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配下からの信頼が重すぎる  作者: きなこもち
第3章 『魔導王国と神話の遺産』

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プロローグ 「敵味方ではない」

第3章の始まりです。

 


 魔導王国エルグレイスは、四大国家の中で最も遅く動く。


 それは決断が鈍いからではない。

 むしろ逆だ。


 この国の人間は、軽々しく結論を出さない。

 感情がないわけでも、危険を恐れないわけでもない。

 ただ、恐れたから動くことも、怒ったから断ずることも、知の国としてはあまりにも粗雑だと知っている。


 だから見極める。

 記録を集める。

 過去と照合する。

 他国が見落とした角度を探る。

 そして、一度動くと決めた時には、何を見に行くべきかがかなり正確に定まっている。


 北方禁域に関しても同じだった。


 帝国が最初に境界を見た。

 連邦がその名を決めかねた。

 そしてようやく今、知の国がその盤面へ椅子を引く。


 だが、エルグレイスの監視者たちは、北を敵味方で見ていなかった。


 彼らにとって最初の問いはいつも一つだ。


 **何が起きているのか。**


 敵か味方か。

 討つべきか、交渉すべきか。

 神敵か、災厄か、あるいは別の何かか。

 それらはすべて、その後ろに来る。


 まず現象がある。

 次に記録がある。

 そしてようやく、判断がある。


 それが魔導王国という国の流儀だった。


 ---


 中央記録院は、王都エルグレイスの中でも少し異質な建物だった。


 高い。

 広い。

 だが、威圧感よりも“積み重なっている”という印象が強い。


 白亜でも黒曜でもない、青灰の石で組まれた外壁。

 尖塔ほどではないが高く伸びる書庫棟。

 窓は細く多く、昼でも夜でも、どこかに必ず淡い魔導灯の色が滲んでいる。

 王城や大聖堂のような、権力を見せるための建物ではない。


 ここは知識を沈め、保存し、必要な時にだけ引き上げるための場所だ。


 だからこそ、怖い。


 知識というものは、剣より静かに人を変える。

 祈りよりも深く人の前提へ入り込み、いつの間にか“世界の見え方そのもの”を置き換えてしまうことがある。


 中央記録院の最上層に近い一室で、筆頭賢者オルフェンは一枚の報告書を読み終えたところだった。


 机は大きい。

 だが散らかってはいない。

 必要なものだけが必要な位置へある机だった。


 帝国軍務省から流れてきた北方監視報告抜粋。

 聖冠連邦アルディウスの巡察結果要約。

 蒼海商盟ルヴァンディア経由の断片情報。

 古地誌。

 神話写本。

 封印学における失伝術式の断章。


 それらが整然と重ねられている。

 まるでいくつもの時代が、いくつもの国の言葉をまとったまま、一つの机の上へ静かに集められているようだった。


 オルフェンは最後の一枚を机へ置き、ゆっくりと息を吐いた。


「連邦ですら、神敵と断じきれなかった」


 独り言にしては、少しだけ重い声だった。


 年齢は六十を越えている。

 髪は灰銀。長衣は深い青。

 背は高くないが、細い指先と、少し前屈みに資料へ寄る癖のせいで、むしろ目線の低い猛禽のような印象がある。


 優しそうには見えない。

 冷たそうにも見えない。

 ただ、“考えた後でないと決めない人間”の顔をしていた。


 室内にはもう二人いた。


 一人は宮廷魔導師リセリア。

 二十代半ば。長い黒髪を後ろでまとめ、淡い紫の術衣の上へ学術外套を羽織っている。

 整った顔立ちだが、それ以上に目が鋭い。人より先に疑問へ噛みつく目だ。


 もう一人は封印学教授ザイード。

 痩せた老人で、眼鏡の奥の目はいつも少し寝不足そうに暗い。

 髪も髭も白く、外套の裾には紙片と古びた封印札が何枚も挟まっている。

 ぱっと見では整理整頓と無縁そうだが、頭の中だけは異様に整っている類の学者だった。


「“神敵と断じきれなかった”のではなく」


 リセリアが報告書の一部をなぞるように言う。


「“神敵という言葉では足りなかった”のではありませんか」


 その言い方に、オルフェンは目だけを向ける。


「理由は」


「連邦の報告には、北の王が外縁へ押し込まれた聖印だけを無効化し、独断で押した監察官側だけを退けたとあります」


 リセリアは淡々としている。

 だが、その声の底には明らかな興味があった。


「もし本当に教義が規定する意味での神敵なら、もっと単純に、もっと広く害していたはずです」


 ザイードが小さく鼻を鳴らした。


「あるいは、もっと露骨にな」


「ええ」


 リセリアが頷く。


「にもかかわらず、連邦の聖女と勇者は“ただの神敵ではない”と判断した」


 そこで少しだけ言葉を切る。


「私はその判断を信仰的な逡巡とは見ていません。監視として正しい違和感だったのでしょう」


 中央記録院らしい結論だった。


 怖いから名付けを避けたのではない。

 見えたものが、既存の分類へ収まりきらなかった。


 つまり、理論の外側に何かがいる。


 オルフェンは机上の帝国報告へ指を落とす。


「帝国もまた、似た形で止まっている」


「はい」


 リセリアが答える。


「帝国は武で測った。連邦は信仰で定義しようとした。どちらも、完全には成功していない」


 ザイードがそこで古い革表紙の地誌を持ち上げた。


「となれば次は、我々の番ですな」


 その言い方には、少しだけ芝居がかっている響きがある。

 ザイードは時々こういう言い回しをする。

 学者というより、歴史の舞台袖に立つ語り部みたいな癖だ。


「ですが」


 オルフェンが静かに言う。


「我らは帝国のように押し込まぬし、連邦のように先に定義もせぬ」


「ええ」


 リセリアがすぐに頷く。


「まず情報の整合性を取ります」


「整合性、か」


 オルフェンはわずかに口元を動かした。

 笑いではない。

 だが、リセリアのその言い方が少し好ましかったのだろう。


 北方禁域に王がいるかもしれない。

 その王が“黒翼の終王”と呼ばれている。

 帝国はそれを現実の脅威として見た。

 連邦は神敵と呼びたがってなお呼びきれなかった。


 ならば次に必要なのは、恐怖でも大義でもなく、記録の層を掘り下げることだ。


 言葉の表面ではなく、その下に沈んだ前提をさらうこと。

 いま流通している神話ではなく、その神話が崩れる前の古い骨組みを探ること。

 エルグレイスの学者たちにとって、それは戦争の準備よりよほど馴染んだ“出立”だった。


「問題は」


 ザイードが、いくつも重なった古地図の一番下から、黄ばんだ薄紙を引き抜く。


「北方禁域そのものを見に行く必要があるかどうかです」


 オルフェンは眉を寄せる。


「必要だろう」


「ええ、最終的には」


 ザイードは指を立てる。


「ですが本城へ近づく前に、触れられる可能性がある“周辺施設”の有無を確認すべきかと」


「周辺施設?」


 リセリアが聞き返す。


 ザイードは古地図を机の上へ広げた。


 そこに描かれているのは、現在の地図とも少し違う、もっと古い北方地形図だった。

 谷筋も山脈も今ほど正確ではない。だが、その分だけ“後の時代に削られたもの”が残っている。


「一般に伝わる災厄王伝承では、王の居城は単独で存在するように描かれます」


 ザイードの細い指が、地図上の一点を叩く。


「ですが、より古い王権神話では違う」


 さらに別の紙を重ねる。

 そこには古代文字で、王権施設の配置に関する断片的な説明が記されていた。


「本城に連なる副次施設。監視塔。保管庫。封印補助所。転移制御環。そうした“王城そのものではないが、王権の一部として機能する場所”の存在が散見されます」


 リセリアが地図へ身を寄せる。


「つまり、黒鴉城ネヴァーグレイヴにも」


「ええ」


 ザイードは静かに頷いた。


「もし本当に神話級王権施設であるなら、それを支える補助宮のようなものがあってもおかしくない」


 補助宮。


 その単語が室内へ落ちた瞬間、空気が少し変わった。


 城そのものではない。

 だが、王権に連なる場所。

 そこになら本城より先に触れられる余地があるかもしれない。

 しかも、本城そのものほど直接的な敵対にはならずに。


 オルフェンの目が、ようやく本気で細まる。


「根拠は」


「三つ」


 ザイードは即答した。


「一つは王権神話における七柱施設群の配置形式。二つ目に北方地誌の“消えた白線谷”に不自然な余白があること。そして」


 そこで、商盟経由で届いた断片記録へ指を置く。


「最後に…流通した封印鍵の形状です」


 リセリアが紙を持ち上げる。


 そこには黒い翼の紋章が刻まれた鍵らしきものの簡易写図があった。

 完全な現物記録ではない。売買記録に添えられた略図に近い。

 だが、その形状には明らかにただの宝物とは違う機構性があった。


「これは扉の鍵ではない」


 リセリアが言う。


「認証子です」


「そう」


 ザイードの目が少しだけ光る。


「施設側が“正しい主権系譜に属する者”を認識するための鍵。単純な物理開錠用ではないだろうな」


 オルフェンは腕を組み、黙って考える。


 帝国はまだ境界を見ている。

 連邦は神敵と呼ぶかどうかでもめている。

 その間に、もし本当に黒翼王の補助宮が存在するなら、そこは今なお誰にも完全には開かれていない可能性が高い。


 そしてそこには、本城より先に触れられる“記録”が眠っているかもしれない。


 危険だ。

 だが、それ以上に価値がある。


「…補助宮、か」


 オルフェンが低く呟く。


「そう呼ぶのが適切かはまだ分かりません」


 ザイードは肩をすくめた。


「ですが、少なくとも“王城に属する副次施設”であるなら、その程度の語は置けるかと」


 リセリアは地図から目を離さないまま言う。


「そこに、何があると思います」


 ザイードはしばらく考え、それから静かに答えた。


「王そのものではなく、王権の記録です」


 その一言が、この巻の扉になる。


「王が何であったか。何を基準に選び、何を拒み、何を終わらせたか。そうしたものを支える記録と装置が、そこに眠っているかもしれない」


 オルフェンはそれを聞き、ようやく決めた。


 いや、もう半ば決めていたのだろう。

 ただ今、言葉になっただけだ。


「調査使節を出す」


 低い声だった。

 だが、それで十分だった。


 リセリアが顔を上げる。

 ザイードも眼鏡の奥で目を細める。


「本城ではない」


 オルフェンは続ける。


「まずは補助宮の存在を確かめる。軍事偵察ではなく、神話級遺産案件として。必要な護衛はつける。だが軍を前に出しすぎるな」


 それが魔導王国らしい決断だった。


 怖れないわけではない。

 だが、怖れを正面から口にする代わりに、価値と危険を天秤へ載せて順序を決める。


「連邦と帝国には」


 リセリアが問う。


「どう伝えます」


「最低限でいい」


 オルフェンは言う。


「ただし商盟には先に触れる」


「流通網を使うのですね」


「ええ」


 ザイードが頷く。


「北方へ入るなら、彼らの道が最も早い」


 オルフェンは机上の封印鍵写図を見つめる。


 帝国と連邦は、まだ黒翼庭そのものを見ている。

 魔導王国はそこから一歩ずらして、“王権の痕跡”へ手を伸ばす。


 その違いが吉と出るか凶と出るかは、まだ分からない。

 だが少なくとも、価値はある。


「…北にいるのは」


 オルフェンがゆっくり言う。


「神敵ではないかもしれない。災厄とも限らない。ならば、なおさら知る価値がある」


 リセリアの口元がほんの少しだけ上がる。


「危険ですね」


「だから価値がある」


 オルフェンは即答した。


 知の国の人間らしい返しだった。


 ---


 会議が一段落した後も、リセリアは地図の前から動かなかった。


 消えた白線谷。

 黒い翼の認証子。

 七柱王権施設群。

 連邦が神敵と断じきれなかった王。


 すべてがまだ点でしかない。

 なのに、その点の配置だけで既に背筋が少し熱くなる。


 怖い。

 だが、それ以上に知りたい。


 北方禁域の王がただの怪物なら、ここまで興味は引かれない。

 危険なだけなら、軍に任せればいい。

 だが、連邦の聖女と勇者が“神敵では足りない”と感じる何かなら、それは知の対象になる。


「宮廷魔導師殿」


 ザイードが横で声をかける。


「顔に出ていますぞ」


「何がです」


「面白がっておいでだ」


 リセリアはようやく顔を上げた。


「面白がってはいません」


 真面目な声で言う。


「ただ、理論の外にある現象が“理論を持たない”とは限らないと分かっただけです」


 ザイードは喉の奥で笑った。


「十分に面白がっておる」


 否定しきれないのが、少しだけ癪だった。


 だが実際、そうなのだろう。

 学者にとって最も危険な瞬間は、恐怖より先に“構造があるかもしれない”と感じた時だ。

 そこから先は、ただの警戒では止まれない。

 知りたいという欲が、必ず一歩前へ出る。


「リセリア」


 オルフェンが呼ぶ。


「はい」


「浮かれるな」


 いきなりだった。


「…浮かれてはおりません」


「そう見えるがな」


 筆頭賢者の指摘は容赦がない。


「知りたいことと、触れてよいことは別だ。忘れるな」


 リセリアは数拍だけ黙ってから、深く頭を下げた。


「肝に銘じます」


 それも本心だった。


 魔導王国の学者は、好奇心のままに禁忌を踏みがちだ。

 だからこそ、止める側の言葉が必要になる。

 オルフェンはその役目をちゃんと分かっている。


 だが同時に、止めるだけの男でもない。


「ただし」


 オルフェンが続ける。


「行く価値はある」


 リセリアは顔を上げる。


「本当に補助宮があるなら、そこは北を知るための最短距離だ」


 その一言で、やはり胸の奥が熱くなるのを感じる。


 怖い。

 危険だ。

 それでも、行く価値がある。


 その線引きがあるからこそ、魔導王国は知の国として立っていられるのだろう。


 ---


 中央記録院を出た後、ザイードは一人で細い回廊を歩いていた。


 古紙の匂いが衣へ染みついている。

 外はもう夕刻だった。窓の向こうの空が薄く赤く染まり始めている。


「七柱、か」


 誰に聞かせるでもなく呟く。


 古い写本の中で、その語はいつもひどく曖昧だ。

 王たちなのか。

 役職なのか。

 神なのか。

 災厄なのか。


 だが今、北で起きている現実が、その曖昧な神話へ少しずつ輪郭を与え始めている。


 もし《黒翼の終王》が本当にその一柱であるなら。

 もし補助宮が本当に眠っているなら。

 世界は思っている以上に“失われた時代の後始末”の上へ立っているのかもしれない。


 それは学者にとって恐ろしく、同時に抗いがたい魅力でもあった。


「眠っていたのは王だけではない、ということか」


 ザイードはそこで立ち止まり、窓の外の夕空を見た。


 黒翼庭は見えない。

 だが、世界のどこかで目覚めたものが、古い記録の行間まで起こし始めている。


 だからこそ、行かなければならない。


 ---


 その夜、中央記録院の最上層で最後に灯りが消える少し前。


 オルフェンは机上に残った古地図をもう一度だけ広げた。


 黒鴉城ネヴァーグレイヴ。

 白線谷。

 副次施設の余白。

 封印鍵の痕跡。


 そこに一本の細い線を引く。

 仮説の線だ。


 この線の先に、もし本当に補助宮があるなら。


 そこには、王そのものではなく、王権の記録が眠っているはずだ。

 ならば知の国が最初に触れるべきは、そこだ。


「まずは扉の外からだ」


 静かな声でそう言う。


 本城へ直接挑むのは愚かだ。

 神敵と断じるのも早い。

 だが、何もせずに遠巻きに見ているだけでは、真実は永遠に神話のままだ。


 だから、補助宮へ行く。


 敵か味方かではなく。

 討つか崇めるかでもなく。

 **何がそこに眠っているのかを確かめるために。**


 オルフェンは地図を畳み、魔導灯を消した。




最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。

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