「続・冥匠の遊戯」
黒鴉城ネヴァーグレイヴの下層工廠区画は、今日も相変わらず落ち着きがなかった。
正確には、工廠そのものが騒がしいわけではない。
巨大な魂炉は一定の鼓動で脈打ち、壁を走る銀線も規則正しく明滅し、天井から吊られた鎖と術式腕も必要な時にしか動かない。
むしろ、機構そのものは実に静かだ。
黒い石床の下から伝わる振動も一定で、耳を澄ませば、遠くの炉心が深く息をしているように聞こえる。
結晶灯の赤みがかった光は冷たく、熱源を内に抱えた空間であるはずなのに、肌へ触れる空気はひんやりと澄んでいる。
巨大で、精密で、静謐だ。
それだけ見れば、工廠はむしろこの城の中でもっとも秩序立った場所の一つに見えるだろう。
ただ、その静けさの中心にいる男が落ち着かないだけである。
「いやあ、実に美しい反応でしたねえ!」
バルザードだった。
片眼鏡の奥の目を輝かせ、術式盤へ次々と新しい監視結果を呼び出していく。
境界線で倒れた白い祈祷旗の揺れ方。
連邦側の記録結晶に起きた文言のずれ。
祈祷と地形反応の噛み合わなさ。
その全部が、彼にとっては宝石のようなものらしい。
彼が指を滑らせるたび、工廠中央の立体盤に淡い光が重なり、新しい層が開く。
雪原の縮図。
連邦巡察隊の配置。
祈祷旗の傾斜角。
結晶板に記された文言の変遷。
見ているこちらからすれば不穏そのものの記録群が、バルザードにとっては精緻な成功例として整理されていく。
クロウはその少し後ろで、頭痛を堪えるような気持ちで立体図を見ていた。
連邦巡察隊はついに境界線へ触れた。
祈祷旗が倒れ、記録文言がずれ、祈りは通るのに“支配した感じ”が残らない。
こちらの方針通り、“神敵と断じきれない違和感”はちゃんと積めている。
…積めているのだが。
「面白がるな」
クロウが言うと、バルザードは振り向きもせずに答えた。
「面白がってなどおりませんとも!これは純粋な技術的感動です!」
「言い換えてるだけだろう」
「いえいえ、感動と愉悦は別物でして――」
「どっちでもいい」
バルザードは口を閉じた。
閉じたが、明らかにまだ喋り足りなそうだ。
肩や指先の落ち着かなさが、そのまま内側の興奮を表している。
この男はたぶん、本気で技術に感動しているのだろう。
ただし、その感動の対象が毎回だいたい物騒なだけで。
そこへ、ヴェルミリアが静かに口を開く。
「ですが、現象としては上々です」
彼女は立体図の前へ一歩進み、細い指先で連邦巡察隊の位置を示した。
黒いドレスの袖口から覗く白手袋が、赤みを帯びた工廠の光の中で妙に冷たく見える。
「帝国相手には、“理解できそうでできない”よう動きました。そして今回は“判断を決めきれない”よう動きました」
「聖印もまだ通っている」
クロウが言う。
「はい」
ヴェルミリアは頷く。
「そこが重要です。完全拒絶にしてしまえば、連邦はむしろ喜ぶでしょう。“ほら見ろ、神敵だ”と」
たしかにそうだ。
連邦は帝国よりも、“分かりやすい邪悪”を欲しがる。
だからこそ、分かりやすくしてはいけない。
祈りを完全に撥ねる。
聖印を焼く。
神聖を穢す。
そうした露骨な反応は、あの国にとってはむしろ都合がいい。
言葉を置きたがる国に、置きやすい言葉を与えるだけだからだ。
「ただし」
ヴェルミリアの声がわずかに低くなる。
「バルザード。あなたの案は、いつも半歩ほど先へ行きすぎる」
だよな、とクロウは思う。
この二人のやり取りは、もはや一種の様式美ですらある。
バルザードはようやく振り返り、片手を胸へ当てた。
「何のことでございましょう」
「とぼけないこと」
ヴェルミリアは立体図の一角を指した。
「“文言がずれる監視結晶”の案に、あなたは第二段階として“祈祷の言葉そのものが微妙に別の意味へ変質する”機構を足そうとしていましたね」
バルザードは一瞬だけ沈黙し、それから視線を逸らした。
「…案としては」
「抜きなさい」
「即断!」
「抜きなさい」
ヴェルミリアはまったく揺らがない。
「今それをやれば、連邦は“穢された”と認識します。それは断定の燃料です」
まさにその通りだった。
バルザードの発想はいつも鋭い。
だが鋭すぎる。
相手の反応を一歩先で壊しすぎる。
しかも本人には、それが壊しすぎであるという感覚が薄い。
“美しく効くから”という理由で先へ進めたがる。
だから、横にヴェルミリアが必要になる。
バルザードは肩を落とした。
「…承知しました」
「それと、“祈祷が届くが、届いた先で別の現象へ翻訳される遺構”案も却下です」
「ええっ」
「ええっ、ではありません」
ヴェルミリアの冷たい返答に、クロウは内心で少しだけ安堵した。
たぶんあれをそのままやられていたら、連邦は“神敵が聖なる言葉を捻じ曲げた”として一気に過激化していた気がする。
「…助かった」
思わず小さく漏らすと、ヴェルミリアがこちらを見た。
「何か」
「いや」
クロウは咳払いひとつで誤魔化す。
「引き続き、過剰は避けろと言っただけだ」
「承知しております」
ヴェルミリアは一礼した。
たぶん今の小声も、勝手にいい感じに処理してくれたのだろう。
ありがたい。
ありがたいが、やはり怖い。
---
工廠中央の術式盤が低く唸る。
バルザードが今度は少し真面目な顔で、連邦巡察隊の監視結果を整理し始めた。
興奮が消えたわけではない。
だが技師としての高揚を、ちゃんと仕事へ折り畳める程度の理性はあるらしい。
「現時点の反応を見る限り、聖女と勇者は“断じきれない”側へ寄っています」
立体図の上で、白い二つの光点が他より少しだけ違う動きをしていた。
もちろん人物の感情がそのまま見えているわけではない。
だが、祈祷反応、足の止まり方、視線の集中、周囲の発話記録。
それらを重ねれば、だいたいの“迷い”は読めるらしい。
相変わらず怖い分析だ。
「一方で監察官たちは」
バルザードが別の光点を示す。
「反応を“異常性の証左”へ寄せようとしています。つまり、見えたものをそのまま受け取る気がない」
「連邦らしいな」
クロウが言う。
「はい」
今度はヴェルミリアが答えた。
「ゆえに、今後の境界線は“監視させるが、結論だけは与えない”ことをさらに徹底すべきです」
結論を与えない。
それは言い換えれば、連邦側に内部対立を起こさせ続けるということだ。
見たものがそのまま神敵認定へ繋がらない。
かといって、無害とも言い切れない。
そういう“言葉の置き場のなさ”を積み上げる。
連邦のように定義で動く国に対して、それはかなり効くはずだった。
「具体的には」
クロウが促すと、ヴェルミリアは迷わず三点に整理した。
「第一に、聖印や祈祷は完全には拒まないこと」
指が一本立つ。
「第二に、連邦側の“正しさ”にだけ限定して反応する現象を積むこと。つまり、彼らが神敵と呼びたがるほど、なおさら断じにくい結果を返す」
もう一本。
「第三に、聖女と勇者には“こちらが全く無差別ではない”と伝わる程度の秩序を見せること」
最後の一本。
なるほど、と思う。
怖いが、なるほどだ。
単に伝承ではない。
無差別でもない。
しかし、連邦の正義に素直に従うわけでもない。
その中途半端さこそが重要なのだろう。
中途半端だからこそ、あの国は固定できない。
「つまり」
クロウは言葉を探しながら言う。
「連邦に“敵かどうか”の二択で考えさせるな。“選択肢を狭めないこと”で考えさせろ」
言ってから少しだけ静かになる。
またやってしまった気がした。
今の言い方は、かなり王っぽかった。
だが今回は、ただ勢いで出た言葉でもない。
自分の中で見えてきたことを、そのまま短く切った結果でもあった。
ヴェルミリアは深く頭を垂れた。
「まさしく」
やめてほしい。
その“やはりそこまで見ておられたのですね”みたいな反応は心臓に悪い。
バルザードも感嘆したように言う。
「見事です…!神敵か否か、ではなく、“断じきれぬ理由”の方へ思考を固定するわけですね!」
結果的にはそうだ。
だが本人的には、ただ“今ここで単純な敵に見せるな”と考えただけである。
「…まあ、そうだ」
認めるしかない。
「連邦が勝手に自分たちの言葉へ絡まるなら、それでいい」
さらにそれっぽいことを言ってしまった。
だがこの場ではもう、下手に取り繕うよりその方がいい気もする。
実際、それが今の方針として間違っていないのも厄介だった。
ヴェルミリアは一歩だけ引き、視線を立体図へ戻した。
「では、連邦向け第二調整を始めます」
第二調整、という単語がまず怖い。
バルザードが少しだけ弾んだ声で応じる。
「了解しました!“恐怖”は薄く、“選別された秩序”を濃く。“神敵ならむしろ楽だった”と思わせる方向で!」
「そういう言い方をするな」
クロウは即座に言った。
だがバルザードは姿勢を正すばかりで、たぶん内心では何も変わっていない。
---
その頃、境界線では。
連邦巡察隊が祈祷旗の倒れた位置を中心に、最初の記録整理をしていた。
白い布は雪の上へ伏したまま。
支柱は折れていない。
風は吹いていない。
それが、余計に気味が悪い。
記録官が結晶板へ書きつける。
――白祈祷旗、無風状態にて自発的に傾倒。
――物理的損傷なし。
――聖印反応は弱く継続。
――周囲に悪性瘴気の濃化は見られず。
そこまで書いたところで、彼はわずかに手を止めた。
「…継続、ではなく」
呟く。
結晶板の文字が、薄く揺らいでいた。
さっきほど露骨ではない。
だが確かに、“弱く継続”と書いた部分の筆跡だけが、じわじわと別の語へ寄っていく。
――弱く継続
ではなく、
――静かに応答
「またか」
ルークスが低く吐き捨てた。
監察官がすぐ近寄る。
「見せてください」
記録官は板を差し出す。監察官はそれを見て、すぐに顔をしかめた。
「文言汚染の可能性があります」
「汚染かどうかはまだ分からない」
リュミエラが言う。
「実際に何かへ応答している可能性もあります」
「聖女様」
監察官の声がわずかに硬くなる。
「そうした解釈こそ危険です。神敵が対話的であるかのように」
「私は対話的とは言っていません」
リュミエラも退かない。
「ただ、“穢れに触れたから歪んだ”だけでは説明しきれないと言っているのです」
アシュレイが結晶板を横から覗き込み、小さく息をついた。
「嫌な感じだな」
それが本音だった。
文言が完全に壊れるわけではない。
だが、記録しようとした“こちら側の理解”が少しだけずれていく。
しかもそのずれ方が、“邪悪”ではなく“応答”へ寄る。
つまり、向こうに意志がある方向へ記録が滑る。
連邦にとって、これほど面倒な現象もないだろう。
もし完全な汚損なら、まだ楽だった。
“穢された”と切ってしまえるからだ。
だがこれは違う。
こちらの言葉の方が、少しだけ向こうへ引き寄せられている。
それは、神敵という一語へ回収するにはあまりに都合が悪い。
「隊長」
帝国側の兵がルークスへ声をかける。
「これ以上はどうします」
ルークスは少しだけ考えた。
「今日はここまでだ」
「下がるのですか?」
監察官が問う。
「下がる」
ルークスはきっぱり言った。
「最初の反応だけでも十分濃い。これ以上踏み込んで、“引くべき時に引かなかった”となる方が面倒だ」
その言い方には、帝国側の経験が滲んでいた。
一度押し込みを試して失敗した側の重さでもある。
連邦側の監察官は明らかに不満そうだったが、アシュレイが先に言う。
「俺も賛成です」
監察官が振り返る。
「勇者殿まで」
「見たいものがあるなら、なおさら今日はここまでの方がいい」
アシュレイは結晶板を見たままだ。
「最初の反応に、こっちが意味を乗せすぎると次が見えなくなる」
その言葉に、ルークスがわずかに目を細めた。
帝国の武人が、少しだけ勇者を見直した顔だった。
リュミエラも静かに頷く。
「戻りましょう」
祈祷旗は回収しない。
それもまた、ルークスの判断だった。
「あれは今、向こうの言葉に触れてる。動かすな」
帝国兵たちは従う。
連邦側の一部は不満げだ。
だがここで揉めても仕方がない。
巡察隊は一度、後退を始める。
雪原を戻る白い列の背に、相変わらず“見られている感覚”だけが薄く付きまとっていた。
敵意の刃ではない。
だが、ただ監視されているというより、こちらの反応そのものが選別されているような視線だった。
---
黒翼庭の監視室では、その一部始終が拾われていた。
バルザードが満足げに結晶板を叩く。
「ほらご覧ください。完全汚染にしていないからこそ、向こうの内部解釈が割れる」
「まだ喜ぶな」
ヴェルミリアが冷たく言う。
「これは導入にすぎません」
その一言で、工廠の空気が少しだけ締まる。
クロウも頷いた。
その通りだ。
今日のこれは、最初の違和感だ。
まだ、ただの監視でしかない。
連邦がここからどう言葉を積み上げるか、その方が大事だ。
「聖女と勇者は」
クロウが問う。
セラフィナが答える。
「“異なる”側へ寄ります」
「監察官は」
「“危険”へ寄ります」
分かりやすい。
いや、分かりやすすぎて逆に怖いくらいだ。
「つまり上手くいってるわけだな」
クロウが言うと、ヴェルミリアが静かに頷いた。
「はい。連邦は今、自らの中で“神敵と断じたい力”と“そう呼びきれぬ違和感”を育て始めました」
怖い言い方だが、間違ってはいない。
「では次は」
クロウは少しだけ考え、それから言う。
「聖女と勇者には、もう少しだけ見せろ。監察官には、見えたつもりで見えていない状態を積め」
またそれっぽいことを言ってしまった気がする。
だが今度は、かなり意図して言っている。
少なくとも、何を狙うべきかは自分でも見え始めていた。
ヴェルミリアが深く一礼した。
「承知いたしました」
セラフィナの微笑みがやわらかく深くなる。
「では、光にだけ薄く開き、正しさにはなお閉ざしておきましょう」
その言い方は詩的すぎるが、意味は分かる。
バルザードも嬉しそうにメモを走らせている。
クロウはそれを見ながら、少しだけ内心で思う。
やはり自分は、最初よりだいぶこの陣営のやり方に慣れてきてしまっている。
危ない気もする。
だが、そうでもしないとこの世界では立っていられないのだろう。
連邦はもう来ている。
ただの武力ではなく、言葉と正しさを伴って。
なら、こちらもまた、それを受ける形を選ばなければならない。
「…続けろ」
短くそう言う。
配下たちが一斉に頭を垂れた。
「「「御意」」」
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