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配下からの信頼が重すぎる  作者: きなこもち
第2章 『聖冠連邦は黄昏を拒む』

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26/37

「最後の慈悲」

 


 黒鴉城ネヴァーグレイヴの朝は、外の世界とは少しずれている。


 太陽の昇り方が違うわけではない。

 実際のところ、この城の最奥にいれば、外の朝焼けなどほとんど見えない。

 だが、城の中を満たす気配には確かに“朝”がある。


 夜の間に巡っていた監視が一度整理され、各区画の記録板が差し替えられ、回廊を行き交う配下たちの足取りがほんのわずかに速くなる。

 静かではあるが、止まってはいない。


 それがこの城の朝だった。


 クロウは御座所の小卓で、ほとんど手をつけていない温かい飲み物を見下ろしていた。


 色は深い赤。

 香りは苦く、少しだけ甘い。

 人の感覚なら紅茶と薬湯の中間のようなものだろうか。

 味自体は悪くない。

 むしろ落ち着く部類だ。


 ただ、味がどうこうというより、今は頭の中の方が忙しい。


「…連邦か」


 小さく呟く。


 帝国の時とはまた違う面倒が来た、という感覚だった。


 帝国は分かりやすい。

 怖いと思えば引き、押せると思えば押す。

 武の国らしく、反応が直線的だ。

 もちろん直線的だから楽、という話ではないが、少なくとも“何をしたいか”は読みやすい。


 だが聖冠連邦アルディウスは違う。


 あそこはまず、名前を置こうとする。

 相手を何と呼ぶか。

 それをどう正義の文脈へ組み込むか。

 そこから始まる国だ。


 つまり面倒だ。


 武力より先に意味で殴ってくる相手は、たいてい碌でもない。


 剣を抜く前に、“これは斬ってよいものだ”と物語を作る。

 しかも、その物語を善意と信仰の顔でやる。


 そういう種類の相手は、帝国の槍より面倒くさい。


「陛下」


 扉の外からヴェルミリアの声がした。


「お目覚めでいらっしゃいますか」


「入れ」


 答えると、扉が静かに開く。


 ヴェルミリアは今日も乱れ一つない姿だった。

 漆黒の長髪、喪服と宮廷装束の中間のような黒いドレス、白手袋。

 朝の光が乏しいこの部屋でも、その紫紺の瞳だけは妙にはっきり見える。


 彼女の後ろには、セラフィナとバルザードもいた。


 珍しい組み合わせではない。

 だがこの三人が朝から揃っている時は、だいたい面倒な報告がある。


「何だ」


 クロウが言うと、ヴェルミリアが一礼して口を開いた。


「聖冠連邦アルディウスにて、正式な巡察と監視の方針が固まった模様です」


 やはり来た。


 クロウは表情を変えないまま続きを促す。


「法王ユリオス十三世は、現時点での神敵認定を保留しました」


 それは意外でもあり、予想通りでもあった。


 いきなり“神敵決定、討て”ではなかった。

 なら、少なくとも法王は愚かではない。


「ですが、放置もしません」


 ヴェルミリアは続ける。


「聖女リュミエラ、勇者アシュレイ、巡礼監察院、聖騎士団、聖典管理局。必要に応じて異端審問局も関与する形で、北方巡察が進みます」


 重い布陣だ。


 単なる使者ではない。

 “国として見に来る”布陣だった。


 クロウは背もたれへ少しだけ体重を預ける。


「法王は」


「慎重です」


 今度はセラフィナが答えた。


 白銀の髪がわずかに揺れる。

 今日も修道衣風の衣装は乱れなく、微笑みはいつも通りにやわらかい。

 やわらかいのに、やはり怖い。


「ですが、異端審問長グラウスは別です。あの者はすでに、“神敵”という語を置く準備を始めております」


「聖女は」


「断ずるには早い、と」


 セラフィナの声には、珍しくほんの少しだけ評価が混じっていた。


「勇者もまた、見る前に斬る気はないようです」


 それは悪くない。


 少なくとも、連邦の中にも一枚岩ではない部分がある。


 クロウはそこでようやく飲み物へ一口触れ、少しだけ息をついた。


「…帝国より面倒だな」


 思わず本音が漏れる。


 すると、バルザードが片眼鏡を押し上げながら嬉しそうに言った。


「おお、つまり“対処の難度は高いが、まだ切り捨てる段ではない”と!」


 違う。


 いや、半分くらいはそうかもしれないが、そう勢いよく解釈されると困る。


「ただ面倒だと言っただけだ」


 クロウが返すと、バルザードは一瞬だけ口を閉じ、それからすぐに頷いた。


「ははあ、なるほど。感想に留めておかれた、と」


 やめろ。

 何でも深くするな。


 クロウは心の中で小さくため息をつく。


 だがヴェルミリアは、そんなやり取りをなかったことのように先へ進めた。


「連邦は帝国とは異なります」


 彼女の声は静かだ。


「帝国は武を以て測ります。線を押し、引き、圧を試す。ですが連邦は、まず言葉を置こうとする」


 そこまではクロウも同じ認識だった。


「すなわち」


 ヴェルミリアは続ける。


「こちらが何者か、どういう脅威か、どう裁くべきか。それを連邦側の教義と言葉で確定させようとするでしょう」


 そこでクロウは頷く。


「だろうな」


「ゆえに、最も避けるべきは“相手にとって分かりやすい悪”へ見えることです」


 なるほど。


 帝国相手なら、ある程度“怖いが理がある”で通る。

 だが連邦相手に露骨な恐怖や死の演出を重ねると、それはそのまま神敵認定の燃料になりうる。


 面倒だ。

 本当に面倒だ。


「どうしたい」


 クロウが短く問う。


 ヴェルミリアは一拍だけ置いてから答えた。


「こちらからは、最後まで対話の余地を残しているように見せるべきかと」


 その言い方に、クロウは少しだけ目を細めた。


「見せるべき、か」


「はい」


 ヴェルミリアは頷く。


「実際に対話を成立させるかどうかは別として、少なくとも連邦に“神敵と断ずる以外の道もあった”と認識させることが肝要です」


 分かる。

 とてもよく分かる。


 連邦のような国は、後からでも「我らは十分に見極め、なお神敵と認定した」と言いたがる。

 その時、“他の道もあったのに、自分たちでそれを捨てた”という形を残せるなら、内部対立の火種にもなる。


「…できれば」


 クロウはゆっくりと言った。


「無駄に殺したくはない」


 それは本音だった。


 帝国に対してもそうだった。

 連邦に対しても同じだ。


 もちろん越えるなら斬るしかない。

 だが、最初から大量に殺してしまえば、その時点で話は全部“神敵”に吸い込まれる。


「対話が成り立つなら、その余地は残したい」


 言い終えてから、少しだけ静かになる。


 嫌な予感がした。


 この沈黙はたいてい、配下たちがこちらの言葉をそれぞれ危険な角度で咀嚼している時間だ。


 そして最初に口を開いたのは、やはりヴェルミリアだった。


「承知いたしました」


 深く頭を垂れる。


「では連邦に対しては、**最後の慈悲**を示す方向で整えます」


 …ん?


 クロウは一瞬、反応が遅れた。


「最後の慈悲?」


「はい」


 ヴェルミリアは当然のように頷く。


「陛下は連邦に対し、即時断罪ではなく、なお選び直す余地を残される。すなわちこれは、神敵と定める前に与えられる最後の猶予です」


 違う。

 そこまで仰々しいつもりではなかった。


 ただ穏便に済ませたいだけだ。

 できればあまり死人を出したくないだけだ。


 だが、もう遅い気がする。


「なるほど…」


 セラフィナが微笑む。


 それがもう怖い。


「陛下の慈悲は、いつも静かですね」


 やわらかい声なのに、内容が重い。


「では私どもは、その慈悲が正しく届くよう、邪魔な雑音を払えばよろしいのですね」


 払うな。

 たぶんその“払う”は怖い意味だ。


 だがクロウが口を開く前に、バルザードまで顔を輝かせた。


「素晴らしい!つまり連邦には“まだ断じきれぬ”と理解させつつ、“次に誤れば終わる”とも分からせるわけですね!」


「そこまでは言っていない」


 思わず口に出た。


 だがバルザードは一瞬だけ目を丸くした後、さらに深く頷いた。


「ははあ、なるほど。そこまでを明言する必要もない、と!」


 もう駄目だ。


 何を言っても素材になる段階に入っている。


 クロウは一度だけ目を閉じ、頭の中で整理する。


 否定しても無駄だ。

 というより、今のところ彼らの解釈は結果的には外れていない。

 “神敵と断じきれない余地を残す”という意味では、その通りですらある。


 …それが一番困る。


「過剰にやるな」


 結局、そう言うしかない。


「必要以上に脅すな。連邦は帝国とは違う」


 ヴェルミリアはすぐに頷いた。


「はい。ゆえに、“恐怖”より“曖昧な偶像”を積ませます」


 綺麗に言うなあ、とクロウは思う。


 だが、確かにその方向だろう。


 連邦に必要なのは、恐怖そのものではない。

 “神敵と呼びたいのに、断定しきれない”という違和感だ。


「セラフィナ」


「はい」


「連邦内部の温度差を見ろ。特に聖女と勇者、それから異端審問長だ」


「承知いたしました」


 セラフィナは微笑んだまま頷く。


「聖女は慎重さの灯です。勇者はまだ、見てから決めたい側。ですが異端審問長は――」


「早いんだろう」


 クロウが言う。


「ええ」


 セラフィナはやわらかく笑った。


「とても」


 短い。

 だが、その短さに怖さが詰まっていた。


「バルザード」


「はっ!」


「連邦向けの見せ方を考えろ。ただし、露骨な死や穢れには寄せるな」


「おお、つまり帝国向けの“理解できそうでできない境界線”ではなく、連邦向けには“断じようとするほど揺らぐ境界線”を見せるのですね!」


 仕事が早い。

 そして相変わらず嫌な表現がうまい。


「…まあ、そうだ」


 認めるしかない。


 バルザードは嬉々として何かをメモし始める。


「聖印が通るようで通らぬ空間、祈祷が届くが支配はできない遺構、記録しようとすると文言が少しずつずれる観測結晶――」


「危険な匂いがしたらヴェルミリアが止めろ」


 クロウが言うと、ヴェルミリアは静かに答えた。


「すでにそのつもりです」


 そこは安心できる。


 たぶん。

 たぶんだが。


 少しの沈黙の後、クロウは改めて三人を見た。


 この三人だけで、すでに盤面がかなり回り始めている。

 ガルドがいないのは、今回はまだ“武で立つ段”ではないからだろう。


 それはそれで、連邦戦の性質がよく出ている。


 クロウは言葉を選ぶ。


「こちらはまだ、連邦を敵と定めない」


 これはかなり大事だった。


「向こうがどう見るかは別だ。だが少なくとも、こちらからはまだ断定しない」


 ヴェルミリアの瞳が少しだけ細まる。


「承知いたしました。では、こちらは最後まで“選ぶ余地を与え続ける側”でいるべきですね」


 やっぱり、そこへ翻訳されるのか。


 でも、間違ってはいない。


「…そうだ」


 そう言うしかない。


 セラフィナが静かに一礼した。


「では、白き都へ届けましょう」


 またその言い方だ。

 ろくでもないことを上品に言うな。


 バルザードも元気よく頭を下げる。


「すでに試作案が五つほど!」


「絞れ」


「はいっ!」


 返事だけは本当にいい。


 ヴェルミリアは最後に一歩だけ前へ出ると、いつもより少しだけ柔らかい声で言った。


「ご安心ください、陛下」


 その一言だけで、何となく嫌な予感が増す。


「連邦が言葉で世界を縛る国であるなら、こちらはその言葉を置ききれぬようにするだけです」


 静かな、しかしとてもはっきりした声だった。


 クロウはそれを聞きながら思う。


 やはり有能だ。

 有能すぎて怖い。

 そして、自分の“穏便にしたい”が、またしても国家戦略のような形になっている。


 …だが、必要なのだろう。


「任せる」


 短くそう言う。


 三人が揃って頭を垂れる。


「「「はっ」」」


 その返答の重さに、部屋の空気がまた少し沈んだ。


 ---


 三人が退出した後、部屋に残った静けさは思ったより深かった。


 クロウは小卓の飲み物へもう一度手を伸ばし、今度は少し長く口をつける。


 まだ温かい。

 少しだけ落ち着く。


「最後の慈悲、か…」


 誰もいない部屋で、小さく呟く。


 そんなつもりで言ったわけではない。

 ただ、最初から全部壊したくないだけだった。

 できれば、向こうにも引き返せる余地があってほしいと思っただけだ。


 でも、それを“最後の慈悲”と呼ばれると、妙にしっくり来てしまう部分もある。


 それがまた困る。


「…結果だけ見ると、別に間違ってないのが一番困るな」


 本音が漏れる。


 もしこの部屋に誰かいたら、きっとまた別の意味に変換されていたのだろう。

 そう思うと、一人の時間が少しだけありがたく感じる。


 だが、その静かな時間も長くは続かなかった。


 扉の外で、今度は低く重い足音が止まる。


 ガルドだ、とすぐに分かる。


「陛下」


「入れ」


 黒い甲冑の巨体が、部屋へ静かに入ってくる。

 いつ見ても圧がある。

 これが配下として控えているのは頼もしいが、同時にちょっと怖い。


「聞いていたか」


 クロウが問うと、ガルドは片膝をついた。


「ある程度は」


 短い返答だった。


 盗み聞きではない。たぶん、必要な情報は共有される前提なのだろう。


「連邦にはまだ、私が出る段ではありませんか」


 直球だ。

 そして分かりやすい。


 ガルドは深読みしない。

 だからこそ、こういう問いがありがたい時もある。


「まだだ」


 クロウは即答した。


「今回はお前の剣より、あちらの言葉の方が先に来る」


「御意」


 ガルドはすぐに頷く。


 納得が早い。


「ですが」


 低い声が続く。


「いずれ剣が必要になれば、その時は」


「分かっている」


 その一言だけで十分だったらしい。


 ガルドは深く頭を下げた。


「その命、しかと」


 やはり重い。


 だが、こういう重さは少しだけ助かる。

 余計なことを言わず、必要な時だけ前へ出る。

 この武人らしさは、連邦相手の今だからこそ余計にありがたいのかもしれない。


「ガルド」


「はっ」


「連邦の勇者は、おそらく軽くない」


 セラフィナの報告を思い出しながら言う。

 見る前に斬らない。

 そう言える勇者なら、少なくとも思考停止ではない。


 ガルドは短く答えた。


「なら、いずれ会えば分かるでしょう」


 それだけだ。

 だが、その一言に妙な安心感がある。


 ガルドはきっと、敵が強かろうと弱かろうと変わらない。

 ただ目の前に立ち、測り、必要なら斬る。


 そこがこの男の強さだ。


「下がれ」


「御意」


 ガルドが部屋を出ていく。


 再び静けさが戻る。


 クロウは椅子の背へ深くもたれ、天井を見上げた。


 帝国は境界を測った。

 連邦は名前を置こうとする。

 こちらは、まだ選ぶ余地を残したい。


 そのズレの先で、きっとまた何かが起こる。


「…穏便にいってくれよ、本当に」


 誰もいない部屋でそう呟いた時点で、だいたい穏便には済まないのだろうな、と自分でも分かっていた。


 ---


 同じ頃。


 白き都セラフィスの地下に張り巡らされた古い水路では、影が静かに移動していた。


 石壁に溶けるような黒。

 水面へ落ちたはずなのに波紋を残さない気配。

 影鴉衆だった。


 その一つが、白い法衣の裾を映した。


 リュミエラだ。


 また別の影は、異端審問局の狭い会議室へ忍び込む。

 そこではすでに、北方巡察へ差し込む監察官の名が選ばれ始めていた。

 慎重派に見せる顔と、強硬派へ密かに流す報の線が、同じ机の上で分けて書かれている。


 さらに別の影は、勇者アシュレイの稽古場の梁へと留まり、朝の会話をじっと拾っている。

 剣の風切り音。

 踏み込み。

 息。

 仲間との短い言葉。

 そのどれもが、男の性質を語っていた。

 速い。

 真っ直ぐだ。

 だが短慮ではない。


 白い都へ、黒翼庭の目が静かに根を張り始めていた。


 屋根裏に。

 地下水路に。

 鐘楼の影に。

 聖堂の梁に。


 誰にも見えぬまま、誰よりも早く。


 そしてそのすべてを、遠く離れた黒翼庭の奥で、セラフィナがやわらかな微笑みと共に見ている。


 壁一面に並ぶ黒い水鏡の中で、白い都は無数の断片へ切り分けられていた。

 祈りの場。

 会議の場。

 沈黙の場。

 人が本音を落とす角。

 信仰が顔を変える瞬間。


 彼女はそれらを眺めながら、静かに目を細める。


「ええ」


 誰に聞かせるでもなく、小さく言う。


「最後の慈悲は、きちんと届かなければなりません」


 その声は優しかった。


 だからこそ、ひどく冷たかった。


 慈悲とは、彼女にとって感情ではない。

 刃を落とす前に残される、たった一つの正しい順序だ。


 届いたのに、なお誤るなら。

 選び直せたのに、なお誤るなら。

 その時こそ、裁きは曇らない。


 セラフィナは白き都の水鏡へ指先を滑らせる。


 リュミエラ。

 アシュレイ。

 グラウス。


 慎重。

 保留。

 断定。

 それぞれの温度が、水面の波紋のように広がっていた。


「さあ」


 彼女は微笑む。


「あなたたちは、どちらを選ぶのでしょうね」



最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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引き続きよろしくお願いいたします。

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