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配下からの信頼が重すぎる  作者: きなこもち
第2章 『聖冠連邦は黄昏を拒む』

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「白翼、聖都へ」

 


 聖冠連邦アルディウスの首都セラフィスは、美しい都だった。


 それは単に白いからではない。


 白は汚れやすい。

 傷も、煤も、血も、いったんつけばよく目立つ。

 だからこそ、それを保てるという事実そのものが、この都の力だった。


 石畳は磨かれ、尖塔は欠けず、聖堂へ続く階は朝ごとに清められる。

 人々の衣も、声も、歩調も、すべてが“整っている”ように見えた。

 乱れのない都。

 光に相応しい都。

 信仰を外へ向けて可視化したような場所。


 信仰の都とは、こういうものなのだろう。


 人が祈りによって清らかになるのではない。

 清らかに見えるよう、秩序ごと整えられている。


 その都を、セラフィナは高みから見下ろしていた。


 法王庁本棟のさらに奥、鐘楼の影が長く落ちる尖塔の縁。

 普通の人間なら立つことさえためらう高さだ。

 だが彼女は白と黒の翼を静かに畳んだまま、風の中へ溶けるように立っている。


 白銀の髪は乱れない。

 修道衣めいた衣は風をはらみもせず、ただ静かだった。

 月光に洗われた横顔は、遠目には聖女にも見えるかもしれない。

 だが、その瞳に宿るものは祈りではない。

 もっと冷静で、もっと深い、選別する者の眼差しだった。


 足元の石へ、彼女の影が細く落ちる。

 その影の中へ、もう一つの影がするりと滑り込んだ。


「第三層まで、配置完了しました」


 声だけがする。


 人の形はない。

 だがセラフィナはそれを見なくても分かっていた。

 影鴉衆の一体だ。


「法王庁本棟、聖典管理局、異端審問局、勇者居館、聖女区画、巡礼監察院。現時点での主要動線はおおむね拾えます」


「ご苦労様」


 セラフィナはやわらかく答える。


 褒められた側の影が、ほんのわずかに揺れた。

 歓喜や恐縮というより、“陛下の第三席に認められた”ことへの静かな誇りに近い反応だ。


 黒翼庭の配下は、だいたい重い。

 その重さは忠誠という言葉だけでは足りない。

 信仰に近い。

 主の視線の中で役目を果たすことが、そのまま存在理由になっている。


「では、確認しましょう」


 セラフィナは都を見下ろしたまま言う。


「この都が、どの言葉で北を縛ろうとしているのか」


 ---


 聖都セラフィスの中心部は、同じ白の中にも温度差があった。


 大聖堂と法王庁は、明るい白だ。

 巡礼者の足が多く、人の祈りと視線が絶えない。

 表へ見せるための白。

 信仰の都として世界へ差し出される、顔としての白。


 だが、その奥にある聖典管理局や法務棟、異端審問局は違う。

 同じ白でも少し青く、少し冷たく、そして少しだけ影が濃い。


 秩序というものは、たいてい表の光だけでは成り立たない。

 光を正しい位置へ置くために、必ず裏に“誰も見たがらない手”がいる。


 セラフィナはそのことをよく知っていた。


 なにしろ、黒翼庭におけるその手の一つが、自分だからだ。


 尖塔を離れ、影へ沈む。


 次に浮かび上がった時、彼女は法王庁へ続く中庭の回廊にいた。

 昼間なら多くの神官や書記が行き交う場所だが、朝の祈りが終わったばかりの今は、まだ人の流れが薄い。


 白い柱。

 磨かれた床。

 遠くで重なり合う祈りの声。

 香油の匂いと、朝の冷気を吸った石の匂い。


 静かな都だ、と改めて思う。


 だが、この静けさは平和の静けさではない。

 “整えられた静けさ”だ。

 乱れが表へ出る前に吸い取られ、秩序へ組み替えられた後の静けさ。


 柱の影へ身を寄せる。

 すると、その先の回廊を二人の神官が歩いてきた。


「法王庁は、やはり北方巡察を急ぐようです」


「当然だろう。帝国があれだけ監視を増やしているんだ」


「ですが、異端審問局はそれとは別に動いていると」


「…あそこはいつもそうだ」


 声が少しだけ低くなる。


「神敵の語を置きたがっている。聖女様が抑えてくださるとよいが」


「勇者殿も慎重派だと聞いた」


「慎重というより、見てから決めたい方なのだろう」


 二人はそのまま通り過ぎる。


 セラフィナは目を細めた。


 早い。


 会議の余韻が、もう下へ降り始めている。

 つまりこの都では、重要な言葉ほどすぐ人の間へ染みるのだ。

 上から漏れているのか、あるいは下の者たちが察するのに長けているのか。

 どちらにせよ、都全体が一つの大きな耳になっているような感覚がある。


「法王庁は、上から下まで“言葉の流れ”で動いていますね」


 また影の中から声がする。


「ええ」


 セラフィナは頷く。


「だからこそ、遅く見えて深い」


 帝国は命令で動く。

 前線があり、将軍がいて、皇帝が決める。

 そこに割り込むなら、人を読む方が早い。


 だが連邦は違う。

 一つの命令ではなく、同じ教義の周辺で複数の解釈が競り合い、その勝った方が都全体の空気を作る。


 つまり、刺すべき場所も一つではない。


「異端審問局の下層動線は?」


「既に」


 影がわずかに揺れる。


「本局の補助会議室と記録庫に二つ。さらに監察官選定の小部屋に一つ」


「よくできました」


 セラフィナの声は相変わらずやわらかい。


 だが、そのやわらかさに反して命じていることはかなり物騒だ。

 もっとも、彼女自身にはその自覚が薄い。


 陛下の庭を汚す前に、汚れそうな場所を見ておく。

 それだけのことだと、本気で思っているからだ。


 ---


 昼前、聖女区画。


 法王庁の奥にありながら、そこだけは空気が少し違った。


 白は同じ。

 静けさも同じ。

 だが、ここには“整えられた静けさ”とは別のものがある。


 人の気配が柔らかい。


 花の香りが少しだけ混じり、壁際の燭台にも過度な豪奢さがない。

 ここは権威の部屋ではなく、祈りのための部屋なのだと分かる。

 人が人として弱さを見せても、すぐに罰へ変わらない場所。

 少なくとも、この都の中ではそう見える。


 セラフィナは回廊の高い梁へ影を這わせ、その先にいる人物を見つめていた。


 リュミエラ。


 聖女は窓辺に立ち、北の方角へ視線を向けていた。

 祈っているわけではない。

 ただ考えている。


 その表情に、セラフィナはほんの少しだけ興味を覚えた。


 怖がっていないわけではない。

 だが“早く神敵であってほしい”という焦りもない。


 分からないものを前にした時、人はたいてい二つに割れる。

 無理に意味を置きたがるか、考えることをやめるか。

 この聖女はそのどちらでもなかった。


「厄介ですね」


 セラフィナは小さく呟く。


「優しさだけではなく、見ようとしている」


 それは敵として厄介だという意味でもあり、同時に、少しだけ好ましいという意味でもあった。


 リュミエラのような者は、神敵の言葉を簡単には受け取らない。

 だからこそ、異端審問長のような者とぶつかる。

 連邦が割れるなら、その軸になりうる。


「斬りますか」


 影の中から問われる。


 とても自然な問いだった。

 黒翼庭の影にとって、可能性の排除はいつだって選択肢の一つだ。


 セラフィナは小さく首を横へ振る。


「いいえ」


「理由を伺っても」


「陛下は、まだ断定しておられません」


 たったそれだけの返答で十分だった。

 影は沈黙する。


 黒翼庭において、“陛下はまだ断定していない”は強い言葉だ。

 止まれの意味でもあり、見続けろの意味でもある。

 セラフィナにとっては、それだけで判断に足る。


「それに」


 彼女は静かに続ける。


「この光は、まだ濁し方を見ておく価値があります」


 リュミエラがどう歪められ、どう抗うか。

 それは連邦全体を読む上で大きな材料になる。


 聖女は国の鏡だ。

 鏡が何を映し、何を拒むかを見るのは無駄ではない。


 ---


 同じ頃、勇者居館。


 こちらは聖女区画よりずっと人の体温があった。


 稽古場へ続く回廊には革の匂いが残り、壁には訓練用の木剣や盾が掛けられている。

 白い都の中では珍しく、“誰かが汗を流している”気配がある場所だった。


 アシュレイは一人、朝の鍛錬を終えたところだった。


 軽装の上着を脱ぎ、白い布で首筋の汗を拭いながら、壁際の長椅子に腰を下ろす。

 若い。

 強い。

 だが、それ以上に“生きている”感じが強い男だとセラフィナは思った。


 英雄というものは、周囲が勝手に神格化しがちだ。

 だがこの勇者は、まだ自分を人として使えている。


 そこが面倒で、同時に価値でもある。


 アシュレイの前へ、一人の聖騎士が近づいてくる。


「勇者殿」


「何だ」


「北方巡察の件、やはり本気で同行なさるので?」


「そのつもりだ」


 簡潔な返答だった。


 聖騎士はわずかに困った顔をする。


「異端審問局の者たちは、もっと早く結論を出したがっているようです。危険である以上、まず神敵として備えるべきだと」


「それが間違ってるとは言わない」


 アシュレイは布を肩へ掛けたまま言う。


「だが、見てもいない相手を神敵と呼ぶのは好きじゃない」


「勇者殿らしいですね」


「どういう意味だ」


「真っ直ぐだ、という意味です」


 アシュレイは少しだけ笑った。

 だがすぐに、その笑みも消える。


「真っ直ぐってのは便利な言い方だな」


 低く言う。


「見ないで斬るのは真っ直ぐじゃない。ただ、楽なだけだ」


 その一言に、セラフィナはわずかに目を細めた。


 いい言葉だ。

 しかも本気で言っている。


 こういう者は、盤面を濁す。

 濁すからこそ、面倒なのだ。


 アシュレイはその後もしばらく、北方巡察の準備について聖騎士と話していた。

 装備、祈祷具の扱い、帝国側との接し方。

 内容は実務だ。

 だが実務をどう捉えるかで、人間の本質はだいたい見える。


 この勇者は、使われるだけの看板ではない。

 自分の目で確かめ、自分の判断で剣を抜くつもりでいる。


「軽くありませんね」


 セラフィナは小さく言う。


「ええ」


 影が応じる。


「少なくとも、帝国側のディグラスに近いかと」


「少し違います」


 セラフィナは穏やかに訂正する。


「ディグラスは国境に立つ武。こちらは、人の中で意味を選ぶ武です」


 どちらも重い。

 だが、重さの方向が違う。


 帝国の武は、境界線の上で強い。

 連邦の勇者は、言葉と大義の只中で強い。


 だからこそ厄介だ。


 ---


 そして、異端審問局。


 ここだけは、最初から答えがほとんど出ていた。


 地下に近い小会議室。

 窓は細く、光も弱い。

 白い石壁は同じでも、この部屋の白は光より冷たさを反射しているように見えた。


 グラウスは卓上の記録板を前に、数人の監察官と向き合っていた。


「法王猊下は保留を置かれた」


 第一声がそれだった。


 監察官たちは黙って聞いている。


「ならば我らは、その保留が何へ転ぶかを見届ける責務がある」


 綺麗な言い方だ。

 だが中身はもっと単純だ。

 証拠を集めろ。

 神敵と断じるための。


「北方巡察へ差し込む監察官は二名」


 グラウスは紙を一枚ずつ滑らせる。


「一人は表向き、記録の整合確認役。もう一人は祈祷具の監督役」


 監察官の一人が問う。


「監視だけでよろしいので」


「現段階ではな」


 グラウスの返答は正確だった。


「だが、監視の仕方は選べ」


「というと」


「聖女と勇者は“慎重派”に寄っている」


 室内の空気がわずかに冷える。


「ならば、彼らが何を見てそう判断したのかを逆に拾え。人は断じきれない時、そこに理由がある。それを潰せば、判断は早くなる」


 セラフィナはその言葉を影越しに聞きながら、静かに思う。


 やはり、この男は強い。


 見えないものを恐れているのではない。

 見えないまま残ることを許せないのだ。

 だから無理にでも名を与えようとする。


 便利だ。

 敵としてはとても便利なタイプだ。

 勝手に動いてくれるから。


「今は、まだ」


 セラフィナは小さく呟く。


「まだ、ですが」


 そこへ、グラウスの最後の言葉が落ちた。


「黒翼の王が本当に目を開いたのなら、いずれ必ず綻びを見せる。見せぬなら、こちらから綻ばせろ」


 監察官たちが一斉に頭を下げる。


「はっ」


 その瞬間、セラフィナの微笑みがほんの少しだけ深くなった。


 この男は、いずれ間違いなく陛下の境界線を踏む。

 そして、こちらがその時を選べる。


 それだけで、連邦という国の扱いはだいぶ見えてくる。


 ---


 その夜。


 黒翼庭の監視室には、白き都から拾われた断片がいくつも集められていた。


 法王庁の空気。

 リュミエラの慎重さ。

 アシュレイの違和感。

 グラウスの独自姿勢。

 巡察隊の編成。

 巡礼監察院の動き。

 聖騎士団の出立準備。


 それを一つひとつ見ながら、セラフィナは静かに報告を始める。


 クロウは上段の席からそれを聞いていた。

 ヴェルミリアもいる。

 バルザードは今日は珍しく口を挟まず、記録板を見ている。


「結論から申し上げます」


 セラフィナは言う。


「連邦は割れます」


 はっきりした言い方だった。


「ただし、今すぐではありません。神敵と呼びたい者と、まだ断じきれぬ者。その二つは、北方巡察を経て初めて表に出るでしょう」


 クロウは頷く。


 そこまでは予想通りだ。


「聖女リュミエラは、厄介な誠実さを持っております」


 セラフィナの評価は率直だった。


「怖れることを恥じず、しかし怖れたまま決定を急がない。あれは、単純な善性ではありません」


「勇者は」


 クロウが問う。


「相手を観てから決める武です」


 少しだけ、ディグラスを思い出す評価だった。

 だがセラフィナは首を横へ振る。


「ただし帝国の武とは質が異なります。彼は境界ではなく、人をみて意味を選ぶ剣です」


 なるほど。

 それはかなり厄介だ。


 ガルドやディグラスのような武人は、目の前の一線で測れる。

 だがアシュレイのような勇者は、周囲の言葉や正義ごと背負って剣を振るう。


「異端審問長グラウスは」


 セラフィナの微笑みが、少しだけ冷える。


「もう半歩ほど、先におります」


「越えるか」


 クロウが言う。


「ええ」


 セラフィナは頷く。


「いずれ確実に」


 その確信に迷いはない。


「ですが今はまだ、見ます」


 そしてそれを言う時だけ、少しだけ声音が柔らかくなる。


「陛下が、まだ断定しておられませんので」


 クロウはその言葉に、一瞬だけ何とも言えない気分になる。


 ありがたい。

 怖い。

 重い。

 全部ある。


 ヴェルミリアがそこで静かに口を開いた。


「連邦の初手は、やはり“言葉”から始まるようですね」


「はい」


 セラフィナが答える。


「ですので、こちらはなおさら“曖昧な偶像”を重ねるべきかと」


 バルザードがやっと顔を上げる。


「おお、いいですねえ。連邦側の祈祷や聖印にだけ少し反応を返す調整を入れておけば、“効いているようで効ききらない”違和感を増幅できます」


「やりすぎないように」


 ヴェルミリアが即座に刺す。


「もちろん、もちろん!あくまで上品に!」


 その“上品”の尺度が信用ならない。


 クロウは一度だけ目を閉じ、それから短く言った。


「連邦には、まだ名を置かせるな」


 監視室が少し静まる。


「巡察は通す。見せるものは選ぶ。だが、神敵と断じるには足りないと思わせ続けろ」


 言ってから、自分でもかなりそれっぽいと思った。

 だが今回は、ちゃんと考えて出した言葉でもある。


 ヴェルミリアは深く一礼する。


「承知いたしました」


 セラフィナも穏やかに頭を垂れる。


「では、白き都には“決めきれぬ光”を残しましょう」


 その表現は好きではないが、意味は分かる。


 バルザードは片眼鏡の奥の目を輝かせた。


「実に作りがいのある依頼ですねえ!」


「だから楽しむな」


 クロウが言うと、バルザードはぱっと姿勢を正した。


「失礼しました!」


 返事だけは本当に良い。


 監視室の光が静かに揺れる。


 白い都は今、北を神話のままにしておけなくなった。

 その都へ向けて、黒翼庭は“最後の慈悲”を、あるいは“断じきれぬ沈黙”を差し出そうとしている。


 クロウはそれを見下ろしながら思う。


 やはり穏便には済まない気がする。

 だが今のところ、まだ間に合う。

 まだ、選び直せる。


「…続けろ」


 短くそう言う。


 配下たちが一斉に頭を垂れた。


「「「御意」」」


 その声は静かで、重い。


 白い都へ黒い影が伸びていく。

 そしてその影はまだ、刃ではなく、視線として届き始めていた。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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