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配下からの信頼が重すぎる  作者: きなこもち
第2章 『聖冠連邦は黄昏を拒む』

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「白き巡察隊、北へ」

 


 聖冠連邦アルディウスの軍勢は、帝国ほど音を立てない。


 馬蹄もある。

 車輪も回る。

 金属の擦れる音もする。

 だが、それらはすべて祈りと規律の中へ押し込められていた。

 号令は必要最小限で、私語も少ない。

 進軍というより、ひとつの儀式が長く伸びているような印象すらある。


 白き巡察隊がセラフィスを発ったのは、空がまだ薄青い朝だった。


 先頭には白地に金の縁を持つ聖旗。

 その後ろに聖騎士たち。

 続いて記録官と監察官、祈祷具を積んだ車列、護衛兵、補助修道士。

 そして中央寄りに、聖女リュミエラと勇者アシュレイの馬が並ぶ。


 大軍ではない。


 だが小さくもない。


 “見に行く”と言いながら、連邦がこの件をいかに重く見ているかがよく分かる規模だった。

 威圧のための兵数ではない。

 だが、軽い巡礼で済ませる気がないことは誰の目にも明らかだった。

 しかも、その重さは武力だけでできているのではない。

 祈り、記録、監察、儀礼、護衛。

 連邦という国を構成する要素そのものが、ひとまとまりのまま北へ向かおうとしていた。


 都の門を出る前、法王庁からの最後の祝福が短く読み上げられる。


 光神ルミナスの加護。

 真実を見誤らぬ眼。

 穢れに呑まれぬ心。

 帰還の無事。


 儀礼としては簡素な方だった。

 だが、その簡素さが逆に本気を感じさせる。

 余計な美辞麗句を削り、必要な言葉だけにした祈りだった。

 大げさな聖戦の宣言でもなければ、神敵へ向かう高揚でもない。

 むしろ逆だ。

 まだ何者とも定めきれぬものへ向かうからこそ、言葉を絞っている。

 その慎重さが、朝の冷たい空気の中でかえって際立っていた。


 リュミエラは馬上でそれを聞きながら、心の内側を静かに整えていた。


 もう後戻りはしない。

 少なくとも、自分はこの目で北を見る。

 神敵なら、そう認める。

 違うなら、その違和感もきちんと持ち帰る。


 それだけは決めてきた。


 隣を進むアシュレイは、都の門が遠ざかるのを無言で見ていた。

 朝の光が外套の肩を薄く照らし、その横顔には妙な緊張のなさがある。

 気負っていないわけではない。

 ただ、気負いを前面へ出す類ではないのだろう。

 むしろ、肩へ変な力を入れないことで自分を保っているように見えた。

 勇者という肩書きは、周囲が勝手に重くする。

 だからこそ本人は、必要以上に構えないのかもしれない。


「勇者殿」


 リュミエラが声をかけると、アシュレイは視線を前へ向けたまま応じた。


「何でしょう」


「思ったより、静かですね」


「連邦の行軍ですから」


 小さく笑うような声だった。


「帝国みたいにうるさくはないでしょう」


「帝国の行軍をご存じで?」


「見たことはありません。ただ、あの国は静かに動く時も、どこか“前へ出る音”がする気がします」


 不思議な言い方だった。


 だが、何となく分かる気もする。


 聖冠連邦の行軍は、前へ出るというより、正しさを維持したまま外へ伸びていく感じがある。

 帝国はたぶん逆だ。

 前へ出るために、形も空気も揃える国だ。

 同じ秩序でも、連邦のそれは“乱れぬため”の秩序であり、帝国のそれは“押すため”の秩序なのだろう。


「今のうちに言っておきますが」


 アシュレイが少しだけ声を落とした。


「監察官たちが記録文言を先に囲いたがっても、俺は乗りません」


 やはり気づいている。


 リュミエラは頷いた。


「私もです」


「なら少し安心です」


 その言葉は率直だった。


 勇者という立場の人間が、こういう率直さを隠さないのは珍しいのかもしれない。

 だが、その分だけ信頼しやすい。

 言葉を綺麗に整える前に、本当に嫌なものを嫌だと言える人間の方が、こういう旅ではよほど頼もしい。


 隊列はゆっくりと都を離れていく。


 白い尖塔は遠ざかり、やがて平野の向こうへ沈む。

 代わりに広がるのは、整えられた街道、冬枯れの木立、ところどころに立つ巡礼路の祠、そして北へ向かうほど少しずつ荒くなっていく地の色だった。


 ---


 連邦の街道を進む間、巡察隊の中では目立った混乱はなかった。


 むしろ整いすぎているほど整っていた。


 昼の祈りの刻になれば隊列は短く止まり、聖旗の前で司祭が短い祝詞を唱える。

 食事の時間になれば、配給も休息も無駄なく回る。

 監察官は記録官へ細かい確認を入れ、聖騎士は護衛線の間隔を常に揃える。


 見ていて“強い”と思う種類の秩序だ。


 それはアシュレイにも分かる。


 ただ同時に、この整い方が北方禁域の前でどこまで通じるのかは、まだ分からなかった。

 こういう秩序は、通じる相手には強い。だが通じないものの前では、逆に自分たちの形を保つことそのものが重荷になる。

 北にいるものがもし本当に“言葉と理屈を先に受け取らない相手”なら、この整然さはどこまで意味を持てるのか。

 その問いが、アシュレイの中ではずっと薄く残っていた。


 街道の宿営地で焚き火を囲んだ夜、聖騎士の一人がそう漏らした。


「北へ行くのに、ここまで静かなのは初めてです」


 火の向こうで別の騎士が頷く。


「帝国境へ近づくほど、普通はもう少し空気が荒れるものだが」


 アシュレイは外套を肩へ寄せながら、その会話を聞いていた。


「怖いからだろう」


 そう言うと、二人の騎士が顔を上げる。


「怖い?」


「みんな、怖いんだ」


 アシュレイは焚き火を見る。


「だから静かなんだよ。喋ると形になるから」


 北方禁域の話は、口に出すと少しだけ現実感が増す。

 現実感が増すと、余計に怖くなる。

 だから人は、必要なこと以外はあまり喋らなくなる。

 祈りの国だから静かなのではない。

 怖れを乱さないために、静かでいようとしているのだ。


 騎士たちは黙った。

 その沈黙は否定ではなく、思い当たる節がある沈黙だった。


 少し離れた場所では、リュミエラが修道女たちと短い祈りを終えたところだった。

 火の色が彼女の横顔へわずかに揺れている。

 その姿は相変わらず清らかだ。

 だが近づけば、たぶん同じように怖れているのだろう。

 そこが人として信用できる。


「勇者殿」


 今度は監察官が近づいてきた。


「明日には帝国側の合流点へ至る予定です」


「聞いている」


「到着後の記録手順について、念のため」


 まただ、とアシュレイは思う。


 この男たちは、本当に“見た後どう書くか”を先に整えたがる。


「必要なことは現地で聞く」


 短く返す。


「ですが、勇者殿」


「それとも、現地を見る前に何を書けと?」


 監察官が口を閉じた。


 アシュレイはそれ以上追わない。

 ここで揉めても仕方がない。

 ただ、自分が簡単に乗る相手ではないとだけ分かればいい。


 監察官は一礼して下がる。


 その背を見送りながら、アシュレイは火の中へ小枝を一本放った。


 火花が小さく散る。


「本当に面倒だな」


 小さく呟く。


 北の王がどうこうという以前に、こちらの中だけで既に面倒だ。

 だが、だからこそ北へ行く意味もある。

 都の中だけで言葉を回していれば、いずれ“見たことになっている何か”だけが積み上がる。


 そうなる前に、本当に見なければならない。


 ---


 帝国境に近づくにつれて、空気は明らかに変わっていった。


 街道の整備はまだ行き届いている。

 だが、巡礼路の祠は減り、代わりに軍用の見張り台や補給所が目立ち始める。

 白く整えられていた景色の中へ、灰色と鉄の匂いが混じる。

 雪の削り方まで違った。

 連邦側では道を“きれいに残す”ように雪が払われていたが、帝国側では“通すために退かす”ように雪が寄せられている。

 同じ整備でも、そこに現れる意思が違う。


 帝国側の土地に入ったのだと、目で見なくても分かる変化だった。


 合流点は、帝国北方方面軍が外周警戒に使っている中継拠点の一つだった。


 城塞と呼ぶには小さい。

 宿営地と呼ぶには堅い。

 低い石壁と木柵、雪除けの幕、簡易な監視塔。

 それらが実用だけで組まれている。

 飾り気はないが、その分だけ“戦うためにある場所”に見えた。

 連邦の拠点が“正しく整えられている”のに対し、こちらは“必要だからそうなっている”という景色だ。

 寒さも、泥も、疲労も最初から織り込み済みの顔をしている。


 巡察隊が到着すると、帝国側から数人の将兵が出てくる。


 先頭にいるのはルークスだった。

 北方禁域の最初の圧を受けた斥候隊長であり、今は境界線監視と現地調整の中核にいる男だ。


 彼は連邦の白い旗を見ると、わずかに眉を寄せた。

 歓迎していない顔だった。

 だが、露骨に敵意を出しているわけでもない。

 “来ること自体は分かっていた。

 だが面倒なのも確かだ”という、実務側の正直な顔つきだった。


「竜嶺帝国ザルカディア北方方面軍、ルークスだ」


 低く名乗る。


 リュミエラが馬を下り、短く礼を返す。


「聖冠連邦アルディウス、巡察隊代表補佐、リュミエラです」


「勇者アシュレイ」


 アシュレイも続く。


 ルークスの視線が二人を一度ずつ測るように動いた。

 勇者と聖女。

 連邦としてはかなり重い札だ。

 それを理解しているからこそ、顔つきがさらに渋くなる。


「随分と、重い布陣で来たな」


 その言い方に棘はある。

 だが、露骨な無礼ではない。

 帝国なりの警戒なのだろう。


「貴国が重く見ていると伺いましたので」


 リュミエラが穏やかに答える。


「その通りだ」


 ルークスは即座に言った。


「だからこそ、言葉だけ先に置きたがる連中が増えるのも面倒だがな」


 直球だった。


 巡察隊の後ろで、監察官の一人がわずかに顔を強張らせる。


 アシュレイは内心で少しだけ苦笑した。

 帝国らしい。

 こちらが面倒だと思っていることを、向こうも隠す気がない。

 その雑さは時に無礼だが、少なくともどこを嫌っているかが分かるだけ、今はありがたかった。


「こちらも、見る前に決めるつもりはありません」


 アシュレイが言うと、ルークスは初めてほんの少しだけ表情を変えた。


「それならいい」


 本当にそれだけだった。


 それだけで、帝国兵の空気がほんの少しだけ和らぐ。

 つまりこの前線では、“見ずに決める”ことがそれだけ嫌われているのだ。

 それはたぶん、禁域相手に一度でも現場へ立った者たちが、もう“簡単な結論”を信じられなくなっているからだろう。


 連邦の監察官は面白くなさそうな顔をしたが、口は挟まなかった。


 ルークスはすぐに実務へ戻る。


「宿営地はこっちだ。明朝、境界線へ入る。今日は無駄に前へ出るな。監視塔の上からでも十分に“何も分からない”を味わえる」


 最後の一言に、巡察隊の中で何人かが小さく顔を見合わせた。


 怖がらせようとしているのか。

 それとも本気の警告か。


 たぶん両方だろう。


 ---


 帝国側の宿営地は、連邦のそれよりずっと粗い。


 粗いが、無秩序ではない。

 必要なものだけがあり、余計な飾りは何もない。

 雪を避ける幕、火を囲う石、武具の点検場所、飛竜の休息柵。

 すべてが“使うためだけにある”。


 リュミエラはその空気に少しだけ息をついた。


 聖都からここへ来ると、同じ世界の中とは思えない。

 連邦の白は、秩序を見せる白だ。

 帝国の灰は、秩序を使うための灰だ。


 どちらが優れているという話ではない。

 ただ、向いている方向がまるで違う。

 だからこそ、同じ北方禁域を前にしても、見え方まで違ってくるのだろうと分かった。


 夕方、アシュレイはルークスと短く言葉を交わしていた。


「本当に“見えても分からない”んですか」


 勇者らしく、問いは率直だった。


 ルークスは木柵へもたれたまま答える。


「見えるぞ」


「見える?」


「崩れた塔も、霧も、谷もな。何かがあるのは分かる」


「でも?」


「その“何か”が、向こうに見せたいものなのか、本当にそこにあるものなのか、その区別がつかん」


 それが前線の本音だった。


「見続けるほど、あと少しで分かりそうな気になる」


「それは…嫌ですね」


 リュミエラが小さく言う。


「嫌だぞ」


 ルークスは即答した。


「気持ちが悪いし、腹も立つ。だが、それでも見なきゃならん」


 その言葉の重さは、書類で読むのとは違った。

 帝国はただ怖がっているのではない。

 気に食わないと知りながら、それでも見続けている。

 それができるから、この前線はまだ崩れていないのだろう。


「明日、分かることはあるでしょうか」


 リュミエラが問う。


 ルークスは少しだけ考えた。


「分からん」


 率直な返答だった。


「だが、何も分からんまま帰れる場所じゃないのは確かだ」


 それだけで十分だった。


 ---


 翌朝。


 境界線へ向かう空気は、宿営地の中でさらに一段重くなっていた。


 巡察隊は全員では出ない。

 必要な者だけが前へ行く。

 リュミエラ、アシュレイ、記録官、監察官、数名の聖騎士、帝国側の案内としてルークスとその部下たち。


 雪は薄く積もっている。

 風は強くない。

 空は曇っていて、白とも灰ともつかない。


 禁域に近づくには、こういう“何かが起きても天候のせいにしやすい日”の方がむしろ嫌だ、とルークスは思っていた。


「ここから先は口を閉じろ、とまでは言わん」


 歩きながら彼が言う。


「だが、何かが起きた時に“見たまま”以上のことを勝手に口へ乗せるな」


 監察官の一人がすぐに反応する。


「記録の整理のためには、ある程度の解釈も必要かと」


 ルークスの足が止まる。

 振り返った顔は明らかに面倒そうだった。


「だから、お前らは嫌われる」


 直球だった。


 監察官の口が閉じる。


 アシュレイはそれを見て、少しだけ肩の力を抜く。

 帝国のこういう雑さは助かる。

 連邦のように丁寧な言葉で遠回しに牽制されるより、今はずっと分かりやすい。


 リュミエラは周囲の空気を感じながら歩いていた。


 まだ境界線そのものではない。

 なのに、少しずつ祈りの手触りが変わってくる。


 祈れないわけではない。

 拒絶されるわけでもない。

 ただ、“いつも通りに届いている感じ”が薄い。


 まるで、見えない誰かが祈りの通る道を少しずつ選別し始めているような感覚だ。

 押し返されるのではない。

 むしろ通されている。

 けれど、その通り方がこちらの知っている祈りの秩序ではない。

 だからこそ、違和感になる。


 その時だった。


 先を歩いていた帝国兵の一人が足を止める。


「…見えた」


 前方、霧の向こうに黒い輪郭が浮かぶ。


 塔だ。


 崩れた見張り塔のようなものが、雪原の奥で半ば地中へ沈みながら立っている。

 だが次の瞬間、風もないのにその輪郭が少し揺れた。


 近いようで、遠い。

 遠いようで、近い。


 記録官が慌てて結晶板へ何かを書き留める。


「視認しました。遺構一、黒色石材、損壊率――」


 その声が途中で止まった。


 彼の手にした結晶板が、一瞬だけ淡く光ったのだ。


「何だ?」


 監察官が身を乗り出す。


「文言が…」


 記録官の顔色が変わる。


「いま、書いたはずの“損壊率”が、“静穏率”へ」


 ルークスが舌打ちする。


「始まったな」


 アシュレイは目を細める。


 これはただの悪戯ではない。

 何かが“どう記録されるか”に触れている。

 それも、露骨に壊すのではなく、言葉の向きを少しずらす形で。

 連邦にとっては最も嫌な触れ方だ。

 なぜならこの国は、記録と言葉を通じて現実を確定させようとするからだ。


 連邦の監察官はすぐに聖印具を取り出した。


「祈祷確認を――」


「待ってください」


 リュミエラが声をかける。


 反射的だった。

 だが自分でも、何故止めたのかはすぐ分かった。


 今ここで祈祷を強く通せば、相手を“浄化すべき異物”として先に置くことになる。

 まだ、その段ではない。

 少なくとも今ここでそれをやれば、こちらが先に名前を置くことになる。


 監察官が不満そうに振り返る。


「聖女様」


「まず、見ましょう」


 リュミエラは言う。


「まだ、何も起こしていません」


 その言葉に、アシュレイが横で小さく頷いた。


 ルークスは二人を見てから、短く息を吐く。


「…好きにしろ。ただし、戻ると言ったら戻れ」


 霧の向こうの塔は、相変わらずそこにある。


 ただ、見ているだけなのに、なぜか“向こうからも見られている”という感覚だけがじわじわと濃くなっていく。


 リュミエラは胸元の聖印へ指を添えた。


 祈りはまだ届く。

 だが、その届き方がいつもと違う。


 ここは、ただの呪われた土地ではない。

 もっと静かで、もっと秩序だった何かがある。

 その秩序は連邦のものではなく、帝国のものでもなく、ここに棲む“意志”そのものから生えているようだった。


 そして次の瞬間、風もない雪原で、連邦の白い祈祷旗だけが、ゆっくりと倒れた。


 誰も触れていない。

 支柱も折れていない。

 ただ、地へ伏すように静かに傾いたのだ。


 その場にいた全員が、息を止める。


 鐘の音はしない。

 羽も落ちない。

 けれど、それだけで十分すぎるほど十分だった。



最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

もし作品を気に入っていただけましたら、

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★★★★★を入れていただけると作者のやる気が大幅に上がります(^^)/


また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。

引き続きよろしくお願いいたします。

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