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配下からの信頼が重すぎる  作者: きなこもち
第2章 『聖冠連邦は黄昏を拒む』

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「誰が決めるのか」

 


 白き巡察隊の宿営地は、表向きには静かだった。


 帝国側の中継拠点を間借りする形で整えられた天幕群は、朝になれば順に雪を払われ、祈祷具は布を掛け直され、記録板は決まった位置へ積み上げられる。

 聖騎士たちは交代で周囲を警戒し、記録官は前日の監視を清書し、補助修道士たちは聖印布の汚れを丁寧に落としていく。


 どこから見ても秩序立っていた。


 白い布はきちんと張られ、祭具は磨かれ、声は抑えられ、歩調も揃っている。

 それは聖冠連邦らしい宿営の姿だった。

 軍勢でありながら、なお祈りの延長線上にあるような整い方。

 乱れを見せることそのものが、この国の弱さへつながるとでもいうように、すべてが静かに正されている。


 だが、その秩序の底では、もう別の流れが生まれていた。


 昨日、境界線で黒騎士ガルドが立った。

 勇者アシュレイは剣を抜かず、聖女リュミエラもまた神敵と呼ばなかった。

 帝国側はそれを“やはり簡単ではない”と受け取った。

 だが連邦側の一部、特に異端審問局の監察官たちは、逆に確信を深めていた。


 **だからこそ危険だ。**

 **言葉を持つ。秩序を持つ。会話さえ成立する。ならばなおさら、こちらの秩序の外にある王は許してはならない。**


 そういう理屈だった。


 危うい。

 だが、危うい理屈ほど、自分を正義だと思い込みやすい。


 誰かを悪と断じる時、人はたいてい少し怯んでから言葉を置く。

 だが、自分は秩序を守っているだけだと思えた時、その怯みは薄くなる。

 それがいちばん厄介だった。


 ---


 朝の記録会議は、帝国側の会議室で行われた。


 帝国らしく、部屋は実用一辺倒だ。

 厚い木机、地図、結晶板、雪を払うための布、最低限の暖炉。

 聖都の会議室と比べれば味気ない。

 だが逆に、余計な荘厳さがない分、そこに置かれた言葉の重さがそのまま見えた。


 窓の外には灰色の空。

 暖炉の火は控えめで、部屋の中は暖かいというより“冷え切っていない”程度の温度に留められている。

 前線の会議室とはそういう場所だった。

 長居して思索するためではなく、必要なことを決め、動くための場所。


 机上には昨日の結晶板、祈祷旗の図、境界線地形図が並ぶ。

 ルークス、帝国の記録官数名、連邦の巡礼監察院担当、連邦記録官、異端審問局付き監察官二名、リュミエラ、アシュレイ。

 それぞれの前に置かれた紙や板は同じでも、そこへ込める意味は少しずつ違っていた。


 最初のうちは、話はまだ整っていた。


 昨日の事実確認。

 監視誤差の整理。

 聖印と祈祷反応の照合。

 黒騎士ガルドとの接触は“会話成立”“交戦なし”“一線の提示あり”とまとめられる。


 そこまではいい。


 問題は、その先だった。


「結局のところ」


 異端審問局付きの年長監察官が、整った声で言う。


「昨日の監視で分かったのは、“境界線は聖印に対して限定的な応答を返す”という一点です」


 年は四十代半ばほど。灰に近い外套をきちんと整え、言葉の運びにも余計な感情は乗っていない。

 だが、だからこそ分かる。

 この男はすでに、自分の中で結論の方向を決めている。

 あとはそれを“監視に基づく整理”の形へ整えたいだけだ。


 リュミエラはその言い方に、すでに少し嫌なものを感じていた。


 限定的な応答。

 間違いではない。

 だが、そのまとめ方には“ならばもう少し押せる”という含みがある。


「応答を返すからといって、こちらが踏み込んでよい根拠にはなりません」


 リュミエラが言うと、監察官は丁寧な表情のまま頷いた。


「もちろんです、聖女様。ですが、応答の質を見極めぬまま“まだ分からない”とし続けるのもまた、監視としては不十分かと」


 巡礼監察院の担当者が慎重に口を挟む。


「質を見極めるにしても、現時点では記録の蓄積が足りません」


「足りないなら増やすべきでしょう」


 監察官の返しは早い。


「祈祷具の出力を一段上げ、境界線へ対してより明確な聖印基準を当てる。そうすれば、少なくとも“何がどこまで通るのか”の輪郭は今より見えるはずです」


 ルークスが露骨に顔をしかめた。


「押す気か」


「監視です」


「その言い換えをやめろ」


 低い声だった。

 空気が少しだけ重くなる。


 帝国の記録官たちは視線を落とす。

 連邦の記録官は板へ目を向けたまま、表情を固くした。

 誰もが分かっている。

 いま会議室で起きているのは、監視手順の相談ではない。

 境界に対して、こちら側の理屈をどこまで差し込んでよいかの綱引きだ。


 アシュレイは黙っていたが、監察官の指先が地図上の“昨日より半歩先”をなぞったのを見て、ほとんど確信する。


 この男たちは、もう押す気だ。


「勇者殿」


 監察官が今度はアシュレイへ向く。


「昨日、黒騎士は“踏み違えぬ限りは”と申しましたね」


「言ったな」


「ならば、踏み違えぬ範囲で応答を確かめること自体は、理にかなうのでは?」


 綺麗な論理だった。

 綺麗すぎる。


 “こちらが境界を守るように、向こうも境界を示した。

 ならばその性質を測ることは合理的だ”――そういう形に言い換えている。

 だがその実、中身は単純だ。

 向こうが止まれと言った場所へ、自分たちの正しさを少しだけ押し込んでみたい。

 その欲を、監視という言葉で薄く包んでいるだけだ。


 アシュレイは椅子の背へ体を預けず、前へ少しだけ重心を置いたまま答える。


「理屈としては分かる」


 監察官の目がわずかに和らぐ。


「ですが――」


 そこで切る。


「お前らは最初から、“踏み違えない範囲”を自分たちで決める気だろ」


 その一言で、部屋の空気が凍った。


 監察官は表情を崩さない。

 だが、崩さないこと自体が答えになっていた。


「勇者殿は、我らを疑っておられる」


「疑うさ」


 アシュレイははっきり言う。


「見たものより先に、“どう記録するか”“どう名づけるか”を囲いに来る連中を、疑わない方が無理だ」


 巡礼監察院の担当者が小さく息を呑む。

 帝国側の記録官は顔を伏せる。

 ルークスだけは、ようやく少しだけ気分が良くなったような顔をした。


 帝国の男からすれば、こういう時に回りくどい言い換えを剥がしてくれる人間は助かるのだろう。

 少なくとも今この部屋では、勇者のその率直さは帝国側の空気に近かった。


「勇者殿」


 監察官の声はまだ丁寧だ。


「我らは連邦の秩序を守るために」


「そう言うだろうな」


 アシュレイは切る。


「でも、秩序を守るためなら何をしてもいいとはならない」


 その時、リュミエラが静かに口を開いた。


「私は反対です」


 会議室がさらに静まる。


 聖女の声はやわらかい。

 やわらかいのに、一度決めた時は驚くほど揺れない。


「昨日の段階で、相手が“こちらを見ている”ことが明らかになりました」


 リュミエラは一人ずつではなく、部屋全体へ向けて言う。


「ならばいま必要なのは、押して応答を増やすことではありません。まず、何をもってこちらを測っているのかを見極めることです」


「見極めるためにこそ」


 監察官が返す。


「いえ」


 リュミエラは遮った。


「それは違います。押して返ってきた応答は、最初から押した側の都合を含みます。いま私たちに必要なのは、こちらの都合のよい形にしないことです」


 見事な言い方だった。

 アシュレイは思わず少しだけ感心する。

 この聖女は、本当に考えている。しかも、自分の慎重さをちゃんと言葉にできる。


 昨日の境界線で感じた違和感を、彼女はただの感情としてではなく、監視上の理由へ落とし込んでいる。

 “押した後に返ってくるもの”は、すでにこちらの理屈で歪んでいる。

 だから、まず見るべきは押していない時の反応だ。

 その考え方は、信仰の人間というより、むしろ非常に冷静な監視者のそれだった。


 だが、その理屈が通じる相手ばかりでもない。


 年長監察官は、初めて少しだけ声の温度を落とした。


「聖女様は、北を恐れておられる」


「はい」


 リュミエラは即答した。


 その返答に、逆に監察官の方が一瞬だけ詰まる。

 たぶん“恐れから慎重になっている”と揺さぶるつもりだったのだろう。

 だが、リュミエラはそれを恥じない。


「恐れています」


 彼女は繰り返した。


「だからこそ、恐れたまま正しい行動を選ぼうとしています」


 ルークスが小さく鼻を鳴らす。

 たぶん、帝国の武人としては嫌いではない答えだった。


 監察官はもう一度だけ口を開きかけたが、そこで巡礼監察院の担当者が先に言った。


「本件、少なくとも本日の方針としては“追加監視はしない”でよいかと」


 半ば逃げ腰のまとめだ。

 だが、この場ではそれで十分だった。


 ルークスは即座に頷く。


「帝国側もそれで異存はない」


 アシュレイも同じく頷く。


「俺も」


 リュミエラも静かに言う。


「私もです」


 これで、一応は決まった。

 監察官たちは反対しきれない。

 会議としてはそういう形になった。


 だがアシュレイは、その年長監察官の目を見ていて分かった。

 こいつは止まっていない。

 ただ会議の場で押し切れなかっただけだ。


 リュミエラも同じ感触を持っていた。

 丁寧に引いた者の顔ではない。

 別の場所で、別の理屈から回そうとしている顔だ。


 ---


 昼過ぎ、帝国側の中継拠点は一見穏やかだった。


 雪は弱く、雲は低い。

 兵たちはそれぞれの持ち場へ散り、飛竜の整備音が遠くから微かに響く。

 連邦の巡察隊も、表向きは午前の会議を受けて落ち着きを取り戻しているように見える。


 だが、アシュレイはその静けさを信用していなかった。


 中継拠点の木柵沿いを一人で歩きながら、彼は朝の会議を頭の中で反芻していた。


 押したがっている。

 しかも、“正しい監視のため”という理屈で。


 そういう押し方は一番危ない。

 本人たちに悪意の自覚が薄い分、止まりが利かない。


 もしこれが私怨や功名心の押しなら、まだ読みやすい。

 だが“秩序を守るため”と本気で思っている手は、止める側まで説得しようとしてくる。

 そこが厄介だった。


「勇者殿」


 後ろから声がして振り返ると、リュミエラがいた。


 補佐の修道女は少し離れた位置で待っている。

 つまり、今は少しだけ内輪の会話をするつもりなのだろう。


「聖女様」


「少し、お時間を」


「もちろん」


 二人はそのまま木柵の内側を並んで歩いた。


 少しだけ風がある。

 白い息が薄く伸びる。

 雪を含んだ空気は冷たいが、話すにはちょうどいい静けさだった。


「朝の会議ですが」


 リュミエラが先に切り出した。


「監察官たちは、止まらないと思います」


「俺もそう思います」


 アシュレイは即答した。


「会議で止められたとしても、別の場所でやる」


「はい」


 リュミエラは頷く。


「しかも、おそらく自分たちでは“必要な監視の範囲”だと思っている」


 そこが厄介だ。


 悪意が露骨ならまだ対処しやすい。

 だがこの手の人間は、秩序のため、教義のため、正しい判断のため、と自分を信じている。


「聖女様は」


 アシュレイが訊く。


「もし彼らが本当に踏み越えたら、どうします」


 リュミエラはすぐには答えなかった。


 白い雪の向こう、境界線のある方角を見てから、静かに言う。


「止めます」


 やわらかな声なのに、芯は固い。


「法王猊下の裁可を超えるなら、なおさら」


「だよな」


 アシュレイは少し安心した。


「俺も止めます」


「ありがとうございます」


「礼を言われることじゃない」


 それは本音だった。

 止めるのは当たり前だ。

 少なくとも、見てもいない段階で“神敵の証拠を取りに行く”ような踏み越え方は嫌だった。


 少しの沈黙の後、アシュレイはふと訊く。


「聖女様は、昨日の黒騎士を見て何を思いました」


 リュミエラは目を伏せた。


「ただただ、恐ろしいと」


「それはそうだ」


 アシュレイは苦笑する。


「でも、それだけではありませんでした」


 彼女は続ける。


「あの方は、ただ強いのではなく、“そこに立つべき理由”を背負って立っていました」


 王の剣。

 そういう言葉にはしなかった。

 だが意味は近い。


「私には、あれがただの怪物の振る舞いには見えなかったのです」


 アシュレイも頷いた。


「俺もだ」


 そして、その認識を共有した瞬間、二人の中で北方禁域はまた少しだけ“ただの神敵候補”から離れていく。


 だからこそ、監察官たちの押しが危ない。

 彼らはこの違和感そのものを消しに来る。


 ---


 その頃、異端審問局付きの監察官たちは、拠点の端にある物資幕舎へ入っていた。


 表向きは祈祷具の点検だ。

 実際、木箱の中には聖印布、携帯用結界杭、浄祓用の銀粉、短時間だけ祈祷出力を底上げする増幅具が入っている。


「午前中では押し切れませんでした」


 若い方の監察官が言う。


「当然だ」


 年長の監察官は平然としていた。


「聖女と勇者があれでは、会議の場では通らん」


「では、やはり現場で」


「現場で“事実”を取る」


 その言い方がすでに危うい。


「第二監視杭を用いる。位置は昨日の祈祷旗地点より浅く。だが出力は一段上げる」


「ルークス殿が許しません」


「帝国の許可を求める必要はない」


 冷たい返答だった。


「我らは我らの監視を行う」


 若い監察官が少しだけ躊躇う。


「ですが、法王猊下の保留は」


「保留は、停止を意味しない」


 綺麗な論法だ。

 そして綺麗だからこそ、危ない。


「神敵であるか否か、その確証を取るための監視ならば、教義にも職責にも反しない」


 そういう理屈で、人は線を越える。


「本当にそれで、聖女様や勇者殿を納得させられるでしょうか」


「納得など不要だ」


 年長監察官は淡々と言った。


「事実があればよい」


 若い監察官は黙る。


 だがその沈黙は、完全な同意ではない。

 ただ、年長者の理屈に押し切られているだけだ。


 とはいえ、押し切られて動けば結果は同じである。


 ---


 影鴉衆は、その会話もすでに拾っていた。


 黒翼庭の監視室では、水鏡の上に物資幕舎の暗い内部が浮かんでいる。

 年長監察官の横顔、木箱の中の増幅具、結界杭の配置図。

 どれも小さな動きだ。だが小さな動きほど、後で大きく効く。


 セラフィナはその映像を見ながら、指先で鏡の縁を軽くなぞった。


「早いですね」


 優しい声だった。


 だが、その意味はもちろん優しくない。


「はい」


 影鴉衆が応じる。


「第二監視杭を用いた、出力一段階上の聖印確認。帝国側にも聖女側にも事前の共有はなし」


 つまり独断。

 しかも、かなり分かりやすい形の。


「結構」


 セラフィナの微笑みが少し深くなる。


「陛下が必要とされた“誰が踏み越えたか”が、これで残ります」


 彼女にとって重要なのはそこだった。

 連邦全体が越えたのではない。

 法王でも、聖女でも、勇者でもない。

 異端審問側の監察官が、自分たちの理屈で押す。


 その事実があるだけで、次に刃を見せる時の意味が全く変わる。


「ヴェルミリア様へは」


「既に」


 影が揺れる。


「陛下へは」


 セラフィナは一瞬だけ目を細め、それから静かに頷いた。


「私から直接」


 ---


 その夜、黒翼庭の玉座の間。


 クロウは階の上から、セラフィナの報告を黙って聞いていた。


 監察官たちは独断で第二監視杭を用い、聖印出力を一段上げた確認を行うつもりらしい。

 帝国側にも、リュミエラにも、アシュレイにも事前共有なし。


 思ったより早い。

 だが、想定の範囲でもあった。


「…完全に連邦の総意ではないな」


 クロウが言う。


「はい」


 セラフィナは答える。


「むしろ、慎重派の存在に焦れた異端審問側の独断と見てよろしいかと」


 ヴェルミリアが静かに補足する。


「ゆえに、返すならそこを明確に残すべきです」


 クロウはゆっくり頷く。


 そうしなければならない。

 ここで全部まとめて叩けば、リュミエラやアシュレイまで“やはり神敵は見境なく裁く”側へ押し流しかねない。


「踏み越えさせる


 短く言う。


「だが、越えたのが誰か分からなくなる返しはするな」


 少しだけ間を置いて、続ける。


「聖女と勇者には、まだ選び直せる形を残せ」


 またそれっぽいことを言ってしまった気はする。

 だが今回は、かなりはっきり意図していた。


 ヴェルミリアは深く一礼した。


「御意」


 セラフィナも微笑む。


「では、監察官たちには“押した結果”を。聖女と勇者には“まだ戻れる道”を残します」


 その翻訳があまりにも早くて少し怖い。

 だが、ありがたくもある。


「過剰にやるな」


 クロウはいつものように釘を刺す。


「はい」


 ヴェルミリアは答える。


「ですが、今回は少しだけ明確さが必要かと」


 その声音に、玉座の間の空気が少しだけ変わる。


 明確さ。


 つまり、ここまでは静かに揺らしてきた境界線が、次は少しだけ“踏み違えたことそのもの”を返す必要があるということだ。


 クロウは息をひとつ吐いた。


「分かっている」


 ここが境目なのだろう。


 まだ本格的な裁定ではない。

 だが、ただ違和感を積ませるだけでも済まなくなっている。


「…なら、やれ」


 言う。


「ただし、まだ殺すな」


 それが今の線引きだった。


 連邦にはまだ選ぶ余地がある。

 監察官たちは越える。

 だが、その最初の越境でいきなり死を見せる段ではない。


 セラフィナの白い睫毛がほんの少しだけ伏せられる。


「承知いたしました」


 その返答は、とても静かだった。




最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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★★★★★を入れていただけると作者のやる気が大幅に上がります(^^)/


また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。

引き続きよろしくお願いいたします。

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