

 討論の場ではなく、巨大な機構の始動になるのだ。


 リセリアは議堂の脇の窓辺へ寄り、少しだけ外気を吸った。


 空は薄い曇り。

 王都の尖塔群の向こうに、もちろん黒翼庭は見えない。

 見えないが、それでも今、自分の中で方向だけははっきり定まっている感覚があった。


 北へ行く。

 補助宮を確かめる。

 記録に触れる。


 危険だ。

 けれど、その危険がようやく“何に向かう危険なのか”の形を持ち始めている。


「宮廷魔導師殿」


 オルフェンが近づいてきた。


「はい」


「先ほどの議で、少し前へ出すぎでしたな」


 開口一番それだった。


 リセリアはすぐに言い返さなかった。

 実際、その自覚はあった。


「申し訳ありません」


「謝れと言っているのではありません」


 オルフェンは窓の外を見たまま言う。


「北方禁域の件は、才気を見せる場ではない。知りたいと思った瞬間ほど、半歩引いて見なさい」


 それは諫言であり、期待でもあった。


 リセリアはその意味をよく分かっている。


「…はい」


「ただし」


 そこでオルフェンが少しだけ声を緩める。


「先ほどの整理はよかった。帝国の武と、連邦の信仰が届かなかった場所へ、我らが何を持って行くべきかは明確にしておく必要がある」


 それは、褒め言葉に近かった。


 リセリアは少しだけ息をつく。


 この筆頭賢者は、ただ抑えるだけの人ではない。

 どこまで踏み込ませ、どこで止めるかをちゃんと見ている。

 だからついていける。


「商盟との接触は、私が」


「いや」


 オルフェンは首を横へ振る。


「最初の文面は私が出す。相手は値札を見る国だ。こちらも最初から、知識と利益の両方を示さねば動かぬ」


「承知しました」


「君はザイードと補助宮関連の記録を詰めなさい。行く前の仮説は多い方が良い」


 やることが見えた瞬間、思考が綺麗に整っていくのを感じる。


 危険を感じた時ほど、リセリアの頭はむしろ冴える。

 それは長所でもあり、欠点でもあった。


「はい」


 今度は、さっきより少しだけ深く頷いた。


 ---


 別の回廊では、ザイードが封印学派の若い研究者たちへ早口で指示を飛ばしていた。


「七柱関連の王権神話は、第八書庫の地下層と、失伝儀礼群の補遺、それから辺境地誌の比較版だ。一般流布本はいらん。あれは後代の説話化が強すぎる」


「はい!」


「補助宮に該当しそうな語は、“副殿”“外殻府”“監視離宮”“従属宮”“封環庫”あたりも洗え。“補助宮”という直截な言葉はむしろ後世の便宜呼称の可能性がある」


「はい!」


「あと、黒い翼の認証子に似た図柄がどの層に出るか、全部抜き出せ。商盟からの略図だけで決めるな」


 若い研究者たちは半ば駆け足で散っていく。


 ザイードは一人になってから、ようやく少しだけ肩を回した。


 補助宮。


 そう呼んではいるが、あれが本当に何を意味するのかはまだ分からない。

 本城の外にある施設。

 王権の記録と認証に関わる場所。

 あるいは、七柱のうち一柱が残した“閉じた記憶”そのもの。


「楽しみだ」


 小さく呟く。


 学者として、純粋にそう思った。


 もしそこに本当に神話の記録が眠っているなら、それは一生に一度触れられるかどうかの発見だ。

 危険でもある。

 だが、危険だからといって見ずに終われるような人種ではない。


 だから魔導王国は、いつも少し危うい。


 ---


 夜になって、中央記録院の高窓に灯りが残るのはいつものことだった。


 その最上層で、オルフェンは商盟ルヴァンディアへ送る初回文面を仕上げていた。


 文面は簡潔だ。


 北方禁域周辺における遺産関連調査に関して、流通網と仲介路の提供を要請。

 見返りとして、王国は一定範囲の研究成果共有と、認証子真贋の一次評価を保証。

 ただし黒翼庭本体との敵対行為は企図しない。


 利を示し、目的を隠しすぎず、だが本当の核心は伏せる。


 商盟相手には、それがちょうどいい。


 最後の一文を見直し、印を置く。

 これで、知と利が繋がる。


 帝国は北を警戒している。

 連邦は北を定義し損ねた。

 商盟は北に値札を付ける。

 そして魔導王国は、北を知ろうとする。


 四大国家がようやく、同じ一点へ別々の理由で顔を向け始めたのだ。


「さて」


 オルフェンは蝋封の冷え具合を確かめ、椅子にもたれた。


 補助宮が本当にあるなら、そこへ至る前にすでに誰かの目がこちらを見ている可能性は高い。

 黒翼庭が帝国や連邦の動きを拾っているなら、魔導王国のこの動きもいずれ察知するだろう。


 それでも行く価値はある。


 なぜなら、ここで触れなければ神話はまた神話のまま埋もれるからだ。


 北にいるのが神敵かどうかは、まだ分からない。

 だが少なくとも、ただの怪談ではない。

 ならば、知の国がやるべきことは一つしかない。


「確かめる」


 静かな独白だった。


 それは決意というより、職務確認に近い。

 筆頭賢者オルフェンにとって、未知へ対する最初の礼儀はいつも同じなのだろう。


 まず、何が起きているのかを確かめることが先決であった。


 ---


 こうして魔導王国エルグレイスは、北方禁域へ向けて正式に歩き始めた。


 軍ではなく、使節を。

 祈りではなく、記録を。

 断罪ではなく、仮説を。


 だがその歩みが穏やかであるとは限らない。


 知ろうとする者は、時に最も深く踏み込む。

 敵と決めつけない代わりに、触れてはならぬものへ最短距離で手を伸ばしてしまうからだ。


 白き都が神敵と呼びきれず、竜の帝国が押し切れなかったものへ、今度は青灰の知の国が扉を探し始める。


 その扉の名は、まだ仮にしか呼ばれていない。


 《黒翼王の補助宮》。


 もしそれが本当に眠っているなら、そこには王そのものではなく、王権の記録が横たわっているはずだ。


 そして、記録とは時に、事実より先に真実を語るのだった。



最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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